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画像を見てお分かりと思うが、足柄平野は古代において海だった。という話である 実は私もそう思ってた時期がある(昔なー ある日、穴部から登ると諏訪の台地に出た 海側には何かしら小山があったりして、覗き込むと古墳云々と札が付いてた 当時考古方面は明るく無く、後日学校の図書館等で調べると、 久野諏訪ノ原は古代人が住んでて、南側には古墳が並んでいるとな 【赤丸数字】が振ってあるのは名称が付けられてるナンバーズだ 当時、というか、コレ見るまでこんなに増えてるとは思わんかった 白半円は公図に載ってて、恐らく失われた分と思われ 右端に発掘場所になってるのは足柄駅傍の東電変電所の上だ。結構広い ブルーシートがかかってたんで何かな〜と思ったが発掘だったのか 一部なんて重ならんギリじゃないか ナンバーズは3〜5m位の円墳なんだが、その他は流石にそんな大きく無いと思う (あったら気付く) 2m以下、殆ど土饅頭かな ぃゃぁ、そこいら辺、夜行きたくないなぁ。人通りなどまったく無いし こんなに増えた、、最近、新しく出来た、とかじゃないよね? その本やらが見つかれば良かったんだが、残念ながら古い教育関係って結構処分されちゃうのね 画像はイメージだが、久野諏訪が海近く、、って結構難しい 下の谷が湾になると格好良いんだが、古墳がかなり水没してしまう 1633/寛永小田原地震、1703/元禄地震、1782/天明小田原地震、 1853/嘉永小田原地震、1923/関東大震災 と70〜79年周期で来てるから、次は1993〜2002年だそ。と言われてたが残念ながら来てない そもそも上の地震リストが「近場だが発生源が別モノ」なんで、根本的にお話にならない 周期説も、プレート境界型ならまだしも、ここらのヒビ割れだらけプレート末端破断域は、 過去の地震は宛にならんと思うが、 一応上の周期の件はそれぞれの周期を持つ地震が起きてるんで、ちゃんと計算は出来る (なのに今だそのままの論理で危ないという人の根拠が判らない) てな訳で地元の地層とか断層とか、その手の書籍資料は、一通り目にしてるわけだが、 流石日本トップクラスの活断層やプレート境界があるたけに、その量は半端なく、 技術的にも逝っちゃってるんで、付いてくのが大変だ 時折、有効な資料とかあると、こんな風に手入れて理解の糸口にしてる この図が、足柄平野の地質等一番詳しいと思う 過去のボーリングデータをも纏めて、全体の地質を3次元図にしたんは素晴らしい 時代ごとの層も判り易く、過去にあった出来事がどう地層の残ってくか、見てるだけでも楽しい 今回注目するんは堆積物の泥層なんで、そこだけマーク(ホントは砂層も生かしてるんだが目立たない) その他無マークは砂礫とか火山砂礫、火山灰で、今は関係ない 泥層が堆積するんは川周辺で、圧倒的に下流側に多い 現酒匂川(あくまで現)の縦断面があるんで、それを見れば下流域に泥層が貯まってるのが判る 地層に描いた青線は縄文海進前後境で、線下側が「海面が高かったピーク」になる 線上の「海進後〜今」と比べると、泥層がちょい上流まであるんが、海水面が高かった跡 堆積物が海のモンか山のモンか、細かいデータは無いんで「ここまで海」は判らん その向きには海岸線近くまでのデータが無いと難しい ちなみに、#4謎説の堰き止めも、万年単位で流れ変わってたら地質に残るんで、 起きなかった証拠としても有効だな 地学的には生き残って無いんすが、どっかでは健在のようで、時折見かけます 関本は確実に海の下だったそうで、資料によっては山北も危ない (標高的にはかなり違う) 特集酒匂川物語は流石です。縄文時代と時期を明確にし、学術的に云々はオモシロイ 年表は弥生時代の遺跡から書いてあるけど、此処に縄文遺跡が書いてあったら笑える 地球博物館でヒットしたんは驚きましたが、直接関係なさそなので良かった 問題は何時から/何時と比べて、が抜けてる 図は「現在の海抜0m」から100mアップした「古足柄湾」の様子 山北は100mちょいあって届かないんすが、海進は100〜150m位説の幅があるんで、余裕です その他市町村は確実に海の底です 全ての「湾」の話に適合するんで、コレですね 正しくは「氷期で海面が100m下がってた」が戻った そん時ちょい高めに。