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阿羅健一氏の栗原証言捏造記事の草稿の冒頭の部分です。
実際の記事には含まれていません。
あまりの白々しさに本人も赤面するんじゃないかな?
”昭和12年12月に日本は中国の首都南京を陥落させたが、後にこの時、大虐殺がおきたとされた。
この南京大虐殺に関しては林房雄氏が15年ほどたってからおおよそ次の様に述べている。
「かくすことも誇張も必要ない。
日本人自身の手によってはっきりさせるべきだ」
今から20年前のことである。
私は林氏のこの意見には全く同感で、しかもこの林房雄氏の問題提起に結論は出たと思っていた。
しかし、新聞、教科書などをみていると社会一般は私の思っていたものとちがうようだ。
そこで私なりに南京大虐殺について調べ始めた。
改めて当時書かれたものや戦後発表されたものを読むと百人百様である。
当時の南京を詳しく述べているのに虐殺については一言も言及してしていない書物もある。
これらを別にしても、南京で殺された人は百人か2百人という人から30数万人という人まで様々である。
既に歴史上の出来事になっている訳でもないのにあまりにもくいちがっている。
そう思った時、まだ当時の南京を知ってる人がいるだろうから直接その人に会って確かめるのが手取り早いと思った。
昭和12年12月に南京に行った人は20才すぎの若い兵隊から60才の松井中支派遣軍総司令官まで、多くの人がいた。
それから47年。
大東亜戦争緒戦の嚇々たる戦果、敗戦、経済困窮、高度経済成長、石油ショック、様々な出来事があり、ほぼ半世紀を経過している。
当時もっとも若かった人でも既に68・9才になっており、大部分は既に亡くなっている。
しかし誰もいない訳ではなく、この半年の間に10人ほどの人に会えた。
会っただけでは無意味なので聞き書きをしてそれを公表するようにしている。この聞き書きはその一部である。”
南京大虐殺がなぜこうも嫌われるのか理由が一つ分かりました。
旧将校は帯刀が当たり前でした。
父(栗原利一)も当然、当時剣道3段ですからそれなりの腕でしたので捕虜の斬首なんてことは散々行っていました。
65連隊第5中隊の角田中尉は当時剣道5段です。
父は小隊長が二人続けて戦闘中に亡くなった時に一時、帯刀して戦闘を行ったが動きにくかったので暫くしたら刀を外した、と書いています。
父の証言を撤回するなり矮小化するなりの干渉をして来た方々は、子供達に教えるわけにはいかない、と言ったようなことをいって干渉して来ていました。
どうも、子供達に教えるわけにいかない、ことの理由に斬首行為があるのではないでしょうか?
旧将校にしてみれば帯刀しているわけですから斬首なんて当たり前の行為であり、居合い道などで日ごろ訓練している腕の見せ所でもあったわけです。
おじいちゃんは日本軍将校だったんだよ、とか亡くなったおじいちゃんは剣道何段でとか、こういうことの持つ意味が事実を知らせるとマズイという考えになったのでしょう。
向井氏、野田氏、田中軍吉氏などの例を知ってきますとどうもそのように考えられます。
私なんか親父は剣道の先生だし、いろいろ逸話もあるので斬首なんて全く抵抗なく聞いていたのですが、そのようなことを知らないと多分ビックリすると思います。
戦史室などがかくもこの事件の隠蔽にこだわるのはこれも理由の一つだと思います。
斬首、腹切り、が当たり前の世界なんて、映画以上に今の人には残虐に映るかもしれません。
昭和刀はナマクラ刀として有名です。
太平洋戦争ではよく昭和刀が用いられたと思いますがこのころは
まだ刀も満足なものだったのです。
刀により切れ味は全く違います。
あとは腕によりますね。
「日本から剣士が来た。」という記述があります。
なにか、捏造派って日本人がメチャクチャ弱いような実像にしたい
ようですが、そのころは何人斬ってナンボの世界ですから。
スケッチ帳にも記載があるけど
白旗をかかげて投降して武装放棄してます。
それはごく当たり前のことですよ。
「強度部隊戦記1」もそのような記述になっています。
捕虜を殺すのが悪い、などと言うのは戦後の人の考え方です。
帯刀していたのは将校だけですから斬首をしたのも将校が基本になります。
そこいらが戦史室なんどがこの事件の捏造にやっきとなっている理由だと
思います。
そうじゃなくて現人神(あらひとがみ)がそのころ日本にはいたの。
軍隊は全て現人神の命令で動いていたの。
将校はみんな刀を持っていたの。
ヤクザやチンピラが刃物を持っているのと同じ心理状態。
「おおきみのへにこそしなめ」で全員いまのアルカイダ状態なの。
いまもその生き残りみたいのが防衛省や自衛隊にいるよ。
人間は正常状態で人は殺せます。
だから南京大虐殺が出来たの。
だから刑法も違法性阻却事由というのがある。
歴史学とはその時代を理解することです。
ある出来事について自分の望む資料が得られないからと言って
その出来事の存在を否定していたのでは歴史学は成り立たないのです。
貴兄にはその時代を理解しようとする姿勢が見られません。
多少は疑心暗鬼のところはあるでしょう?
