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第八話 動き出す運命
湖畔に構える立派なお屋敷がそこにあった。
見事に真っ赤だ。紅魔館という名前に恥じないくらい綺麗な深紅に染まっている。
箒が高度を下げていく。
岸辺に俺達の足がついた。久しぶりにも思える地の感触は俺に深い安心感を与えた。
振り向けば、湖は霧が立ち込めて向こう岸も見えない程だった。
「魔理沙、この湖はいつもこうなのか」
箒を撫でていた魔理沙が振り向いて答えた。
「ああ。でも今日は濃い方かな。ここら辺は人を惑わすことが好きな妖精ばかりなんだ」
ある程度は予想していたが、妖怪、吸血鬼の次は妖精とは。
何でも居るのではないだろうか。
「妖精、ねえ……」
「おっ、颯も驚かなくなってきたな。慣れたか」
「諦めたんだよ」
毎回驚いていては心臓がいくつあっても足りないだろう。
なるほど、と頷く魔理沙を押しながら門の方へと進んだ。
門は予想以上に大きかった。煉瓦造りのがっしりとした立派な外壁に、鉄かなにかで出来たアーチ状の門がある。
そしてその先には真っ赤な館。
異様な光景だった。周囲は昔々の日本を彷彿とさせるような、美しい自然に囲まれているが、霧の立ち込める湖を隔てて異世界に、---既にここは異世界なのだが---来てしまったかのような感覚だった。
心なしか、前を行く魔理沙が辺りをきょろきょろと見回し始めた。
ひとしきり見回すと「よし」と一人ごちて、今度は堂々と門をくぐった。
「お、おい。勝手に入っていいのかよ」
「私はちょっと用事があるからな。先に行ってるぜ。その内連れてかれるだろ」
「どういう……」
魔理沙は答えずに行ってしまった。
その場には俺一人が残された。
一体どうしようかと途方に暮れていると、門の内にある小さな小屋から音がした。
間もなく扉が開いた。
帽子を被った緑のチャイナドレスに身を包んだ中国風の女性だった。
「あら、何の用? 」
「あの、えーと……」
俺が言い淀んでいるのに、中国風の女性が怪訝な表情で見つめてくる。
「特に用もないのに紅魔館の門前に居た、と」
「いや、そういう訳じゃあ……」
「とりあえず来てもらいます」
そう言って、腕を掴まれると中国風の女性は俺を引きずるように館へと歩を進めていった。
館の中も紅かった。
外観よりは薄い紅だが、ここまで来ると趣味が悪い。
広いエントランスを真っすぐ進み、大きな扉を開けると、これまた広い大広間が顔を見せた。
広い。とにかく広い。自分の家とは大違いである。
魔理沙が言っていた、空間を広げているということを理解出来た気がした。
広間の奥に立派な椅子があった。
そして、立派な椅子にちょこんと座る小さな影。
あまりにもアンバランスで遠目に見ても違和感があった。
近付いてみると、それは少女で、少女の眼光は紅く、鋭く、水色がかった白髪は神秘的で、リボンでアクセントした桃色のドレスに身を包んだ美しい少女だった。
そして何よりも、
少女の華奢な体躯にはあまりにも不釣り合いな、大きな漆黒の羽根が生えていた。
「これが吸血鬼……」
意識せずとも口からこぼれていた。
中国風の女性の足が止まった。
「お嬢様、不審者が門前をうろついていたので連れてまいりました」
「ご苦労様」
お嬢様と呼ばれた少女は、髪を弄びながらじろりと俺を見た。
「ふうん、変わった格好ね。外来人かしら」
「は、はい」
急に問われ、思わず背筋が伸びた。
「大体予想はつくわ。貴方は図書館のために来たのでしょう」
「え、ええ。帰る術があるかもしれないと魔理沙が」
「へえ、魔理沙が。その魔理沙は見えないけど? 大方魔理沙と一緒に来たんじゃない」
「はい。先に紅魔館に入って行ってしまって……」
「そう。パチェも大変ね」
「……という訳で、俺は不審者とかじゃなくて」
「そうね申し訳ないわ。美鈴、今回は早とちりだったわね」
