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ウルトラマンコア3

阿羅健一氏の栗原証言捏造記事の草稿の冒頭の部分です。
実際の記事には含まれていません。
あまりの白々しさに本人も赤面するんじゃないかな?

”昭和12年12月に日本は中国の首都南京を陥落させたが、後にこの時、大虐殺がおきたとされた。
この南京大虐殺に関しては林房雄氏が15年ほどたってからおおよそ次の様に述べている。
「かくすことも誇張も必要ない。
日本人自身の手によってはっきりさせるべきだ」
今から20年前のことである。

私は林氏のこの意見には全く同感で、しかもこの林房雄氏の問題提起に結論は出たと思っていた。
しかし、新聞、教科書などをみていると社会一般は私の思っていたものとちがうようだ。
そこで私なりに南京大虐殺について調べ始めた。
改めて当時書かれたものや戦後発表されたものを読むと百人百様である。
当時の南京を詳しく述べているのに虐殺については一言も言及してしていない書物もある。
これらを別にしても、南京で殺された人は百人か2百人という人から30数万人という人まで様々である。

既に歴史上の出来事になっている訳でもないのにあまりにもくいちがっている。
そう思った時、まだ当時の南京を知ってる人がいるだろうから直接その人に会って確かめるのが手取り早いと思った。
昭和12年12月に南京に行った人は20才すぎの若い兵隊から60才の松井中支派遣軍総司令官まで、多くの人がいた。
それから47年。
大東亜戦争緒戦の嚇々たる戦果、敗戦、経済困窮、高度経済成長、石油ショック、様々な出来事があり、ほぼ半世紀を経過している。
当時もっとも若かった人でも既に68・9才になっており、大部分は既に亡くなっている。
しかし誰もいない訳ではなく、この半年の間に10人ほどの人に会えた。
会っただけでは無意味なので聞き書きをしてそれを公表するようにしている。この聞き書きはその一部である。”



南京大虐殺がなぜこうも嫌われるのか理由が一つ分かりました。

旧将校は帯刀が当たり前でした。
父(栗原利一)も当然、当時剣道3段ですからそれなりの腕でしたので捕虜の斬首なんてことは散々行っていました。
65連隊第5中隊の角田中尉は当時剣道5段です。
父は小隊長が二人続けて戦闘中に亡くなった時に一時、帯刀して戦闘を行ったが動きにくかったので暫くしたら刀を外した、と書いています。

父の証言を撤回するなり矮小化するなりの干渉をして来た方々は、子供達に教えるわけにはいかない、と言ったようなことをいって干渉して来ていました。
どうも、子供達に教えるわけにいかない、ことの理由に斬首行為があるのではないでしょうか?

旧将校にしてみれば帯刀しているわけですから斬首なんて当たり前の行為であり、居合い道などで日ごろ訓練している腕の見せ所でもあったわけです。
おじいちゃんは日本軍将校だったんだよ、とか亡くなったおじいちゃんは剣道何段でとか、こういうことの持つ意味が事実を知らせるとマズイという考えになったのでしょう。

向井氏、野田氏、田中軍吉氏などの例を知ってきますとどうもそのように考えられます。

私なんか親父は剣道の先生だし、いろいろ逸話もあるので斬首なんて全く抵抗なく聞いていたのですが、そのようなことを知らないと多分ビックリすると思います。

戦史室などがかくもこの事件の隠蔽にこだわるのはこれも理由の一つだと思います。

斬首、腹切り、が当たり前の世界なんて、映画以上に今の人には残虐に映るかもしれません。



昭和刀はナマクラ刀として有名です。
太平洋戦争ではよく昭和刀が用いられたと思いますがこのころは
まだ刀も満足なものだったのです。
刀により切れ味は全く違います。
あとは腕によりますね。
「日本から剣士が来た。」という記述があります。
なにか、捏造派って日本人がメチャクチャ弱いような実像にしたい
ようですが、そのころは何人斬ってナンボの世界ですから。


スケッチ帳にも記載があるけど
白旗をかかげて投降して武装放棄してます。
それはごく当たり前のことですよ。
「強度部隊戦記1」もそのような記述になっています。
捕虜を殺すのが悪い、などと言うのは戦後の人の考え方です。



