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『【すごい】AIがビートルズでジョンとポールのどっちが曲を書いたかを判定!
連名クレジット作品の真実が高確率で判明!』
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米・ハーバード大学の研究者が、AIを使ってジョン・レノンとポール・マッカートニーどちらが作曲したか分からないビートルズの曲を判別した。
英紙「The Independent」(7月7日付)が報じている。
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・「AI used to solve disputed songwriting credits of Beatles hits」(The Independent)
https://www.independent.co.uk/news/science/beatles-ai-lennon-mccartney-machine-learning-song-writing-a8991436.html
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“A Hard Day’s Night”や“In My Life”などビートルズの曲には、Lennon-McCartneyとジョンとポールの連名でクレジットされているものがいくつもあるが、ファンの間ではペアではなく、どちらかが作曲したものだと考えられてきた。
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作曲者が確定していない状況にポール自身もフラストレーションを溜めており、2015年には自分の影響がジョンに比べて過小評価されていることを「修正主義」だと怒りを露わにしている。
2002年に発売されたアルバムでは、McCartney-Lennonと自分の名を前にして入れ替えているほどだ。
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そこでハーバード大学の統計学の専門家マーク・グリックマン博士らは、AIに音符、コード、音楽的なモチーフなどに関する2人の曲の癖を学習させ、“音楽的指紋”の検出を試みた。
今回は8曲が調査された。
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その結果、“In My Life”は、81.1%の確率でジョンの作品だとAIは判定。
ただし、ブリッジ(楽曲のAメロ(Bメロ)とサビをつなげる部分。
またはBメロのこと)におけるポールの影響は43.5%あったとのことだ。
これは、ブリッジはポールが担当したというジョンの証言とも一致している。
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「バース(Aメロ)とブリッジに分けると、バースはレノンのスタイルと一致しています」(研究者)
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他には、“Ask Me Why”、“Do You Want to Know a Secret”も最大90%の確率でジョンの作曲だという。
一方、“Baby’s in Black”、“The Word”、“From Me to You”などは97.7%の確率でポールの影響が強い作品だと判定された。
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また、ポールの作品は「標準的でない音楽的モチーフ」を使う傾向にあり、「顕著な特徴」を持つことが指摘されている。
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研究者らによると、今回使用されたAIのアルゴリズムは、ビートルズだけでなく、ミュージシャンの音楽的影響の変遷などを辿る上で役に立つとのことだ。
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さて、これで長年の論争に終止符が打たれたが、ポール自身はこの結果をどう見ているのだろうか?
本人のコメントを楽しみにしたい。
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参考:
「The Independent」(https://www.independent.co.uk/news/science/beatles-ai-lennon-mccartney-machine-learning-song-writing-a8991436.html)、
ほか
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(TOCANA)
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ジョンとポールは最高のパートナー。
お互いに影響しあって曲を作ったのだろう。
ソロになってからの二人の曲はビートルズ時代に遠く及ばない。
お互いにお互いがいなければ素晴らしい曲はできなかったのだろう。
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音楽も大好きで、ビートルズのLPアルバムは全部持っている。
コレクターではなく子供のころから買っていたものがたまっただけ。
今でもLPたちは小屋裏で眠っている。
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追伸:
長男を駅まで送って行った。
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追伸2:
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庭を散策して、西と東のビオトープの水面の落ち葉などゴミをゴミ拾いトング挟んで捨てた。
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錦鯉池とトロ舟に水を足した。
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追伸3:
今日、風呂に入りながら聴いたアルバムは、
「ストラトヴァリウス インターミッション」。
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『映画「ボヘミアン・ラプソディ」が触れなかった真実にファンがっかり?
フレディ・マーキュリー“超絶声”の意外な謎が科学的に解明!』
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公開中の映画『ボヘミアン・ラプソディ』が話題だ。
伝説のバンド「クイーン(QUEEN)」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーの短くも情熱的な生涯に焦点を当てた伝記ドラマが今、日本中の人々の心を掴んでいる。
さっそく編集部も映画館へと走り鑑賞してきたが、役者たちの熱演、史実に則したストーリー、音楽など全ての要素がハイレベルにまとめられており、“イタコ映画”としては会心の一作といえるだろう。
往年のファンたちがどう捉えるかは、それぞれの思い入れに拠るところも大きいが、これを機にフレディ・マーキュリーとクイーンに興味を持ち、新たなファン層が開拓されるならば喜ばしいことだ。
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さて、今再び脚光を集めるフレディ・マーキュリーの特徴といえば、風貌や波乱万丈な生涯、そしてなんと言っても彼の“声”だ。
一説によると4オクターブもの音域を持つというパワフルな声が、国境や時代を超えて人々の心を掴むことができた本当の理由とは何か?
トカナは2016年、この謎に迫った最新研究を報じているので再掲しよう。
フレディとリアルタイムで時間を共有したファンも、彼の死後に生まれたファンも驚愕すること間違いなし!