「はい、すみません……」
美鈴と呼ばれた女性は申し訳なさそうに俺に頭を下げた。
「いや、こっちも用件を言えずについ黙ってしまったから……」
「ありがとね。さて、これで貴方は不審者から客人になったわね」
「は、はぁ……」
「図書館の件に関してはパチェにも言っておくから、好きなだけ使っていいわ」
「本当ですか! ありがとうございます」
「そう畏まらなくてもいいわ。そうね、我が図書館も莫大な数の蔵書があるわけだし、目的の書物が一日二日で見つかる訳でもないでしょう」
一息おいて、"お嬢様"は続けた。
「行く宛もなさそうだし、家に泊まらないかしら」
「え……」
思いがけない一言だった。吸血鬼がこんなにも友好的だったなんて。
最悪喰われるかもしれないと行きに考えていた自分がおかしかった。
「それはつまり……」
「ええ、家でしばらくは寝泊まりしていいわ。勿論、ただでとは言わない」
最後の一言にぞくりとした。
「ふふ、そんな怖い顔しないでちょうだい。なに、館の雑用だとか、手伝ってくれればいいわ。家は男手がいないからねえ」
「はあ……」
「嫌かしら」
「い、いえ! とても有り難いです。見ず知らずの俺を……」
「これまでにも、何度かこういうことがあったものね、美鈴」
「ええ。そうでしたね」
にこりと美鈴がはにかんだ。
「幻想郷は俺の居た世界とはまったく違う……
「ほう。まあ、そりゃそうね」
「いや、同じ人間であるのに、俺の居た世界とは」
「私は吸血鬼よ? 」
羽根をはたつかせ、"お嬢様"は微笑んだ。
「いや、ここに来るまでに霊夢にもお世話になったんです」
「霊夢とも知り合いだったのね」
"お嬢様"は続けた。
「まあ、外来人はまず博麗神社に行けって言われるくらいだしね。あいつも人に興味がないように見えるけど、行く宛が無い奴を一泊させるくらいの優しさはもっているでしょうよ」
「はあ。だが、何でこんなに優しいんだ? 」
「まあ、私に限れば貴方が客人だからだわ。客人は持て成すのが礼儀でしょう」
「いや、だけど……」
「それに貴方が霊夢や魔理沙、親愛なる友人の紹介だから……------」
その時、バタンと音をたてて広間の戸が開かれた。
つかつかと足音をたてながら足早に入ってきたのは、やつれ顔の女性だ。
彼女は言う。
「レミィ、それは違うわ」
「……パチェ、客人の前よ。慎みなさい」
「客人だが何だか知らないけれど、あいつらが親愛なる友人? 笑わせてくれるわ」
手を挙げて、はっと彼女はやけくそに笑った。
「……パチェ? 」
「霊夢は喘息の私に容赦なしに弾幕を叩き込むわ、あろうことか肉弾戦まで仕掛けてくるし……」
パチェと呼ばれた彼女は、鬼の形相となって俺の横で足を止めると、尚も話し続けた。
「魔理沙に至っては毎回毎回、図書館に来ては稀少なグリモワールを片っ端から持っていくし、盗んだと咎めれば借りてるだけと言うし、挙げ句の果てには、何が『あんたらの人生に比べれば私らの方が圧倒的に短いんだから、全部私の死後に回収すればいいだろ? 』よ! 今度盗みに来たらロイヤルフレアでベリーウェルダンになるまで焼いて、ナイフとフォークで食ってやろうかしら!」
彼女の長い長い愚痴が終わった。一気にまくし立てた為か、はあはあと肩で息をしている。
「貴女……また魔理沙に本を盗まれたのね」
「ええ……、今さっきね」
「ちょ、ちょっと魔理沙が盗みって、そんな」
彼女はこちらをじろりと見た。
「誰なのこいつ」
「ああ、彼は客人よ。しばらくここに滞在することになったから」
「居候だっていうの? そんな余裕あるのかしら」
「貴女が変な実験して失敗したり、魔理沙に盗まれたりしなければね」
「う……。……私はパチュリー。パチュリー・ノーレッジよ」
「は、はい。俺は風宮颯です」
そのまま、パチュリーは俺をひとしきり睨みつけると、"お嬢様"の方を向いた。
「彼、外来人? 」
「ええ。そうよ」
