ぼくらの車輪跡

今年も、しなきゃいけないことを山積みにして、これ書きますf^_^;

たまに真面目に。

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で、どうしたいの?

 
 
 
 トヨタ、71年ぶり営業赤字…2009年3月期↓
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090508-00000693-yom-bus_all
 

 この記事をきっかけに、最近思っているどうでも良いことを書いてみる。
 まったく、トヨタの赤字には関係しないことばかり。
 いや、むしろ、トヨタは赤字で良いんで?って言っているような話。
 
 
 僕は、声高に環境保護を言わない。 元々関心がないのがあるけど、例えば電動車椅子。 これは技術とエネルギーという、自然環境の犠牲の上に成り立っているモノであり、それを体の一部として使っているので、本当に環境を守ろうとすると使えなくなってしまうから、僕には環境保護は言えない。言わない。
 
 それと同じように、極端な話を書くが、やはり地球を守りたいんなら、“人間”が一番要らないのだと思っていて、環境保護の話を聞くたびに、矛盾とアレルギーを感じてしまうのだ。
 
 未来の子供たちのために…とか言っているが、どっちみち地球は尽きるのだから、その恐怖を未来の子供に押し付けるのではなくて、今の僕たちが受けている便利さと同じように、地球と共に尽きていく恐怖を味わう覚悟で、使い切ってしまえば良いとすら思う。ちょっと想像しただけで、背筋が寒くなるだろう。地球が尽きるということはそういうことだ。自分の生きている間は大丈夫と思っているから、悠長にエコバックだと言っているけど、考えたら恐くて生きていけない。
 
 「妻夫木聡」主演の『ブタがいた教室』。 妻夫木は好きじゃないから見ていないけどf^_^;、育てた豚の処遇について小学生が議論を交わすらしいが、その中に、処遇を後輩に託すのは責任放棄だというのがあったようだ。 それと同じだと思う。“未来の子供たちの…”は、単に僕らが放棄しているだけで、ホントに自分のことよりも未来の地球を守ろうと思うなら、今の生活を大転換しなきゃだめやと思う。でも、それは出来ないし、したくもない。
 
 
 ちょっと逸れるが、年寄りの運転は危険というが、車をすべて、時速20kmぐらいしか出ないように作れば良いだけの話なのよ。以前も書いたかもしれないが、車の作りは法定速度は時速100kmと決めているんだから、それ以上出る車を作ったらいけないし、(政治が)作らせてはいけないのに、実際には売っているし、買っている。安全だとか・安心だとか言いながら、利便性を取っているのよ。僕たちは。

 事故を起こした人を責めるけど、いやいや、40kmでてるんだから死ぬって。その製品ものが殺傷・殺人の能力を持っているのに、それには誰も文句を言わない。飲酒運転もそう。酒を飲んで運転することが悪いんじゃなくて、本当は、人が死ぬ機械なのが悪いのに、誰も車屋を責めない。それは、車のない生活なんて考えられないから。
 
 携帯電話もそう。有害サイトや誹謗中傷で人が死んでいる。そのことには文句を言うけど、嫌なら携帯電話やインターネットをやめればいいのに、それは止めれない。止めたくない。
 
 新型インフルエンザもそう。おまえら、さんざん豚くってるやん。鶏も。 ほんで、かかったかも知れない人は、病院内に入らないでくださいという張り紙をしている。かかった人も、犯罪者のような扱い。病気うつるのが嫌なら食べなきゃ良いのに、食べないわけにはいかない。
 
 
 いやぁ、人間て傲慢やわぁ。というか、都合が良いことばっかり言ってるわぁ。
 
 ホンで、俺も俺でひねくれてるというか、どうでも良いこと書いてるわぁ。まぁ、言うだけ番長やから、どうしたら良いかとか、どうしていくかは別にないんやけど、ただ、ただ、最近考えていた諸々がやっと書けた。
 
 ということで、今日は良い天気で何より。

報われる。

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 あぁ、なんでこの人は、いや、この人たちは、こんなにしっかり理解してくれているんだろう。
 
 今日は、仕事をやっていて良かったと思える出来事に出会った。
 
 昨日は落胆して、今日は充実感を味わって。
 
 我ながら、退屈しない奴だ…。
 
 今日の桜も綺麗だったし、今日は○な日。

承認します。

 
 
 ある障害者施設でもらう紙。
  
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 「外出承認書」。 承認て?f^_^;
 
 認めない権限が誰にあるん?
 
