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アナログな仕事

私がしている仕事はとてもアナログな仕事で面倒といえば面倒である。
仕事自体を私は面倒だとは思っていないが、いくつか私でないと駄目という仕事があってそれが面倒なのである。
実際のところは頑張ればなんとなくは誰でもできる仕事であるが、私がいる限りは私がやる羽目になるのである。というのも、それらが日本語の文章に関わることだからだ。

それなら誰でも出来るだろうと思いきや、それは社内の報告書の類とか企画書とかなら問題は無いがいわゆる会社の偉い人が出す挨拶状とかお礼状とかとなると途端にこちらに確認の話が来る。これが一つ。
もう一つは、契約書の類である。これのチェックまでは口頭でもある程度は指示出来るが、作成となると皆お手上げでこちらにお鉢が回ってくる。

いずれもアナログな仕事だがやる必要の無い人にとってはネットでテンプレートを下敷きに作ればいいだろうと簡単に考えるものである。
それで済めばデジタルな作業なのだが、結果として私に回ってくる。というのは、それだけでは何か作成者が不安になるのだろう。偉い人が作ったものを私に見てもらってから自分に見せろにというらしいので、仕方なく見ることになる。

ほとんど直すところが無いが、それでも数箇所は変えることが多い。というのも、何か変な感じがするところがあるからである。
こればかりは一種の感覚なので統一感や言葉のバランスなのだが、決して私の変更が正しいわけではない。そもそも使うところが違う種類の言葉を並列させることに無理があるからだ。
ただ、やはりこれでは少しくどいとかこのほうが送られたほうに伝わりやすいとかそういう程度のものである。

用法として間違っている二重敬語ですら使わないと失礼だと感じる人間が大半の昨今、「正しい日本語」とか「美しい日本語」などと平気でいう人は日本語をあまり知らない人か、自分で書かない人くらいなものだろう。
なので、こうした文章の作成に関しては私は「やむなく怪しい現代の日本語を相手にそれほど失礼に感じないように工作する作業」だと思っている。

今ひとつの契約書やその類の文書の作成だが、こちらの方がまだ難しくは無い。ただテンプレートがそのまま使える割合は低く、やや専門性が高い。
私がこの類の仕事を始めた頃には、日本語の苦手な弁護士が昔のものをそのまま踏襲して作成した契約書などが多々あって、これを読んで内容が理解できる人がどれだけいるだろうかと思ったものだが、今はだいぶ世代交代が進んだと見えてわかりやすいものが増えたので、それなりに経験を積んで要領さえ掴めば作成するのはそれほど難しくは無くなったと思う。

しかし、会社によってはそれほど経験の無い社員にチェックもなしに作成させることがあるようで、以前全くその取引には合わないテンプレートで作成したドラフトを送られて参ったことがある。
結局、それを指摘してこちらでカスタムすることで解決したが、それにしてもそれなりに世間に知られた会社なのだからケチらないで顧問の弁護士にでも頼めばいいのにと思った。

あとは甲乙丙があるもののそれに当たる項目が全く違っていたり、またそれを直したものが違っていたりと何度かそんな単純なミスでやり取りしたことがある。
想像するに、たぶん担当者が契約書の内容をほとんど読んでいなかったからだろうと思う。
とっつき難いし、面倒だしというのでそういうことになったのだろうが会社同士の取引に関わる最終的な文書だし、何かあった時に全く役に立たないようなものなら作る必要も無いのだから、少々時間はかけてもチェックはするべきだと思う。

ほとんどはちゃんとしているが、時々詳細はここでは書けないようなとんでもない爆弾のようなものもぶち込まれるので、油断ができない(笑)。また、爆弾とはいえないまでも小さく色々と問題のあるものはやってくる。
こうした問題の多い契約書は、ツボさえ抑えればおかしな箇所が容易にわかるものなので、誰かに習得してもらいたいのだが、なかなかそういう人材を会社が入れてくれない。
それが一番面倒なことで、私が病気にでもなったらどうするつもりだと忠告するのだが、実際にそうならないと会社という所は動かないようである。

老眼と入歯

歳をとるということは、すなわち肉体的に衰えていくということである。
昨今老人による色々な事件が起こっているが、人というモノがいかに歳をとることに無自覚であるかをそれによって知ることができる。
私はもう初老で、しかもそれほど節制をしているわけではないので、そんなに元気ではないし、肉体的にもその能力にしても甚だ衰えてきていることを感じている。

