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紅東より甘いよ!と声をかけられてサツマイモを一箱買いました。 5Kg980円 やすい。 紅東を改良したものかも知れないと思いました。 家に帰ってサツマイモを切ってみました。 鮮やかな紫色です! そうだったのかと箱を見直すと「パープルスイートロード」とかいてあります。 紫芋だったんですね!写真の箱に10本入っていました。 以前長芋を買ったときに、芥川の芋粥を連想しながら 芋粥を作ったことがありました。 この小説を読んだときからどんな芋粥なのだろうとこころの片隅に残っていました。 平安時代終わりころの歴史がこもっていました。 さて紫のサツマイモを使って芋粥を作りました。 圧力鍋で蒸かしてからミキサーをかけよく煮立てて、しょうがをすり込み、牛乳を入れて完成です。 牛乳で紫色が薄められ優雅な色合いです。紫色が源氏物語の世界を連想させます。 砂糖はまったく入っていないのですがほんのり上品な甘みがあります。 それにしても紫のサツマイモ安くなったものです。 中も外も白いサツマイモ → 九州 外が白くて中がオレンジ色のサツマイモ → 北海道で見ました 中が黄色い金時芋 定番の紅東・・・・・サツマイモも種類が増えて楽しい! 私が運良く一人暮らしの老人になったら
芋粥料理の研究はきっと生きてくるぞ ・・・・と妄想しているこのごろです。 |
日常雑感
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「カレーライスと日本人」森枝卓士著 講談社現代新書 カレーライスはいまや日本人の国民食といってもよいほど好まれる料理です。 カレールーからレトルトカレーまで日本には膨大なカレーに関する製品がたくさんあります。 日本のカレーの先祖はイギリスのカレーです。イギリスにもカレーの製品はありますが他のヨーロッパ諸国には数えるほどの製品はないのだそうです。圧倒的に日本は多い! 「インド人もびっくり」と言うカレー粉の強烈なコマーシャルがありました。 著者はまさかインド人が日本のカレーをおいしいと驚くとは思えませんが、本当はどう思うかインドに出かけて日本式カレーを作って食べてもらったそうです。インド人は外交辞令もあるのでしょうがインドの皆さんがおいしいと言ってくれたそうです。実際上流の家庭で日本製のカレールー(インドでは高価なもの)を日本やアメリカに出かけたときに買ってきて食べている例もあるそうな! カレー粉と言うのはイギリスの発明でインドにはないのだそうです。 そもそも世界中でカレーという料理の名前がインドでは使われていません。 カレーと言う言葉もどのようにヨーロッパに伝わったのかもはっきりしていないそうです。 タミール語でご飯にかける汁状のものをカリといいポルトガル人がヨーロッパにカリルと伝えてその間にカレーといわれるようになったと言うのが有力な説です。 インドの料理はさまざまなスパイスをすり鉢で混ぜ合わせて、味をきめるスパイスペーストをつくります。 ベンガル系のジャインさんの使っているスパイスは唐辛子、コリアンダー、クミン、シナモン、カルダモン、クローブ、月桂樹、ポピーシード、ナツメグ、ターメリック、フェヌグリークシード、黒コショウ、にんにく、しょうがなどです。これらを大量にすりつぶして使うのです。 インド周辺の東南アジアでは同じようにスパイスを使う「すり鉢文化圏」があります。 どんな料理にもスパイスを使うため日本人から見るとすべてカレー料理に見える。 インドのカレー料理はナムなどの小麦パンと食べたりインディカ種の米と食べる。カレー料理には日本のジャポニカ米より、さっぱりしたインディカ種の方が良く合います。 日本のカレーライスの先祖はイギリスにあり、C&Bと言う会社でした。 明治のはじめころは英国王室ご用達のC&B社のカレー粉でなければうまくないと誰もが考えていたようです。 著者はイギリスに渡ってC&B社を取材に行きますが、そこにはすでに開発の経緯はわからなくなっており、会社はネッスルの傘下に落ちぶれていました。