帯刀していたのは将校だけですから斬首をしたのも将校が基本になります。
そこいらが戦史室なんどがこの事件の捏造にやっきとなっている理由だと
思います。



そうじゃなくて現人神(あらひとがみ)がそのころ日本にはいたの。
軍隊は全て現人神の命令で動いていたの。
将校はみんな刀を持っていたの。
ヤクザやチンピラが刃物を持っているのと同じ心理状態。
「おおきみのへにこそしなめ」で全員いまのアルカイダ状態なの。
いまもその生き残りみたいのが防衛省や自衛隊にいるよ。

人間は正常状態で人は殺せます。
だから南京大虐殺が出来たの。
だから刑法も違法性阻却事由というのがある。



歴史学とはその時代を理解することです。
ある出来事について自分の望む資料が得られないからと言って
その出来事の存在を否定していたのでは歴史学は成り立たないのです。
貴兄にはその時代を理解しようとする姿勢が見られません。



多少は疑心暗鬼のところはあるでしょう?
私は確信的に話せます。
映画でも元日本兵は誰も謝罪しなかった、というのは当然です。
中国の人も日本人も現代の日本が戦前の日本と比較してまともなのは
アメリカが押し付け憲法を作ってくれたからだ、ということを
実感していないんです。
戦前は日本では中国人を斬り殺すことは賛辞を浴びる行為だったのですから。
それが皇国、天皇主権国家、日本だったのです。
フセインのイラクやアルカイダを見れば推測がつくと思いますが。
そして戦後も彼らは生き延びたのです。
(別に非難されることでは無いが親父も戦友会には出ずっぱりでした。
私は「平成たぬき合戦ポンポコ」を思い出してしまうのです。
俺達、みんな昔はたぬき(皇国崇拝者)だったんだよな!って。)



ここの掲示板の皆さんは既にお分かりかと思いますが。

捏造派の連中は当然、実に汚い手を使っています。

軍事の専門家である森松俊夫と原剛が父(栗原利一)から4時間かけて採取した情報を使い、史実派に間違いがあるときはその情報を悪用しています。

父は、私に本多氏とは話の流れから、目撃者がいたような話になったかもしれないが、とてもそんな余裕は無かったと話しています。

阿部輝郎は「南京の氷雨」でこの話を悪用しています。
本多氏が著書で指摘した目撃者の話を実際には存在していないことを知りながら、あたかも現場にいたように引用して書き、かつ中国側の目撃者名をそこに当てはめています。
阿部輝郎は、史実派の本多氏の著作を引用しているのだから捏造家とはいえないだろうし、否定派や矮小派にもはいらないだろう、と言いたいのでしょう。
じつに下らない手のこんだ姑息なやり方です。



幕府山の捕虜反抗の真実。

連隊機関銃隊の将校が軍刀で後ろ手に縛って坐らせた捕虜を斬ろうとしたところ刀を奪われ7箇所も斬られて死んだのです。
(兵士6名は自軍の機関銃による同士討ち=戦死)。



平林貞治氏
 
終戦時少佐で慰霊祭委員長、戦友会会長、戦友会名簿編集委員長に虐殺証言を期待するほうが無理でしょう。
 
主な虚偽証言
1.「後ろ手」の証言がない。
2.集結時刻は夜(虚偽証言は夜、事実証言は夕刻。深夜に機関銃が撃てるなずがない。)。

鈴木氏(戦友会名簿では苗字だけなので特定できません。)

主な虚偽証言
1.「自衛であった」。
2.「入城式の夜に護送しろとの命令があった(虚偽証言は夜中の護送指示。夜中に月明かり程度で護送するはずがない。)」。

角田栄一氏

主な事実証言
1.「敵が憎くなくて、どうして戦える。」
2.「敵を殺さなくて、どうして勝てる。」

主な虚偽証言
再訪時の話の内容は平林、鈴木氏と大同小異(これは鈴木明氏が勝手に付け加えて話でしょう。)。



65連隊は2万人の捕虜を得たんだけど。

このうちの7千人は魚雷営で処分した。
一日目は大桟橋で2千人を斬首して2,3日は河岸に並ばせて重機関銃で5千人を十字砲火で処分した。
親父はこの一日目の話を私に10歳のときにしている。
南京大虐殺札記を読んで分かった。

65連隊は魚雷営と幕府山で合わせて2万人です。

結論からいうと自衛発砲証言者=虐殺指図者、虐殺実行者

だから証言者の証言で論争するのあまり意味が無い。
誰が自衛発砲証言者か調べて一覧にすれば虐殺指図者が分かる。
南京大虐殺は旧陸軍将校の共謀共同正犯。
それを戦史室が隠している。

