南京マック2

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ジャップ関連

ジャップ
南京虐殺の証拠をさらに増やすためなら一緒に探してやるぞ
だが隠滅するためなら協力する義務も義理もないな

するならジャップだけで
暴支討つべしを再開しろ

南京虐殺がなっかたなどということは(根拠も)なく、
意味がない上ジャップの論理や悪魔の証明、証拠がないなどなどは通用することではない
なっかたですむ問題でもないのだよ 

ジャップ
ピクニックにでも行ったと思っているのか
殺し合いにいているのだよ

ジャップは加害者の癖に無自覚なのが問題なのだよ

ジャップは時代錯誤が激しいね
幼稚園か保育園にでもいきなおしたほうがいい
それがいやならyahoo!ブログ南京macへ

ジャップは認知症

ジャプの論理にジャップの証言にジャップのプロパガンダに
ジャップの言い分にジャップの平和ボケ

ジャップのやらせ会見

証拠などいくらでもあるだろ
ジャップが証拠がない証拠にならないといっているだけの話で

ジャップが隠滅をはかった
もしくはいまだ隠滅をはかっているのはまちがいないのだよ
なかったといっているやからが本当のことを述べるかね

ジャップ
南京虐殺の証拠をさらに増やすためなら一緒に探してやるぞ
だが隠滅するためなら協力する義務も義理もないな

とりあえず
ジャップ=阿呆翼=オバ加算=陸軍隠滅でっち上げ改ざん派=無責任な嘘つき=蛸派=
熱湯欲=南京大虐殺なかった派(否定派や合法派など)=知恵遅れの日本人=
低脳なまがいもの=無反省で確信犯の捏造派=危険な幼稚園児=ミルクの足らん保育園児=身勝手で無分別な悪党=タチの悪いヤクザ=蛮行を働く・働いた倭族=
なっかたことなどありえず、通用もしないことがわからない下衆=見苦しく醜いこりん性人=
低レベルで死ななきゃわからないやから=ズレてるお花畑鵜四苦=
恥知らずのただの馬鹿など=無知でお花畑な日本人=癌細胞的な軍国右翼

ジャップには反省という学習能力があるとは思えん

ジャップはこの程度のことも分からんかね〜
ジャップは世間知らずで身勝手でおかれている立場がわかっていないね

穏やかな戦争などというのはないのだよ
とくにジャップが穏やかな戦争だったといったところで
穏やかな戦争だったとなるわけがないのだよ

戦争中にはニセ写真の諜報戦など日本軍ハルピン特務機関なども散々やった手です。
ジャップの一次資料はあまりあてにならんわな

ジャップは低脳で言論の自由がきわめて重要で
国の信頼性にもかかわることだということを理解でき(ていない)ないようだね

ジャップが頭が悪いのは愛国、日本のためと称してやっていることが
日本のためになっていないところ

ジャップはあたりまえだが
多くの日本人にも日本人の美徳や正確(まとも)な歴史認識が
伝わっていないね

当時の日本人が侵略と認識していなっかただけなのだよ
ジャップはいまだ理解できていないが

プロパガンダによる捏造説などジャップの中だけの話だぞ

まず、ジャップの存在だね。
確実に存在し、
このようなやからが権力を持ったら大変なことになるということ。
それからこれは経験上だが、日本人は少なからずジャップになる因子をもっている(ものが多い)
ということ。
これらは基本的に無知・無反省からきているということ。