そもそも日本ではカレーライスの専門会社と崇敬されていたC%B社は営業品目のひとつとしてカレー粉を作っていただけのことで今では外注して作ったものを営業品目に入れているだけだそうです。カレー粉発明の栄えある歴史はまるで雲の中です。 そこで著者は大英博物館にある大英図書館に文献を探します。ところが食に関してイギリス人はあまり興味がないためか、文献がほとんどない。伝統文化の国イギリスも興味のないことには記録を残してはくれなかった。フランス人がグルメ志向で食を大切にするのとは大違いの風土でした。 ******** 放送大学でカレーライスについて講義しているのを見たことがあります。 インドでは家族の健康をみながら主婦がスパイスを選ぶ、一種の薬膳料理だと言っていました。 俄然興味がわきました。それ以来インド料理店でカレーライスを食べることが楽しみのになりました。 最近の言葉でいうならB級グルメのひとつでしょうか
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「もういい会」は会社の同期会の名称です。 一部上場の会社に入ったとき、同期入社の連中で同期会を作りました。 会の名前を話し合っているときにだれかが言い出した名前がこれでした。 第一回の幹事は不肖ながら小生が勤めました。 それなのに途中退社してしまいました。 この会の忘年会は途中退社のひとにも集合連絡がきます。 紅顔の美青年たちが半世紀経った今、白髪が目立つ老人の集団になってしまいました。 アナログ世代の人たちですからメールの通じない人もいます。 往復はがきでの欠席の挨拶紹介から忘年会が始まりました。 「酒に自信がなくなり、そんな折ひざに怪我をしてしまったため今年は欠席」 と定年後地球を一周以上歩いていることが自慢の友人からの挨拶です。 釧路から例年、やってくる元気印のA君は今年は欠席です。 そのかわりに見事な毛がにを代理出席してくれました。 めったに見ることの無い大物です。 同期の人たちは趣味人がおおく、コーラスに参加して、公演旅行にロシアにまで出かける人、プロの演奏家を招いて高度な曲に挑戦する人、この二人は毎年定期演奏会の案内をくれます。 また趣味が高じてプロの写真家になった人もいます。 高山植物の写真展を開く人も居ます。 ひとしきり歓談のあとで、近況報告をするしきたりです。 病気から立ち直ったはなし、頚動脈の閉塞を手術で直した話は、恐怖でした。 散歩をしている人がおおく健康問題はおおきな関心事です。 会場の’花の舞’はなかなかコストパフォーマンスがよく アルコールは種類も多くてたのしい会をもりたててくれます。 ことしは常連の何人かが都合がわるくて、参加できませんでした。 また身体をこわして、闘病中にため参加できない人もありました。 これから何が起こるかわからない世代になってしまいました。 来年もまた元気で集まることを誓って忘年会を終わりました! |

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山の辺の道の興奮冷めやらない中、宿泊地 名張市に向かいました。 桔梗が丘駅下車のビジネスホテル・ルートイン名張が宿です。 「私とお母さんはツインの部屋で父さんはシングルの部屋ね」娘の一言で、仲の良い母娘と仲間はずれの父親に別れました。シングルの部屋は上の階です。 心理学者 河合隼雄氏の説(源氏物語と日本人)によると母権社会では母と娘が一体に行動するそうで、古代から伝統的な日本人の生き方なのだそうです。戦争などがなく平和な時代がつづくと母権社会の雰囲気が強まるのだそうな! さて翌朝 ビジネスホテルの常識をやぶる朝食が待っていました。 まさかのバイキング形式でした。安い料金のビジネスホテルでははじめての体験です。 このホテルには大浴場もあり、仲良し母娘には大好評でした。 そういえば到着時のロビーの無料コーヒーもうまかった! 次の目的は奈良に戻るか?京都に行くか?と思案しましたが、帰ることを考えると順路になる伊勢に行った方が時間が有効だということになりました。 