21世紀の邦画少年

邦画についての覚書ブログ。☆5つで評価します。

1931〜1940年公開

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人情紙風船

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初公開年月 1937年8月25日
観賞メディア;BS

監督:山中貞雄3点
脚本:三村伸太郎3点
撮影:三村明4点
編集:岩下広一4点
音楽:太田忠3点

出演:中村翫右衛門(髪結新三)4点、河原崎長十郎(海野又十郎)4点、山岸しづ江( おたき)3点、市川莚司・加東大介4点

 自殺ではじまって心中で終わる暗い作品。
 正直で真面目な人が一人も出てこない困った作品。
 それでも江戸の長屋の下層階級の様子が活写されていて、落語の映像化のように感じる。そこが面白い。

 もちろん意味の無いシーンや構図を無視したようなものは何も無い。むしろ、全編美しく決まっている。 

 役者も的確に演技しているし歌も踊りもあるし、無いのは気の利いた殺陣ぐらい。

 私にとっては名画という世間の評判を聞いて観ておくべきだと思ったから観ただけで、同監督の「百万両の壺」には遠く及ばないでしょう。

 実際山中監督も「人情紙風船が遺作とはチトさびしい。」と言っておられる。

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河内山宗俊

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初公開年月 1936年4月30日
鑑賞メディア;BS

監督:山中貞雄3点
原作:山中貞雄2点
脚本:三村伸太郎2点
撮影:町井春美3点
音楽:白木義信2点

出演:河原崎長十郎(河内山宗俊)4点、中村翫右衛門(金子市之丞)4点、市川扇升3点、山岸しづ江(お静)3点、市川莚司・加東大介(健太)4点、 原節子(お浪)4点

 少々話がわかりづらい。とにかく原節子(お浪)の弟が悪い。盗みはするし、ばくち場に出入りはするし、偽名をかたって宗俊に取り入って 芸者遊びはするし、足抜きしようとしている幼馴染の芸者と心中騒ぎをおこした上に見殺しにしているし、とんでもない奴だ。
 にもかかわらず姉さん思いの弟という設定に説得力が無い。姉さんが身売りをする羽目になったのも結局この弟が原因だ。

 結局、主人公の河内山宗俊とやくざの用心棒、金子市之丞が身を挺して助けてくれるが余り同情できない。原節子の可憐さや純情さが際立っていて何故弟がこんなに悪いのか分からない。

 演出も少々荒く、ロングで人物を撮ってそれをアップにしたとき所作が変わっているのでつながりが悪い。

 役者への演出は的確で皆うまい。現代の役者にはない舞台俳優たちの滑舌のよさが際立っている。

 しかし、不良だけど純情な心を持った人が皆死んでしまうのはどんなものだろう。せめてお浪の身請けが成功するまでは描いて欲しかったなぁ。

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初公開年月 1935年6月15日
鑑賞メディア;BS

監督:山中貞雄5点
脚本:三村伸太郎4点
撮影:安本淳3点
編集:福田利三郎4点
音楽:西梧郎5点

出演:大河内傳次郎(丹下左膳)3点、喜代三(お藤)4点、沢村国太郎(柳生源三郎)4点、山本礼三郎(興吉)3点、

 豊かな作品である。歴史的には全くありえない江戸の下町を当時(昭和初期)の風情で描き出したコメディ。
 このような人情喜劇のようなものは、舞台劇でもいいはずだが、この作品は、映画でしか表現できない手法をもって喜劇にする。

 例えば多くの場面の省略がある。
 壺を返却する本当の理由を言わせるために道場の怖い男たちを使ってリンチしそうになるまでを描きながらそのシーンはカット。壺の本当の価値を知った主人公が次の行動に出る。
「あんな汚い子を家に入れるのは嫌だ。」と、言いながらワイプ後子供は自分の家に引き取っているシーン。
 子供を寺子屋に行かせるか剣術を習わせるかで大人が大喧嘩をした後、次のシーンでは、既に子供の習字をほめているシーン。
 このようなジャンプカットにも似た編集でテンポを良くしているだけでなく、役者の台詞と逆の結果を見せることで生まれる連続ギャグ。面白いし編集が手馴れている。