若い人には、ほぼ毎日病人のようなものだと笑っていうが、大げさではなく若い人にはそれくらいでようやく伝わるのだということである。
仕事にしても遊びにしても、ほぼ若い頃からすれば、病人がやっているのと変わらない。
明らかにわかる衰えは、目と歯である。そして肩が上がらないという状態である。これは直ったり再発したりだが老化であることには変わらない。

老眼なので何かを見るのには老眼鏡が必要であるし、歯は入歯である。歯医者は入歯にするとモノを噛む力は7割るくらいになりますよ、と言っていたが、既に7割どころの話ではなく、ものを食べること自体に支障をきたしていたので、7割あれば十分であると思って入歯にしたが、甚だ調子が良い。
そういうわけでもう、そうした代替品や道具が無いと日常生活に支障が出ているのだから、老人である。

時々駅で階段を上っていると膝が痛くなったり、腰はもう随分前からおかしい。
正直頭の方だってだいぶ怪しい気がしている。
色んなことをドンドン忘れるし、人の名前などほとんど思い出せない。度忘れも激しいし、勘違いも多くなる。
そういうことなので、そろそろ会社も辞めたいなと思ってそう社長に言うのだがが、駄目だといわれる。

本当にそれでいいのか、大丈夫なのかと思う。確かに私が仕事でミスをしても誰かが命を失うわけではないし、大きく見積もっても会社が損をするだけだが、私に言わせればよくそんな可能性が大な社員を雇い続けるものだと思う。
もっと若くて頭も体も働くのに切り替えるべきだと思う。
老人の繰言だが、どうも会社の偉い人たちはいつまでも若い気でいるので困る。彼らは若い気でいてもいいが、私はそういう気が無い。

幸い私は車の免許も無いし、これからとる気も無い。ボケ防止にささやかに投資ををしている位で、後はお金のかからない趣味に精を出してそれでいいのである。
社長からはやめてどうするといわれるが、どうしようが私の人生だから私の勝手である(笑)。
自分の食い扶持は細々でも何とかする。何とかならないことはないのである。

そんな上等で安楽なものを求めてはいないし、そんなものを求める資格も自分には無いと思っている。
既に十分平和で安楽な生活を送ってきて、これ以上何を望むというのかと思う。せめて、後に来る者の邪魔にならないことくらいが出来ることで、それ以外にするべきことは無い。
老眼と入歯の私はそんなことを考えているが、それをなかなか理解してもらえないのが正直わからない。

昭和は遠くなった。

中村草田男氏の作品に「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句があるが、これが1931年の作品である。明治45年は1912年であるから明治が終わってから19年後に読まれたのである。
そう考えると「昭和」はもうだいぶ遠い。
最近の人は昭和というと「バブル」だが、私はそれよりもっと子供の頃のことを思い出す。私より上の世代もそうだろうと思う。

「三丁目の夕陽」はパラレルワールドの話なので全く違う世界の話である。
もっと暗く危険で薄汚なかった。しかし、今よりははるかに自由だった気がする。
社会も監視や管理が緩かったし、その分何事も自分で何とかしないとどうなるかわからない感じがあった。
それはほぼ私が成人するまで変わらなかった環境である。

子供を守るにしてもある程度であってそれ以上は無理だったのである。だからそれぞれ自分で何とかしないとどうにもならないことを体で知っていたのである。
学校も家族も管理しきれないのだから、その分は自分で何とか危険を回避するしかないのである。おそらくは経済的なこともその危険の範疇だったのだと思う。

社会も企業も油断をしていればいつ自分の命をとりに来るかわからない。なので、就職時期には業界業種の危険は常識のようにみな知っていた。
あそこは相当タフなヤツで無いとなかなか難しいというようなことは伝えられていた。だから近年、新入社員がそこで仕事を苦に自殺したと聞いたとき、なんで誰もそこに行くのを止めなかったのかが不思議だった。
いくら名前は通っていても、あそこはクリエイターとして入るのはいいが営業で入るのは首をくくりに行くようなものだと数十年前からいわれていたのである。

ネットの情報は特に企業の情報はそこが大企業であればあるほどネガティブなものは排除されるのである。
企業のひも付きの情報を信じるのは、オレオレ詐欺のようなもので、その情報でどれだけ利益を上げるかということなのである。企業の利益に善悪は無い。
それが大人の常識なのである。そうしたことを大学が教えないのは、産学共同体だからで、結果死んだものは死に損になるのである。

学校は企業とグルで子供を金儲けの道具にしているのに、それがわからず親も死地に子供を送り出す。そして死んでから企業に怒るのである。いくら怒ったところで死んだものは帰らない。
社会という所はただ真面目にやれば報われる学校の勉強とは違うところだということをなぜ教えなかったのか。