御朱印集めに情熱をもつ娘がまだ参拝していないということです。 伊勢駅で荷物を預け伊勢神宮外宮に向かいました。 参拝が終わるまでかなりの時間がかかりました。 バスで内宮に向かいます。内宮は大変な人出でした。 駐車場は参拝者のバスと乗用車であふれていました。 説明員もはりきって案内していました。 宇治橋開通の奉祝イベントだそうです。 宇治橋のお祝いのために普段よりたくさんの人が集まっているのだそうです。 待ちくたびれて、摂社・末社には参拝せずに出てきました。 お楽しみは御蔭横丁です。早速赤福でお汁粉を買いましたが、なんと娘も家内も左党のため私のものだけです。 あんころもちならほとんど待たずに食べることができます。 雨雲が厚くなって、薄暗くなり、雨模様になってきました。 雨の前に帰らなければと、追われるように帰路につきました。 |
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2泊3日で家族旅行をしました。 目的地は奈良県桜井市の山の辺の道です。 本当は1人で車で出かけ、ゆっくり楽しむつもりが、思い掛けなく仕事が詰まって、どんどん予定がずれて、寒くなってしまいました。 娘が心配して、付き添ってくれると言い、家内がそれでは一緒に行くと言い出して、不自由な家族旅行になってしまいました。 宿はネットで娘が探し、一日目は飛鳥の祝戸荘、二日目は名張のビジネスホテル、ルートインです。 祝戸荘は石舞台の近くです。日が短くなったためと予定通りに電車がつながらなかったために、石舞台に寄らずに宿に直行する羽目になりました。 部屋は「入鹿」で「鎌足」の隣です。「草壁」の隣が「大津」でなにやら意味深な組み合わせです。 これはうれしくも楽しい経験です!! 少し甘口で濃い味です。これも古代の伝統のお酒でしょうか? ロビーの奥に図書室があり、すべて日本古代史に関する本です。 よくもここまで集めたものです。すばらしい!! さすがに飛鳥の宿です。探してくれた娘に大感謝でした。 翌朝石舞台まで宿の車で送っていただきました。ほかのお客は皆さん車で来ていました。 方形墳としては最大級らしいのですが、蘇我氏が衰退したために、修理もうまく行かなかったのか無残です。 石舞台から桜井駅行きのバスに乗りました。桜井で荷物を預けて、天理市まで電車で行き、歩いて帰る娘の作戦です。天理市で天理教の教会を抜けて石上神社まで歩きました。 アーケイドの天理教の門前町商店街はなかなか面白い!が結構距離があります。 家内はすでに音を上げ始めています。 でも古代のロマンでは遥かにこちらが上だと思いながら参拝しました。 さて、そろそろ不満顔の家内のために駅までタクシーに乗り、娘は作戦を変更しました。 柳本駅まで電車で行き、レンタサイクルを借りる、家内にはアシスト付の自転車を借りるということです。 ネットの情報で予約し、借りられることになりました。 レンタサイクルを借りた後で、山の辺の道は自転車禁止とわかりました。 やむ終えずその周辺の道を走って、大神神社と桜井駅をめざします。 早速黒塚古墳、イザナギ神社、崇神天皇稜などの側を通ります! 景行天皇量の前にうどん屋がありました。 柳本駅についたら昼食にしようと考えていたのですが、どこにも食堂が無いのです。 幹線道路ぞいにコンビニならありますと聞いていたのがどうやら行く先と方向が違うらしくて、無かったのです。 景行天皇陵はすっかり忘れて、檜原神社に向かいました。 坂道を一生懸命登ったら相撲神社つづいて大兵主神社があります。道を一本間違えました。 スポーツの神様ということで、すぐ隣の野見宿禰神社と関係が有りそうです。 坂を下りて檜原神社はあきらめ、箸墓古墳の横を通って大神神社に向かいました。 その祭神の一柱がなんと瀬織津姫ではありませんか!感動です!! レンタサイクルを返し、預けた荷物を日とる時間が迫っています。 桜井駅まで自転車を飛ばしました。 約束の17時にかろうじて間に合いました。 近鉄に乗って名張の宿・ルートインに向かいました。
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