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奈良県の石上神宮は物部氏の石上坐布留御魂神社を国家守護の神宮として、 伊勢神宮とともに天武天皇が制定したといわれているそうです。 畑井弘著の物部氏の伝承の読むほどに混乱をきたす説明によれば日本の各地の小王国の祭祀権を奪って、石上坐布留御魂神社に剣や祭器を奉納させ、物部氏が管理していました。すでに大和王朝が全国制覇をほぼ成し遂げた時代、天武天皇は、祭器を各地の国造家に返還をはじめたのだそうです。 石上坐布留御魂神社は大神神社とともに古くからある神社で、神体山をもち本殿の無い古い形式の神社だったそうです。 拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていました。 1874年の発掘を期に、出土した剣(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため本殿を建造。 1913年には、本殿が完成した。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれています。 石上神宮 所在地 奈良県天理市布留町384 御祭神 布都御魂大神 布留御魂大神 布都斯魂大神 配祀 宇麻志麻治命 五十瓊敷命 白河天皇 市川臣命 境内摂社式内社 大和國山邊郡 出雲建雄神社 境内摂社出雲建雄神社 出雲建雄神 ほっとするような奥深く神聖な雰囲気が広がっています。 この鶏たちはすてられたものが居ついたらしい! 創建時にはなかった本殿です。 出雲建雄神社です。 菅原道真も出雲にゆかりのある人ですから、物部氏が出雲にも縁が有った事を感じさせます。 古代における物部氏は、わかりにくい存在です。
大和には神武東征に先立って銅鐸文化をもったナガスネヒコの一族の国があり、もしかしたら卑弥呼の邪馬台国であったかもしれません。 女系の国であった邪馬台国に婿としてニギハヤヒが降臨してきたり、天穗日命がきたり、またスサノオの尊も同じように婿入りしたりして何代にもわたって、縄文時代から弥生時代に移り変わる人の移動や混血があり、文化の衝突が有ったのでは無いでしょうか。 物部の伝承と言う本の中で、ナガスネとはへびを祀り銅鐸を祭器にしたという意味があると、古代の朝鮮語などの解析から推定しています。 |
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★★石上神社・・陸軍省・・軍閥
すごいですね・・こんな記事うれしいな!
ナガスネ・・へび・・イヅモ・・連想できますね
2010/1/19(火) 午後 1:43 [ コトブキ ]
Kotobukiさん 物部氏の謎は深いですね!
中国・朝鮮半島・日本にひろく住んでいた倭人が主体なのか、日本で一万年の歴史を歴史を刻んだ縄文人がその当時の主人公なのか
物部氏はその謎の中心にいますね
2010/1/22(金) 午前 10:13
★★そうなんですか・・
物部氏といえば排仏でしたかね・・
でも現八尾市に寺を建立しているんですよね・・
私は崇仏戦争は 仏教利権の争奪戦だったと思っているんですが・・
2010/1/25(月) 午後 1:08 [ コトブキ ]
kotobukiさん 古代には政教一致ですから、神様がお釈迦様では政治が成り立たないところもあると思います。
2010/1/25(月) 午後 6:02
お久しぶりです。
石上神宮にこられたんですね。
素晴らしい神社ですね。傑作
2010/2/11(木) 午後 9:00
あるくさん 娘と家内のくさり付ですから自由に回れなくて残念でした。穴師兵主神社、大神神社にも参拝しました。構想がまとまったらUPする予定です。
2010/2/12(金) 午後 3:37