幕府山で処分した捕虜の数が1万三千五百。
同様に全体で処分された数が7万人。
追記に関係なく読めばそうなる。


ここいらは肯定派と捏造派では違います。
私が言えることは魚雷営は15日に斬首で2千人の処分。
16日、17日で重機関銃で5千人の処分。
幕府山は17日に13500人の処分です。


親父は幕府山も魚雷営も参加している。
魚雷営の一日目で「さすがの揚子江も真っ赤になった」といった
くらいの2千人の首を斬っていた一人だから。
26歳で剣道三段だったから。
角田栄一は31歳で剣道五段、親父より腕は上だった。
そのころの日本軍の行状なんて中国側の証言なんてちょろいちょろい。
「佃煮のように無数に殺された中国兵の死体」が適切な表現です。
どこまでもどこまでも続く中国兵の死体、無数に続く中国兵の死体。
親父は幕府山でさえ南京警察の制服が2千人いた、と言っている。
これじゃあ南京の治安の維持なんてできっこないでしょ。

多少もなにも民間人なんて区別が出来なかったのだから。
幕府山でさえ女も子供もいたっていってるんだから。

だから日本人には本当のことが教えられないの。

親父は昭和15年4月29日に金鵄勲章を授与されている。

ウルトラマンコア2

某社での盗難事件によせて

「真実は盗んで隠す捏造派」

違法行為まで指示しちゃだめでしょ!



日中戦争では日本兵は常態で民間人を殺害して行きました。
これは歴史的事実です。
南京攻略戦でも民間人なんて区別しないでめったやたらに殺しているわけです。
とりあえず日本軍関係者の資料で捕虜数は記載されているものが
あるのでそこから検証していくといったところです。

南京攻略戦の実態を知れば知るほど中国側の犠牲者数は増えていく。



65連隊の幕府山の機関銃中隊を特定。

「ふくしま 戦争と人間1」を読んだのですが。
機関銃中隊2中隊が実行部隊とされているのですが。
なにか見え見えで「第1機関銃中隊」と「連隊機関銃中隊」のようです。
この部隊に所属する人達がこの本でだけ証言されているのです。
これって阿部輝郎さんに協力した捏造証言ですよね。



よく言われるように戦前と戦後の政治体制は全く違うものなんです。
教育制度とその内容が全く違う。
そうすると同じ国の中に価値観の違うグループが出来てしまう。
戦前に一定の年齢に達している人は戦前に価値観を形成している。
戦後に価値観を形成した人は戦前に価値観を形成した人が理解できない。
「南京大虐殺」と言うのは戦前では日本の大勝利であったことが
戦後になり人権と言う観点から評価されると絶望的な人権侵害であった
ことに多くの日本人が気づいたわけです。
それで当事者の殆どの人が「南京大虐殺」と言われる事件について何も話さなくなったか
責任逃れか脅迫かにより虚偽の証言をするようになったのです。
そのために「南京大虐殺」と呼ばれた事件の真実が殆どの国民に知られる
ことがなくなってしまった。
自国の歴史の喪失ですね。
でも隣国の中国にとっては被害の歴史ですから被害者も当然いるし
その事実も絶望的なほどの人権侵害であるわけです。
自分の前の世代のあまりにもひどい人権侵害の歴史をそのままに
ほっておくのは今ある人権侵害をほっておくのと同様にそれは
現在の人権軽視にもつながることなのです。
だから「南京大虐殺」と言う出来事について知っている私が
多少でも皆さんお伝えしておきたいのです。
「南京大虐殺」という出来事を知りたい人のガイドみたいなものですね。



南京大虐殺=南京陥落時に日本軍が軍の組織として不法に中国の軍民を殺害した出来事でその犠牲者数は約20万人



例えば福田篤泰氏は捏造派なので田中正明氏の本では、自分の見知った限りでは虐殺はなかった、と証言しています。
戦前の外交官で南京大使館館員で後の防衛庁長官、自民党代議士です。
私はこの方は嘘つきだ、以前から断言していました。