映画をすでに観たというアナタも、これから観に行くアナタも、ぜひフレディの声に隠された秘密に触れてみてほしい。
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1970年代から80年代にかけて輝かしい活躍を見せ、アルバムとシングルのセールスで3億枚を超えた「世界で最も売れたアーティスト」にリスト入りしている伝説のロックバンド、クイーン (Queen) ――。
悲運の死を遂げる1991年までリードボーカルであった故フレディ・マーキュリーは“七色の声”と賞賛され4オクターブの音域を持つといわれた名ボーカリストだったが、昨今の研究でその声の秘密が解明されつつある。
彼は決して人並み外れた声の持ち主ではなかったというのだ。
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■一般人と変わらなかったフレディの声
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『伝説のチャンピオン』や『ウィ・ウィル・ロック・ユー』など、今日でも普通に聴く機会のあるクイーンの名曲の数々だが、それらのほとんどの曲でリードボーカルを務めたのが故フレディ・マーキュリーだ。
今でも耳にするフレディの歌声はまさに変幻自在で、時には低くうなり、あるいは透き通るような伸びやかな高音で歌いあげたりと、音域の広さに魅了されたファンも多いはずだ。
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しかしそんなフレディの名声に横槍(!?)が入ったかもしれない。
最新の研究では、フレディの声域はごく一般的な男性の声の、それ以上でも以下でもないという、ファンにとってはショッキングな報告が発表されているのだ。
特別にファンではないにせよ、彼の声が一般人と変わらないものであるとはにわかに信じがたいことだ。
もしフレディの声が特別豊かな音域に恵まれていなかったとすれば、声以外に何らかの秘密があったというのだろうか。
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■4オクターブの声域ではなかったフレディ
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オーストリアの音声科学者であるクリスチアン・ハーベスト氏が中心となった研究チームが先頃発表した論文によれば、フレディ・マーキュリーの魅力的な歌声は、彼の声によるものではなく“喉”によるものであると主張している。
研究チームはクイーンの楽曲はもちろん、今日残されている多くの録音素材からフレディ・マーキュリーの声を分析した。
その中にはメディアによるインタビュー音源なども含まれている。
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この分析は、往年のファンの思い出の中にある“神格化”したフレディ・マーキュリー像を失墜させるものになるのかもしれない。
多くのファンが、フレディは高いテノールの声の持ち主と認識しているのに反し、声の分析によれば彼の主声域はテノールとバスの中間のバリトンであるという。
そしてさらにショックなのは、高低自在に歌い分けているかに思えたフレディが「4オクターブの声域」の持ち主ではないことが判明したのだ。
ファンであればあるほど衝撃のニュースになるかもしれない。
しかしご安心を……、フレディの声自体は十人並みのものであったとしても、その“発声テクニック”は常人がまねできないひときわ優れたものだったのだ。
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■「サブハーモニクス」を生み出す驚異の歌唱法
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フレディの“七色の声”の秘密は喉の使い方にあるということだ。
フレディがアカペラで歌う21の音源を分析したところ、ビブラートの周波数は7.0ヘルツというきわめて高い数値を示したという。
研究チームは発声法において彼は“フォースの使い手”であったのだとすら言い及んでいる。
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フレディは平凡な声域を補って余りある発声テクニックを駆使していたのだ。
加えて、フレディの声には「サブハーモニクス」の振動があることも確認されたという。
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サブハーモニクスは、ヴァイオリンの演奏で知られているスペック上は不可能な1オクターブ下の音を奏でる技術だが、この現象をフレディは喉を巧妙に動かして引き起こし、彼特有の“うなり声”を生み出しているということだ。
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実験では、フレディの“歌まね”がうまいロック歌手になるべくそっくりに歌ってもらい、その喉の動きを毎秒4000フレームというハイスピードカメラで撮影した。
そしてこのデータをもとに、フレディが生理学的にどのように喉を動かして発声していたのかを突き止めたのだ。
フレディが“うなり声”をあげるときの喉の使い方は、もともと持っている声帯の能力の限界に到達することができるという。
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「ビブラートの素早さとイレギュラーさを組み合わせるこの発声の特徴は、フレディ・マーキュリーがステージで魅せるエキセントリックで華々しい個性の演出に一役かっているのです」と論文中で述べられている。
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ではこうした発声法、歌唱法はフレディが自ら編み出したものなのだろうか?
これに近い歌唱法が喉歌(Tuvan、トゥバン)と呼ばれる、中央アジアのアルタイ山脈周辺の民族に伝わる特殊な歌い方だという。
実はフレディ・マーキュリーの両親はペルシャ系インド人なのだが、ひょっとすると中央アジアに何かゆかりがあったのかもしれない?
と、考えるのはやや想像を膨らませ過ぎかもしれない。
はたしてフレディがあの“七色の声”をどうやって獲得したのか、それはあの世で故人に直接尋ねてみるしかなさそうだ……。
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参考:
「Daily Mail」(https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3548327/The-secret-Freddie-Mercury-s-incredible-singing-voice-revealed-Scientists-say-exceptional-vocal-control-turned-Queen-frontman-force-nature.html)、
ほか
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(TOCANA)
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フレディはコンサートでも部分的に音程を下げて歌う場合もある。
スタジオ盤とそっくり同じ声は出ない。
4オクターブは誇張か。

追伸:
次男を学校に送って行った。
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追伸2:
1997年米映画「コップランド」を観た。
<ニューヨークに隣接した小さな町ギャリソン。
住人のほとんどはNY市警の警官で、「コップランド」と呼ばれている。
フレディ(シルヴェスター・スタローン)は平穏なコップランドの保安官としてくすぶった日々。
ある夜NYとギャリソンを結ぶ橋の上で警官バビッチ(マイケル・ラパポート)が誤って黒人を射殺する事件が発生。
甥であるバビッチをかばうために、ギャリソンの創始者レイ(ハーヴェイ・カイテル)は仲間たちと共謀して擬装工作。
罪の意識にさいなまれたバビッチが橋から身を投げ自殺したと見せかけて密かに匿ったのだ。>
1946年生まれニューヨーク州出身の俳優シルベスター・スタローン主演の社会派ドラマ映画だね。
1939年生まれニューヨーク州出身の俳優ハーベイ・カイテルも出ている。
1954年生まれニュージャージー州出身の俳優レイ・リオッタも出ている。
1943年生まれニューヨーク州出身の俳優ロバート・デ・ニーロも出ている。
監督は『君に逢いたくて』(V)のジェームズ・マンゴールド。
