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ここは人里に近い森の中。
びゅうびゅうと音をたてて吹雪が荒ぶ。幻想郷は冬真っ只中だ。
男は雪の積もる森の中をゆっくりと、力強く進んでいた。
少しでも油断すれば吹き飛ばされそうなほどの突風。それに雪まで加わって、視界は最悪な状態であった。
そんな男の前に黒い影がうっすらと見えた。
獣か? いや、妖獣と言えど真冬のこの時期に外へは出てこないだろう。
男は黒い影に向かって身構えつつ、そろりそろりと近づいていった。
近付いてみると、影は獣でもなんでもなく、なんと人であった。
「おい……あんた、大丈夫か?」
「……」
うつ伏せに倒れている人間から反応はない。
「おい、しっかりしろ!」
男は倒れている者の肩を何度も揺らすがやはり反応がない。死んでいるのか、と首に手をやると微かに命の鼓動を感じることができた。 まだ生きている!
「こんな吹雪ン中倒れてたら死ぬぞ! ──くそっ」
男は諦めたように倒れている者を抱え上げると、腕と肩をしっかり掴んで歩き始めた。
幸い、ここは人里に近い。人里に連れていけば、まだ命が助かるかもしれない。
男の脚に力が入った。
それにしても。魔法の森近くの林で茸を採取していただけなのに、何故吹雪と遭難者に出逢わにゃならんのだ。男は心中で嘆いた。
男は里で豆腐屋を営んでいた。妻と二人で作る豆腐は里でも評判が良く、男は誇らしかった。
そんな愛する妻が茸料理を作りたいと言ったのが、今日の昼過ぎ。今日はたまたま店が休みで暇があったし、男としても茸が食べたいなと思っていた。だから、快く引き受けた。 それが、運の尽きであったのかもしれない。
妻を恨む訳にも行かず、男は一人後悔した。
これなら霧雨の嬢ちゃんのところに茸を貰いに行きゃあ良かったかな。男はそう考え付いたところで撤回した。
いや、霧雨の嬢ちゃんところは魔法の森に居を構えている。どちらにしろ意味がないか。
霧雨の嬢ちゃんは魔法使いをやっていて、自ら進んで化物茸の胞子が舞う森の中に、居を構えるような変わり者だ。
当然、嬢ちゃん──確か魔理沙と言ったか──が魔法を勉強したいと言ったときに、あの頑固者で有名な霧雨の親父さんが許すわけがなかった。
魔理沙は必死に魔法の有用性だとかを親父さんに説明していたが努力虚しく、ついには年端も行かぬ魔理沙を家から追い出すまでに至った。 そんな魔理沙曰く、魔法の森の茸は実験に最適であるそうだ。
魔法の森でほぼ毎日茸採取を行う魔理沙は茸のスペシャリストと言ってもいい。そのような化物茸は要らないが、食用の茸なら欲しがった。
しかし、男としては自身で採取した茸を妻に渡してやりたかったのだ。
つまらない意地は張るんじゃねえな。全く。男は思った。
そうやって考え事をしつつも足を進めていると、辺りの木々は少なく、草木が生えているのみになっていた。
林を出たのか。男は全身に力がみなぎるのを感じた。
ここまで来れば人里の灯りも見える。倒れていた者に依然として意識は戻らないが、「何とかなるぞ」と呟くと、男は歩みを進めた。
吹き付ける雪に悪戦苦闘しながらも、男達は何とか人里の門前まで辿り着いた。 普段、夜になると人里に入る道に設けられている門は全て閉ざされる。妖獣や妖怪から里を守るためだ。
「おうい。門を開けてくれんか!」
男は声を張り上げた。
すると、門につけられた小窓が開き、二つの目がこちらをぎょろりと見つめた。
「誰かと思えば、豆腐屋の親父さんじゃねえか。こんな時間まで外に出てどうしたんでい」