ジャップは大きく分けて2種類ある
一つは確信犯の隠滅派の日本人
もう一つはそれらに踊らされている哀れな日本人

便利

(3)南京攻略の総司令官だった松井石根大将は、東京裁判で「A級戦犯」については無罪だった−
などが分かったという。

秦 郁彦著「南京事件」より

死刑執行はクリスマスイブの二十四日、判決と同時に死刑の七人は仲間と分離されたため、最後の表情を伝えられるのは東京大学仏教学の教授で巣鴨拘置所の教師を兼ねていた花山信勝しかいない。
花山師はこの間に拘置所内の仏間で松井と何回か語りあってるが、松井が南京事件に触れた重要な証言を残したのは十二月九日のことである。もう覚悟が決まっていたと見え、アメリカ大審院への上告に触れ、淡々とした表情で「死刑にあうのは観音さまのご慈悲だと心得ているから、大審院で終身刑にでもなったらまことに困る。」
「そうでしょうね。一度覚悟なさった以上は・・・」と会話を交わしたという。
それから松井はやや興奮した様子で語りはじめた。
「南京事件はお恥ずかしい限りです。 ・・・私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。
今度はそうはいかなかった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にそれを落としてしまったと。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは「当たり前ですよ。」とさえ言った。従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味でたいへん嬉しい。折角こうなったら、このまま往生したいと思っている。」



(1)南京に多数の特派員を送っていた内外の報道機関の記事に虐殺の記述がない


秦 郁彦著「南京事件」より

とくに満州事変いらいとみに強化された検閲の実態を知っていれば、前線記者
たちが最初から自己規制してボツにされるのが明らかな原稿を送らなかったのを
責めるのは 酷かも知れない。それにしても、あえてこのタブーに挑戦する記者が一人も
いなかったのは寂しい気もするが、前記の入場式記事を送った今田正剛記者は、
朝日新聞南京支局横の広場での機関銃による大量処刑を目撃しながら筆に
できなかったつらい心情を、次のように回想している。
「書きたいなあ」 
「いつの日にかね。まあ当分は書けないさ。でもオレたちは見たんだからな」
「いや、もう一度見ようや。この目で」
そういって二人は腰をあげた。いつの間にか、機関銃音が断えていたからだ。
「特集・文芸春秋ー私はそこにいた・昭和三十一年」



「中国兵のほとんど全部は、市を撤退するか、武器と軍服を棄てて国際安全地帯に避難したので、一九三七年十二月十三日の朝、日本軍が市にはいったときには、抵抗は一切なくなっていた。日本兵は市内に群がってさまざまな残虐行為を犯した。目撃者の一人によると、日本兵は同市を荒し汚すために、まるで野蛮人の一団のように放たれたのであった。

目撃者達によって、同市は捕えられた獲物のように日本人の手中に帰したこと、同市は単に組織的な戦闘で占領されただけではなかったこと、戦いに勝った日本軍は、その獲物に飛びかかって、際限のない暴行を犯したことが語られた。

兵隊は個々に、または二、三人の小さい集団で、全市内を歩きまわり、殺人・強姦・掠奪・放火を行った。そこには、なんの規律もなかった。多くの兵は酔っていた。それらしい挑発も口実もないのに中国人の男女子供を無差別に殺しながら、兵は街を歩きまわり、遂には所によって大通りや裏通りに
被害者の死体が散乱したほどであった。
他の一人の証人によると、中国人は兎のように狩りたてられ、動くところを見られたものはだれでも射撃された。

これらの無差別の殺人によって、日本側が市を占領した最初の二、三日の間に、少くとも一万二千人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した。

多くの強姦事件があった。犠牲者なり、それを護ろうとした家族なりが少しでも反抗すると、その罰としてしばしば殺されてしまった。幼い少女と老女さえも、全市で多数に強姦された。そして、これらの強姦に関連して、変態的と嗜虐的な行為の事例が多数あった。多数の婦女は、強姦された後に殺され、その死体は切断された。占領後の最初の一カ月の間に、約二万の強姦事件が市内に発生した。」

日本兵は、欲しいものは何でも、住民から奪った。兵が道路で武器をもたない一般人を呼び止め、体を調ベ、価値のあるものが何も見つからないと、これを射殺することが目撃された。非常に多くの住宅や商店が侵入され、掠奪された。掠奪された物資はトラックで運び去られた。」



