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初公開年月 1937年11月11日
鑑賞メディア;CS
監督:清水宏 4点
原作:坪田譲治
撮影:斎藤正夫 4点
セット:江坂実、岩井三郎 4点
音楽:伊藤宣二 2点
出演:河村黎吉(父親)3点、吉川満子(母親)3点、葉山正雄(善太)4点、爆弾小僧/横山準(三平)5点、坂本武(おじさん)4点、岡村文子(おばさん)3点、突貫小僧(曲馬団の少年正太)3点、アメリカ小僧(金太郎)4点
坪田譲治の「善太と三平」物のひとつ「風の中の子供」の映画化。遠い昔、読んだ気がするのだがすっかり忘れている。しかし、映像を見ているとこんなシーンを読んだことがあるなぁと懐かしく思い出す。下村湖人の「次郎物語」などといっしょになっているのかもしれない。
ファーストシーンの道を真正面からとらえたところで清水宏らしい立ち上がり。子供たちの群像劇であることが語られる。しかし、この作品では、三平中心に話は進む。成績は「乙」と「丙」しかない弟の三平。「甲」がたくさんある兄の善太。優等生の兄に対してやんちゃな弟という図式を最初で示している。弟の子供らしいやんちゃぶりを大声で教科書を読んでいるふりをしていつのまにか外で友達を集めて遊んでいる様子をひとつのオーバーラップだけで説明する。分かりやすくユーモラスなシーンだ。
全編、このようにどのシーンも分かりやすく意味を持って作られている。上げればきりがないが、弟と離れ離れに暮らすことになった兄の善太が、一人で鬼ごっこをするシーンは秀逸。
父が詐欺事件に関わったことで警察に捕まる。そのために、一家は離散の危機に見舞われる。回りの友達も手の平を返したように誰も遊んでくれない。ひとりで三輪車をこいでみたり、地面に絵を描いてみたり、門塀に寄りかかったりしている。余りに寂しいので一人で鬼ごっこをしてみる。「もういいかぁい?」すると誰かが「もういいよぅ」と返してくる。三平の声のようだ。どこに隠れているのだろう?家の中に上がり、ふすまを開ける。そこには、三平が忘れていったグローブとバットがある。それを三平にみたてて今度は自分が隠れる番。「まぁだだよぅ」といいながら、壁につるしてある父親のスーツの影に隠れる。父親のにおいのついたスーツのなかで兄善太は「もういいよぅ」がすすり泣きに変わっていく。
弟や父親への敬慕と自分の境遇に対する悲しみが、がらんとした家の中でのシーンで語られ、スーツの中でのシーンは画面を三等分して庭とスーツと障子を見せている。美しく悲しい場面だが決して情に流れず、ドライに画面は暗転する。
三平が家から離れて医者のおじさんの家に住むことになったエピソードは、コメディとしてテンポよく語られる。高い木に登っておじさんをあわてさせるかと思うと、大きな桶に乗って川に流されたり、河童の沼に泳ぎに行って行方不明になって村人総出で捜索させている間に曲馬団の少年と仲良くなり入団を思い立ったりする。それらの行動も全て望郷の念がさせていることが分かる仕組みになってる。原作がいいのに加えて爆弾小僧/横山準がうまいのだ。
当時の松竹では子役の名前にインパクトをつけるためか、爆弾小僧とか突貫小僧とかアメリカ小僧とかつけていたようだ。この曲馬団の少年突貫小僧もいい味を出している。また、仲間はずれの首謀者であるアメリカ小僧もうまい。
このように子供への演出が的確で、当時の子供たちの集団で動くさまや大人の社会の縮図がそのまま子供の関係に影響を及ぼす様子などが描かれる。
このような演出技術を現代の作家たちはもう一度研究するべき。
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