私は確信的に話せます。
映画でも元日本兵は誰も謝罪しなかった、というのは当然です。
中国の人も日本人も現代の日本が戦前の日本と比較してまともなのは
アメリカが押し付け憲法を作ってくれたからだ、ということを
実感していないんです。
戦前は日本では中国人を斬り殺すことは賛辞を浴びる行為だったのですから。
それが皇国、天皇主権国家、日本だったのです。
フセインのイラクやアルカイダを見れば推測がつくと思いますが。
そして戦後も彼らは生き延びたのです。
(別に非難されることでは無いが親父も戦友会には出ずっぱりでした。
私は「平成たぬき合戦ポンポコ」を思い出してしまうのです。
俺達、みんな昔はたぬき(皇国崇拝者)だったんだよな!って。)
ここの掲示板の皆さんは既にお分かりかと思いますが。
捏造派の連中は当然、実に汚い手を使っています。
軍事の専門家である森松俊夫と原剛が父(栗原利一)から4時間かけて採取した情報を使い、史実派に間違いがあるときはその情報を悪用しています。
父は、私に本多氏とは話の流れから、目撃者がいたような話になったかもしれないが、とてもそんな余裕は無かったと話しています。
阿部輝郎は「南京の氷雨」でこの話を悪用しています。
本多氏が著書で指摘した目撃者の話を実際には存在していないことを知りながら、あたかも現場にいたように引用して書き、かつ中国側の目撃者名をそこに当てはめています。
阿部輝郎は、史実派の本多氏の著作を引用しているのだから捏造家とはいえないだろうし、否定派や矮小派にもはいらないだろう、と言いたいのでしょう。
じつに下らない手のこんだ姑息なやり方です。
幕府山の捕虜反抗の真実。
連隊機関銃隊の将校が軍刀で後ろ手に縛って坐らせた捕虜を斬ろうとしたところ刀を奪われ7箇所も斬られて死んだのです。
(兵士6名は自軍の機関銃による同士討ち=戦死)。
平林貞治氏
終戦時少佐で慰霊祭委員長、戦友会会長、戦友会名簿編集委員長に虐殺証言を期待するほうが無理でしょう。
主な虚偽証言
1.「後ろ手」の証言がない。
2.集結時刻は夜(虚偽証言は夜、事実証言は夕刻。深夜に機関銃が撃てるなずがない。)。
鈴木氏(戦友会名簿では苗字だけなので特定できません。)
主な虚偽証言
1.「自衛であった」。
2.「入城式の夜に護送しろとの命令があった(虚偽証言は夜中の護送指示。夜中に月明かり程度で護送するはずがない。)」。
角田栄一氏
主な事実証言
1.「敵が憎くなくて、どうして戦える。」
2.「敵を殺さなくて、どうして勝てる。」
主な虚偽証言
再訪時の話の内容は平林、鈴木氏と大同小異(これは鈴木明氏が勝手に付け加えて話でしょう。)。
65連隊は2万人の捕虜を得たんだけど。
このうちの7千人は魚雷営で処分した。
一日目は大桟橋で2千人を斬首して2,3日は河岸に並ばせて重機関銃で5千人を十字砲火で処分した。
親父はこの一日目の話を私に10歳のときにしている。
南京大虐殺札記を読んで分かった。
65連隊は魚雷営と幕府山で合わせて2万人です。
結論からいうと自衛発砲証言者=虐殺指図者、虐殺実行者
だから証言者の証言で論争するのあまり意味が無い。
誰が自衛発砲証言者か調べて一覧にすれば虐殺指図者が分かる。
南京大虐殺は旧陸軍将校の共謀共同正犯。
それを戦史室が隠している。
幕府山で処分した捕虜の数が1万三千五百。
同様に全体で処分された数が7万人。
追記に関係なく読めばそうなる。
ここいらは肯定派と捏造派では違います。
私が言えることは魚雷営は15日に斬首で2千人の処分。
16日、17日で重機関銃で5千人の処分。
幕府山は17日に13500人の処分です。
親父は幕府山も魚雷営も参加している。
魚雷営の一日目で「さすがの揚子江も真っ赤になった」といった
くらいの2千人の首を斬っていた一人だから。
26歳で剣道三段だったから。
角田栄一は31歳で剣道五段、親父より腕は上だった。
そのころの日本軍の行状なんて中国側の証言なんてちょろいちょろい。
「佃煮のように無数に殺された中国兵の死体」が適切な表現です。
どこまでもどこまでも続く中国兵の死体、無数に続く中国兵の死体。
親父は幕府山でさえ南京警察の制服が2千人いた、と言っている。
これじゃあ南京の治安の維持なんてできっこないでしょ。
多少もなにも民間人なんて区別が出来なかったのだから。
幕府山でさえ女も子供もいたっていってるんだから。
だから日本人には本当のことが教えられないの。
親父は昭和15年4月29日に金鵄勲章を授与されている。
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