21世紀の邦画少年

邦画についての覚書ブログ。☆5つで評価します。

1941〜1950年公開

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晩春

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初公開年月 1949年9月13日
鑑賞メディア;BS

監督:小津安二郎4点
製作:山本武
原作:広津和郎
脚本:野田高梧、小津安二郎5点
撮影:厚田雄春3点
美術:浜田辰雄3点
衣裳:鈴木文次郎
編集:浜村義康4点
音楽:伊藤宣二2点

出演:笠智衆(曽宮周吉)4点、原節子(曽宮紀子)4点、月丘夢路(北川アヤ)4点、杉村春子 (田口まさ)4点、青木放屁(田口勝義)3点、宇佐美淳(服部昌一)4点、三宅邦子(三輪秋子)3点、三島雅夫(小野寺譲)4点、谷崎純(林清造)3点、高橋豊子(林しげ)3点

 久しぶりに観た。3回目ぐらいか。
 この作品は、この後、小津監督がデジャブのように繰り返す、結婚適齢期の女性とその家族の話を確立した作品として有名だ。

 また、後のTVのホームドラマのように家のセットの中で繰り広げられるたわいない会話の基本もここにある。

 しかし、この作品はそんな生ぬるい決まりきったものを超えて観客を考えせずにはおかない奇妙な吸引力を持っている。

 まず、感情のこもらない棒読み風の台詞回し。同じ言葉の繰り返し。ストレート・カットでしか結ばれない画面。静止した風景の挿入。そして、有名なローアングル。

 また、イマジナリー・ラインの完全無視。この編集に、私は未だに混乱する。

 しかし、面白い。後の作品ではこの度合いがもっと高くなっていくが、こ「晩春」では、役者にある程度演技もさせているし、自転車のデートのシーンではドリーショットもある。

 最初に父親の曽宮周吉が家に帰ってきたときは、娘の曽宮紀子がそばについて脱ぎ捨てた背広を畳から拾って片付ける。が、ラストシークエンスでは、周吉は一人で家に帰ってきて一人でハンガーに背広をかける。繰り返しの同じような退屈なシーンの連続でありながら少しずつそれを変化させてそれぞれに意味を持たせている。

 能を父と娘で鑑賞しているシークエンスでは、「杜若」の恋の舞が映し出される。幻想的な能の舞台とリンクさせて紀子が父親の再婚相手である三輪秋子を何度も睨む。このカットは怖い。
紀子(原節子)は、エレクトラコンプレックスなのだ。父と自分の間に入ってくる新たな他人を受け入れることが出来ない。だから、親友北川アヤの助言も軽く受け流すことが出来ない。
 そうであるにも関わらず父の助手である服部昌一とデートもする。また、そのとき自分がやきもち焼きであることを語っている。服部も婚約者がいながら紀子をデートに誘う。性的に潔癖症の紀子はそれを承諾できない。

 このように紀子の心理は複雑なのである。父親が一人身になったときの心配もあるが、何より二人で暮らすのがうれしいのである。

 よく議論になっている、京都の旅館での壺のシーンは、私はやはり性的なものを意図していると思う。
 枕を並べて寝る父と娘もおかしいし、原節子の顔は化粧がべったりついたままだ。映画的お約束かもしれないが、ちょっとおかしい。またその前の台詞が、再婚した父親の友達に「汚らしい」などとひどい事を言った反省の弁だ。つまり、性的なものを受け入れるというサインなのだ。

 もちろん本当に近親相姦が行われているのでなくそのような心理的象徴として重要な意味を持つシーンなのだ。

 原節子さんは当時紀子と同じぐらいの28,9だ。バタ臭い顔立ちだが日本的な可愛さを持った稀有な女優だと改めて思った。
 杉村春子さんは達者すぎて小津監督も紋切り型の演技に収め切れなかったのだろう。うまいのでコメディリリーフなのだろうが一人浮いている感じがする。

 とにかく、久しぶりに観て、世界中の映像作家が研究したくなるのは、よくわかる。それほど、当たり前のように見えて変わった映像だ。

みかへりの塔

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初公開年月 1941年1月30日
鑑賞メディア;CS

監督:清水宏 3点
脚本:清水宏 2点
撮影:猪飼助太郎 3点
美術:江坂実 3点
編集:浜村義康 3点
音楽:伊藤宣二 3点

出演:奈良真養(院長)2点、笠智衆(草間先生)2点、横山準(善雄)4点、三宅邦子(夏村保母)4点、野村有為子(多美子)3点

 200人以上の特殊児童を収容するこの学院では、全児童を16の家庭に分けて各々に一人ずつの教師と保母をつけ、家庭的な雰囲気の中で教育している。寝小便の直らない子、盗癖のある子、教師へ嫉妬する子、算術になると頭痛を訴える子など、社会に受け入れられない問題児ばかりで、教師や保母たちの苦労は絶えない。ある日、退院した岡本が学院を訪ねてくるが、やがて、彼は世間の目に耐えられず、逃げ帰ってきたことがわかる。その頃水不足に悩んでいた学院では、裏山の池から学校までの水路を引くことになった。様々な問題を抱えながら、子供たちは力を合わせて難工事に立ち向かう。