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次男を学校に迎えに行った。
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追伸3:
2016年米映画「沈黙の銃弾」をまたまた観た。
<麻薬取締局の潜入捜査官デッカー(スティーヴン・セガール)は、夜のパリの街でひとりの美しい女性が連れの男に乱暴されそうになっているところを止めに入って、男から銃で命を狙われ、逆に相手を撃ち殺す。
助けた女性のリサ(ジェイド・ユウェン)から、男は凶悪な麻薬王ヴァーガス(フローリン・ピエルジク・ジュニア)の手下で、彼が運転していた車には麻薬取引用の大金が隠されていることを知らされたデッカーは、彼女と手を組んで車から無事、大金を回収するが、その大金の後を追ってヴァーガスも行動を開始し…。>
1952年生まれミシガン州出身の俳優スティーヴン・セガール主演のアクション映画だね。
監督は「沈黙の制裁」などのキオニ・ワックスマン。
スティーヴン・セガールは大好きな俳優の一人。
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追伸4:
今日、風呂に入りながら聴いたアルバムは、
「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース プランB」。
『死後40年、エルヴィス・プレスリーに大統領自由勲章』
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米現地時間11月16日の授与式で、「めざましい業績を上げた個人」に与えられる大統領自由勲章がエルヴィス・プレスリーに授与されることが発表された。「死後40年たった今もアメリカの象徴として称えられる」と、キングを偲んでトランプ政権が決定を下した。
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「目覚ましい業績をあげた個人」に贈られる大統領自由勲章の7名の受勲者の1人に、エルヴィス・プレスリーが選ばれた。11月16日の授与式でドナルド・トランプ大統領から勲章を授かる。
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ヤンキースの英雄ベーブ・ルース、最高裁判所のアントニン・スカリア裁判官らも、死後の受勲となる。大統領自由勲章は「アメリカ社会や国益、世界平和、文化やその他公私さまざまな活動に多大な貢献をもたらした個人に対し、大統領より贈られる、アメリカ市民最高の栄誉」。ホワイトハウス報道官室は土曜日、声明を発表した。
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「エルヴィス・プレスリーは、世界中の何十億人の熱烈なファンにアメリカ文化の何たるかを教えてくれました。エルヴィスはゴスペルやカントリー、R&Bに影響を与え、彼独自の音楽を生み出し、十億万枚を超えるレコードセールスを達成しました」と、ホワイトハウスは受勲者についてこう述べた。
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「エルヴィスはまた、アメリカ軍に2年あまり在籍し、名声を得たにも関わらず謙虚に祖国へ奉仕しました。彼はその後31本の映画に出演。彼のコンサートには記録破りの観客が駆け付け、彼が出演すればテレビの視聴率も上がりました。グラミー賞には14回ノミネートし、最終的にはゴスペル部門で3つのグラミー賞を手にしました。エルヴィス・プレスリーは、死後40年経った今もアメリカの象徴として称えられています」
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大統領自由勲章の受勲者にミュージシャンが選ばれるのは毎年恒例で、オバマ政権の際はボブ・ディラン、スティーヴィー・ワンダー、クロリア・エステファン、ダイアナ・ロス、ロレッタ・リン、ブルース・スプリングスティーンらが受勲しており、死後の受勲はプレスリーで3人目となった。レーガン政権時代にはメレディス・ウィルソンと、ジャズの大御所カウント・ベイシーに勲章が授与されている。
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トランプ大統領の就任以降、ショウビズ界は総じて大統領に対する風あたりが強いが、トランプ政権は2018年の受勲者に、プレスリーやルースなど、いまは亡きアメリカの象徴的存在を加える決定を下した。
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その他の受勲者は、オリン・ハッチ上院議員、ダラス・カウボーイズのクオーターバックを務めるロジャー・ストーバック、アメフト選手から裁判官に転身したアラン・ページ判事、共和党に多額の寄付を行っているミリアン・アデルソン氏だ。
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(RollingStone)
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エルヴィス・プレスリーも大好きで、中学生の頃テレビで映画「エルヴィス・オン・ステージ」をやった時に、当時出たばかりのカセットテープに録音してよく聞いていた。
テレビのスピーカーの前にカセットデッキを置いて雑音が入らないように息をひそめて録音した。
当時は、エルヴィスよりかっこいいバンドがいっぱいあったので、中学生の頃はエルヴィスをださく感じていた。
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私が高校生の頃、エルヴィスの訃報が新聞の全面を飾った。
ケネディ暗殺以来のショッキングな新聞だった。
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時は立ち、今でもエルヴィスを無性に聴きたくなる時があるので、時々、CDアルバムのエルヴィスを聴いている。
エルヴィスはライヴアルバムが最高にかっこいい。

追伸:
庭を散策して、西のビオトープの浮き草を探したが見つからなかった。
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追伸2:
昨夜録画した「科捜研の女18」#4をCMを飛ばしながら観た。
1965年大阪府出身の女優沢口靖子主演のサスペンスドラマだね。
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追伸3:
2016年仏・独映画「未来よ こんにちは」を観た。
<パリの高校で哲学を教えているナタリー(イザベル・ユペール)は、教師の夫と暮らし、2人の子ども独立して充実した人生を送っていた。
ところがある年のバカンスシーズンを目前に、夫からは離婚を切り出され、年老いた母も他界。
思いがけない出来事が次々と起こり、気が付けばおひとり様になっていたが……。>
1953年生まれフランス出身の女優イザベル・ユペール主演の人間ドラマ映画だね。
監督は「EDEN エデン」などのミア・ハンセン=ラブ。
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追伸4:
今日、風呂に入りながら聴いたアルバムは、
「エリック・クラプトン ブルース・イヤーズ」。
『ジミヘン『エレクトリック・レディランド』あなたが知らない10のこと』
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今年でジミ・ヘンドリックスの『エレクトリック・レディランド』が50周年を迎える。
手作りのカズ―、酔っ払ったブライアン・ジョーンズなど、エクスペリエンスの最後のスタジオLPにまつわる10のトリビアを紹介する。
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1968年2月、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとしてサンフランシスコのフィルモア・ウェストでライブを終えたばかりのジミ・ヘンドリックスは「俺たちはここ最近曲の制作をしているんだけど本当に素晴らしい曲たちでずっと没頭してやっているよ。」
とローリングストーン誌のインタビューで語った。
「頭の中にその曲があって早くスタジオに戻ってやりかけていることをやりたくなる。
それが心のギアを入れる方法だからね…。
当然俺たちはフィルモアでライブをしたかったんだけど、でもその曲たちのことをずっと考えている。
今俺たちがやっていることとは全く違うことなんだけど。」
