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「よし、じゃあ私の家まで連れてきてくれるか」
「わかりやした」
慧音の家は人里の中心部から、やや離れた場所にある。寺古屋もその近くだ。
診療所を出ると、もう吹雪は止んでいた。
ひゅうと音をたてて風が吹く。雪は含んでいなくとも、診療所の中で暖まった男の体を凍えさせるには十分だった。
男と医者はほぼ同時にぶるると震えた。
医者がそれを見て「寒いのはこいつも一緒だ。折角暖めた体を出来るだけ冷やさないように、早足で行くぞ」と勇み立てるように言う。 男は頷くと、早足で慧音の家へと向かった。
――――
アルマデルは目を開いた。
「う……ここは……」
体を起こしながら呟いた。
気を失っていたようだ。アルマデルはゆっくりと辺りを見回した。
辺りは白で塗りつぶしたように何もなく、部屋に居るのか外に居るのかもわからなかった。
「私は……死んだのか?」
アルマデルは目を瞑った。
あの時私は奴を刺した。奴は瀕死の状態だったが、念には念をと最後の力を振り絞って奴に呪術をかけたのだ。
その後が思い出せない。ただ、あの時私の魔力は無いに等しかった。
魔力尽きようとも、魔女は死なない。
しかし、それは万全な状態での話だ。
あの時、私は空中魔法陣のために多量の魔力を消費していた。そのうえ腹を貫かれていて、生命を繋ぐために魔力を使わなければならなかった。損傷した臓器を修復するのだ。 そして呪術。
おそらく、呪術を使用したとき私の魔力は尽き、私は体の修復が出来なくなったのだろう。
やはり私は──
アルマデルはそっと腹をさすった。貫かれた傷は全く無く、痛みもない。
アルマデルは死んだということを自覚した。
なら、ここは地獄だろうか。オーディーンを信仰する、言わば同胞をアルマデルは滅ぼしたのだ。
そんな大罪を犯して、自分が安らかな死後の楽園に行けるとは、アルマデルは微塵も思っていなかった。
「地獄とはもっとおどろおどろしいものだと思っていたが、何も無いのだな」
アルマデルは何だかおかしくなって笑った。
本当に何もなかったのだ。辺りを見回しても真っ白な空間が広がるだけだ。 アルマデルは早々に諦めて座り込んだ。いや、上も下も真っ白で自分が座っているということでしか、ここに存在するということが示せないと思ったからかもしれない。
「奴は、死んだのだろうか」
先程から言う奴とは、死の直前までアルマデルと戦っていたラルティネアという男だ。
ラルティネアがアルマデルを深く貫いていたように、アルマデルもまたラルティネアをレイピアで貫いていた。
アルマデルのように人外ではなく、人間であったラルティネアには致命傷であったはずだ。
もし生きていようとも、そう長くはないだろうし、仮に助かったとしても呪術をかけてある。ラルティネアが生き残るとは万が一にもあり得まい。
そう思ってアルマデルが俯いた、その時だった。 近くで何か音がして、アルマデルの前に映像が映し出された。
「な、なんだ……?」
先程まで音すら無かったこの空間に突如として映像が現れたのだ、アルマデルは酷く驚いた。
映し出された映像は少しもやもやとしていた。
そのもやの中で小さな手と足がひっきりなしに動いている。揺れ動く映像と規則性のある息遣いは、手足の主が走っているということを示していた。
その小さな手には羊皮紙を持っていて、汚い字でラルティネアと書いてあった。
「これは……奴の記憶なのか……?」
アルマデルは何が何だかさっぱり分からなくなってしまった。なぜ、死後の世界でラルティネアの記憶を見なければならないのだろうか。
アルマデルはぼんやりと映像を見つめていた。 映像はいつの間にか振動をやめて、広い廊下の先に大きな大きな木製の扉を映し出していた。
小さな手がやけに大きい扉を押す。ぎぎぎと軋んだ音をだして、ゆっくりと扉が開いた。
開いた先は実に立派な部屋だった。まるでどこかの王の一室のような──。
まさか、これがラルティネアの記憶だとするならば。次に映るのは……。
『お父さま!』
幼くもどこか聞き覚えのある声が響いて、部屋の中の影が振り返った。
アルマデルは握り拳を作った。長く鋭い爪が手のひらにめり込んで痛々しい。
「現王……!」
振り向いた人物はやはりリンドヴルムの現国王で、ラルティネアの父でもあり、そしてアルマデルにとっては憎んでも憎み足りない怨敵であった。『おお、ラルティネアか。どうしたのだ』
のろりと現王が問うた。
アルマデルにはそれすら忌々しく見えた。
『今日の試験で満点を取ったのです!』
ラルティネアは誇らしげに言った。アルマデルは心に鈍い痛みを感じた気がした。
もし、あの方が死ななければ。今頃は自分も子供をなしていたのだろうか。アルマデルは唇を噛んだ。
『そうかそうか。よくやったな!』
アルマデルは現王の親としての一面をこのとき初めて見た。
ラルティネアは現王の大きくごつごつした手に頭を撫でられて、嬉しそうに目を細めた。
映像はそこで終わった。
アルマデルは自分の幸せな時間を壊されたのと同じように、またラルティネア達の幸せな時間を壊していたのか、と理解した。 アルマデルはラルティネアとの問答でこのことを自分は理解しているのだ、と考えていた。しかし、自分は全くそのことについて理解していなかったのだ。最愛の人を殺されたということだけにかられて、表面的には理解したと思っていても、心の底から承知していた訳では無かったのだ。
アルマデルは倒れ込んだ。そして顔に腕をやって、その表情を歪めた。
何が復讐だ。何が滅ぼすだ。憎しみは憎しみを呼ぶだけと、奴の言っていたことは正しかったではないか。
私の歪な復讐劇のために我が同胞が何人死んだ? あの、外壁の上で魔力を練り上げていた者も、私に従していた者も、皆死んだではないか。特にリンドヴルム国の外壁の上に行かせた者など、任を終えたら命を絶てと、私は命令していたのだ。 私は何をしている? 私は何をしたかった?
私はなんてことをしてしまったのだ。
アルマデルはいよいよ自分が分からなくなって、腕を大の字に広げると、目を瞑った。
しかし、その中でもただ一つ分かったことがあった。自分がこの映像を見せられた理由だ。
この映像は内容から察するにラルティネアの記憶に違いない。やけに大きい扉や、もやのかかった映像がその証拠だ。それも幸せな記憶なのだろう。
とてもとても幸せなこの時間を壊したアルマデルには、記憶を見ることは辛かった。
そう。これは地獄がアルマデルに与えた償いであるのだ。殺した者の幸せな記憶を見せて、罪人に残る僅かばかりの罪悪感を突く。
アルマデルはこれが永遠に続くのかと思うと、笑ってしまいたくなった。 否、笑うしかなかった。
「地獄もえげつないことをする……ふふ」
アルマデルは乾いた笑みを浮かべて、目を伏せた。
その後も映像は流れ続けた。
兄たちと乗馬を楽しむラルティネア、家族でとる和やかな食事、黙々と剣技を磨くラルティネア。
アルマデルは音を聴くのも嫌になって、目を瞑ったきり、開くことはなかった。
アルマデルはそのまま、深い眠りに落ちた。
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