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泣き言をやめて闘うことは魅力的だった。

恋愛・女性たち

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振られるのは当たり前

振られた捨てられたは言い方の問題で、結局のところ恋愛が終わったということなのである。それというのも恋愛対象として魅力が無くなったということである。
もっと魅力的な人間を前にしてそちらがいいと思えば、そちらと付き合って当たり前なのである。
そのことに恨み言を言うことは恋愛の大前提を無いモノににすることである。

そもそも恋愛は自分の都合でするもので相手の都合でするものではない。エゴとエゴの偶然の一致で成り立っているのである。
結婚は社会的契約だが、恋愛はエゴと都合で成り立っている。
だから振られて文句を言うのは己を過信しているだけのことである。振られることを予想だにしないのは、ただ自惚れているだけで、裏切られたとか捨てられたというのは、自分の都合通りにいかなかったという愚痴に過ぎない。

これを正当化しようと考えればいくらでもできるが、他人事であれば人は哀れに思って同情するくらいのことしか出来ない。顔には出さないがそれ以上のことは御免だと思っているものである。
恋愛と信頼関係は別のものである。そもそも未来永劫恋人が自分を魅力的だと思ってくれるというのは幻想、妄想の賜物で、そんなことは無い。もしもそうであるならば、この地上の男女は、最初に恋愛した相手と結婚し終生添い遂げるはずである。しかし、そんなことはごく稀なことだろう。

恋愛とは何も約束が無いから良いのであり、結婚の擬制ではない。何人と誰と同性異性問わず互いが良いと思えばかまわないのである。期間だって自由である。
婚約しているのであれば、仮契約だから経済的な保証はある程度得られるが、要は金で済む問題なのである。
本来別れるのだって、「別れよう」で十分であり、理由は要らない。そこで嘘を言われたところで文句をいえた義理は無いのである。
そうしたほうが無難に済むと思えば嘘もつくだろう。本来別れるのには理由はそんなに無いのである。

他に好きな人間が出来たか、面倒くさくなったか、一人になりたくなったか、それが重なっていることもあるだろうが、大体そんなものである。
振られてガッカリするのは当然だが、いつまでも相手に夢を見るのはやめたほうが良い、ほとんどその人間の正体は別れた時のその姿なのである。
そして、振られた人間にとってはもはや別人なのである。
それが現実でそれ以外にない。自分のことを好きな存在となんでもなくなった存在は同じ人間ではないのである。それが変わらず同じ人間に見えているとしたら、それは夢であり幻想でありファンタジーなのである。

さっさと別の夢と都合へ向かった方が良い、そこでとどまっていてもただ、歳をとるだけである。
人はそれぞれなので、恋愛の失敗は次の人間には適用できない。そもそも恋愛は失敗しかないのである。振る方にして失敗したのは同じなのである。
それに、振られて人間不信になるとか、恋愛に臆病になるとか、傷つくのはイヤだとか言うのはだいぶ傲慢で上から目線な言い分である。
どれだけ自分が聖人君子なのかということである、これまで私は誰も傷つけることなく、誰も疑わず、誰に対しても平等に正直に接してきたという人間でなければそんな馬鹿げたことはいえないだろう。

恋愛とは非常に簡単で複雑なところは少しも無い。好きなもの同士が仲良くなり、そうでもなくなったら別れる。それだけのことである。
それ以上でも以下でもない。モラルも信用も無用なものである。
だから恋愛は振られて当たり前なものと思った方がいい。もしくは振って当たり前なものだとも。