 血なまぐさいシーンは一切出てこない。が、殺人も陰謀もあるし、やくざも出てくる。百万両の壺をめぐる欲望に満ちた話のようで全く違う。主人公の丹下左膳は、一両の小判をめんこの代わりに子供に渡す。それをきっかけにまた新たなスケッチが始まり話が錯綜していく。

 とにかく、脚本が良く出来ていて、肩肘張らず脱力系の笑いを取りながら、殺陣のシーンではワンカットで大河内傳次郎がすばやく動くさまをロングで捕らえ、画面に動きをもたらす。

 お藤役の喜代三という女優さん(?)がいい。小唄のシーンも本物だ。挿入歌がしだいに楽団の演奏に変わっていくところもうまい。また、夜の遊び場のおかみらしいやさぐれた立ち振る舞いも演技だけではないリアルさが出ていていい。

 役者では、大河内傳次郎はもちろん沢村国太郎のとぼけた演技も楽しい。

 金に執着しないし、出世も望まないが、楽しく人生を過ごすコツは知ってる戦前の庶民の生き方を肯定的に描いた、観客を幸せにしてくれる豊かな作品だ。

 二十代の青年であった山中貞雄は既に熟成していると思われる。
 このような作品をデジタルリマスターしないのは何故なのか理解に苦しむ。

風の中の子供

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初公開年月 1937年11月11日
鑑賞メディア;CS

監督:清水宏 4点
原作:坪田譲治 
撮影:斎藤正夫 4点
セット:江坂実、岩井三郎 4点
音楽:伊藤宣二 2点

出演:河村黎吉(父親)3点、吉川満子(母親)3点、葉山正雄(善太)4点、爆弾小僧/横山準(三平)5点、坂本武(おじさん)4点、岡村文子(おばさん)3点、突貫小僧(曲馬団の少年正太)3点、アメリカ小僧(金太郎)4点

 坪田譲治の「善太と三平」物のひとつ「風の中の子供」の映画化。遠い昔、読んだ気がするのだがすっかり忘れている。しかし、映像を見ているとこんなシーンを読んだことがあるなぁと懐かしく思い出す。下村湖人の「次郎物語」などといっしょになっているのかもしれない。

 ファーストシーンの道を真正面からとらえたところで清水宏らしい立ち上がり。子供たちの群像劇であることが語られる。しかし、この作品では、三平中心に話は進む。成績は「乙」と「丙」しかない弟の三平。「甲」がたくさんある兄の善太。優等生の兄に対してやんちゃな弟という図式を最初で示している。弟の子供らしいやんちゃぶりを大声で教科書を読んでいるふりをしていつのまにか外で友達を集めて遊んでいる様子をひとつのオーバーラップだけで説明する。分かりやすくユーモラスなシーンだ。

 全編、このようにどのシーンも分かりやすく意味を持って作られている。上げればきりがないが、弟と離れ離れに暮らすことになった兄の善太が、一人で鬼ごっこをするシーンは秀逸。

 父が詐欺事件に関わったことで警察に捕まる。そのために、一家は離散の危機に見舞われる。回りの友達も手の平を返したように誰も遊んでくれない。ひとりで三輪車をこいでみたり、地面に絵を描いてみたり、門塀に寄りかかったりしている。余りに寂しいので一人で鬼ごっこをしてみる。「もういいかぁい?」すると誰かが「もういいよぅ」と返してくる。三平の声のようだ。どこに隠れているのだろう?家の中に上がり、ふすまを開ける。そこには、三平が忘れていったグローブとバットがある。それを三平にみたてて今度は自分が隠れる番。「まぁだだよぅ」といいながら、壁につるしてある父親のスーツの影に隠れる。父親のにおいのついたスーツのなかで兄善太は「もういいよぅ」がすすり泣きに変わっていく。
 弟や父親への敬慕と自分の境遇に対する悲しみが、がらんとした家の中でのシーンで語られ、スーツの中でのシーンは画面を三等分して庭とスーツと障子を見せている。美しく悲しい場面だが決して情に流れず、ドライに画面は暗転する。

