神社めぐりを楽しむ

古い神社は古代日本史のタイムカプセルを持っているようです

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全33ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

檜原神社に向かって山辺の道から坂を登ってゆきました。
ところが相撲神社があり、その先に大兵主神社がありました。それも懸社兵主神社の懸社が懸大兵主神社に強引に書き換えてあります。
さすがに飛鳥にはいろんな神社があると感心して、帰京してからネットを見ると、兵主神社はなんとかっては延喜式名神大社として巻向山にあり、応仁の乱で消失して、現在地に合祀されたとあります。
穴師坐兵主神社は石上神宮、大和神社、大神神社とならんでこの地の中心的な存在だったとされています。道を間違えたばかりに、思いがけずに古代史に輝く神社にたどり着いたことになります。
巻向(穴師)は箸墓古墳、景行天皇陵などがあり、古代には倭国の中心だったことがわかります。


穴師大兵主神社 延喜式内社
鎮座地 奈良県桜井市大字穴師493‎

御祭神
 中央 兵主神  穴師坐兵主神社(式内名神大社)
左殿 大兵主神 穴師大兵主神社(式内小社)  
 右殿 若御魂神  巻向坐若御魂神社(式内名神大社) 


由緒(由緒表示板より)
当社は3神殿にして、古典の伝えるところによると、今より二千年前の御創建にかかり延喜式の制では名神大社に列せられ新年、月次、相嘗、新嘗のもろもろの官幣に預かり、元禄五年には正一位の宣旨を賜った最高の社格を持つ大和一の古社である。
御神徳 衣食住を守護し、風水を司る

*****、
この神社はさまざまな説があるようで、祭神が良くわかりません。
記紀には記述がないようですが兵主神の系図がHPにありました。
祭神は天日矛だという説もあります。
また中国から朝鮮を経由してきた蚩尤(しゆう)という武神という説もあり、謎の多い神社です。
大神神社と石上神宮を結んだ線のうえにあり、古代にはもっとも都に近い場所だった時期もあり、それでありながら、延喜式内名神大社穴師坐兵主神社の跡も特定できていないようです。
イメージ 1
神社の石碑はなにやら手抜きを思わせる社を大に彫り変えているようです。

イメージ 2
鳥居は特に古社らしいというわけでもありません。

イメージ 3
手水舎は鳥居を入ったすぐにありました。

イメージ 4
鳥居をくぐった後の参道や境内はさすがに広く、末社の祠がいくつもありました。

イメージ 5
参拝者の少ない拝殿は深い杜につつまれて、しずかにたたずんでいます。

イメージ 6
この神社には古びた狛犬がいました。
大神神社や石上神宮には狛犬は見当たりませんでした。
神社の由緒にはもっとも古い神社だと誇らしげにかいてありました。

イメージ 7
拝殿です。

イメージ 8
賽銭箱です。

イメージ 9
本殿は3社並んでいます。



大兵主神社の鳥居の外に相撲神社があります。
イメージ 10
東京にある野見宿禰神社を参拝したとき、奈良には大きな相撲神社があるかも知れないと考えていました。相撲神社の境内は広々としてはいますが社は祠のようなものでした。相撲の隆盛に比べるといかにもささやかな神社です。

イメージ 11
野見宿禰を祀る相撲神社には横綱が土俵入りを奉納する土俵があります。

儒教とは何か(3)