「ふうん……。貴女がただの慈悲心で外来人を匿うとは思えないけど」
「私は慈悲深いのよ」
ふふ、と笑いながら"お嬢様"は答えた。
「そ、そうですよ。吸血鬼である貴女が……」
「せっかく匿ってやろうと言うのに。変わった客人ね。まあ、いいわ」
ふう、とため息をつきながら"お嬢様"は続けた。
「ったく……。咲夜」
今まで後ろには誰も居なかった。だが、もう一人居るような感覚が急にやってきた。
振り返ると、綺麗なおじぎをしたメイド服の少女がいた。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
ゆっくりとあげたその顔はとても端正でいて、その瞳はきらめく青で満ちていた。
「こっちへ来てくれるかしら」
咲夜と呼ばれた少女は頷くと、その場から消えた。
「え、あ……!?」
突然その場から消えてしまった。
驚いて辺りを見回すと、"お嬢様"のよこにしゃんと立つ少女が居た。
「一体どういう……」
意識せずとも疑問が口からこぼれた。
すると、少女ははっきりとした口調で答えた。
「私の能力よ。時間を操る程度のね」
「時間を操る……」
「そう。……自己紹介はまだだったわね。私は十六夜咲夜。紅魔館のメイドよ」
それにつられて、美鈴も口を開いた。
「私は紅美鈴です。紅魔館の門番をしてます」
なるほど。だから彼女は門の近くに居たのか。
小屋は詰め所か何かであろう。
レミリアはこちらを見据えた。
「私もまだだったな。私はレミリア・スカーレット。人々は私をスカーレットデビルという」
「スカーレットデビル……」
デビル、という言葉がレミリアが人外であることをはっきりさせた。
彼女は悪魔なのだ。吸血鬼という悪魔。
「さっき言ったけれど、私は優しくとも何ともない。あれは嘘。彼等は運がよかっただけのこと。運命を握るのはこの私だからね」
拳を突き上げて、レミリアは言った。
「レミィはきまぐれなのよね」
パチュリーがレミリアを見て楽しそうに笑った。
「ふふ。もう一度立場をはっきりとさせておこう」
そう言うとレミリアはのろりと立ち上がり、腕で空を斬った。
その瞬間、ガラスを爪で傷つけるような、凄まじい金切り音が左耳を襲った。
直後、後ろで爆発が起きた。夢想封印が地に墜ちた音と酷似していた。
ふふ、と笑うレミリアに恐怖とも畏怖とも思えるような感情を抱かされた。
たらり、と左の頬を伝う何か。そっと触れてみると指が紅く染まった。
頬にぱっくりと傷が出来ていた。レミリアが放った何かが俺の頬を痛みもなく切り裂いたのだろう。
無意識に後退りをしていた。
「美鈴」
レミリアが小さく呼ぶと、彼女の横に立っていた美鈴は跳び上がった。
そのまま俺の頭上を高く越えて、背後に着地した。
「貴方は客人であり、外来人であり、人間であり、弱者である。そして貴方は今しがた、ここに囚われた。この意味がわかるか? 」
「……ここから逃げることは出来ないし、俺は貴女の命令に従うしかない、と」
「上出来。気に入ったわ。こちらへ来なさい」
レミリアは恐ろしいほど優しく手招きをした。
従うしかないであろう。死にたくはない。
そう思い、恐る恐る彼女に近付いた。
彼女の前まで来ると、彼女は俺にしゃがめと言った。
姿勢を低くする。見上げる彼女はその羽根も相まって、恐ろしく、そして美しかった。
彼女の雪のような白に染まった腕がするりと左頬に伸びてきた。
手の平で頬を撫でる。
「ふ……。ここまでされて尚、私を見据えるとは。度胸があるのか、ないのやら」
彼女はそう呟いて、血の滴る右手を舌で舐めた。
その姿は酷く艶かしく、見とれるばかりだった。
「……本当ね」
レミリアは一人何かに納得して、そしてにやりと笑った。
「歓迎するわ、風宮颯。ようこそ紅魔館へ」
俺の紅魔館軟禁生活の始まりであった。
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