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儒教とは何か(2)

加地伸行著「儒教とは何か」中公文庫

儒教の歴史は大きく区分すると
 1原儒時代 孔子が登場する前の時代 祖先崇拝と招魂祭祀に儒(シャーマン)が活躍した。
 2儒教成立時代 孔子が儒経を成立する時代 
 3経学時代  儒教が国家の指導原理となり研究が進み確立完成する時代
 4儒教内面化時代 清が倒れて礼教性が否定されたあとの儒教
とわけられます。経学時代がながく、仏教・道教との競合や儒教内部の抗争が続いて朱子学に収斂してゆきます。

儒には王朝の祭祀儀礼・古伝承の記録を司る上層の知識人(君子儒)たちと、祈祷や喪葬を担当するシャーマン系下層の儒(原儒・小人儒)があります。
孔子は上層の儒(君子儒)として、強力な塾を作り、人材を輩出します。塾は師と弟子が強い絆に結ばれて、さまざまな問題を討論しています。そこで使われる教材は孔子がそれまでの歴史の中に蓄えられた先人の知恵を取捨選択再編成した詩経・書経を用いました。

儒家はキリスト教のように神はすべての人を平等に愛するという立場をとらず、自身に近い血筋のものと遠いものを区別します。一番近い親子の間の愛が強く、葬儀などの悲しみの度合いも、喪に服する期間なども、親が亡くなった場合子が一番悲しみ、喪の期間もながくなります。
一族の祭祀では最初の先祖と自分から5代前までの祖先の名前をいれた位牌を祭壇に祀り、2代目以降6代前までは初代の位牌に合祀します。分家も5代までは同族として祭祀を共にします。これによって強力な一族の団結が保たれました。
葬儀などにおいて参加者全員が喪服を着ることはなく死者との関係が遠くなるにつれて平服になります。
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孔子はシャーマンのおどろおどろしい招魂儀礼は良しとせず、整然と執り行う儀礼を重く見ています。
孔子が出現してから宗教的儀礼(招魂儀礼など)は次第に倫理的儀礼(社会的儀礼)と変わってゆき、血を受け継ぐ一族の団結の儀礼へと変わってゆきます。

孔子の死後弟子たちが各地に分散して根を下ろしてゆきます。そのなかで心の内省や礼の内容・目的を重んじた実践派・哲学派だった曾子の系統から孟子が登場します。また知識や礼の形式を重んじた文献派・学術派の子夏の系統から荀子がでます。孟子は性善説をとなえ、荀子は性悪説を唱えて、荀子の後から法家と言われる韓非子がでます。

儒家の理想とする人間・聖人は神でも仏でもなく、尭・舜と言った伝説の王で、あくまでも人間です。
聖人は努力して修行をつめば誰でも到達できるかもしれない人間です。
キリスト教の神になることはもちろん、仏教の仏になることも輪廻転生を繰り返した挙句にも容易にはできません。
儒教では孝・悌・仁・義・礼・・・・と言った倫理を収めることに聖人に近づくことができます。
聖人が政治を司ることを儒家は理想としています。

秦の始皇帝は法治を国家原理にして失敗わずか20年で秦は崩壊滅亡しました。それ以来法より道徳を重く見る儒教が中華王朝の国家原理とされました。そのため現在でも法治国家とはいえない、一罰百戒のような処罰が行われています。

儒教は人間は教育によって知性・徳性をみがくことによってよりよい人間になるとし、自然もまた人間の手をくわえ加工することによって、人間のより住みよい環境ができるとしました。

老子は自然的世界を重視しました。世俗を合理化する儒教の生き方は地位・財産・富貴を求めて会い争う世界を作るだけだ。常識や世俗の小ざかしい知恵などを捨てて無為自然になることを主張した。
道教として一定のひろがりはありましたが、国の指導原理にはなりえませんでした。

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