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さて、時は5万年頃前。酒匂川東の大磯丘陵は10万年前から隆起始めてるが、まだ然程高く無い 秦野の四十八瀬川、水無川、金目川は南に流れてて、中村川(押切川)支流の藤沢川に流れてた 『箱根火山から噴出した軽石流は箱根山体を流れ下り、 足柄平野、大磯丘陵を東に流れて、横浜まで達した。 その厚さは足柄平野で60mを越えると言われている。』 『軽石流によって流路を変えられた酒匂川は軽石流堆積物の北側を東に流れて、 現在の秦野盆地で古四十八瀬川、古水無川と合流して、 大磯丘陵を古押切川となって南下して相模湾に流出していたと考えられる。』 『秦野盆地の南西部で軽石流を覆う礫層に、 丹沢山地中川付近が起源と推定される石英閃緑岩の円礫が見られる。』 以上、原文のママ。コレが全てで図も出典情報も無い。えぇ〜〜 『約3万年前になると秦野盆地の広い部分に礫層(水神礫層:大磯丘陵の今泉礫層に相当)が堆積した。 この頃、大磯丘陵の隆起と軽石流堆積物の浸食により酒匂川は足柄平野に流路を戻し、 古水無川や四十八瀬川は現大磯丘陵の東部を古葛川となって南下して古相模湾にそそいだ。』 四十八瀬川が足柄平野へ流路を変え、水無川と金目川が合流して相模平野に流れる下り等もある でめたし、でめたし、、では無い 地下水関連も立派な地学で、地下水に関する地層や流れ、水位など、 そっちの分野はキチンと書かれてて、単なる名水巡り紀行では無い。多少はあるけど 水/河川に関する事だし、地下水的に当時は関係あったかも知れないが、今は関係ないだろ どうして酒匂川の変遷入れたんだろ 6万6千年前と4万9千年前と、1万7千年も違うじゃないか!と思われるかも知れんが「よくある事」です 多分、スコリア等堆積物の年代測定の差。誤差とか 足柄平野に60m堆積の件ですが、色々調べてもコレしか出てきませんでした 小田原が最高で約50〜60m 東京パミス(東京軽石流、今回の噴火)だけでなく、 前の三浦パミス、さらに前の小原台パミスと噴出方向が重なってるから、らしい 今回、軽石層(降下軽石の堆積)と軽石流(火砕流のうち軽石多めな奴)、色々調べたんすが、 専門の方でも間違えてたり混同してたりして、判り辛かったです 堆積厚がどっちなのか、20cmしか積もらなかった筈なのにメートル単位が混在する謎とか 「足柄平野に60m堆積」一部に堆積したかも知れませんが、それでは堰き止められない そもそも広い平野で堰き止めるなど、どーすれば出来るんだろ 狭い谷間なら、実際に何件か確認してます 東京パミスで四十八瀬川も流路変遷したようです 「秦野盆地で西丹沢由来の堆積物」確認できませんでした 念の為下流側になりそなトコ洗い出してしらだら、 鷹取山層ボーリングコアに石英閃緑岩が出るが、分析の結果丹沢系とは違う(供給不明) というのが見つかっただけでした 以上の点から、この件は事実とは思えません 足柄平野堰き止めて湖出来てたら、堆積物で判ってる筈ですし・・・ 地質ナビ/シームレス地質図によると、中心となるのは「花崗閃緑岩・トーナル岩」で、 トーナル岩=石英閃緑岩の事と思ってたんすが、 細かい部分拾ってたら「閃緑岩・石英閃緑岩」岩質は別にあり、すっかりマイナー扱いです 今での資料も書き換えねばならんのか・・・ 岩質なんて基本的な部分なんで、分類を変えるのは勘弁して欲しい (石英部の多い方が外される石英閃緑岩) #4は外れだったが、次は河口とか地下とか(怪しい ≪続く≫
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