「今はそんなこと話してる場合じゃねえ。こっちは怪我人がいるんだよ」
「怪我人だって? 本当だ。すぐに開いて手伝うけえ。おい茂吉!」
ぎぎぎと音をたてて門が開く。
中からは見慣れた顔が飛び出した。門番の茂吉と新兵衛である。
「ほああ、こりゃたまげた。金髪に碧眼でねえか」
茂吉が意識のない男を見て、のんきに驚いた。 確かによく見ると金髪に青い目をしている。中性的な顔立ちだが、背格好からして男だろう。
「んな、のんきにしてる場合じゃないわ。茂吉、もう片方を持ってくれ。新兵衛の方は医者だ、先生ところに行っといてくれ」
「あいわかった」
新兵衛はそう返事をすると、門の中には駆けて戻っていった。
「ようし、茂吉。いくぞ」
「あいよ」
茂吉と共に意識の無い男を抱え上げると、腕を肩にかけて、ゆっくりと引きずっていく。
金髪の男をじっくり見てみると、それなりに立派な格好をしている。
幻想郷とは毛色の違う服装が男は外来人であることを表していた。
外での位が高かったのだろうか。刺繍の入ったマントに、腰には剣をさしている。 背にあるマントは高く売れるだろうなと邪な思いが頭を過るが、頭を振って考えを消した。
どうやらそれは茂吉も同じであったようで、何気なく茂吉の方を見ると、茂吉もまた頭を振っていた。
医者の家の近くまで来ると、傘をさした新兵衛が寄ってきた。
「雪がこれ以上かからんようにと先生が言っていた」
外来人に雪がかからないように新兵衛は男と茂吉のすぐ前を歩く。
先生というのは医者のことだ。人里はそれなりに広いが、診療所は一つしかない。
医者の家の前まで来ると、新兵衛が傘を閉じ、診療所の戸を開けて「はよう入れ」と促した。
外来人を引きずって診療所に入ると、医者がいそいそと準備していた。
「お? お前は豆腐屋んとこのじゃねえか」「ご無沙汰してます。とりあえず、こいつを診てやってください」
男は軽い挨拶をしながら、外来人を床に寝かせた。
「おう。その前にまず暖めるぞ。茂吉は湯を沸かしてこい。新兵衛は毛布だ」
茂吉と新兵衛は互いに頷き、診療所の奥へと姿を消した。
「あのおいは……」
「お前は俺を手伝え」
男は頷いた。
「とりあえずはマントを外すか。おい、こいつの体を起こしてやってくれ」
男が横たわる外来人の肩を掴んで引き起こした。
その間に医者がマントの留め具を外して、部屋の隅に置いた。
その後の医者の処置は迅速で、実に手際がよかった。
診療所の奥に行っていた茂吉と新兵衛も加わり、手当ては無事に完了した。「それにしても、刺し傷まであるとは思わなんだ」
新兵衛が呟いた。
新兵衛の言う通り、この外来人には脇腹の辺りに刺し傷まであった。幸い主たる内蔵を傷付けてはおらず、こちらの処置も無事に済んだ。
「決闘でもしたのか……。おい、こいつは何処に倒れていたんだ?」
医者が問うた。
「魔法の森近くの林の辺りでさあ」
「魔法の森の近く? こいつがそこに倒れてたのも謎だが、お前がそこに居たのも謎だな」
「家内が茸料理を食べたいと言うんで、茸採取に出掛けたら吹雪に見舞われやした」
「ほお、お前も嫁にはあめえじゃねえか。豆腐の値はちっとも下げねえのによお」
医者はへっへと笑った。
「それとこれとは別ですぜ」 医者はちっと舌打ちをしつつも、「まあ、お前んとこの豆腐は値段相応にうめえからな」とこぼした。
外来人の男の様子も落ち着き、茂吉も新兵衛もそろそろ仕事に戻ろうかと腰を上げようとした、その時。
どんどん、と戸を叩く音がした。
「今日は患者が多い日だなあ」などと、ぼやきながら医者が向かう。
男はふと、外来人に目を向けた。
中性的だが精悍な顔立ちだ。