 三平が家から離れて医者のおじさんの家に住むことになったエピソードは、コメディとしてテンポよく語られる。高い木に登っておじさんをあわてさせるかと思うと、大きな桶に乗って川に流されたり、河童の沼に泳ぎに行って行方不明になって村人総出で捜索させている間に曲馬団の少年と仲良くなり入団を思い立ったりする。それらの行動も全て望郷の念がさせていることが分かる仕組みになってる。原作がいいのに加えて爆弾小僧/横山準がうまいのだ。

 当時の松竹では子役の名前にインパクトをつけるためか、爆弾小僧とか突貫小僧とかアメリカ小僧とかつけていたようだ。この曲馬団の少年突貫小僧もいい味を出している。また、仲間はずれの首謀者であるアメリカ小僧もうまい。

 このように子供への演出が的確で、当時の子供たちの集団で動くさまや大人の社会の縮図がそのまま子供の関係に影響を及ぼす様子などが描かれる。

 このような演出技術を現代の作家たちはもう一度研究するべき。

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有りがたうさん

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初公開年月 1936年2月27日
鑑賞メディア;CS

監督:清水宏 4点
原作:川端康成
撮影:青木勇 4点
音響効果:斎藤六三郎 2点

出演:上原謙 3点、桑野通子 3点、築地まゆみ 2点、二葉かほる 2点、石山隆嗣 3点

 下田あたりから東海道線の三島あたりまで伊豆半島を乗り合いバスで北上するロードムービー。途中天城越えをする。「伊豆の踊り子」の舞台でもある。だからなのか、川端康成が原作になっていてタイトルバックにも出てくる。

 山道をのろのろ走るボンネットバス。クラクションを鳴らすと道行く人がバスをよけてくれる。それに対して「ありがとう」といつも礼を欠かさない運転手。この一連の流れが画面の前進、オーバーラップ、後退というふうにリズムをつけて何度も出てくる。この部分のモンタージュだけで映画のテンポをつくり観客にバスに乗っている気にさせる効果を作り出している。

 男前の上に優しく気遣いの出来る若い運転手、上原謙は人気者だ。その口癖から「有りがたうさん」と皆に呼ばれている。この牧歌的なのんびりした田舎のバスの車内を描きながら、実は大不況時代の深刻な社会問題をいくつか見せていく手腕はたいしたもの。

 時代は日中戦争前夜、車内には東京へ身売りされる娘とその母親が乗っている。少々やさぐれた多分流れの水商売の女も乗っている。行商人達や文句の多いひげの紳士も乗っている。また、山道にはそのバスにも乗れない旅芸人の親子や道路工事で全国を渡り歩いている朝鮮の労働者達も出てくる。

 それらの役者達のセリフは棒読み。監督はわざと演技をつけていないのではないか。確かに上原謙などは後になってもセリフはこんな感じだったが…。若い女は全て上品で可愛く健気だ。特に、朝鮮の女の子と運転手の峠でのシーンは特別な演出を感じさせないのに切なく印象に残る。
 いや実はその前段としてバスを追う少女の姿を映している。いつも追いかけてくる者を無視しては通り過ぎないバスなのにそこだけは異なっていた。峠でバスが休憩しているとその少女がやっと追いつく。
 ここに既に身分の違いが絶妙に演出されているのだ。

 私は、スタンリー・キューブリックの「バリー・リンドン」の演出を思い出した。役者にあまり演技させず、はっきりと心情を語らせ画面の流れだけに集中させる独特の演出技術。

 不思議なのは、カメラはどこに置いていたのだろう。常に正面からのアングルと後方からのアングル。実際に動いているバスの中に設置していたのだろうか。少年達がバスの後ろに飛び乗るシーンは別に撮ったものを組み合わせたものだろう。スローモーションとオーバーラップで面白い効果を上げている。

 とにかく、映画に一定のテンポを与え、そののどかな脚本を生かす技術は見事。だれることなくちょっとしたスリルをうまく使い、当時の社会の歪みを静かに訴えながら最後はハッピーエンドにする。
 そんなバスがあってそんな幸せな話があったと信じさせる豊かな映画だ。

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