その後ちょい下がって現在に至る ホントに湾があって、縄文人が暮らしてたたら、その周辺に集落が出来る筈なんすが、 小田原市にある遺跡で海に沈まなかったはほんの一部だけ (先の久野諏訪では100mアップさせると殆ど水没してしまうので、50mにしてる) というか、赤の縄文遺跡がソコラにあるから、海進此処までと線引かれた感じがする 海進の時期は、約6万5千年〜約6万年前が一番有力ですが、 その他にも4〜5千年前、5700〜5000年前などの説もあります それと遺跡の年代が正確に出たら、面白いんすが、一般的考古学はそこらへん拘ってないのか、 ちゃんと研究された資料に出会って無い 実は縄文海進が「下がる前よりちょい高く」なったんは、単に戻し過ぎたのでなく、 氷期終了後や海面上昇による地殻上下が関係してるらしい 地学分野でもこの辺は研究されてるんだが、 他地方の隆起沈降の基礎が判ってないんで、話について行けない 本ブログの最後を飾るんに、 他の奴は調査が終わっておらず、結果果的にこのネタになってしまいましたが、 なかなか遣り甲斐はあった思います それでは11年間、お世話になりました さようならYa!≪完≫
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机上レポ
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地図は現代で海に書かれてるのは現在の海底等高線 それに対して【赤線】は最終氷期(氷河期)全盛の時の海岸線 海面は100m程(150m説アリ)程下がりました 現在の海底100mと比べると早川河口辺りは近いのに、酒匂川河口〜森戸川河口は随分違います というか100mも下がってる筈なのに、現在の内陸にある 酒匂川の現河口辺りは元々海だったって事です 【ピンク線】は最終氷期が終わった時のもの。推測で-50m 氷期が終わったので海面が上昇してるんすが、まだ上昇しきって無い 【青線】は上昇しっきた時です。この後海面は13m程下がって、今の海面高さ0mになりました この若干高い間を「縄文海進」といい、約6000年前から約6500年前の間、 海面は若干高いままでした 次のネタに行くつもりだったんすが、縄文、、と言えば海岸近くに縄文遺跡無かったかな〜 とざっと調べて近場の遺跡をマーク 旧石器時代からありますが、谷津山・八幡山はモロ高台 縄文は千代だったか、、あそこも高台だしなぁ・・ ぉぉぅ、天神山があるじゃないか!あそこは縄文前期だゾ、、、あ、海から近いけど高台だ すると弥生時代か、、中里は弥生時代だけど海からはちょいと遠いな・・・ えっ、酒匂で遺跡発掘されたの?知らんかった 表見てたら弥生前期の遺跡がある 府川諏訪は諏訪台地 【赤線】前川山王前って国府津と二宮の間。海岸線か? と期待したんだが、海岸段丘の上だし、住所からするとJR線路に近い、、コレも高台だな 旧石器/縄文/弥生/古墳って生活様式や文化で時代分けしてるんだが、 混在してたり地域によって差が有ったり、非常にヤヤコシイ 極端な話、新しモノ好きな新しいスタイルの土器使ってる人、 古いのが好きな人は懐古的土器、 農耕より狩りが好きな人は土器なんて使わん そんな御近所さんの居る集落は、どんな時代区分になるんだい? そんとせっかく覚えた縄文時代は○世紀〜○世紀が、後になって変わるとか しかも時代の細分化だけはどんどんやるモンだから、整合性がますます合わん だから考古学はキライなんだ 縄文後期は3000年前から4000年前/4500年前 弥生中期は紀元前50年/紀元前1世紀から起源50年 弥生後期は起源50年/1世紀半(同じ事なんだが)から3世紀中葉/3世紀半(同じ・・) なんで時代表記がマチマチなの?始めと終わりの時代形式が違うの使う人ってバカなの? それにこの頃はもう「年前」は辞めた方が良いと思うんだが 20年前の資料で「100年前」なんて出る度に換算しなきゃなんないのは辛い 「年前」の出来事は、毎年新しくなって行くのが判んないんだろか てな訳で絶対年でAC、DC計算して出すようにした Excelで計算してるから合ってるとは思うが、打ち込みやロジックが違ってる可能性は高い 枠外に怪しいのが見える気がする人はコチラ見てね。