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その時は誰も知る由もなかったがヘンドリックスが語るその新曲とは、ベーシストのノエル・レディング、ドラマーのミッチ・ミッチェルと共に前年の夏より断続的に作ってきた曲であり、2枚組のアルバムとして1968年10月16日にリリースされることとなる『エレクトリック・レディランド』の核となる曲であった。
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとしての最後のスタジオアルバムであり、彼らにとって唯一アメリカとイギリス両国でトップチャート入りしたアルバムであるこの『エレクトリック・レディランド』によって、ヘンドリックスは1967年に発表した前2作品『アー・ユー・エクスペリエンスト?』と『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』の遥か先を超えていったのである。
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生き生きとした「クロスタウン・トラフィック」や感情を抑え込むようなサイケポップ「真夜中のランプ」は前出の2アルバムのどちらかに入っていたとしても特に浮くということはないだろうが『エレクトリック・レディランド』は大胆な新しいサウンドや味、チャレンジ精神に満ちあふれている。
例えば速さが変化するドラムや歪んだヴォーカル、リバースシンバルを特徴とするサウンドの絵のような「恋の神々」、カーティス・メイフィールドの影響を受けた軽快な「エレクトリック・レディランド」、怒りの抗議である「焼け落ちた家」、スティーヴ・ウィンウッド、ジェファーソン・エアプレインのジャック・キャサディとの15分に及ぶ生のブルースジャム「ヴードゥー・チャイル」、セクシーなソウルジャズのグルーヴの「雨の日に夢去りぬ」、そして叙事詩的でサイケデリックな黙示録である「1983」などである。
またこのアルバムにはヘンドリックスの伝説の中でこの先もずっと大きな存在であり続けるであろう2曲―極めてヘヴィな「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」とボブ・ディランの「ウォッチタワー」を過激にカヴァーしたものーも収録されている。
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しかし『エレクトリック・レディランド』は今日のヘンドリックスファンの多くが彼の最高傑作だと評す一方、その誕生はけっして楽なものではなかった。
主にロンドンのオリンピック・スタジオとニューヨークのレコード・プラント・スタジオで分けて行われたこのアルバムのレコーディングは定期的にツアーによって中断された。
ヘンドリックスはレコーディングで頭の中にあるサウンドが再現できずたびたびフラストレーションを感じていたが彼の完璧主義への衝動、サウンドの実験に対する執着心が理由で最も信頼していた仲間の中には彼の元を離れていく者もいた。
そして完成後の『エレクトリック・レディランド』でさえサウンド的に(視覚的にも?)ヘンドリックスが描いていたものには届かなかったのだ。
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11月9日、ソニー・レガシーはこの奥が深く色鮮やかな作品のさらなる理解を促すべく、アウトテイク音源、デモ音源、『エレクトリック・レディランド』のエンジニアであるエディ・クレイマーによって新しくミックスされた5.1サラウンドサウンド、そして1987年のドキュメンタリー『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』を含む豪華50周年記念ボックスセットをリリースする。
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ここでアルバム発売50周年を記念して『エレクトリック・レディランド』に関するあまり知られていない10のことを紹介しよう。
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* ホイットニー・ヒューストンの母親が参加していた?
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1. ホイットニー・ヒューストンの母親が「真夜中のランプ」でバッキングボーカルをしていた
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『エレクトリック・レディランド』の中で最初にレコーディングされた内省的な曲「真夜中のランプ」はエクスペリエンスとしてモンタレー・ポップ・フェスティバルで扇動的なパフォーマンスを見せた3週間後の1967年7月6日と7日にニューヨークのメイフェア・スタジオで録られた。
『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』の制作中に作られていた曲ではあるがその時はレコーディングされずこのアルバムに入ることはなかった。
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「真夜中のランプ」のレコーディングはヘンドリックスがエンジニアのゲイリー・ケルグレンと初めて行ったレコーディングである。
2人の息はすぐにぴったりと合い、ケルグレンはそのまま『エレクトリック・レディランド』の制作において主要な役割を果たすこととなった。
ヘンドリックスとプロデューサーのチャズ・チャンドラーはこの曲への女性バッキングボーカルの採用を決め、ケルグレンの妻のマルタが後にシンガーとして大成功を収めることとなる当時まだ3歳のホイットニー・ヒューストンの母親、シシー・ヒューストン率いる4人組人気ヴォーカルグループザ・スウィート・インスピレーションズに声をかけた。
ヘンドリックスのサイケデリックな音楽は、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、ソロモン・バーク、ヴァン・モリソンのようなアーティストと仕事をしていたヒューストンたちにとっては慣れないものであったが彼女たちはそのチャレンジを喜んで受けたのだ。
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「彼女たちは皆、違和感を抱いていたようだ。」
と『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中でチャンドラーは回想している。
「「真夜中のランプ」に少し戸惑っていたけど彼女たちは曲を気に入っていたし、本当にいい仕事をしてくれたよ。」
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2. ヘンドリックスは「クロスタウン・トラフィック」で手作りのカズ―を演奏していた 1968年のローリングストーン誌のインタビューで「ワウペダルの良い点は音程がないところなんだ」とヘンドリックスは当時出たばかりの彼のお気に入りの製品について興奮気味に語った。ヘンドリックスはギター関連の新製品のサウンドの可能性を試すことを好む一方、必要に応じて物を自作することもあった。「ウォッチタワー」ではたばこのライターをスライドバーとして使用したり、「クロスタウン・トラフィック」では求めるバズ効果を得るためにくしとセロハンで作ったカズ―を吹いてギターのラインに重ねたりしていたのだ。
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「「クロスタウン・トラフィック」をレコーディングしていた時、彼は表現したいサウンドを出すことができなかったようだ。」
と『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中でヘンドリックスの親友ヴェルヴァート・ターナーは語っている。
「ジミが『くしをもってないかい?くしがほしい。
あと誰かセロハンも持ってきてくれ。』と言ったんだ。
くしの全体にセロハンを貼ってそれを吹けばカズ―のサウンドを得ることができる。
「クロスタウン・トラフィック」のギターソロはカズ―のサウンドが重ねられていて、それはジミ本人がその‘くし’を使ってやっているんだ。
そんなことをするなんてとても勇気があると思ったよ。
ジミはそれが自分の求めるサウンドを生み出す可能性があれば身の回りのどんなものだって利用しようとしていたんだ。」
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* ブライアン・ジョーンズがピアノ参加?
