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今回の岩手神社紀行の最後に菅原神社を取り上げます。 郷土史家 千田一司さんから平成14年に執り行われた菅公1100年祭の記念誌をいただきました。 大変に興味深い記述があります。 この神社 奥州藤原氏が、京都北野天満宮から勧請したのだそうです。 勧請された時期は奥州藤原氏が最盛期をむかえて、京の都にも負けない仏教文化を築いていた時期です。 先祖の藤原氏が権力闘争から苦しめた菅原道真を祀るために、神社を創建したということです。 奥州の俘囚長 安倍氏の血をひき、同じく俘囚長清原氏の家督をも継いだ奥州藤原氏が藤原経清の血を強調し都の藤原氏とのつながりを確認する意図があったのでしょうか? もうひとつ藤原経清が阿部頼良の婿になりその息子・清衡が阿部家の財産を受け継ぎ、 さらに阿部家に劣らない勢力をもった清原氏の勢力も飲み込んで陸奥の大国となったのは、かって大和でニギハヤヒがナガスネヒコの妹を娶り神武天皇に対抗するほどの勢力をもっていたという記紀の記述を連想します。蝦夷の伝統をひきつぐ何かが感じられます。 またこの近くに、菅原道真公夫人の墓所があるとのことです。墓碑の近くに菅原を名乗る家が十数軒あり、この一族は古来梅の実を食べない風習があるそうです。 菅原神社 鎮座地 一関市舞川字原沢 祭神 菅原道真公 御神体 木造雷神菅公立像 由緒 嘉応2年(1170)奥羽の太守 鎮守府将軍 藤原秀栄衡公深く敬紳せられ、京都北野天満宮より相川の袖野に勧請した。 文治5年(1189)平泉没落後、相川の氏神となる。勧請後387年を経た弘治元年(1555年)相川木戸に御遷座された。 寛永2年(1625年)現在の原沢吉ヶ森にふたたび遷座されました。 明治4年(1871年)天満宮から菅原神社に改名相川村村社となる。 このとき大日霊女神、雷大神、大山祗神、若木神、八坂神社、八幡大神、厳島大神、大滝神社、加具知突大神、ほかに南地蔵堂から2神を境内末社として合祀した。 明治22年(1889年)相川と舞草の2村合併により舞川村が誕生し、菅原神社は村社となる。 幕末にこの地を訪れた頼三陽の三男(安政の大獄で斬首)の顕彰碑もあります。 明治時代、廃仏毀釈のために宮司が解任されれたことが逢ったそうです。
そのときに解任された宮司が腹いせにこの菅原神社の雷神像をひそかに持ち出し自宅に安置しました。 そのことは誰にも知られず、神社に雷神が祀られていたことさえ忘れ去られていました。 ところがその元宮司家では不幸が続いたそうです。、 思い当たることは雷神像しかなく、あまりに続く不幸にたまりかねて、神社に戻したいと鳴きついてきました。そこで初めて雷神を祀っていたことがわかり、無事に戻りました。元宮司家の不幸はすっかり収まったのだそうです。 さすがに祟る神道真公の面目躍如のお話です。 こわい話の割りに千田先生は愉快そうにお話になりました。 |
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奥深い山の中にあって、静かですね。
奥州藤原氏が最盛期に造られたので、立派な建物です。
2009/12/2(水) 午前 8:38
ホルスタイン種がいるのですね〜
初めて見ました。
それにしても雷神像の祟りは怖いですよ。
2009/12/2(水) 午後 7:45
グッドライフさん 歴史のなかで見るこの神社はいろんなことを考えさせる面白い神社だと思います。現在の社殿は奥州藤原氏が没落してから2度も遷座していますので、昔の面影は無いですね。おそらくもっとすごい神社だったろうと思います。
2009/12/3(木) 午前 0:27
まんまさん この牛珍しいですよね!
雷神像の祟り、証明済みになりました!
千田先生に本を借りたとき、本を返さないと祟るぞ・・と脅されました。笑ってしまいました。
2009/12/3(木) 午前 0:58
なるほどと眺めさせていただきました。
ホルスタインは明治の置かれたのでしょうね。
2009/12/10(木) 午前 10:48 [ 羽木 鉄蔵 ]
母方の家系図製作を始めるにあたり拝見しました是非訪問したいところですね!
2009/12/15(火) 午前 9:48 [ 安さん ]
蔵さん この牛の姿はなんだかさっぱりした感じなんです
岩手から札幌農学校に行く人多かったようですし新しいものを取り入れる気分があったかもしれません。
2009/12/20(日) 午前 9:28
安さん 家系図制作どのようにされるのでしょうか?
一般人は戸籍では明治までですね
2009/12/20(日) 午前 9:38