ジェノサイド級しか載せてないけど 全体 肝心の縄文海進は縄文前期になる 前(ずっと海面上昇)後(海面落ち着く)で人々の暮らしはガラっと変わったと思うんだが、 そういう変化は時代区分に現れないのか 弥生中期だと、海進終わって数千年だから、もう影響無いんだろな 海岸線と遺跡の関連性は、残念ながら見えない あと氷期以前の海面高が必要なんで、この辺を参照してる 最終氷期は7万年前から始まってるけど、意外と穏やか、、 と思わせといて3万年前から厳しくなったようだ 海面低下に関しては、地域差があるらしく、場所によって最大値が違うそうだ 夏場なんてちょい涼しい話を求めて氷期の情報も見てみたけど、意外に平気な風 【右下】永久凍土って事は夏も融けんって事だけど、こんなもんなのか 世界的に見ても東アジアは程度が軽いらしく、どうやら海流があるから、らしい 大陸と繋がったんは北海道側だけだったようだ 昔の資料では九州側も繋がってたし、 対馬海峡の水深って100m位の筈だが、温暖化の影響か?(何を言って そこそこ勾配のある平野で、 さらに相模湾/酒匂川河口の海底は、海底地形の関係で「すんごく急峻」になってる 最下流域にイキナリ崖が現れたようなモンだ。隆起と状況が似てる 下流側に急峻な斜面が発生すれば、皆瀬川の時と同じように川底が抉られる 下刻作用といて川底ばかり浸食されるのだ 通常の谷はV字型になるのに、下刻が激しいとU字型の谷が出来るらしい 狩川谷の落ち口は推定標高38m、川音川谷は66m、 そしてこの時期山北谷を流れてる酒匂川谷は75mである 谷出口の推定標高17.8mまで、峡谷と言える程の谷を造った んだが、この時期富士箱根の噴火活動は活発で、堆積と浸食が激しかったろぅなぁ 氷期が終了し、海面が戻っても噴火活動は続いてたんで、 足柄谷(仮)は全て堆積物の下になってしまった トコロで谷出口はもっと海面に近いトコまで延びると思うんだが、火山等の噴出物の影響か? それとも飯泉辺りに出っ張ってる高台が関係してるんだろか この辺はまだ調べ足りない 今の川音川は酒匂川同様、神山-金子-町屋-金手土手で流れを変えられたが、 昔はもそっと下流で合流してた。紫水大橋辺りか その下には深い〜深い〜谷がある。なんてのは夢じゃなくホラーだな 今回はこれまで。次回は黒歴史に触れてみようと思う≪続く≫
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さて、時は5万年頃前。酒匂川東の大磯丘陵は10万年前から隆起始めてるが、まだ然程高く無い 秦野の四十八瀬川、水無川、金目川は南に流れてて、中村川(押切川)支流の藤沢川に流れてた 『箱根火山から噴出した軽石流は箱根山体を流れ下り、 足柄平野、大磯丘陵を東に流れて、横浜まで達した。 その厚さは足柄平野で60mを越えると言われている。』 『軽石流によって流路を変えられた酒匂川は軽石流堆積物の北側を東に流れて、 現在の秦野盆地で古四十八瀬川、古水無川と合流して、 大磯丘陵を古押切川となって南下して相模湾に流出していたと考えられる。』 『秦野盆地の南西部で軽石流を覆う礫層に、 丹沢山地中川付近が起源と推定される石英閃緑岩の円礫が見られる。』 以上、原文のママ。コレが全てで図も出典情報も無い。えぇ〜〜 『約3万年前になると秦野盆地の広い部分に礫層(水神礫層:大磯丘陵の今泉礫層に相当)が堆積した。 この頃、大磯丘陵の隆起と軽石流堆積物の浸食により酒匂川は足柄平野に流路を戻し、 古水無川や四十八瀬川は現大磯丘陵の東部を古葛川となって南下して古相模湾にそそいだ。』 四十八瀬川が足柄平野へ流路を変え、水無川と金目川が合流して相模平野に流れる下り等もある でめたし、でめたし、、では無い 地下水関連も立派な地学で、地下水に関する地層や流れ、水位など、 そっちの分野はキチンと書かれてて、単なる名水巡り紀行では無い。多少はあるけど 水/河川に関する事だし、地下水的に当時は関係あったかも知れないが、今は関係ないだろ どうして酒匂川の変遷入れたんだろ 6万6千年前と4万9千年前と、1万7千年も違うじゃないか!と思われるかも知れんが「よくある事」です 多分、スコリア等堆積物の年代測定の差。