加地伸行著「儒教とは何か」中公文庫

周王朝は封建制国家でした。各地に諸侯が王となって独立した国があり、周王朝が覇権を握っていました。
それに対し秦王朝は郡県制国家を作りました。皇帝の派遣する高級官僚が長官となって各地の郡・県を治める制度です。
このとき始皇帝は法家を採用し、法治の中央集権国家をつくり、徳治を求める儒家に対して焚書坑儒で弾圧し粛清しました。
この改革には抵抗がつよく、始皇帝の死後、各地で反乱がおこり、わずかに20年ほどで秦は滅亡しました。
秦の後を襲った前漢王朝は直轄地は郡県制とし、遠方は諸侯の自治をみとめる郡国制国家をつくります。
郡国制は皇帝にとってはあくまでも妥協案の国家であって、国内の国の大きな共同体は、次第に分解され、中小の共同体の上に官僚を派遣する中央集権国家になってゆきます。
中央集権国家の官僚は中小自治体(諸侯国)から推薦して採用する形から始まりましたが科挙の制度が採用されて、試験で官僚を選ぶようになります。
科挙で試験する内容は書経、易経などの古典の博識を問う内容で、次第に儒家に握られて、儒教による政治が主流になっていきました。
官僚が科挙で採用される(隋・唐時代)となると皇帝から直に採用されると言うことで、推薦母体から後押(前漢・後漢時代)しされた官僚より、はるかに皇帝に対する忠誠はたかくなります。
孔子による儒教は周の時代に基づいていたのが、規模の大きくなった前漢・後漢王朝では指導原理として合わなくなり、儒家は解釈を工夫して、対応するようになります。
秦の焚書坑儒事件で、古典文書が失われますが、儒家の記憶から古典は再構成されて今文尚書がつくられ、焚書から逃れて家屋の壁などから発見されたとして古文尚書がぞくぞくあらわれます。
不思議なことに古文尚書あたらしい規模の大きな時代に合った内容だったりして、偽造文書も多かったようです。
これらの古典に対する解釈が経学として活発に論争がおこり、儒家の思想が活性化しました。

宋王朝になって天使直属の科挙官僚のシステムが完成しました。そして儒学も宋学(朱子学)としてあたらしい展開をします。
前漢時代に儒教は国教となりましたが、後漢の後期になって、仏教・道教という強力なライバルが登場します。特に仏教は緻密な論理をもっており、変転極まりない魏・晋・南北六朝の時代に、道教とともに生活苦にあえぐ大衆を救済しました。
儒教は仏教・道教が持っている宇宙論や形而上学がありませんでした。そこで朱子は無(無極)にして有(太極) 宇宙には物質がもともと存在していたと考えます。太極が運動すると陽が発生、静止すると陰が発生する。陰陽は木・火・土・金・水の5行を生み出す。
太極は理である。陰陽は気である。陰陽は永遠の過去から、永遠の未来まで存在している。生物は気が集まることによってこの世に生まれ、気が散じることによって死ぬ。人間は気の中でももっとも優れた気の集まったものである。


*******

このあたりで小生の理解の限度を超えてしまいました。

物質がビッグバンで発生したとする、西洋型の論理よりも解りやすく、納得しやすいように思います。



Tom 2010年02月17日 22:13  大化の改新で日本は中央集権化を目指したわけですが、それよりも1000年近く前に中国では、秦によって中央集権国家が出来上がるんですね。結局、大化の改新もその流れを汲むものなのでしょうが。中央集権国家は統治者にとっての一つの見果てぬ夢なんでしょうね。焚書坑儒は、愚ですね。タリバンによる仏像破壊も似ています。
 「気」の考えは、東洋医学にも受け継がれていますね。武術にも。一つの哲学かもしれませんね。

花水の蛍 2010年02月17日 23:41 Tomさん 厄介な議論にコメントありがとうございます。

経書・経学の経という字は縦糸を言うのだそうです。現実に基づいてプラグマティズムのように唯物論的に理性的な議論を展開します。
それに対して緯書というものがあり緯というのは横糸を意味するのだそうです。天の動きと地上の事柄を連動して仮借する占星術、宇宙の神秘と人間の社会や歴史を結びつける考察、人間の超能力の世界を今から見ると荒唐無稽と思われることを議論する書物を緯書といい、後漢の時代から大量に書かれたのだそうです。これらの緯書から緯学といわれる空想的で壮大な議論が学問になります。こうした議論から朱子の宇宙論が作られてゆくようです。