私の勉強も進んで来て最近、ジョン・ラーベの「南京の真実」を読みました。
福田氏の名前が20回以上出てくるのです。
ラーベは殆ど城内にいましたから城外のことは分からないのです。
処分(=虐殺)は城外で殆ど行われていて欧米人は城外に出ることが禁止されていました。
ところがラーベの友人がたまたま城外に出たのですが、この時に福田氏と軍人に会って、見咎められ城内に戻されているのです。
福田氏は城外でなにが行われているのか知った上で、城内にしかいなかった、と嘘をつかれていたわけです。
戦前の天皇主権国家に自分なりの価値を見出す人は平気で嘘をつくのです。
森松俊夫氏や瀬島龍三氏も同じ類です。
戦前の日本軍の将校の話もその類です。
それなりの教育や肩書きのあった人が平気で嘘をつくものですからそれに殆どの日本人は騙されてしまうわけです。



水島聡氏は『南京の真実』(仮称)を製作中。今年12月に完成予定。
これにより南京虐殺の虚構性が明らかにされる。日本人必見!



メタボリック水島。
私が命名しました。



だって幕府山で平林証言採用なんでしょ。
栗原証言除外でしょ。
それで既に大嘘なのだから。

阿羅健一、田中正明、板倉由明、東中野修道の手紙に聞いてみようか?
大嘘をついているのはどっちか?




とりあえず南京陥落時の非戦闘時の城外での捕虜の処分は7万人〜10万人。

あとは主なところでは
1.陥落時に揚子江を渡る軍民の舟に海軍から打ち込まれは砲撃による
市民の犠牲者。
2.城内で恣意的に殺害された市民の犠牲者。
3.上海から南京に至るまでの間の市民の犠牲者。
1〜3は勉強中。

「南京大虐殺」という出来事が日本人に分かりにくいのは余りにも常軌を逸した
殺害振りだからだと思う。
ホロコーストや原爆のように結果が見えている殺害なら分かりやすいけど
南京の場合は軍の組織として無法行為をしているのでどこからが犠牲に含まれるか不明瞭。
それほどめったやたらに殺しまくっているから。


ラーベの「南京の真実」が一番参考になる。
でもラーベによると南京城内の女性でレイプされなかったのは
一人もいない、と書いてあるけど。
市民の銃殺は日常的だった、とも書いてある。
また市民が城外に捕虜として連れ出された、というのも多数あるから
彼らは虐殺されたことになる。

日本軍と言ってみても「陛下のおんため国のため」に中国人を仕事として
殺して歩くわけだから、フセインのイラク兵がクルド人を殺して歩くような
ものだね。
戦前の日本ってそういう国だった、それだけ。



今のところ埋葬死体数から言うとタップリですからね。
ただ、そのうち城外で殺されたのは10万人に含まれますからね。
中島今朝吾がどうしょうないワルだった、というのは決定ですしね。
日本軍っていうのは蒋介石軍よりはるかにワルだったようですよね。
なんなんでしょうかねえ。



ほかでも書いたけど、親父は65連隊の最初の13500人の武装を解除して
廠舎に保護して現場まで護送した。ここは火事はなかった。

それ以降も65連隊の捕虜は増加して7千人はその数、保護したのは
連隊本部の近くの兵舎、火事があったほう。
ここが7千人一度に殺害したかは疑問、他の証言もある。



3晩で2600人づつ、と言う証言がある。


親父が捕虜を収容した段階では全体で7万人だったのだと思う。
それ以降も捕虜は増え続けて10万人になったのだと思う。
証言のタイミングや掲載記事のタイミングを比較してゆけば
分かると思う。



「徴発」と言う言葉しらない?
そのころから既に日本軍は糧食を兵隊に届けられなかったの。
日本軍は中国の民家から食糧を「徴発」しながら南京まで進んだの。
食わせる食糧がないのにどうやって使うのよ。
10万人も。
だから殺すしかなかったの、それで処分しただけ。



弾薬を運ぶにを歩兵では小行李、食糧を運ぶのを大行李といってた。
小行李は連隊本部所属で弾薬が足りないということはなかった。
大行李は各大隊本部所属で4中隊のうち1中隊くらいを徴発部隊にして
いた。
もともと食糧は日本からはあまり持っていっていなかったから。
たまに内地米だと兵士が喜んで食べたという記載はいくらでもあるよ。



親父(栗原利一)の話(いくつもあるけど。)

