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WOWOWで「日活ロマン・ポルノ」の特集があった。 日活ロマンポルノというのは、単なるピンク映画ではなく日活のプログラムピクチャーの一つである。上映時間70分。10分に1回は濡れ場を入れること。という二つの条件が満たされれば何を撮ってもかまわないという500万から750万円ぐらいで製作される低予算成人映画のことだ。10日で映画を入れ替え、他社のピンク映画1本と日活製作2本の3本立てで興行が行われていた。 企画・製作・興行・観客が理想的な形で循環していた奇跡的な17年間といえると思う。そこには大きなスタジオや映画の機材やプロの現場と直営の上映館が残っていたからだ。このような循環は現在では大手の映画制作会社でも残っていない。 それは1971年から1988年まで続き、男女の性愛だけを描き続け、送り出された作品たちは1000本以上に上るが、アダルトビデオの普及によって終わる。 私が始めてロマンポルノを観たのは18歳を過ぎてからだった。当時は現在と違い、家庭にセックスが入り込みにくかった。しかし、高校生男子は全員興味があった。ピンク映画に行くかどうかはなかなかの冒険だった。 フィルモグラフィーから考えると私が始めてロマンポルノを観たのは「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」と「奴隷妻」だ。1976年6月12日公開で前者は監督:田中登、主演:宮下順子で後者は監督:加藤彰、主演:谷ナオミだ。 どちらの監督もベテランで女優も出演数トップクラスの二人だ。特に宮下順子は後に一般映画でも活躍するしTVにも出るのでこの映画も江戸川乱歩物として充分鑑賞に堪えるものだった。 しかし、谷ナオミのSM物は私にはショックだった。この世界については話は知っていたが、このような実写ははじめてだったかもしれない。この世界の人たちは本当にプロだと思う。怪我をしないようにしかもアクロバットのような変わった体位を考える技にはエロより感銘を受ける。 番組では谷ナオミのインタビューもあり、彼女は白い肌を維持するため決して海水浴に行ったりしないと言っていた。Mの女王らしい貫禄があった。 他に印象に残っているのが1977年10月29日公開の「女教師」だ。監督は田中登で主演は永島暎子だ。故古尾谷雅人のデビュー作で永島暎子の出世作でもある。これも、永島暎子があまりエロティックでなく、強姦されたりして可愛そうだった。また、古尾谷は背が高いし、老けているしどう見ても中学生に見えなかった。どちらかというと社会派ドラマのような感じだった。だから併映されたいたはずの「肉体の悪魔」という作品は全く憶えていない。もしかしたら途中で映画館を出たのかもしれない。 後に宮下順子特集として「四畳半襖の裏張り」と「赫い髪の女」の2本立てを観た記憶がある。もう大学生で80年ごろだったと思う。また、後には関根惠子の「ラブレター」も観たはずだ。 この頃にはこのような一般映画の女優もロマンポルノに出ていたし監督も一般映画の監督が表現の一手段として撮っていたようだ。 実際、中村れい子や美保純などTVでも脱がない普通の役で出ていたのを憶えている。結局、私にとっては女優さん中心に憶えてることが多いのだが、当時はそんなに多く観ていなかったようだ。また、現在のようなAVからすればそのセクシーさも演技でどのように表現するかが大事だった時代でエロさえ入れれば、コメディから前衛まで実験的作品も許された面白い時代だった。美保純のインタビューでもあったがそのエロは全て幻想なのだと言っていた。 初めはアンダーグラウンドだった単なるピンク映画が新たな役者や監督を育成していくことになる現場を紹介する面白い番組だった。
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