昭和という時代は、社会は実際のところ暗く危険で汚いところだということを、隠せなかった時代だったのかもしれない。
しかし、今は白昼堂々人を陥れて発覚しても金でかたをつける時代である。ルールも教えられないでゲームに参加させられ怪我をしても死んでも病に冒されても自己責任だという時代である。

私は昭和に育って、社会は恐ろしいところだということを教えられた。そしてそこではこうしないと非常に危険だということを体で教わった気がする。
もちろん大人になってから教わったことも助けてもらったことも沢山あるが、それでも事前に知っていた危機回避の感覚はその後の処世に大きく役立っていると思う。

ここまで何とかやってくれば、後は死ぬだけだからイイやと思っている。
人がねらうほどの財産もなく、引き摺り下ろされるような地位も無いし、失うような名誉の無い。
もうすぐ令和になるが、私には昭和が終わった時に何かが終わったのであまり感慨は無い。やはり自分が幼く若い時分を過ごした時代がもっとも思い入れがあるのだろうとそんな気がする。
そう考えると、私にとっては昭和は遠くなったといえるのかもしれない。
僕は大学を出てから5年ほど塾の講師をしていた。
給料は安かったが、個人指導の塾で僕はそこで教えるのが性に合っていた。
生徒はほとんどがどこかの学習塾に通って結果も出なかった子供ばかりでいわば、最後の頼みの綱のようなところだった。

まず、親ごさんと話をして好きなようにやらせて欲しいと希望を承諾してもらい、こちらの方針に一切文句を言わないで欲しいと告げた。
途中で文句を言うのならここで勉強するのはお断りするとも言ったが、成績さえ上がれば何をしてもいいという親ばかりだった。隣で聞いていた子供はさぞ怖かっただろうと思う(笑)。

子供には、成績が悪いのは頭のせいではないと断言した。
中学校程度の勉強で頭のの良し悪しを言うのは馬鹿げている。単純にただ、勉強するのをサボっていてそれが積み重なってこんなことになっているのだと。
それから訊いた。高校に行きたいかと。行きたいという。どこでもいいならいけるから塾に来る必要はない。
行きたいやつはいけるんだ、選ばなければ。
先生がここに行けという所に行けばいいだろう。それでいいのなら、帰れと言った。

自分で選んで行きたい所に所にいけるようになりたいのなら、勉強するしかない。
ここに行きたい、でも勉強はしたくないというのは、これが欲しい、タダでくれというのと同じだ、そんなことが世の中で通るか。
1番になれとは言わない、そんなことは無理だ。行きたい高校に見合った勉強をすればいい。
ただ、このままなら、お前たちに選択の余地は無い。これで我慢しろといわれるのがオチだ。それがイヤならやるしかない。
だからわざわざここに来て勉強以外のことをやるヤツは邪魔だから来るな。

正直、教えることはそれほど無い。教科書に書かれていることだけである。それをどれだけ完璧に自分の力で出来るようになるかだけである。
僕は、すべて一度しか教えない。その代わり、その時にわからないことをどんな些細なことでも訊くように子供たちを訓練した。でないと時間が無駄になるからだ。
だから、僕が説明してもわかったというまで彼らは慎重になる。なぜなら最終的に類題を出されて出来なければ、どうなるかわかっているからだ。

それから僕の作ったテストはすべて100点を取ることが条件だった。1問でも間違えればテストをした意味が無い。
最初は時間を十分にとってやる。最終的には、時間を限ってやる。
1問でも間違えれば、徹底的にやられるのが目に見えているから慎重にならざるをえない。最初に正解するための方法もできるようになっているのだから、間違えれば、手を抜いたといわれても仕方が無いのである。

すばやく解答するだけではなく、それが正しいのかを確認する作業に時間を割ける様にする。万が一間違えれば帰りに二日後までの宿題を出す。寝ないでやっても出来ないくらいの量を出す。
そこが満点を取れないとなると次にはいけない。受験には間に合わなくなる。時間は限られているんだぞ、ということである。

一年後には、皆、自分で出来ないところを勝手にやるようになる。ここが出来ないから問題をくれというようになる。わからないということが不安になるからだろう。
早く帰りたいという子は一人もいなかった。こちらでもう終わりだといわないといつまでもやろうとする。
しかし、受験が差し迫ると、出来ないところはある程度にして、できるところを完璧にするほうが優先事項になる。その舵取りは最初はこちらでやった。