処置に困った捕虜
「戦争継続するには兵隊は健康でなければならない。
しかし、上海から南京にかけて、食べ物には困りました。
今日食べたけれど、明日の食事がない、といった状態でした。
毎日、部落を占領すると、食料を探しに徴発にでた。
時には、生米、生麦をかじることもあるわけで、私なんか農業をやってましたから大丈夫でしたけれど、
弱い人はそれでまいっちゃうわけです」
「兵隊が充分食っていなかったほどですから、1万5千人の捕虜の処置に、
第一、食わせることに上官も困っていた。
捕虜にしたその晩は結局食わせられず、鳥竜山に米があると聞いて、
馬でとばし、翌日になってやっと食事を与えることができた。
食事といっても、シナ茶碗、ちょうどラーメン茶碗の半分ぐらいのものに、
おかゆをついでまわりました。
しかし、腹が減っていたのでしょう。
手まねでメシをもっとくれといってました」



きみねえ、僕のことは松尾一郎さんがご存知です。
田中正明先生(松井石根の秘書だった。)の弟子の。



食糧には日常的に困っていた。
あとは最初から計画なしに南京まで強行スケジュールで進軍したからね。
徴発は日常業務だったよ。
「郷土部隊戦記1」(福島民友新聞社)は最初のころの本だから
とても正直にそのことは書いてある。
ながながとわざとらしく両角氏には責任がない、と書いてあるけど
言い訳が長すぎてヤッパリという感想だね。




日本兵が中国人を食べた話はあるよ。
レイテでは日本兵は自分たちで食べあっていたから。
生意気なのは夜中に殺されて食べてしまったって。



日本兵が木棺から遺体を取り出して葬式もさせなかったという話は
幾つもある。
日本兵の道義の退廃だ、って嘆いていた話を何回か読んだ。
そのくらいひどかったということです。



ま、南京大虐殺がなかった、などと旧軍人を総動員して
歴史を捏造しようとしている限り憲法改正なんて無理でしょう。
国家機関まで利用して歴史の捏造をしているのですから。
日本「南京」学会が消滅するまで憲法改正は諦めてください。



「国境と人種を超えて」ではなくて「時代を超えて」ですからね。

歴史的事実を世界の人々に知ってもらうことはとても有意義なことだと
思います。
私でさえ今勉強中なので、まだ結論めいたことはいえないんです。
具体的には栗原証言と児玉証言しか日本側にはないし、日本側の研究が
進んだわけでもないですからね。
大虐殺なんて言っているだけでは何のことか一般の人は見当もつかないでしょう。











核心さんへ
いまだに戦史室のなんとかはかわっていないのかね

日本国政府は防衛研究所戦史室にメスを入れるべきだね

ウルトラマンコア

私のことでしょうか?
私の場合はたまたま栗原利一と本多勝一を結びつけてしまったので
出ているだけなのですが。
父の資料はいつでも中国側に全て譲る、と言ってますが
引き取り手があらわれません。
中国大使館にも人民日報にもメールを出しましたが無視されています。
日本の肯定派の先生方は今年は70周年でとても忙しいそうです。



私は南京大虐殺を日本の歴史に残すことを意図して
父に「歴史的なことなので事実を正確に話したほうがよい」と
勧めたのですから。

自衛発砲などという南京事件当時からの将校たちの言い逃れ理由を
真実だ、などというつもりは毛頭ありません。
自衛発砲こそ大嘘なのですから。

父の証言や書き残したものはなにも本多氏に話したものだけでは
ありません



約1時間、一斉射撃
 
「約1時間、一斉射撃がつづきました。
見渡せる範囲の捕虜は必死に逃げまどう。
水平撃ちの弾を避けようと、死体の上にはい上がり、高さ3〜4メートルの人柱ができた」

「その夜(12月17日から18日にかけて)は、
片端から突き殺して夜明けまで、それに石油をかけて燃し、
柳の枝をかぎにして一人ひとりひきずって、川に流した。
今、考えたら想像もつかないことです」

「彼らが後ろ手にしばられていたのは事実です。
こっちは百何人ですから、後ろ手にしばらないとやられてしまいますよ。
連れてくるまでは、彼らとしても納得していたわけですよ。
だけど、そこでトラブルが起きた。
起こしたのか、起こさせたのか知りませんが、
捕虜の中から”あの岸に行かせるなら早く行かせろ”ということで、
将校の刀をとって、将校をやってしまった。
それで”撃て”となって...。
私は機関銃で撃たれるのを監視していました」



父は伍長の立場で見ているだけです。
ただ、正直な話なので全体も想像できる話だ、ということです。

もともと処分するつもりで、処分した、だけの話ですから。
事前に将校たちが計画しなければ処分はできませんから。



このごろ南京事件を戦争によくある虐殺だ、という論調をみかけますが
これは間違いです。
南京大虐殺は日本軍が軍の組織として非戦闘時に大量の捕虜を虐殺したのです。
どのように殺したのかも問題にすべきなのです。

日本の兵隊が同じように、同じ規模で殺戮されたら日本人だって
永久に忘れることは出来ないでしょう。



なぜ南京大虐殺論争が今も続いているのか?