日本でも奈良・平安時代は陰陽師が跋扈し、言霊を恐れ、怨霊を恐れる時代でした。中国の影響でそうなったかは良くわかりません。

大化の改新は中国の中央集権に倣ったものですね。日本では神道による祭政一致の連合国から皇室中心の中央集権国家になり、祭祀は皇室の専権行事になってゆきます。

津軽藩が南部藩から独立したときに、それまでの文書を集めて焚書したそうですが、支配者が正当性を主張するときに実行されます。
古事記・日本書紀をまとめるにあたって、家伝を提出させたのも一種の焚書ですね。物部氏の伝承などもこのときにあいまいになってしまったようです。



Tom 2010年02月20日 16:38 なかなか面白いです。一時流行った言葉で、垂直思考、水平思考という言葉がありました。ちょっと似てるなと思いました。
 現象の中から法則性を見つけていく、そしてその法則性を利用するということは、高度な脳を持った生物がよくやることですが、(たとえばカラスが固い木の実を車道に落とし、車に轢かせて中の実を食べるのも、そういう認識法の一つの利用のように思うのですが)人間の脳の優れている点は、それらの法則のさらに奥にまで踏み込んで、法則を引き起こしている実体は何かというところまで追求し、現象と実体との関連性を検証する。それが出来ることのような気がします。
腐ったものを食べれば必ず腹をこわす。では腹痛を引き起こす実体は何か?病原菌だ。病原菌と腹痛との間にはどんな因果関係があるのか?というふうに。儒学は、実体への迫り方が西欧に比べてやや手ぬるかったということはないでしょうか? 法則性には強い関心を示したものの、実体究明へと向かわず、思弁、形而上学の段階で留まることが多かったというような。
 朱子学の背景が分かって面白いです。天体は人間にとって大いなる環境。外界と接して生きている生物である人間は、自分を取り巻く環境に強い関心を払ったのでしょうね。その中で、最も遠い距離にあって最も大きい環境が天体。遠く大きいだけに空想が膨らむのでしょうね。今だってそうですけど。(天体の運行法則は実用的な意味もありますし)
 陰陽師 朱子学の影響、ありそうですね。
 >神道による祭政一致の連合国から皇室中心の中央集権国家になり、祭祀は皇室の専権行事になってゆきます
 その辺の流れが大変面白そうですね。人間社会に共通しているように思います。
 >津軽藩が南部藩から独立したときに、それまでの文書を集めて焚書
 焚書(過去の抹殺・消去)は、お前が支配するか、オレが支配するか。二つに一つだ。式のいわばゼロサムゲームみたいですね。近代になると、悪い歴史もよい歴史も歴史は歴史。そこから教訓的にいろいろ学ぼうとします。広島原爆ドームを残しているのもそういう思想なのかなと、ふと思いました。
 >物部氏の伝承などもこのときにあいまいになってしまったようです。
 近、現代の人間からみればとても惜しいことですよね。

儒教とは何か(2)

加地伸行著「儒教とは何か」中公文庫

儒教の歴史は大きく区分すると
 1原儒時代 孔子が登場する前の時代 祖先崇拝と招魂祭祀に儒(シャーマン)が活躍した。
 2儒教成立時代 孔子が儒経を成立する時代 
 3経学時代  儒教が国家の指導原理となり研究が進み確立完成する時代
 4儒教内面化時代 清が倒れて礼教性が否定されたあとの儒教
とわけられます。経学時代がながく、仏教・道教との競合や儒教内部の抗争が続いて朱子学に収斂してゆきます。

儒には王朝の祭祀儀礼・古伝承の記録を司る上層の知識人(君子儒)たちと、祈祷や喪葬を担当するシャーマン系下層の儒(原儒・小人儒)があります。
孔子は上層の儒(君子儒)として、強力な塾を作り、人材を輩出します。塾は師と弟子が強い絆に結ばれて、さまざまな問題を討論しています。そこで使われる教材は孔子がそれまでの歴史の中に蓄えられた先人の知恵を取捨選択再編成した詩経・書経を用いました。

