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鳥海ヤエ子著「アメノヒボコと後裔たち」叢文社 アメノヒボコの末裔 神功皇后、南朝の功臣児島高徳の足跡をたどっています。 太平記の著者のひとり小島法師は児島高徳と同一人物といわれている。 太平記の中で一度一行だけ児島高徳が記事になっている事に関し明治時代(明治21年)、歴史学者の懇親会で小島法師は自分の功を後世に残すために、ありもしない功績をかいた捏造ではないか?児島高徳なぞ存在しなかったのではないか?と言い出したそうです。 これが発端になってたまたま太平記の研究者重野博士が後日、講演会でそんな話があったと話し、そこから 児島高徳抹殺論と擁護論が世間を騒がせたそうです。 児島高徳は敗北した南朝の随臣として追われ世に隠れて生きていたわけですから当然足跡は隠されており資料は入手が困難だったようです。当時の貴族 洞院公定の日記に身分は卑しいが小島法師は太平記の作者として活躍した、死したのは惜しまれるとかかれていたことから、身分が卑しいといわれてるから百姓のようなものだろうなどと言う話がでたりしたそうです。 そんなことから児島高徳抹殺論が優勢になり、後裔の人たちには切ない情況が生まれました。 しかし洞院公定は左大臣で、受領クラスの従五位は身分の低い人と言うことでも、従五位は天皇と直接接することの出来る高い位の人です。 小島高徳の墓地は全国で9箇所あるうち群馬県(上野の国)邑楽群大泉町古海にある墓が終焉の地なのだそうです。ここには高徳寺という真言宗の寺が有り児島高徳の開基と伝えられているそうです。 ここに高徳を祭る児島神社を創建する話が持ち上がったときに前期の抹殺論があるため県から許可が下りないという事態が発生、関係者を悩ませた。 そのほか系図で確認される事実を記載しています 鳥海ヤエ子さんは旧姓三宅氏で、三宅家に系図が残っており、アメモヒボコにつながる一族なのでそうです。 BOOKOFFで105円で買った本ですが すごい迫力があり、驚きの連続です。 |
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児島高徳公後裔24世で、代々公の墳墓を守り、公の600年忌に公の父である、和田範長公後裔の北の湖・増位山を招き、横綱の土俵入りを行い、http://www.geocities.jp/korealobby/roots.html 町内外から、沢山の方々が、お見えに成りました。鳥海ヤエ子氏の出自に関する文書を所蔵して居ますが、上記のWEBを見れば、理解出来るでしょうが、沢山の血縁者が、訪れる中、鳥海ヤエ子氏は、未だ、来て居ません。此の本に関しても、舛添問題と同じに、私達にヒアリングをしないで、書いた書籍です。
2016/6/8(水) 午後 0:25 [ ppy**834 ]