それは70年前に日本陸軍将校がついた嘘を今も頑なに守り続けようとする人達がいるからです。

1.南京大虐殺について部外者で最初に気づいた日本人は洞富雄氏のようです。
彼は早稲田大学卒で当時31歳です。
その著作の中で次のように話しています。
新聞に捕虜を捕獲したと言うニューズが続き、捕虜の総数が7万人を越えるころになり、松井石根の入城式のあと、遺棄死体数が7万という話になっていた。
それで、また陸軍がおかしいことをやったな、と気づいた、ということです。

2.自衛発砲説(逆襲説)は70年前に部外者に虐殺の現場を見られた時の陸軍将校の言い逃れのための理由です。

3.この嘘が防衛研修所戦史室、偕行社、日本「南京」学会(=新しい歴史教科書を作る会)に引き継がれ大々的に宣伝されています。

4.管理人さんもご存知の通り、私は昨年、某社で親父の従軍記念アルバムから部隊編成写真を数枚、スケッチ帳から南京市街図を破りとられています。
そのあとで終戦時陸軍少佐で元戦史室勤務で現在、日本「学会」所属の森松俊夫氏(86歳)に二度、電話で嘘をつかれています。
某社での盗難も彼などの指示によるもののようです。

5.戦前の日本(天皇主権国家)に、より価値を見出す人はすべてこの嘘を守り続けようとし続けてきています。
彼らは今も70年前の日本陸軍の虐殺の言い逃れ理由を「南京の真実」として日本国民にPRし続けているのです。



なんせ日本「南京」学会顧問、NTT顧問、亜細亜大学理事長で敗戦時少佐の瀬島龍三ですから。
情報戦略などとたわけたことの抜かし続けているのですから。



私が父の話を広めているのもこの理由からです。
中国共産党が真実を話すはずがない、という中国人のインテリ層の常識を
覆すためにも広める必要がある、と考えているのです。
国民主権国家になって60年も経つ日本より、一党独裁の中国の方が
真実を国民に伝えているのだ、ということを教える意味もあって
私が南京大虐殺をPRしているのです。



波が荒れている大嘘の大海の中を真実の小舟で渡って行くようなもの。

核心理論1

真実反射方式=数少ない真実で証言や資料を照らすのです。
まず、真実を話す人を見つけなさい。それからその人の証言に呼応する部分を
真実と判定していきなさい。

核心理論2

栗原証言を捏造した人は捏造派です。
この人達が肝心な部分について真実を言う可能性はありません。

栗原証言を誇張した人の誇張部分は除外して事実認定してよい。



常識では歴史の捏造に勝てません。



私(栗原利一の息子)の存在からです。

私は田中正明、板倉由明、本多勝一、小野賢二、森松俊夫、原剛、大井満、
阿羅健一、秦郁彦、東中野修道、谷口満などの手紙や資料を保持しています。

http://www.kuriharariichi.com/



南京事件が問題になるのは
城内での不行跡(これはラーベの「南京の真実」が詳しい。)もだけど
城外での戦闘終了後の武装放棄した捕虜の処分(=虐殺)が問題なの。

殺し方が残虐だったからね。

13師団65連隊は栗原証言、
6師団13連隊は児玉証言。
当事者で話したのはこの二人だと思う。

7万人から10万人くらい非戦


松井が死刑になったけど
谷寿夫の言うとおり本当は南京攻略戦に参加した陸軍将校たちが
真犯人。
その意味では東京裁判史観というのもありうる。


東京裁判や南京法廷で死刑になった人は真犯人ではない。
でも共産軍が中国でのしてきたので南京法廷では米国が
130人(岡村寧次を含む)の容疑者を解放してしまったの。
それで真相がうやむやにされてしまった。