儒家はキリスト教のように神はすべての人を平等に愛するという立場をとらず、自身に近い血筋のものと遠いものを区別します。一番近い親子の間の愛が強く、葬儀などの悲しみの度合いも、喪に服する期間なども、親が亡くなった場合子が一番悲しみ、喪の期間もながくなります。
一族の祭祀では最初の先祖と自分から5代前までの祖先の名前をいれた位牌を祭壇に祀り、2代目以降6代前までは初代の位牌に合祀します。分家も5代までは同族として祭祀を共にします。これによって強力な一族の団結が保たれました。
葬儀などにおいて参加者全員が喪服を着ることはなく死者との関係が遠くなるにつれて平服になります。
[[attached(1,center)]]
孔子はシャーマンのおどろおどろしい招魂儀礼は良しとせず、整然と執り行う儀礼を重く見ています。
孔子が出現してから宗教的儀礼(招魂儀礼など)は次第に倫理的儀礼(社会的儀礼)と変わってゆき、血を受け継ぐ一族の団結の儀礼へと変わってゆきます。

孔子の死後弟子たちが各地に分散して根を下ろしてゆきます。そのなかで心の内省や礼の内容・目的を重んじた実践派・哲学派だった曾子の系統から孟子が登場します。また知識や礼の形式を重んじた文献派・学術派の子夏の系統から荀子がでます。孟子は性善説をとなえ、荀子は性悪説を唱えて、荀子の後から法家と言われる韓非子がでます。

儒家の理想とする人間・聖人は神でも仏でもなく、尭・舜と言った伝説の王で、あくまでも人間です。
聖人は努力して修行をつめば誰でも到達できるかもしれない人間です。
キリスト教の神になることはもちろん、仏教の仏になることも輪廻転生を繰り返した挙句にも容易にはできません。
儒教では孝・悌・仁・義・礼・・・・と言った倫理を収めることに聖人に近づくことができます。
聖人が政治を司ることを儒家は理想としています。

秦の始皇帝は法治を国家原理にして失敗わずか20年で秦は崩壊滅亡しました。それ以来法より道徳を重く見る儒教が中華王朝の国家原理とされました。そのため現在でも法治国家とはいえない、一罰百戒のような処罰が行われています。

儒教は人間は教育によって知性・徳性をみがくことによってよりよい人間になるとし、自然もまた人間の手をくわえ加工することによって、人間のより住みよい環境ができるとしました。

老子は自然的世界を重視しました。世俗を合理化する儒教の生き方は地位・財産・富貴を求めて会い争う世界を作るだけだ。常識や世俗の小ざかしい知恵などを捨てて無為自然になることを主張した。
道教として一定のひろがりはありましたが、国の指導原理にはなりえませんでした。

儒教とは何か(1)

イメージ 1

儒教に関する本をずっと探していました。
「韓国は哲学である」と言う本は儒教に基づいて韓国を解析していました。
いいたいらしいことはなんとなくわかるのですが肝心の儒教に関して書いたものが見つかりませんでした。
ようやく加地伸行著「儒教とは何か」中公文庫が見つかりました。

実は儒教が宗教だと言うことが理解できませんでした。
孔子から始まった礼式の集大成のような印象のためです。
この本の最初のところを読んで目からうろこが落ちる思いです。
哲学と固ぐるしい礼法でがんじがらめで生命力を失ったかに見える儒教は実は死者を弔う礼法とその生死観ではっきり宗教としての存在がありました。
キリスト教の天国における永遠の生命、仏教の輪廻と解脱に対して儒教は先祖から受け継ぐ血筋のなかに命が受け継げられて、祖先たちの霊が自分にまた子供たち、孫たちの近くにあり、死者のどくろをよりしろに現世とつながっています。子孫があるかぎり先祖代々の霊は常に現世につながって子孫と共にあると考えられます。