女の悪口

今日は父の時計のOHが済んだ時計を撮りに骨董時計屋さんに行き、ついでに古本屋によった所、「山口

瞳対談集3」を見つけて購入した。

帰りのバスと電車でそれを読んでいたのだが、一人目が遠藤周作先生でテーマはどうも「女の悪口」を言

うことらしい(遠藤先生は編集部にそう言われたと言っている)。

最初は褒めたりして、控え目な感じだが、最後には二人で言いたい放題「女の悪口」を言いまくって終わ

っている。

とても、今なら掲載も難しいだろうが、この対談は1964年ということで大丈夫だったのだろう。

この対談を読んでいて思ったのだが、男が集まって女はウンヌンといういわゆる悪口は、少なくとも男同

士で語る時には大いに盛り上がるものである。

これが、彼女がとか、女房はというと逆に嫌味になって、男同士でもうんざりするのだが、「女」はどう

してこうなんだ、ああなんだ、と一般論になると、実に盛り上がる。

「やめろよ」なんていう男はいないし、むしろ我こそはという調子で話して一同「そうだそうだ」という

感じである。

一人でも女性がいればそんな会話は絶対出来ないし、したくないが、いないとなったら親の仇のように言

い募るのである。

また、これが実に気持ち良い(笑)。そして止まらない。

まさに山口、遠藤両氏の対談のようになるのである。

山口氏の発言の「女っていったい人間なのかどうか、辞書で引いたことがあるんですよ」というのにはす

ごいなと思ったが、正直なことをいうと笑った。

また、この楽しさは一体何なのだろう、と考えてみた。

たぶん、一言で言えば何にしろ女には敵わないと思っているからだろう。言って相手に多少なりともダメ

ージがあるとなれば、気の弱い男というものは、良心の呵責もあろうものだが、女には多少どころかかす

り傷すら与えられないのだから、いくら言っても何の呵責も無いのである。

女性が男性のいる所で男はどうだこうだと言っても支障は無いが(公的な場ですら)、その逆はタブーで

あって限りなく犯罪に近く、厳しく指弾を受けることは間違いないし、自己批判を強いられるだろう。

ということを考えると、男同士の「女の悪口」というものは一種の地下活動に近い(笑)。ナチス占領下

のレジスタンス活動みたいな感じなのである。

盛り上がるのも当然かもしれない。その代わり死ぬまで圧制から逃れられないのであるからある意味悲惨

なものである。

独身男性や恋人のいない男性(別に女性に相手にされないというわけでなく)は、そういう意味では亡命

しているのと同じで、圧制から逃れて異郷で過ごしているような感じだ。

振られた場合は国外追放にあったようなものだが(笑)。しかし、いずれにせよ、つかの間の自由を味わ

えるのである。そういう男性が集まると、若い男性ならセンチになって泣いたりするが、ある程度の年齢

になると、もう、女なんてこりごりだなあということになる。

そして、次はもう少し物分りのいい専制君主に会うことを望むのである。

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草食系とプラトニック

草食系男子と言うのは恋愛対象が女性であるから、当然と言えば当然ではないかと言う気がする。

恋愛というものは男性の場合、相手が女性であれば、芥川のいう所の「性欲の詩的表現」であるから、詩

的な側面がなくなればただの性欲に過ぎないのである。

性欲自体は、人間に関して言うならば、既に生殖活動という面は部分的なものでしかなくなっているか

ら、男性の場合、その対象が生身の女性である必要は全くない。

何でも良いのである。

また、別の考え方をするならば、恋愛を求めた場合、女性が対象ではもう詩的な部分が感じられないとい

う男性は、別のものに恋愛に変わる情熱を傾けるに違いない。

僕の体験から考えても、性欲というものは面倒なもので、ある意味邪魔なものである。恋愛と称していて

もそのほとんどは性欲の発露でしかないし、それを恋愛と考えているのは錯覚と考えてもほぼ間違いない

(笑)。だから、若い人間の純愛なんて嘘であることは、今はよくわかる。

プラトニックというのは、本来、男女の恋愛を指していう言葉ではない。

どちらかと言うと、草食であると同時に男性同士の友情や親近感の方が女性を相手にするよりは面倒でな