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3. ブライアン・ジョーンズは「ウォッチタワー」で(結局実現しなかったが)ピアノを弾こうとしていた
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ヘンドリックスはよく自分のレコーディングに様々なミュージシャンを呼んでいて、『エレクトリック・レディランド』にもアル・クーパー、バディ・マイルス、そしてトラフィックの3人のメンバー(デイヴ・メイスン、スティーヴ・ウィンウッド、クリス・ウッド)などを含むゲストミュージシャンが参加していた。
しかしザ・ローリング・ストーンズのあるメンバーが「ウォッチタワー」のレコーディング中にオリンピック・スタジオに現れた時、彼がその曲にピアノを加えるという希望に満ちた試みは彼が酔っ払い過ぎていたせいですぐに失敗に終わった。
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「スタジオに寄ってピアノを弾こうとしてくれたのはローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズだけだったよ。
彼は堂々とした態度で2,3テイク録っていたと思う。
でもそれはボツになり、結局は彼なしの基本トラックで完成となったんだ。」
とエディ・クレイマーは『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中で回想している。
友人の気分を損ねたくなかったヘンドリックスは代わりにジョーンズにパーカッションを依頼した。
イントロ中に何度かカチャカチャいっているのはジョーンズがヴィブラスラップを叩いている音である。
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4. ボブ・ディランはヘンドリックス版「ウォッチタワー」は彼のオリジナルの改良版だと思っていた
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1969年のローリングストーン誌のインタビューで「俺はディランが大好きなんだ。」
とヘンドリックスは興奮気味に語った。
「彼には3年ぐらい前にマクドゥーガル通りにあるケトル・オブ・フィッシュ(ニューヨークのフォークロック系バー)で1度だけ会ったことがある。
俺がイギリスに行く前だ。
その時は2人ともめちゃくちゃ酔っぱらっていたからたぶん彼は覚えていないと思うけどね。」
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1970年に亡くなるまでにヘンドリックスは「ライク・ア・ローリング・ストーン」「窓からはいだせ」「漂流者の逃亡」などディランの曲を複数カヴァーしたが、見事に昇華させた「ウォッチタワー」は彼のシンガーソングライター、ボブ・ディランへ対する究極のトリビュートだったのである。
ディラン自身もたびたび『エレクトリック・レディランド』バージョンを絶賛しており、自身のライブ演奏でヘンドリックスのアレンジを取り入れるほどであった。
「圧倒されたよ、本当に。」
1985年のフォート・ローダーデール・サン・センチネル紙のインタビューでヘンドリックスのこの曲の解釈の仕方について質問された時、彼はそう答えた。
「彼はとんでもない才能を持っていて曲の中に秘められているものを見つけ出しそれをさらに生き生きと伸ばすことができる。
他の人がそこに存在しているなんて思いもしないものを見つけ出すことができるんだ。
彼は独自の世界感でこの曲をより良いものにしたんだろう。
実は俺は彼のアレンジを取り入れて今日までこの曲をやってきている。」
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* ヴードゥー・チャイルド収録秘話
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5. オールスタージャム「ヴードゥー・チャイル」はお気に入りのニューヨークシティのナイトクラブの空気を音源で再現したいというヘンドリックスの試みだった
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「ナイトクラブのような小さな場所で閉店後にやるジャムセッションが好きなんだ。
違った感覚が生まれる。
そこにいるみんなとまた違った形で楽しむんだ。
違った感覚が生まれ、そしてそれをまたさらに違う感覚と混ぜ合わる。
重要なのはスポットライトがあたるようなことではなく人なんだ。」
と1970年2月、ヘンドリックスはジャーナリストのジョン・バークスに語った。
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『エレクトリック・レディランド』の制作当時ニューヨークシティのヘンドリックスのお気に入りの場所、閉店後にセッションができるザ・シーンというナイトクラブがあった。
西46番通り沿いの地下にあって、ゲイリー・ケルグレンがヘンドリックスを念頭において建てた新しいレコーディングスタジオのレコード・プラント・スタジオから目と鼻の先であった。
ザ・シーンはツアー中のミュージシャンたちが集まってくる場所で、ヘンドリックスがそこにいたミュージシャンたちと数時間ジャムセッションし、その後深夜のレコーディングのためにレコード・プラント・スタジオに戻ることも珍しいことではなかった。
1968年5月2日の夜、彼はそれぞれのバンドがフィルモア・イーストでのライブのために来ていたスティーヴ・ウィンウッドとジャック・キャサディと出会い、そのまま2人をスタジオに連れて戻り、エディ・クレイマーにザ・シーンのジャムセッションのようにマイクをセットするように指示した。
ドラムはミッチ・ミッチェルであった。
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「俺たちはもうザ・シーンにいたがジミが『スタジオに戻ってこれをやってみよう』って言いだしたんだ。」
とクレイマーは『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中で思い起こしている。
「ライブのようなサウンドで録るという狙いだった。」
3テイクでこのスローブルース「ヴードゥー・チャイル」は後世に残るべくテープに刻まれ、クラブ感を出すためにオーディエンスの声が後からオーバーダブで加えられた。
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6. 「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はテレビドキュメンタリーの撮影中に即興的にレコーディングされた 「ヴードゥー・チャイル」がレコーディングされた翌日、ABCテレビのドキュメンタリー番組になる可能性がある撮影のためヘンドリックスはノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルと共にスタジオに戻った。レコーディングしているふりするだけのはずだったがヘンドリックスはメンバーに新しい曲を教えるのにちょうどいいと思った。そしてテープを回して3テイク後、「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」が生まれた。