男は腰の剣を見て、こりゃ腕利きの剣士だなと思った。
突然、医者が頓狂な声をあげた。
「だ、誰かと思えば慧音先生でねえか!」
その言葉に男や茂吉、新兵衛が顔をあげた。
「どうしたんですか」
医者が丁寧に言った。
「いえ、騒がしかったもので何があったのかと──って茂吉に新兵衛に皆どうした?」 慧音先生と呼ばれた女性が男たちを不思議そうに見た。
「いやあ……外来人らしい人間が倒れてたもんで」
男は会釈しつつ言った。
「そんなことが……おや、失礼しました。つい仕事の口調で──」
慧音は人里で教師をやっている。普段は敬語で話す慧音であるが、教師をしている時間が半数を占める分、時として授業をしているときの口調になってしまうのだ。
しかし、男たちはみなくっくと笑った。
「何言ってんでい、先生。ここに居る奴はみな先生の生徒だったんですぜ」
医者の言う通り、茂吉や新兵衛、豆腐屋を営むこの男も、そして医者もみな慧音の開く寺子屋に通っていたことがあった。
しかし、男は齢30を越しているし、茂吉や新兵衛も30近い。医者に限っては還暦が近づいていた。 それなのに生徒であったというのは、慧音が人外であった為である。
慧音はワーハクタクという種族にあたる。普段は人間の姿だが、満月の夜にだけ白沢になるという半獣だ。
白沢とは徳のある治世者の前にのみ現れると言われる、森羅万象に精通した生き物だ。
慧音は長い間人里を守って暮らしてきた。だから、今では慧音のことを恐れたりするものはいない。妖怪の襲撃時にも頼りになる、人里にかかせない人物である。
慧音は男たちを見回して「それもそうだな」と笑うと、外来人の顔を覗き込んだ。
「ほう。綺麗な青をしている」
「へい。こういう容姿のもんは幻想郷にもいますが、こんな服装をした者はいないと……。それに見たことがねえ」 医者が煙管を取り出して、煙草を吸い始めた。
「おいおい、ここは診療所だろ」
男が医者を咎めた。
しかし、医者はそれを気にするような素振りは見せず、「こまけえこた気にすんな。豆腐屋のぼっちゃんよ」とからかうように言った。
「医者の風上にも置けんわ、医者先生は。それにおれはもうそんな年じゃないです」
「俺にとっちゃあ、お前は坊主だよ。──ところで慧音先生」
「なんだ?」
「こいつ、どうします?」
医者が外来人をさして言う。
「治るまで人里に居た方がいいだろうね」
「だが、ここはただの診療所に過ぎねえ。寝かすところがないでさあ。それにこいつは剣士だ、もしも錯乱したら手に負えねえ……」
「む……」 慧音はしばらく考え込むと、再び口を開いた。
「では、こうしよう。この人間は私が引き取る」
「でもいいんですかい? 先生だけでは危険じゃあ」
「私は半獣だぞ? それに妖怪の私なら、もし暴れても押さえつけられる」
「そうけ。慧音先生気を付けてくだせえ。よし、坊主こいつを慧音先生んとこへ連れてくぞ」
医者が男を見て言う。
それを聞いて茂吉たちが言った。
「先生よう。おれたちはどうすればいい」
「お前たちは門番という大事な仕事があるだろう? 今日はこれで戻るといい」
慧音が帽子を直しつつ答えた。
茂吉たちは外来人を一瞥したのち、慧音らに頭を下げていそいそと診療所を出ていった。
その間に準備していたのか、担架が床に用意されていた。「坊主、いち、にの、さんで持ち上げっぞ」
「おう」
「いちにの……さんっ」
二人の男によって、外来人がふわりと持ち上がる。
持ち上げた外来人をがに股になりながらも担架に乗せた。
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