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韓国で野球を教えていたのですが、
はじめは全く語学で来ませんでした。
挨拶程度。
それでよくコーチとしていけたなという感じでした。
はじめは、日記を書いて、その日記を翻訳にとうして、ママさんに訳してもらっていました。
それで、ママさんはいいことに気がつきました。
目とか、尻とかの韓国語を教えたら、野球で活かせると。
それで覚えましたよ。
頭、顔、手首、手、肩、胸、尻、足首、お皿
などなど。
これだけ覚えると全然違うけど、
発音が違うらしく伝わらないことも多々。
野球を通しての韓国語を沢山学びましたー
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韓国留学
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なんといっても、野球を教えに行ったんですよね!
私。
最初に上陸したのは、韓国の第二の都市、釜山でした。
釜山では、知り合いがひとりもいなかったのですが、ホームステイ先の人の紹介で
知人と逢い、さっそく、練習を教えました。
とある大学のグランドで、大学生相手にウォーミングアップから、バッティングまで仕切らせていただきました。
なんと、韓国に上陸して一日目だったため、言葉はなし。
すべてボディーランゲージでした。
しかも、他の国の留学生もいて、もうなにやらわからなくなった感じでした。
練習後は、コーチたちに投げ方を教えたのを今でも覚えていますね。
ボールの握り方、足の上げ方、腕の使い方、体重移動の仕方などなど
上げ出したらきりがありませんが、一つ一つその人に対してアドバイスをしていき、
終わった後は、焼肉をご馳走してくださいました。
日曜日は、また、違う大学に行って、中高生相手に野球を教えました。
このとき、たしか30人くらいいて、
日本語のできる高校生が通訳をしてくれました。
でも、釜山って性格が強気で、どこか大阪のような性格の持ち主が多く、
教えるのは大変でした。
30人を一人のコーチがまとめるのは大変で、言葉も通じしない、
怒っても意味わからないという感じでした。
最後、僕がボールを投げてやっとみんなが認めてくれて
コーチと呼んでくれるようになった感じですね。
釜山は本当に大阪に似ていて、釜山市民も野球が大好きです。
この後、テジョンという町に行って、僕のホームステイ生活が始まります。
なにはともあれ無事でよかったよ。
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僕の最大の汚点。。。
それは、言葉が使えずホームステイ先から1ヶ月間一人で外に出られなかったということ。
本当に言葉が話せないから自分の意思を伝える事ができない。
英語も2年生で単位をとり終えたから、2年間のブランクがありもともとの知識がない。
そして、起こった現象は・・・外に出られない。
一緒に住んでいるだんなさんが出る時は一緒に外に行くけど
それ以外は、部屋で勉強をしているか子どもと遊ぶ。
部屋。部屋。部屋。
そして、奥様との韓国語レッスンが始まって間もない頃に、
意をけして外に行きたいといいました。
その言葉は、
산책을 갑시다
サンチェウル カプシダ
散歩に一緒に行きましょう。
散歩に行ってきますが、こんな言葉になってしまいました。
奥さんは???が沢山飛んでましたが、
言葉を組んでくださり釈放。
外の世界にいけましたとさ。
まだーあるけど。
次回。
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今思えば韓国で一番やったスポーツは・・・サッカーだった気がします。
たしか、僕は、野球のコーチとして来日したはずだが・・・・。
そう、毎朝、6時から野球の河川敷のグランドでサッカーをしていました。
サッカーゴールなんて当然なく、最初は、50センチくらいの石をぶつけたらゴールでした。
こんな無理!!!
っと思うのですが、韓国の彼らは簡単にやってのける。
ゴールがないからしない、ゴールが小さいから入らないという小さい考えはない。
考えたルールの中で最大限楽しみ、絶対勝つという考えが韓国人にはある。
いつも30代以下対40代で試合をする。
もう40代の人は超やんちゃである。
体力がないのは百も承知だが、都合が悪くなったら大きく知らないところにボールをける。
サイドライン、エンドラインもないし、ボールも1個しかないから、それを若者チームが
取りに行かないといけない。
その間に休憩する。なんて卑怯。
そして、もちろん仲が良いからではあるが、暴言を言いまくる。
小学生のような発言力で。
でも、これも精神的なトレーニングだと言い張っていた。
だから、サッカー以外では、そのような言葉が確かに使わなかった気がする。
後、特別ルールは、
急所に当たると一発PK.。
しかもキーパーのいない。
このルールがまたややこしい。
本当に勝ちたいから彼ら、わざと股間にボールをあてる。
痛さなんてどこに行ったのやら、嬉しそうな顔でボールを持ってゴール前に来る。
!!!!!
イルブロ(わざとだ)
っといって、対応する。
そして、いつもケンカのような討論が始まる。
THE 韓国
日本ならこんなことで討論になることはないが、
いつも討論。
そして納得した感じでゲームを再開。
そして、終わったらサッカーでのミラクルプレーの自慢をして、
さっきまで仲の悪かったチーム同士が仲良く帰っていく。
こんな感じのサッカーを1年間やってました。
言葉のわからない私にとってサッカーはかけがえのない時間。。。だったのかな。
最後の日本の帰るまえに、野球部のドンに、
「너가 일본에 가면 축구가 재미없어. 빨리 돌아와!」
ノガ イルボネ カミョン チュックガ チェミオブプソ パッルリ トラワ
おまえが日本に帰ったらサッカーが面白くない。 早く帰ってきて。
もちろん愛情の裏返し・・・・・と、今も信じています。
韓国留学の中でサッカーは欠かせない文化の共有とコミュニケーションの場でした。
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言葉も分からず上陸した韓半島。
しかし、この国は心がとても温かかった。 言葉がわからないとなれば、簡単な英語とスキーンシップ、 食事をともにしたり、いろいろなことを聞いてれて、 とても関心を持ってくれた。 日本のコーチという特別な存在もあったかもしれないが、 僕には、とてもうれしかった。 代表の方も、いろいろな所に連れて行ってくださり、 本当にいろいろな経験をさせてもらいました。 感謝です。 語学学校に通うお金がなかったので、子育てて超忙しい奥様に 週5で、1時間半の韓国語の授業も本当に良かったです。 また、奥様が中国語ができる方で、漢字を通して意思疎通できたのも 大きかったです。 授業が始まる前と終わりに、僕が韓国語ができるように、 中高生と楽しく野球ができるようにというお祈りをしてくださり 思った以上に韓国語が早く上手になりました。 神様の力ですね。 寝ているときは起してくださり、眠そうなときは、梅のジュースを下さ り、疑問に思った事を聞くとすべて答えてくださり、 本当にいい奥様でした。 不思議。 聞きとるほうはすぐ上達して、話せないけど、奥様から 結婚するまでのいきさつなどを聞けたりもしました。 ほんと、不思議。 あーなつかしき、韓国。 |