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「俺たちはスタジオで曲を覚え、その曲を演奏している間カメラが回されていたんだ。」
とレディングは著者のジョン・マクダーモットに語った。
「それを3回ほどやった。彼らはスタジオにいる俺たちを撮りたがったからね。
(横柄な声色で)『スタジオミュージシャンぽく見えるようにやってくれ』って指示しながら。
あるシーンでは『OK、Eのキーでやってみよう。
はいワン、ツー、スリー』で、俺たちが「ヴードゥー・チャイルド」に入る、みたいな」とヘンドリックスはジョン・バークスに語った。
結局そのスタジオの映像はABCに使われることもないまま行方が分からなくなってしまったが「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はヘンドリックスの曲の中で最もヘヴィで最も力強い曲の1つとして残っている。
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7. ヘンドリックスのスタジオでの完璧主義が原因で彼のマネージャー兼プロデューサーがアルバムの制作中にやめてしまった
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「ヴードゥー・チャイル」と「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はどちらも3テイクずつで完成したがそんなふうに自然と出来上がるような感じは『エレクトリック・レディランド』の制作においては珍しいことであり、ヘンドリックスのマネージャー兼プロデューサーのチャズ・チャンドラーにとってそれは非常に残念なことであった。
パッと録ってパッと終わるレコーディングスタイルを好むチャンドラーは、ファンキーなフィールドホラー曲「ジプシー・アイズ」で50近いテイクがかかったことを始めとするヘンドリックスの完璧主義的傾向、そしてレコード・プラント・スタジオ内を多くの曲のレコーディング中に占めていたパーティ的空気に次第にフラストレーションを溜めていったのである。
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「私がそこ(レコード・プラント・スタジオ)に先に入りジミを待つことがよくあった。
そしたら彼は8、9人の腰巾着と一緒に現れる。
そしてようやくレコーディングを始める気になったと思ったらレコーディングに集中せずゲストたちを喜ばせるためにプレイする…。
何度も何度もやり直して『今の良かった。良いのが録れたぞ。』
と私がトークバックマイクで言っても彼は『ダメだ、ダメだ』と言い、また何度も何度も録り直す。
ついに私はあきらめてその場を去ったんだ。」
とチャンドラーはジョン・マクダーモットに話した。
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エクスペリエンスのベーシスト、ノエル・レディングも同じくレコーディングの環境に取り巻いていたお祭り騒ぎの空気、そしてヘンドリックスが頭の中で聞こえているものを完璧に再現することを追求するあまりアルバム中の多くの曲のベースを彼自身がプレイし、レディングがやることがほとんどなくなってしまっていたことに対して非常に不満を感じていた。
「俺はそれをジミにぶちまけ、彼が周りに作っている環境に対して俺がどう思っていたのかを伝えたんだ。
スタジオには大量の人がいて動くことさえままならなかった。
あれはレコーディングではなくパーティだった。
彼は『まあ、落ち着けよ。』と言うだけだった。
俺は何か月も落ち着いていた。
だから俺はもう彼に二度と合わないことになろうが気にせずこの場から離れることを選んだんだ」とレディングは自身の自伝『アー・ユー・エクスペリエンスト?』に綴っている。
結局レディングはレコーディングに戻ったが(アルバムに収録するほどヘンドリックスが気に入っていたという「リトル・ミス・ストレンジ」ではリードヴォーカルまで担っている。)
チャンドラーは永遠に戻ることはなかった。
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* アルバムのカヴァー写真、裸の女性起用問題
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8. ヘンドリックスのイギリスのレーベルはアルバムのカヴァー写真に裸の女性を使うことを彼に知らせなかった 音楽的に完璧主義者であっただけでなく、ヘンドリックスは『エレクトリック・レディランド』のヴィジュアル面においても明確なアイデアを持っていた。翌年ポール・マッカートニーと結婚することとなるフォトグラファー、リンダ・イーストマンにニューヨークのセントラルパークにあるホセ・デ・クリーフトによる不思議の国のアリスの彫刻の上でジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが子どもたちと遊んでいる写真を撮影してもらっており、ヘンドリックスはそれがアルバムのカヴァーに最適だろうと思っていた。「彫刻の上で俺たちと子どもたちが写っているカラー写真をフロントかバックか外側のカヴァーに使ってほしい。」と彼のアメリカのレーベル、リプライズ・レコードに依頼した。理由は不明だがリプライズはヘンドリックスの1967年のロンドンのサヴィル・シアターでのライブでカール・フェリスによって撮影された露光させた写真を使用した。そしてヘンドリックスのイギリスのレーベル、トラック・レコードはデイヴィッド・モンゴメリーによる19人のヌード女性の写真を使うというさらに挑発的で物議を醸すような方針をとったのだ。
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1968年12月7日のローリングストーン誌のニュース記事によるとトラック・レコードによるアルバムのリリースは「イギリスのロンドンを除く地方の多数のレコード店で反発を受け検閲が行われた。」
一方、ロンドンの卸売業者は茶色の包装紙でヌードを隠すことで販売を続けた。
ヘンドリックスの言い分としてはトラック・レコードからアルバムのカヴァーに関する計画は聞かされていなかったということである。
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「イギリス版のスリーヴに関しては何1つ知らなかったんだ。
君も俺のことを知っているからわかると思うけど俺はそれでも気に入っているよ。
ただ1つ残念なのはフォトグラファーがこの女性たちが醜く見えるようにしてしまったこと。
この中には美しい女性もいるのにフォトグラファーが写真を魚眼レンズか何かで歪めてしまったんだ。
ひどいことだ。
そのせいでこの女性たちが不細工に見えてしまう。
でもそれは俺のせいじゃない。」
と1968年のメロディ・メイカー誌のインタビューで彼は答えた。
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9.ヘンドリックスは完成したアルバムのサウンドに不満だった
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ヘンドリックスは『エレクトリック・レディランド』をレコーディングするにあたって長時間をスタジオで過ごした。