 今まで見てきた清水作品の中では、とりたてて見るべきところが無いように思う。それは、問題児たちとそれを取り巻く善意ある大人たちの話というだけで、不良にならざるえなかった少年少女の実態が描かれないからだ。細部がうまく描かれないとエピソードをつないでいくだけになるので、作品として深みが無い。そこで、映画というより当時と今の教育観を中心に考えてみた。

 日中戦争が膠着状態になり太平洋戦争が始まる年に公開されている。しかし、この学園生活は私が想像している戦中の日本の全体主義的な雰囲気が全く感じられない。そこに驚いた。
 父と母のいる本物の家庭の中での集団生活だ。それは、血縁関係こそ無いがよく理屈の分かった優しい大人のいる家庭だ。田園風景の中で兄弟がたくさんいる家に住んでいる感じだ。しかも、学校は近くで無学年制で習熟度別クラスで本人にとっても理想的に見える。

 労働を重んじるところは、ほとんど社会主義国家のプロパガンダ映画を観ているようだ。いっせいに振り上げられるつるはしや穴を掘るシャベルの映像は、そのテンポがソ連の映像と重なる。現在ならこのような重労働を児童にさせるのは虐待以外の何物でもないという解釈になるだろう。

 しかし、この学園の経営はどのようになっているのだろうか。公営なのか民間なのかがはっきりしない。宗教的背景があるようでもあり無いようでもあり、先祖の霊を拝む仏壇のようなものがあるかと思うと、教会の鐘のようなものがある塔があったり、宗派としては、一貫性が感じられない。

 民間ならば、親から施設費や授業料を徴収していることになるので相当の金持ちでないとこの学園には入れないことになる。親のいない児童もいるようなので、その費用は国家が負担していることになる。まず、その関係をはっきりさせないと先生達と子供たちの関係性が理解できない。

 住み込みで24時間体制で働いている先生達。そんなものがあるだろうか。あるならばそれは完全に社会から隔離された宗教施設か何かだ。

 しかもこの施設には社会と隔てる高い壁もないし、戦中にもかかわらず子供を叩いただけで保母失格と悩む三宅邦子のような人がいる。現在の社会より子供の人権が守られている。

 理想的な架空の施設としての話なのだろが、実際にこんな場所があったら子供たちは無理して出所しないと思う。外界では「軍事教練」や「欲しがりません勝つまでは」が普通のはずなのにこの施設の豊かさは何だろう。

 最後に灌漑工事が成功し水が引かれるシーンは美しいが、そこでも子供の主人公である善雄と多美子は水の中で大喧嘩をしている。にもかかわらず次の場面では人が変わったように修養訓を述べて卒園するのは白々しい。ここが、当時の検閲を通す裏技だったのではないかと思うぐらい最後が浮いている。

 現在の子供が抱えている問題は当時の問題とは質が異なる。当時は貧乏と無知が、最大の課題であったはずだ。しかし、大人に対する子供たちの口調はしっかりしていてこんな子供たちなら面倒をみていける気がする。また、坂道をランニングシャツで転げるように走り降りていく子供たちの運動神経のよさも昭和40年代前半までは日本の各地で見られた風景のような気がした。

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簪(かんざし)

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初公開年月 1941年8月26日
鑑賞メディア;CS

監督:清水宏 2点
原作:井伏鱒二
脚色:清水宏
撮影:猪飼助太郎 2点
美術:本木勇 2点
編集:浜村義康 3点
音楽:浅井挙曄 2点

出演:田中絹代 2点、川崎弘子 3点、斎藤達雄 3点、笠智衆 2点

 まず、画像が荒れていてフィルムの抜けや音とびが有りたいへん見にくかった。このような作家の作品こそまず、デジタルリマスターするべき。リメイクする予算があるならリマスターしてカラライゼーションしたほうが安上がりのはず。

 私は田中絹代という女優が日本を代表する人であることは良く分かっているが、うまいとか可愛いとか思ったことが無いので何の感情移入も出来なかった。しかも、この映画の中でも愛人としての立場を悩んでいるが、清水宏監督の愛人というか妻というかおかしな関係にあった事実も踏まえて映画を観るので生々しく、そのわりには演技が通り一遍で面白くない。

 それに比較して川崎弘子の美しさや艶かしさは尋常ではない。着物を着てたたみに横になっているところなど非常に色っぽい。

 全体の出来としては、全く普通で、通俗ドラマの域を超えていない。つまり映画としての発見がない。むしろ、わざと変な撮りかたをしていて、気になる。よく似たシチュエーションの「按摩と女」にあった一種独特のミステリアスな要素が見つからない。それは、セリフで「情緒的イリュージョン」として語られるばかりで映像として出てこないのでつまらない。子供達が「がんばれ」をやたら叫ぶのもうるさい。

 もし、この作品から清水宏を観ていたら他の作品は見なかったであろう作品。

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