誤差とか 足柄平野に60m堆積の件ですが、色々調べてもコレしか出てきませんでした 小田原が最高で約50〜60m 東京パミス(東京軽石流、今回の噴火)だけでなく、 前の三浦パミス、さらに前の小原台パミスと噴出方向が重なってるから、らしい 今回、軽石層(降下軽石の堆積)と軽石流(火砕流のうち軽石多めな奴)、色々調べたんすが、 専門の方でも間違えてたり混同してたりして、判り辛かったです 堆積厚がどっちなのか、20cmしか積もらなかった筈なのにメートル単位が混在する謎とか 「足柄平野に60m堆積」一部に堆積したかも知れませんが、それでは堰き止められない そもそも広い平野で堰き止めるなど、どーすれば出来るんだろ 狭い谷間なら、実際に何件か確認してます 東京パミスで四十八瀬川も流路変遷したようです 「秦野盆地で西丹沢由来の堆積物」確認できませんでした 念の為下流側になりそなトコ洗い出してしらだら、 鷹取山層ボーリングコアに石英閃緑岩が出るが、分析の結果丹沢系とは違う(供給不明) というのが見つかっただけでした 以上の点から、この件は事実とは思えません 足柄平野堰き止めて湖出来てたら、堆積物で判ってる筈ですし・・・ 地質ナビ/シームレス地質図によると、中心となるのは「花崗閃緑岩・トーナル岩」で、 トーナル岩=石英閃緑岩の事と思ってたんすが、 細かい部分拾ってたら「閃緑岩・石英閃緑岩」岩質は別にあり、すっかりマイナー扱いです 今での資料も書き換えねばならんのか・・・ 岩質なんて基本的な部分なんで、分類を変えるのは勘弁して欲しい (石英部の多い方が外される石英閃緑岩) #4は外れだったが、次は河口とか地下とか(怪しい ≪続く≫
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その噴出物層が無かった太古には・・・ 古鮎沢川は向きを逆とする駿河湾へ流れてた しかも分水界は箱根山−丹沢山地間にあり、河内川は鮎沢川に流れてた (当時の分水界位置は不明) なんちゅうこったい!芦ノ湖の水だけでは足りんのか (それは別件) 太古の酒匂川は西丹沢に水源を持っておらず、流域は表丹沢・東箱根のみだった (皆瀬川辺りまで駿河湾に流れてたという話もあるが、証がはっきりしない) 河内川水系には独自の岩が有り、それ(礫)が堆積してるかどうかで判断できるそうだ 実は酒匂川らしき川は10万年以前にも流れており、堆積物も確認されてるのだが、 その中に河内川水系の礫は無いそうな、、、 繰り返すうちに御殿場を中心に高くなり、ついには堰止湖を越流する事が出来なくなり、 箱根山−丹沢山地分水界を越えて、相模湾方向酒匂川へ流れ下る なぉ、図中に幾つも古湖(化石湖という)が描かれてるが、時代がマチマチである 実は新しい化石湖は序に書いただけで本命は古小山湖である (御殿場付近もっと古い化石湖はあったろうが、数百m地面の下) かつての分水界はイメージでは東名酒匂川橋梁辺りに描いてあるが、実際に見ると無理っぽい 忘れちゃいけないのが当時は東(河内川側)から流れてた訳で、 西側(御殿場側)が「堰き止め部分」である 湖としての堆積物層などで確認出来てるそうなので、それらが堆積出来る程長い事存在してた 約4万年前に形成し、1万6千4百5十年頃(推定)に消滅したようだ なぉ図にも書いたが、噴出物は次々来るんで、西側端はもっとあったのが埋没してるかも知れない うむ〜困った。河内川−酒匂川合流地点まで堰き止めてれば、溢流云々が判り易いんだが、 コレじゃ湖東端が分水界となり、河内川と辻褄が合わん ここらは100m高くなるなど、地殻変動当たり前地域なんで、 今の地図と睨めっこしても答えは出ないんだろうなぁ 鮎沢川の勾配向きが逆(西→東)になったんは、変遷後に流れで削られて、、という事と思われ ただ此処に届く断層があるのが、ちょいとだけ気になる 鮎沢川が変遷しても、暫く残ってたであろうから、酒匂川水系の湖と呼んでも、いいよね? 災害等で一時的堰き止め湖が出来た事はあるが、万年続けば立派な天然湖だ 西丹沢独自の岩質っていっても区域広いな。どんな岩か期待しちゃうけど 【右下】成分的にも花崗岩の仲間といえる (分類、前はこんな細かく無かった) 全体的に白っぽいが、成分によっては灰色 【左】多分これらで間違いないと思われ。つうか普通に花崗岩と思ってた ちなみに結構モロくて、変質してボロボロになり「白ザㇾ」と呼ばれる奴だよね? (地質図区域以外でも白ザㇾを見た事があるよーな、無いよーな) 特殊な岩なら当時詳しく調べたろうが、あまりにも有り触れた岩だったから、比較すらして無い 以後の話でも、河内川系の堆積物として、結構出てきます 次回は酒匂川中流域の変 ≪続く≫
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