芸術と教育の○

芸術と教育をめぐって、徒然なるままに

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灰色の時間の終わり

 それでも、ヨハネスの学校での生活はすべてがうまくいくようになったわけではありませんでした。もちろん、気に入らない授業もありました。それはフランス語や英語の授業です。ある時、担当の先生は彼の答案用紙のあり様に驚いて、こう書いて注意しました。

「これはどうしようもないなぐり書きです。もっと真面目に!」

 それは当然のことでした。なぜなら、ヨハネスはその答案用紙に本当にぐしゃぐしゃと自由奔放ななぐり書きをしていたのですから。

 このようにして、トゥンでの6年間の修学期間が終わります。勉強自体は苦労してなんとかなりましたが、喜びや悲しみを分かち合える友だちもなく、ヨハネスにとっては灰色で苦しい時間の連続でもありました。

 ヨハネスが最も落ち込んだある日、実は自殺まで考えたことがあります。なんと、首を吊ろうと縄まで用意していました。そのような悶々とした闇のなかでもがきつつ、どうにか生き抜きました。一時はだめかと思いましたが、それでも生き抜いたのです。

 すべては過ぎ去り、深い思い出のなかに埋もれていきます。1904年の春、ヨハネスは教員養成学校に入学することになりました。頼れるもののない貧しい少年は、その時、もう16歳になっていました。

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 ディーフェンバッハー先生は厳格で上品な紳士でした。この良心的な先生は、いつもキリスト教の教義を要約して授業用ノートに書いていました。そして、授業ではその内容を生徒たちが一生懸命に書き写しては暗記しなければなりませんでした。それはときには宿題にもなりました。

 先生の書いたことを書き写して覚えるという勉強はたいへんな労力を必要としました。しかし、ヨハネスはこれをいやいやながらやるのではなく、楽しみながらできるようになっていました。なぜなら、先生の解釈がとても気に入っていたからです。

 この真面目な先生は、生徒たちの作文の添削をきっちりとやっており、最後は目を悪くしてしまうほどでした。言葉の美しさ、意味の深さ、そして広がる新しい世界とたわむれる喜びを、この先生からヨハネスは初めて味わうことができたのです。

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学ぶことの喜び

 ヨハネスは、自分に自身がもてるようになったからでしょうか、少しずつではありますが、学ぶことの喜びが味わえるようになってきていました。彼は、宗教、ドイツ語、体育、音楽、図画の時間が大好きでした。

 特に彼が影響を受けることになったのは宗教とドイツ語を教える先生でした。その教師は、ドイツ人で音楽家ヨハネス・ブラームスの友人でもあるオットー・ディーフェンバッハー博士。ディーフェンバッハー先生はときにピアノも弾いていました。

 ある日、ヨハネスは、教会墓地の壁の向こう側からもれてくる先生のピアノに耳を傾けてみました。そのピアノの音色は、ヨハネスの心にしみ渡ります。なんと心地の良いことでしょう。このことがきっかけとなり、次第に彼は音楽にも興味をもつようになりました。

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進学

 そうこうするうちに、ヨハネスは父親のような教師をめざして、プロギムナジウム(日本の旧制中学校に相当)に進学しました。さて、ここでのヨハネスはどうだっのでしょうか。

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後悔

 なんと、ヨハネスはその逸品のうさぎを言われるまま、不当に値切られて売ってしまうことになったのです。それに、心にもない感謝の意まで表してしまったのです。後悔しつつ帰宅して、その情けなさと怒りからヨハネスの目には涙があふれてきました。

「あの大泥棒めっ!」

 しかし、もう今さら何もすることはできません。あの黒うさぎはもう戻ってこないのです。結局、ヨハネスにとって商売は一生苦手なものとなってしまいました。

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