儒は古代中国では葬式を執り行う人たちでした。孔子は農夫の父と儒の母の間に生まれました。
孔子以前の儒者を原儒と言います。原儒はしきたりを守り、葬儀や先祖祭礼で恍惚として招魂するシャーマンでした。しきたりを守ることから知識を蓄積する知識人の面もあり、招魂祭、葬儀を主催することから宗教家としての面もありました。
知識人としての儒は君子儒として国家の祭礼や式典をつかさどる存在に、またシャーマンとしての儒は小人儒として社会を下さざえするように次第に分かれてゆきました。その君子儒を確立し礼式をさだめ君子儒を国家の指導原理まで高めた最初の人が孔子であったとされています。
孔子は[孝」を概念化しました。生きている親に「礼」を持って仕え、死んだ祖先対して「礼」を持って仕えることを「孝」としました。「孝」は日本で考えられているように親だけではなく子や孫をいつくしみ育てることもまた「孝」とされました。先祖に対しまた親に対して「礼」を持って仕え、子や孫をいつくしみ育て、子孫の繁栄を実現することこそ、自分自身の存在を永遠に確かなものにするのです。生死を「孝」で結びその上に礼式を確かなものして、社会規範にし、また死の恐れをしずめる宗教性を確立したと考えられます。
孔子はまた家族愛、親族愛の概念だった「仁」を、広く人を愛する博愛にたかめて、積極的に他人を愛し良く仕えることを説きます。

孔子は20代後半に魯国の役人に取り立てられます。そこで田舎ものと馬鹿にされながら先輩たちにしつこく魯国の礼式について質問し習得して、国の大礼を身に着けてゆきます。音楽にも才能があった孔子は式典にともなう音楽にも精通して、やがて魯国の礼式の大家としてのし上がってゆきます。
また孔子は周王朝の文献をよく研究し、殷王朝、夏王朝の礼式も研究して、文献学者としても一家をなします。詩経・書経を再編してやがて孔子の主催する私塾の教科書として、人のあり方、社会のあり方、為政者としての心得などを習得する教材とします。
当時の塾は行政官僚を養成する大学であり政党であり、ジャーナリズムでもあるような社会的に大きな影響力を持っていました。師と弟子は熱い共同体となって、社会に対していたわけです。
孔子が50才ごろ魯国の閣僚になるやライバルの塾長小正卯をただちに暗殺して、自分の塾の安泰をはかったりしたそうです。自分たちの政治主張を守るためには容赦がなかったと言うことでしょう。

芋粥

紅東より甘いよ!と声をかけられてサツマイモを一箱買いました。
5Kg980円 やすい。
紅東を改良したものかも知れないと思いました。

家に帰ってサツマイモを切ってみました。
鮮やかな紫色です!
そうだったのかと箱を見直すと「パープルスイートロード」とかいてあります。
紫芋だったんですね!写真の箱に10本入っていました。

以前長芋を買ったときに、芥川の芋粥を連想しながら
芋粥を作ったことがありました。
この小説を読んだときからどんな芋粥なのだろうとこころの片隅に残っていました。
平安時代終わりころの歴史がこもっていました。

さて紫のサツマイモを使って芋粥を作りました。
圧力鍋で蒸かしてからミキサーをかけよく煮立てて、しょうがをすり込み、牛乳を入れて完成です。
牛乳で紫色が薄められ優雅な色合いです。紫色が源氏物語の世界を連想させます。
砂糖はまったく入っていないのですがほんのり上品な甘みがあります。
イメージ 1
全部で10本大小取り混ぜて入っていました。
それにしても紫のサツマイモ安くなったものです。

中も外も白いサツマイモ → 九州 
外が白くて中がオレンジ色のサツマイモ → 北海道で見ました
中が黄色い金時芋
定番の紅東・・・・・サツマイモも種類が増えて楽しい!


私が運良く一人暮らしの老人になったら
芋粥料理の研究はきっと生きてくるぞ
・・・・と妄想しているこのごろです。

全33ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
甲斐駒
甲斐駒
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新の画像つき記事一覧

標準グループ

神社関連

古代史

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事