日本兵は店舗や倉庫を掠奪した後、これらに放火したことがたびたびあった。最も重要な商店街である太平路が火事で焼かれ、さらに市の商業区域が一劃々々と相ついで焼き払われた。なんら理由らしいものもないのに、一般人の住宅を兵は焼き払った。このような放火は、数日後になると、一貫した計画に従っているように思われ、六週間も続いた。こうして、全市の約三分の一が破壊された。

男子の一般人に対する組織立った大量の殺戮は、中国兵が軍服を脱ぎ捨てて住民の中に混りこんでいるという口実で、指揮官らの許可と思われるものによって行われた。中国の一般人は一団にまとめられ、うしろ手に縛られて、城外へ行進させられ、機関銃と銃剣によって、そこで集団ごとに殺害された。
兵役年齢にあった中国人男子二万人は、こうして死んだことがわかっている。

ドイツ政府は、その代表者から、『個人でなく、全陸軍の、すなわち日本軍そのものの暴虐と犯罪行為』について報告を受けた。この報告の後の方で、『日本軍』のことを『畜生のような集団』と形容している。 

「城外の人々は、城内のものよりもややましであった。南京から二百中国里(約六十六マイル)以内のすべての部落は、大体同じような状態にあった。
住民は日本兵から逃れようとして、田舎に逃れていた。所々で、かれらは避難民部落を組織した。
日本側はこれらの部落の多くを占拠し、避難民に対して、南京の住民に加えたと同じような仕打ちをした。

南京から避難していた一般人のうちで、五万七千人以上が追いつかれて収容された。収容中に、かれらは飢餓と拷問に遇って、遂には多数の者が死亡した。生残った者のうちの多くは、機関銃と銃剣で殺された。
中国兵の大きな幾団かが城外で武器を捨てて降伏した。かれらが降伏してから七十二時間のうちに、揚子江の江岸で、機関銃掃射によって、かれらは集団的に射殺された。

後日の見積りによれば、日本軍が占領してから最初の六週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、二十万以上であったことが示されている。これらの見積りが誇張でないことは、埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸が、十五万五千に及んだ事実によって証明されている。

これらの団体はまた死体の大多数がうしろ手に縛られていたことを報じている。これらの数字は、日本軍によって、死体を焼き棄てられたり、揚子江に投げこまれたり、またはその他の方法で処分されたりした
人々を計算に入れていないのである。」
(『南京大残虐事件資料集 第1巻』P395〜398)



板倉由明「松井石根大将「陣中日記」改竄の怪」『歴史と人物 60年冬号』掲載
http://nagoya.cool.ne.jp/whitecray/doc_matsui.html

「編集室の一隅で史料を見せられたときは、息の詰まる感じであった。目の前に並んだ自衛隊の坂妻駐屯地資料館蔵の「松井日記原本」(コピーならびにかなりの数の写真版)と、芙蓉書房版・田中正明編『松井石根大将の陣中日誌』第四章収録の「日記」との間には、見過ごすことのできない大きな差異が、それも単純ミスではない明らかに意図的な改竄がいくつも認められたのである。
(中略)
これも悪質な書き換えである。田中氏は「支邦事変日誌抜粋」(73ページ)からにある記者会見の記述を元にしてこの部分を作ったのであろう。しかし、そもそも日記原本にない「抜粋」などというのもおかしいが書き加えた上に「南京占領から十日を経た外人記者団との会見において,松井大将が『南京虐殺』に関する質問受けたという様子が全く見られない点,注目すべきである」という編者注まで付けていることはどういうことか。
(中略)
この会見で通訳にあたった堀口氏の記憶では,外人記者たちから南京事件の質問が続出し,松井大将は「現在調査中」と苦しい答弁をしていた,という。嫌な質問があったからこそ日記に書かなかったのである。
この部分は芙蓉版と日記原本では意味が全く異なってくる。まず芙蓉版では,残留内外人は多少恐怖していたが,日本軍が治安回復に努めた結果安心してきたように読める。
ところが日記原本を素直に読むと日本軍が落ち着いてきたので内外人も安心したことになり,恐怖の原因が日本軍にあったことが判る。
 (中略)
この改竄は弁解の余地なしというべきで,素人の筆者が何度眺めても「治安」とか「誠に遺憾」などの文字は見つからない。「多少」と「不少」の読み違いは止むを得ぬと甘く見ても,編者が自己の主張に合わせて松井日記の記述を反対方向にねじ曲げたことは否定できまい。
以上のように芙蓉版(引用者註:田中正明の本のこと)版を検討してみると,改竄の方向がすべて南京事件否定に向かって揃っていることがあらためてはっきりする。」