彼の24時間体制での作業にレコード・プラント・スタジオでは60,000ドル、オリンピック・スタジオでは10,000ドルもの費用がかさみ(2018年の価値換算で500,000ドル以上)残念なことに贅沢にファイナルミックスを行えるほどの予算は残されていなかった。
リプライズ・レコードから作品を完成させるよう圧力をかけられ、彼はエクスペリエンスのツアー中にアルバムのミックスを行わざるを得なかった。
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「両方に集中するのはとても難しいことだ。
だから曇った感じに仕上がってしまった曲もある。
曇っているわけではないけど低音が大きすぎる。
自分たちでミックスし、プロデュースし全部やってきた。
でもプレスする時になってごく自然にめちゃくちゃにされてしまった。
彼らは俺たちが求めていたものをわかっていなかったからね。
3Dサウンドが使われているところがあるんだけど全く意味がなくなってしまった。
彼らが正しい扱い方を知らなかったから。
彼らはそれが外れたフレーズだと思ったんだ。」
とリリース直後のハラバルー・マガジンのインタビューで嘆いた。
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10. ローリングストーン誌はリリースに際しこのアルバムに良悪どちらも含んだレビューを出した
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1968年の10月にリリースされた時には『エレクトリック・レディランド』のような音楽は他には一切存在していなかったので当時の多くの批評家たちの頭や耳がこの75分に及ぶ本物の素晴らしさを完全に理解できなかったとしてもそれはそれほど驚くべきことではない。
1968年11月9日号のローリングストーン誌で『エレクトリック・レディランド』ついて書くこととなったトニー・グローヴァーはこのアルバムに対しての良悪の両面をはっきりと挙げた。
すばらしい点としては(「ウォッチタワー」に加え)アルバムが持つ王道なブルースの雰囲気。
しかし彼はヘヴィな部分に関してはあまり理解ができないようである。
特に「1983」の美しい海の中にいるようなムードをヘンドリックスの泣き叫ぶようなギターがぶち壊していることを嘆いている。
「私の最初のリアクションは、なぜ彼はこんなことをしなければならなかったのか、だった。
しかしそれから私は思った。
彼は美しいものを作り出したがそれに対する信念を失ってしまい、だから他の誰かに壊される前に自分でそれを壊したのだろうと。
いろいろな意味で残念である。」とグローヴァ―は書いている。
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しかし35年後、このアルバムはローリングストーン誌で正当な評価を受け、ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテスト・アルバム500で55位を獲得したのである。
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(Roiiing Stone)
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ジミヘンのLPアルバムも小屋裏で眠っている。
当時、発売されていたジミヘンのLPのアルバムもほとんど持っている。
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CDが出てから編集されたジミヘンのCDのアルバムもいくつか持っている。
ジミヘンのCDアルバムも風呂に入りながら時々聴いている。
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追伸:
庭を散策して、西のビオトープの浮き草を探したが見つからなかった。
イシガメ・クサガメ・ペニンシュラクーターなどに餌をあげた。
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追伸2:
2007年米映画「アメリカを売った男」をまた観た。
<FBIの若手捜査官オニール(ライアン・フィリップ)は、上司から新たな任務を言い渡される。
それは、トップ捜査官ハンセン(クリス・クーパー)の行動を逐一報告することだった……。>
1951年生まれミズーリ州出身の俳優クリス・クーパー主演の実話を基にしたサスペンス映画だね。
1974年生まれデラウェア州出身の俳優ライアン・フィリップも出ている。
1964年生まれニューヨーク州出身の女優ローラ・リニーも出ている。
監督は「ニュースの天才」のビリー・レイ。
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追伸3:
1988年米映画「トーチソング・トリロジー」を観た。
<ゲイで女装のエンターティナー、アーノルド(ハーヴェイ・ファイアスティン)は、彼にとって初めての恋人であるエド(ブライアン・カーウィン)がバイ・セクシャルであることが我慢できず、アーノルドの誕生日にエドがローレル(カレン・ヤング)という女性とつきあっていることがばれ、2人の恋愛関係は終わった。
やがてアーノルドは、自分の勤めるゲイ・バーでトラブルに巻き込まれたアラン(マシュー・ブロデリック)という男性と出会う。
そして肉体的な関係にうんざりしていたアーノルドにとって、アランのひたむきさは欠けがえのないものとなつてゆく。
ローレルと結婚したエドに招待されて出かけた別荘で、エドとアランが関係を持ってしまう出来事もあったが、2人の愛情の絆は日増しに強まってゆくのだった。>
1952年生まれニューヨーク州出身の俳優ハーヴェイ・ファイアスタイン主演の人間ドラマ映画だね。
1962年生まれニューヨーク州出身の俳優マシュー・ブロデリックも出ている。
監督は「続・おもいでの夏」のポール・ボガート。
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追伸4:
今日、風呂に入りながら聴いたアルバムは、
「キング・クリムゾン ヴルーム・ヴルーム」。
『ポール・マッカートニーのJAZZアルバムで心地よいクールダウンを』
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* ライヴの後に心地よくクールダウンしながら聞きたいポールのジャズ・ヴォーカル
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いよいよ今週からポール・マッカートニーの来日公演がスタートする(10月31日・東京ドームほか)。
今回のツアーは「フレッシュン・アップ ジャパン・ツアー2018」と題され、5年ぶりのニュー・アルバム『エジプト・ステーション』(ユニバーサルミュージック)をひっさげての来日となる。
当然そこでは新作からのレパートリーが演奏されるはずだが、これまでの来日公演のセットリストを見れば、今回も多くのビートルス・ナンバーが演奏される。
今回のステージについて、ポールは世界じゅうに向けてメッセージを発表しているが、どの会場に対しても「一緒にパーティしよう!」としめくくられている。
コンサートはきっとHOTでエキサイティングなものになるはずだ。
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さて、ライヴの後はその興奮をどう静めるか。
ビートルズを聴く?