い。気が合うというのは、まあ、男性の場合、女性にはありえない。

そんな気がするのは、多分錯覚である。

ボーイズラブというのは、女性が考えた自分の恋愛の擬製であるから、いわば男性のヲタクが女の子のフ

ィギュアに向かうのと同じだが、現れ方はだいぶ生臭い。

それはもう、女性が女性である限り仕方のないことで、本来、いわゆる男女の古典的恋愛で実質主導権を

握るのは、女性の方である。若ければ若いだけそうだろう。まして男性が古典的性欲の持ち主であればな

おさらである。

言ってみれば、性欲に振り回されるからである。ということは、これはもう恋愛と言うよりは性欲への強

い執着である。それがあらぬ幻想をもしくは妄想になることで、悲劇が生まれると言うのは古今の物語に

も綴られている。

そういうことから遠く、まったく別の世界でプラトニックな恋愛やそれに代わるものを手に入れれば、安

心だし、振り回されることも無い。

草食系男子は、いわば恋愛的なものを自己管理化に置き、理性的に合理的に整理できるものを求めている

気がする。その方が生産的な行為が行なえるし、何より建設的である。

そのうち、時代が進んでいくと女性との恋愛はレトロな趣味として見直されるなんてことになるかもしれ

ない。別にセックスをしなくても子供が出来るというシステムが出来上がれば、男女の恋愛はわざわざす

る必要がなくなる。それをわざわざしようと言うのは、ある意味、個人的なこだわりでしかなくなるんじ

ゃないだろうか。

これには笑いました。

そのガッカリしたときの男性のことを考えるとおかしいので。

しかし、意外に世間の男性は純なのだなあ、と。あるいは我儘なんですかね。

僕は実家が商店で化粧品を扱っていたため、時々美容部員の女性が来ていたので、化粧と言うのは大した

ものだ、と子供心に感心していました。化粧にはそういう免疫があったので同世代では結構化粧をする女

性に抵抗がありませんでしたし、いわゆる「正体」にもそれほどのガッカリもありませんでした。

世代が上がるとガッカリ度が上がるというのは、化粧が上手な女性に対しての免疫が少ないと言うことで

しょうね。

どれくらい化粧をしているか、ということは見慣れないと分からないし、化粧自体に興味が無いとわかり

にくい。男性はほぼ分からないので、その分素顔にガッカリということにもなるんでしょうが、このこと

からは化粧だけではなく色んなことがわかってきます。

まず、そこでガッカリするということは、ものすごくそこに比重があるということと、そこに比重を置か

れてしまっていることに女性自身も意識が無いということ。

いくら綺麗にしても、ある程度の関係になれば素顔を見せることになるのは分かるはずです。男はそこま

で綺麗にしているということが分からず、女性もまた、自分がどれくらい化粧の効果が相手に影響を及ぼ

しているかが分からないんでしょうね。

僕はそこで非常にギャップがあれば、それはそれですごいなと面白く思いますが、世の男性は何か騙され

た気がするようです。

僕は美人よりは美人風になっている人のほうに惹かれるので、ガッカリすることは少ないですね。むしろ

綺麗になる創意工夫に感心する方です。

第一、そんなに急に美人が増えるわけないんです。昔からそうは変わらない。と言うことは皆化粧が美味

くなったし、化粧品も進歩しているんです。

昔勤めていた会社で、僕より少し下の女性が時々ほとんど素顔で朝出勤してくる時があって、それを見か

けるとなんだかドキドキしたものです。あれは良かったなあと今でも時々思い出します(笑)。

ちなみに僕は女性が素顔から化粧をして綺麗になっていくところを見るのがとても好きです。でも、あま

り見せてくれませんね。気持ちは分かるけれど。

好奇心の後にあるもの

好奇心がなければ恋愛だけでなく、世の中の大半の発見や発明は無い。

翻って言えば、恋愛はある種の発見であり発明なのである。何十年生きても新しい出会いはあるし、こん

な人も居たのか、と思うことも多いし、また、逆にこの人はこういう所がある人だったのか、と言うこと

もある。そして、自分と出会う、あるいは自分がその人と出会うことで、新しく何かが変わることもあ

る。

そのスタートは何にしても好奇心なのである。

女性は現実的だといわれるが、この一点に関しては、男性よりもはるかに冒険者である。