三笠宮崇仁親王の回想

「南京に着任してみると、とにかく警戒厳重で、司令部内で用をたしにゆくときさえ憲兵がついてくるありさまで、公務出張以外、私用で外出する気にはなったくなれなかった。一年いたあいだに中華料理を食べたのはたった二回しかなかった。
まあそんなことはどうでもよいとして、わたくしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実体に驚きはてたのである。
罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。
かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ
聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった。
(中略)
わたくしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである。
こういう考えかたを持った当初は、すこし極端かなとも思ったが、「暴戻なる支那軍」の鉄道爆破事件が、じつは一部の幹部の陰謀によるとはいえ、とにかく「暴戻なる関東軍(満州に駐在した日本軍)」のしわざであったことを知るにおよんでは、もはや極端だと思わなくなった。
こうして聖戦にたいする信念を完全に喪失したわたくしとしては、求めるものはただ和平のみとなった。」

三笠宮崇仁「わが思い出の記」
『帝王と墓と民衆──オリエントのあけぼの』p172?80
光文社カッパ・ブックス、昭和31年4月30日初版発行(昭和36年4月20日31版発行)

推奨サイト

南京事件FAQ
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage

南京事件 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799

北支工作 支那事変 で検索
www3.kiwi-us.com/~ingle/sinojapanesewar/sinojapanese war.html

●南京陥落当時の貴重な映像(1of5)(攻略後?検問?
http://www.youtube.com/watch?v=FMKZzZREqh8&mode=related&search=

●南京陥落当時の貴重な映像(2of5)(松井大将の行進・他
http://www.youtube.com/watch?v=JZQTdOfUlck&mode=related&search=

●南京陥落当時の貴重な映像(3of5)(演奏・戦地へ行く部隊?
http://www.youtube.com/watch?v=dS1KEvLgRUs&mode=related&search=

●南京陥落当時の貴重な映像(4of5)(・・・意外な。。
http://www.youtube.com/watch?v=IpYXmyAW_fw&mode=related&search=

●南京陥落当時の貴重な映像(5of5)(正月?モチ作り?・・後半⇒楽し
んでいる子供達
http://www.youtube.com/watch?v=r-hCB4O49ms&mode=related&search=

●南京陥落当時の貴重な映像(6of6)(?証明書作成?
http://www.youtube.com/watch?v=rV66e7xVwt4&mode=related&search=


参考動画
http://jp.youtube.com/watch?v=XEo_oBDxEfk


>なんで中国軍の爆撃は非難されなかったの?
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/shanhai1.html


http://www.ne.jp/asahi/kuma/radical/dokusyo/special/kenpei_kiroku.htm

関東憲兵隊は、関東軍のもとで、憲兵が逮捕調査した人間を軍律会議にもかけずに任地指揮官の認可を得て処刑できる権限があったことが特徴で、もちろんこれは濫用された。



ナンシー・タン、クリスティーヌ・チョイ共同監督

In the Name of the Emperror

http://www.youtube.com/watch?v=OFGu7K_9cuU

出演、フランク・ティルマン・ダーディン、デイビッド・マギー(ジョン・マギーの
子息)、東史郎、吉田裕、藤原彰、渡部昇一、宋神道他

アイリス・チャンが「ザ・レイプ・オブ・南京」を書くあたり、大きな影響を受けた
記録映画だ。

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