いや、コンサートで聴いたばかりなのだから、同じ曲ではせっかくのコンサートの記憶が台無しだ。
何も聴かない?
でもやっぱり音楽を聴いて「ポールの気分」に浸っていたいところ。
要するに心地よくクールダウンしたいということなのだが、それに最適なアルバムがある。
それはポールのジャズ・ヴォーカル。
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収録アルバムは2012年リリースの『キス・オン・ザ・ボトム』(ユニバーサルミュージック)。
この「気分」とは「個性」のこと。
ポールの歌、演奏、楽曲はいつの時代も素晴らしいが、真ん中にあるのはポールの「個性」。
ジャズという音楽は、多くは他人の曲を歌う。
多くの人が歌う「名曲」を自分の「個性」で染め上げて、「自分の歌」として歌うのがジャズ・ヴォーカル。
シンガー・ソングライターであるポールの場合、個性は歌と一体化しているものではあるが、ジャズを歌うときには楽曲や演奏から離れた、ポールならではの個性が浮かび上がってくるのだ。
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このアルバムは、ハリウッドのキャピトル・スタジオで録音された。
この歴史あるスタジオでは、かつてフランク・シナトラはじめ、名だたるジャズ・ヴォーカリストたちが名唱を録音したことで知られている。
しかもなんとこの録音で使われたヴォーカル・マイクは、ナット・キング・コールが使っていたものなのだ。
さらにポールはキング・コールの看板曲のひとつ「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」まで歌っている。
これはまさにポールの「ジャズ・ヴォーカリスト宣言」というべきもの。
ほかにも(ポールは、有名ではない曲を選んだということだが)「バイ・バイ・ブラックバード」「手紙でも書こう」など、ジャズ・ファンにはよく知られたスタンダード名曲がいくつも収録されている。
もともと、ビートルズ以前に家族や親戚と歌っていた自身のルーツを歌うところがアルバム企画の発端というが、意外なことにポールはこういったスタンダードがビートルズにも影響を及ぼしていると語る。
つまりポールの音楽の歴史全部がここにあるということ。
また、ここではアレンジもバックも腕利きのジャズマンたちに任せており、ポールにしては珍しくヴォーカルに徹していることもその印象を強くする。
まさにポールの個性が凝縮されているという内容なのだ。
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そして、もう1枚はCDつきジャズ・マガジン『JAZZ絶対名曲コレクション』の第2号「ビートルズ・ジャズ」。
こちらはポールとは逆の、ビートルズ名曲のジャズ・アレンジ集。
ジャズマンたちの個性的な演奏が、ビートルズの楽曲の魅力を浮き彫りにしている。
ポールはビートルズ楽曲をジャズにアレンジすることはなかったが、「ジャズマン」ポールが歌っていたらどんな音楽になったかこれを聴きながら想像するのも楽しい。
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ジャズに馴染みがなくとも、そこからは強烈にポールの個性が感じられるはずだ。
これならばコンサートの余韻に浸りつつ、ポールの魅力を今一度確認しながら心地よくクールダウンできることだろう。
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(@DIME)
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ポールは一番好きなミュージシャン。
ビートルズ来日以後のソロになってからの初来日時に友人からコンサートのガードマンを誘われた。
しかしポールは大麻で刑務所に入ってしまったのでコンサートは中止となった。
あれから40年近く経ってしまった。
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ポールもジャズも大好きなのでこのアルバムも大好きだ。
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当時のビートルズのLPアルバムもポールのソロLPアルバムも小屋裏で眠っている。

追伸:
庭を散策して、イシガメ・クサガメ・ペニンシュラクーターなどに餌をあげた。
西のビオトープの浮き草を探したが見つからなかった。
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追伸2:
1978年米・伊映画「ゾンビ」を観た。
<惑星から降り注いだ光線によって地球上の死者が復活。
その群れは生者に襲いかかり、次々と数を増やしていく。
テレビ局員のスティーブン(デビッド・エンゲ)と恋人フランシーン(ゲイラン・ロス)、そしてSWAT隊員のロジャー(スコット・H・ライニガー)とピーター(ケン・フォーリー)は郊外のショッピング・センターに避難するが、やがてそこにも死者の群れが侵入し……。>
1946年生まれインディアナ州出身の俳優デビッド・エンゲと
1950年生まれインディアナ州出身の女優ゲイラン・ロス主演のゾンビ映画だね。
1948年生まれインディアナ州出身の俳優ケン・フォーリーも出ている。
監督は「クレイジーズ」などのジョージ・A・ロメロ。
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追伸3:
1995年米映画「スモーク」を観た。
<ブルックリンの片隅で煙草屋を営むオーギー(ハーベイ・カイテル)は10年以上にわたり、毎日同じ場所で同じ時刻に写真を撮影している。
煙草屋の常連客である作家ポール(ウィリアム・ハート)は、数年前に妻を亡くして以来、スランプに陥っていた。
ある日、ポールは路上で車にひかれそうになったところをラシード(ハロルド・ペリノー)という少年に助けられ、彼を2晩ほど自宅に泊めてあげることに。
その数日後、ポールの前にラシードの叔母だという女性が現われ……。>
1939年生まれニューヨーク州出身の俳優ハーベイ・カイテルと
1950年生まれワシントンD.C.出身の俳優ウィリアム・ハート主演の人間ドラマ映画だね。
1963年生まれニューヨーク州出身の俳優ハロルド・ペリノーも出ている。
監督は「ジョイ・ラック・クラブ」のウェイン・ワン。
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追伸4:
今日、風呂に入りながら聴いたアルバムは、
「THE HERO!-Ⅱ」。

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