彼らは最終的に、学校が受けろという高校と自分が選んで生きたい高校を受けた。落ちた者も入れば受かった者もいたが、挑戦するということの意味はわかったようだった。
親ごさんたちも、それぞれに行きたいという高校を子供たちが自分で選んで受けたいと言ったことを喜んでいた。
学校は受かってもらえばどこでもいいが、受ける方はそうではない。行きたい高校を選んで行きたいのである。

それが受験の大切なところで、勉強もそうだが、それ以外にも自分で何かを選んで挑戦するということが出来なければ、その後の考え方が違う。
先生や親の言うことに従っても、最終的に人生は自分で決めて切り開いていかなければならない。

僕は勉強についてアドバイスをしたことは一つくらいである。
中学生の時に数学が出来なかった。好きでもないし、つまらない。でも、教わってできるようになり、ほとんど間違えることはなくなった。でも最後まで好きにはならなかった。
だから、好きになれば出来るようになる、というのは嘘だ。好きでなくとも、できるようにはなる。

僕自身、中学生の時に受験は競争ではないと考えていた。
なぜなら点数があり、それで合格不合格が決まるなら、極端な話を言えば、すべて満点ならどこでも合格する。
競争というのは、1番のヤツが満点ということである。
マラソンでいうなら目的地が満点で、それ以下は完走できなかったというだけのことである。完走する力が足らなかったというだけのことである。

受験やテストは、それで言えばどこまで走れたヤツを合格とするかというだけのことである。
だから訓練なのである。
ちゃんと完走できる問題を作っているのだから、ちゃんと訓練した者は完走できる。
勉強はそういうものだと思った方がいいだろう。

旧友、来訪す。

今日、久しぶりに旧友から電話があって、会えないかといって来た。
学生時代からの友人で今住んでいるところは歩いてこれるというので、じゃあ、来いよといって我が家に来てもらい、積もる話をした。
彼は、学生時代小説を書いていたが、長い間、色々世間の雑事に関わりあって、その後、ようやく再び書こうという気になったというので、その報告がてら来たのだ。
それは僕にとって非常に喜ばしいことだった。

なぜかといえば、彼は才能があったからである。
僕も、編集者やライターを経験して文章を書く、読むということには経験も自負もある程度はある。
この友人は、大学に入りたての頃に出会ったのだが、当時、彼の作品を読んで、即座に才能というモノとその有無を知らしめた存在だった。
短編一作だったが、僕はそれを読んで、まず言った。
黙って50枚何でもいいから書いて出版社に送った方が良いと。それで作家になれるよ、と。

あれからもう数十年たつが、当時彼が書いた数少ない短編を読んでも、その考えは変わらない。
彼の才能は、ほとんど今は滅びた日本文学を蘇らせると言っても過言ではないほどのものと断言できる。
ほんの数時間で書き上げたとは思えないほどの完成度で直そうという所が無い。
出て来て即それが完成された作品なのである。
多少のできの良さというのなら嫉妬もするだろうが、彼の作品を読んだ人はみな、そうはならない。あまりに想像を超えているからである。
小説家志望であっても、彼をとにかく作家にしてもっと作品を読みたいと思わせるのである。

それから彼と連絡が取れなくなるまで十数年、僕はとにかく書くようにと言い続けた。自分が書くより彼が書く方が重要なことだったからである。
しかし、書かずに彼とは疎遠になっていた。
というのも、彼は病気にかかり、かつ、身内の問題を抱えてしまってそれどころではなくなってしまっていたのだった。
しかし、ようやく体も癒えて、問題も落ち着き、時間も出来たという。

そうした色々な経験を経て、ようやく自分には小説を書くことが大事なことだと悟ったらしい。
年内には、作品を何とか書き上げると言っていた。
近年、これほど喜ばしいことはない。
あの素晴らしい文章を再び読める日が来るとは思わなかった。
誰も知らない作家ともいえない友人だが、少なくとも現代に失われていた文学作品を読ませてもらえることに今から期待が膨らむ。

実際、彼が書くかどうかはわからないが(油断は出来ない)、その可能性を感じさせてくれただけで今は嬉しく思っている。
学生当時、彼が何がしかまとまった作品を書いて、その作品が世に出ることがなかったら、一体他にどんな作品が出るというのかとさえ思ったほどである。
小説を書くということについては僕に決定的な絶望を体験させ、小説を読むということでは限りない希望を与えてくれた友人である。
これから年末までは、そのことだけでも楽しみに過ごしていける気がする。

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