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儒教に関する本をずっと探していました。 「韓国は哲学である」と言う本は儒教に基づいて韓国を解析していました。 いいたいらしいことはなんとなくわかるのですが肝心の儒教に関して書いたものが見つかりませんでした。 ようやく加地伸行著「儒教とは何か」中公文庫が見つかりました。 実は儒教が宗教だと言うことが理解できませんでした。 孔子から始まった礼式の集大成のような印象のためです。 この本の最初のところを読んで目からうろこが落ちる思いです。 哲学と固ぐるしい礼法でがんじがらめで生命力を失ったかに見える儒教は実は死者を弔う礼法とその生死観ではっきり宗教としての存在がありました。 キリスト教の天国における永遠の生命、仏教の輪廻と解脱に対して儒教は先祖から受け継ぐ血筋のなかに命が受け継げられて、祖先たちの霊が自分にまた子供たち、孫たちの近くにあり、死者のどくろをよりしろに現世とつながっています。子孫があるかぎり先祖代々の霊は常に現世につながって子孫と共にあると考えられます。 儒は古代中国では葬式を執り行う人たちでした。孔子は農夫の父と儒の母の間に生まれました。 孔子以前の儒者を原儒と言います。原儒はしきたりを守り、葬儀や先祖祭礼で恍惚として招魂するシャーマンでした。しきたりを守ることから知識を蓄積する知識人の面もあり、招魂祭、葬儀を主催することから宗教家としての面もありました。 知識人としての儒は君子儒として国家の祭礼や式典をつかさどる存在に、またシャーマンとしての儒は小人儒として社会を下さざえするように次第に分かれてゆきました。その君子儒を確立し礼式をさだめ君子儒を国家の指導原理まで高めた最初の人が孔子であったとされています。 孔子は[孝」を概念化しました。生きている親に「礼」を持って仕え、死んだ祖先対して「礼」を持って仕えることを「孝」としました。「孝」は日本で考えられているように親だけではなく子や孫をいつくしみ育てることもまた「孝」とされました。先祖に対しまた親に対して「礼」を持って仕え、子や孫をいつくしみ育て、子孫の繁栄を実現することこそ、自分自身の存在を永遠に確かなものにするのです。生死を「孝」で結びその上に礼式を確かなものして、社会規範にし、また死の恐れをしずめる宗教性を確立したと考えられます。 孔子はまた家族愛、親族愛の概念だった「仁」を、広く人を愛する博愛にたかめて、積極的に他人を愛し良く仕えることを説きます。 孔子は20代後半に魯国の役人に取り立てられます。そこで田舎ものと馬鹿にされながら先輩たちにしつこく魯国の礼式について質問し習得して、国の大礼を身に着けてゆきます。音楽にも才能があった孔子は式典にともなう音楽にも精通して、やがて魯国の礼式の大家としてのし上がってゆきます。
また孔子は周王朝の文献をよく研究し、殷王朝、夏王朝の礼式も研究して、文献学者としても一家をなします。詩経・書経を再編してやがて孔子の主催する私塾の教科書として、人のあり方、社会のあり方、為政者としての心得などを習得する教材とします。 当時の塾は行政官僚を養成する大学であり政党であり、ジャーナリズムでもあるような社会的に大きな影響力を持っていました。師と弟子は熱い共同体となって、社会に対していたわけです。 孔子が50才ごろ魯国の閣僚になるやライバルの塾長小正卯をただちに暗殺して、自分の塾の安泰をはかったりしたそうです。自分たちの政治主張を守るためには容赦がなかったと言うことでしょう。 |
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とっても難しそうですがいっぱい学ぶことがありそうですね
2010/2/9(火) 午後 10:43 [ - ]
lovekamehigaさん はじめまして
わかりやすく儒教や日本と儒教のかかわりなど説明してくれる本です。
仏教とのかかわりも詳しく解説しています。
一読の価値があります
2010/2/9(火) 午後 11:38
日本の宗教を語るうえで、儒教ははずせませんね。
2010/2/11(木) 午後 4:19 [ 羽木 鉄蔵 ]
蔵さん 儒教は一筋縄ではないようですね!
教団とか寺院というようなものがないようです。
2010/2/11(木) 午後 5:33
★★
儒教は一筋縄ではないようですね・・特に実感です
半島に渡り・・仏教と混濁して日本で美化されましたね
2010/2/12(金) 午前 9:58 [ コトブキ ]
kotobukiさん 日本は儒教文明圏だと思うことがいろいろありますね!
良くも悪くも大きな影響を受けているようです。
次に神仏習合を読んでいますがどうやら神仏儒習合が正しいようです。
2010/2/12(金) 午後 3:42
★★神仏儒習合が正解でしょうね
何度目かの半島経由で日本に入ってきた時には既に仏儒習合
だったと思います
2010/2/15(月) 午後 9:55 [ コトブキ ]