中国側は南京攻略戦の犠牲者数。
日本側は非戦闘時の捕虜の処分(=虐殺)数。
だから私が一番正しくなってしまう。



機関銃隊を二大隊分、手配したって両角さんが言ってる



政治と教育で嘘を教えることに狂奔している。
防衛研修所戦史室、偕行社、日本「南京」学会(新しい歴史教科書をつくる会)。
日本人、嘘のつきすぎ。
ついでに国辱国会議員たち。
真実には勝てないんだから、もう少し「真実」を知ろうとする
謙虚さを求めます。



この人、文芸春秋の編集長時代に散々捏造派を持ち上げた人。
表紙を書いていた日本画家の不興を買って辞めさせられ
それでマルコポーロでしたよね



下関(シャーカン)の虐殺も本当だよ。
親父は必死に捕虜の首を斬ってたようだから。
そのころは、そういう時代だったの!



「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」を読むことを勧める。
平林貞治氏の編集した戦友会名簿(うちにもある)を元に小野賢二氏が
集めて回った主として戦死された方の陣中日誌がそのまま書かれている。

いま読んでいる途中ですが、とても勉強になります。

その頃は日本兵は日常的に女、子供を銃殺し中国人の首を斬っていたのです。
そういう国だった、というだけの話です。
林房雄氏の言ったように「恥じることも無い(少しは恥ずかしい)事実を
日本人の手で明らかに」すればいいだけの話なのですから。



防衛研修所戦史室、偕行社、日本「南京」学会(=新しい歴史教科書を作る会)は
すでに捏造意見しか取り入れないことを決定しています。



南京事件は新しく出てきたものでその当時のことを記述してあるものが
一般的に真実に近いのです。

ジョン・ラーベ「南京の真実」1997年
「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」1996年
栗原証言、児玉証言の再評価、2007年



「南京戦史」と「戦史叢鑑」は捏造歴史書として有名です。
そのことを承知して参考にされるとよいでしょう。



「陛下のおん為、国のため、命捧げてご奉公」という時代だったのです。
陛下のためにチャンコロの女、子供を銃殺することなんか朝飯前だったのです。
美徳とは思いませんけど。
常態であったことは確かです。



城内で健康そうな15歳以上の男性は全て引っぱられました。
12歳以上でも引っぱられたそうです。
ということで、当然無実の市民が大勢処分(=虐殺)されて
しまったのです。
ま、こういう事実が明らかになるにつけ、捏造派が必死になって
嘘をつきつづけるのも分かる気がします。

皇軍の兵士たちも皇居遥拝だけはかかさず行っています。



天皇主権国家」では7万人〜10万人の捕虜の処分が
「国民主権国家」では7万人〜10万人の捕虜の虐殺になったの。
ひどい殺し方だ、といわれる度に虐殺の人数が増えてしまうの。
「天皇主権国家」の日本人が証拠を隠滅したのだから
「国民主権国家」の日本人は虐殺の人数が増えても言い訳はできないの。
とりあえず事実関係を明確にしましょう、ということなの。



自衛発砲説

旧日本軍将校→防衛庁戦史室→偕行社→日本「南京」学会

と70年前についた嘘を真実だ、といい続けて70年。


「又今日も一人支那兵捕えたる、兵士多数にて打ちける、
一人兵銃剣にて目玉をつく、赤い血流るるところ蠅多数付着、
追うこともならず、然し彼氏大胆なるに驚く、
通訳来たれども一言も発せず、首斬らるるものならん。」

と言ったところです。



親父は65連隊の最初の13500人に関係している。
65連隊の捕虜は増え続けて最終2万5千にんくらい。
後からの捕虜は連隊本部に近いところに収容され
前の晩から虐殺されていく。
それが魚雷営だと思う。



65連隊の全体数は2万から2万5千。
魚雷営の捕虜虐殺は7千。
3日間かけて処分(虐殺)したみたい。



正確には前の前の晩から。
それで三日間。
















核心さんへ
主旨とは違うが
proxy(規制)にかかるのなら
yahoo!ブログ
南京mac へ(にも)書いてもらえないか



あえていうなら途中だったということでしょうね
満州事変などで軍部とメディアが結びつくことで破綻したのでしょうが

面白いことをいうね
ただなかった論は常識には勝てないがね

蒋介石を馬鹿にするもんじゃないぞ

蒋介石はおそらく(だが)ひとつの英雄だ

石原莞爾と板垣征四郎
やつらが英雄なわけないだろ
南京以外ももう少し勉強したほうがいいかな

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