だいたいホラー映画を観ても得体の知れないところに入っていくのは女性である(怖がっているのにであ

る。笑)。

また、女性は面白い人が好きだという。この面白いと言うのは好奇心を抱かせてくれる人が好きだと言う

ことでもある。もちろん笑わせてくれる人が好きと言うこともあるだろう。これだって、好奇心の現れで

ある。笑えることというのは、ほぼ今まで体験したことのないことである。これは怖い思いをするのと同

じで、非常に未知で新しいモノを見た時の反応の違いでしかない。

かわいいと言う感覚もそうだろう。現代の流行はほぼ女性が作っているのもそういう所にある。

ただ、その好奇心と言うものは瞬発的なものであって、ズーッとそういうわけではない。

男性も少し年が行くと、もうただ美人だ、スタイルがいいという所には行かない。それは、女性的になる

と言うよりは、ようやく女性を個としてみるようになるからだろう。

ハッキリいうと、それまでは個としては見ていない(笑)。女性と言う大きな枠を体験しているに等し

い。だから、うろうろするのである。そこにいる時期の早い遅いはあるにしても。

男性は結構良い年になって、ようやくその枠から出て、自分の好奇心を発揮させるのである。だから、ほ

とんどの男性のテリトリーはある年齢まで実は非常に狭いのである。若い男性の方が実は保守的で冒険は

しない。自分が暮らす世界に応じてテリトリーを広げていく。

だから、女性は年上の男性でないと、ということになる。要するにテリトリーを共有する時間差がそこに

あるのである。

しかし、恋愛は好奇心だけでは発展しない。惹かれあってもそこからどうするかという所で上手くいった

りいかなかったりするのである。

好奇心の後にあるものが問題になってくる。

これは単純にいえばその人の経験のようなものである。その人が体験した世界や、生きてきて得たものと

しかいいようがない。

口説くのは難しくはないが、続けるのは難しいのはこういう所だろう。経験や体験は必ずその人の考える

行為を伴うし、正確にも現れる。正確は単純な長所短所ではなくその現れ方の問題で、現れたものをどう

感じるかという所で違いが現れる。

だから、人の好き嫌いは人によって違うのである。合う合わないもそこで違うのである。

長い間付き合ってもそれが一見短所に見えても許容できてしまうのは、それが短所として出ているだけで

はないことを無意識に感じているからで、でなければ我慢できるものではない。

また、最初は良いところに見えてもそれが短所として出たときに許容できなければ続かない。

どうしたら上手くいくと言うことはいえるようでいえない。なぜなら、恋愛と言うものは時代によってそ

れぞれが魅力を感じる所が変わる所もあるからである。

しかし、変わらない所は、相手を理解したいと思う気持ちだろう。好きになった次には知りたいのであ

る。なにが、どこがというのではない。

知ることで関わりたいと思うのである。これはただの情報ではなくて、感情と不可分にあるものである。

それを知ったことによってより魅力的に見えるそこに関わることによって一体感が得られる。

何かを一緒にやっていて、恋愛に発展すると言うのは僕も沢山例を見たが、何かを一緒にやるには理解し

ないと上手くいかないからである。

そこで上手くいくと、一体感が得られる。それは人間にとって非常に心地よいものなのである。

自分の世界だけではなく、別の世界が広がるのである。

これが行き詰ると恋愛は終わることになる。

この行き詰まりは、互いの世界の交感が無くなった時である。理解が出来ない状態が近くで続けば争うこ

とになる。

ここでも、経験や体験の深さが問題になってくるのではないかと思う。

それはまた、同時に魅力の有無になることでもあるのではないだろうか。どちらかがではなく、お互いに

そうでないと、うまくいかないだろう。人間は一人で考えるより二人で考えた方が名案は浮かぶ。しか

し、そこで必要になるのは理解することである。

当たり前なようだが、そうであればたとえ同じ人と付き合っても、発見は尽きないし、互いの経験が新し

いものを生み出すような気がする。

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