 障害者じゃない人に、“外出させない”なんてこと言ったら、「監禁」で犯罪だゼ。
 
 それが、普通に通ってしまう障害者。恐いねぇ。
 
 
 施設にいる理由も、根本からおかしいのだ。
 
 施設が肯定される理由は、地域で障害者が暮らせる環境がないから。
 
 “だから施設へ行ってください。”

 
 ちょっと待って。福祉の金を、施設にじゃなく、地域生活できる環境に使ってくれよ。
 
 
 でも、地域にお金を回さない、社会がある。
 
 その社会を作っているのは、僕ら一人ひとり。
 
 全国の至るところに、この監禁という罪は散らばっている。
 
 社会全体の共犯。
 

 もちろん、僕もその共犯者の一人。
 
 だって僕も、知っていて見ぬふりだから。

僕の障害受容。

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 ふと、障害受容について書こうと思ったので書く。
 
 いまも受容したとは言い切れないけど、昔は、特に高校の頃は外に出るのが嫌で嫌でたまらんかった。
 
 ジロジロ見られるし、子供は“うわっ、何あれー?”とか言うし、親と出かけるときなんか一番嫌で、“だせー。親と一緒に歩いている。”と見られていると勝手に思って、すごく嫌だった。
 
 でも、今になって見渡せば、いい大人の男が、母親と歩いている奴なんて沢山いることに気づく。
 
 紆余曲折があってだけど、今は一つ開き直っているというか、確信していることがあって、見られているというのは、俺が自意識過剰なだけであって、

“誰もお前のことなんて気にしてないよ”

ということ。
 
 確かにその一瞬は見られているかもしれないけど、見ている方からするとすぐ忘れちゃうというか、見ている側はほとんど真剣じゃないと思う。例えば、僕がホームレスを見ても、ふーんで終わるもん。外国人を見ても、そのときだけやもん。次の角を曲がったら、もう忘れてしまうのよ。
 
 僕が車椅子で迷惑をかけていることなんて、なんら社会に影響がないってこと。ホントちっぽけなこと。むしろ、社会に影響が与えられるほど迷惑をかけれたら立派なもんだと思う。
 
 それぐらい、僕が障害者であることなんて、些細なこと。
 
 些細なことなら、些細なことで、僕は普通にしていれば良いと思えるようになってきている。
 
 もちろん、自意識は必要だから、この自虐と自意識のバランスが、結構大切だけどね。

 
 
  
 福祉というのは、特別な人に必要なんじゃなくて、全ての人に必要なもの。

 
 例えばこれは、前に書いた、同僚が作ってくれた講演素材で、“年代による支援”のシート。
 
 児童・少年・就労期・老年期とそれぞれに福祉のサービスが必要になる。保育園や失業保険も福祉(社会保障)の一つ。だからみんな日常的に福祉のサービスを使っている。
 

 で、障害者も、同じようにその年代年代で、みんながするであろう生活(学校に行きたい、働きたい、結婚したい、遊びたいetc.)をしたいだけで、なんら特殊なことではなくて、ただ、それらをするために人よりも支援の量が多いということ。
 
 障害者のことは難しく考えられちゃうけど、
 
 普通のニーズを満たすのに、支援がいる
 
 ってことだけなのよねぇ。

 
 僕の今のニーズは、ユニコーンのアルバムを早く買いに行きたい!です。

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