ぶん・いとうの”スタジオK”

ここは言わばぼくの実験室です。 ライブ・ステージで、昭和歌謡の隠れた名曲や、スタンダードジャズを歌います!

 1969年12月、当時まだ ザ・タイガース のメンバーだった ジュリー こと 沢田研二 さんが、ソロ名義のアルバムを発表しました。全曲 作詞:安井かずみ・作曲:村井邦彦・編曲:東海林修 という豪華な布陣によってのプロジェクトで、完成度の高さよりは可能性へのチャレンジという意味で価値があるアルバムです。
 一方でグループとしては加橋かつみの脱退によって大きな曲がり角に差し掛かったばかりの微妙な時期で、このアルバムも結果微妙なものでした。というのは、この曲も、アルバムでは 沢田研二 名義になっているのに、シングル盤では ザ・タイガース 名義になっていたのです。ちなみに同じ年の夏に出したザ・タイガース名義の「嘆き」も同じ三人の作品でしたが、この「君を許す」はさらに歌謡曲寄りになっています。
 この曲をメインとするアルバム 「Julie」 は、伝説的アレンジャー 東海林修 氏のストリングス(バイオリンなどの弦楽器)やブラス(トランペットなどの管楽器)を多用し、残響音も多めな、ゴージャスなものに仕上がっていますが、当時多忙だった 沢田研二 さんには高いハードルになった気がします。

 とにもかくにも、アルバムの1曲目を飾るこの曲は、詞・曲・アレンジとも、飛び抜けた名曲です。いつものようにDAMさんのカラオケはかなり忠実に再現されていると思います。

 今回のキーは、「 ±0 」 で、[ Cm ] です。


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

 ブログを始めて丸4年が経ちました。最初の頃のある時期、特に2014年頃の動画が、当時のパソコンの処理能力の不足や、自分の動画作成能力の不足で不本意な出来であることが多く、少しずつ再編集や再収録をしています。今回はそれをまとめてご報告します。

まずは・・・歓送の歌(小椋佳)

以下、記事と併せての紹介です・・・



花の時・愛の時(前川清) 氷雨(佳山明生)[「わすれ傘」の記事の中にあります ]





どの曲もぼくにとって大切な曲ばかり・・・これからも大切に歌っていきます!


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)


 1969年、森山良子さんはそれまでフォークソング・ファンの間では 「 和製ジョーン・バエズ 」 として人気がありましたが、広く知られるようになったのはこの年に発売された歌謡曲調の 「 禁じられた恋 」 の大ヒットで、紅白にも初出場したことに拠るでしょう。
 そしてそんな彼女が忙しい年末に発売されたのが、この 「 恋人 」 で、B面の 「 想い出のグリーングラス 」 と共に、カントリー・ミュージックの本場、アメリカのナッシュビルで録音されました。

 大ヒットした 「 禁じられた恋 」 については、森山良子さんは 「 歌いたくなかった 」 と語っている通り、かなりの抵抗感があったようです。 かの伊東ゆかりさんが 「 小指の想い出 」 を歌うことになったときも同じように抵抗したそうで、プロの歌手にとって、ヒット曲というものは自分の思惑の外で生まれるものなのでしょうね。

 確かに 「 禁じられた恋 」 は作曲が当時はまだ駆け出しだった(故)三木たかしさんですが、前奏からかなり泥臭いアレンジ ( 編曲は高見弘さん ) でそれまでの良子さんのイメージとはかけ離れていました。 ちょうと゜中学進学の頃だったぼくでさえ、違和感を覚えていた記憶があります。 レコーディングのときに良子さんは抵抗しながらもスタジオに臨み、そこでプロデューサーやミュージシャン、スタッフやレコード会社の人たちがひとつのヒット曲を生み出すためにそのエネルギーをぶつけ合いながらもひとつになって仕事をしている様子を見て、次第に気持ちが変わり、ようやく歌うことができたそうです。 そしてそれが大ヒットするのですから凄いですね。 当然それからは前とは違う目も回るような忙しさになったことでしょう。

 だからこの良子さんにとって初めての海外録音は、ある意味彼女へのご褒美だったのかも知れません。 仕掛け人は作曲者でもあり、同年に音楽出版会社 「 アルファ・ミュージック 」 を設立した実業家・村井邦彦さんでしょう。 彼はこの年に ザ・テンプターズ(萩原健一さん) のアルバムもロサンゼルスで録音していたようですし、翌年には フォークグループ 「 赤い鳥 」(ハイファイセット、紙ふうせんの前身) をロンドンで、さらに翌1971年には江利チエミさんをまたロサンゼルスで、レコーディングさせています。

 曲はとてもシンプルですが、トランペットを生かしたのびのびとしたアレンジで ( 編曲者 Jim Hall に関しては詳細不明 ) ピュアな恋愛を表現しています。 カラオケもまあまあの再現をしてくれています。(^^) 懐かしく歌わせていただきました。

 今回のキーは 「 +2 」 で、[ Bm ] です。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)


 1970年第1回目のヤマハ主催 「 世界歌謡祭 」 ( 実は第1回だけは 「 東京国際歌謡音楽祭 」 という名称でした )で歌唱グランプリを受賞した曲です。 中学2年生だったぼくは、理由も無く感動し、翌年シングル・リリースされるまでとても待ち遠しかったのを覚えています。 なにしろまだビデオデッキなどない時代、テレビの中継番組で一回観ただけだった筈です。 だからなおさら 「 もう一度あの曲をじっくり聴きたい 」 と思っていました。

 作詞は 「 希望 」 ( 岸洋子ほか ) で知られる 藤田敏雄 さん。 そして作曲はかの 「 上を向いて歩こう 」 の中村八大 さん。 実は藤田さんは世界歌謡祭の総監督、中村さんは同音楽プロデューサーの一員という立場だったのですが、当時でも大ベテランだった雪村さんを、もし失敗したらそのキャリアに傷をつけるのではないかという周囲の心配にも関わらず引っ張りだし、見事文句なしの 「 歌唱グランプリ 」 の受賞という結果となりました。 ちなみにこの時のグランプリは 「 ナオミの夢 」( ヘドバとダビデ = イスラエルのデュオ ) でした。

 雪村いづみさんの歌声は実に個性的で、細い身体ながらアメリカで修行して得られた力強い歌唱はとてもアンバランスなのですが、そこが魅力ですね。 この個性は翌々年の第一回東京音楽祭 ( こちらはTBS主催 ) で見事グランプリを受賞した「 私は泣かない 」 でさらに花開くのですが、こちらはまだカラオケにはなっていません。
 この曲でさえも、名曲ながらヒット曲とは言えず、まさか第一興商さんのカラオケに登場するとは夢にも思いませんでしたが、 「 ダムオヤジ 」 さんというこのジャンルにやたら詳しい物知りの方のブログで知って、夢中で自主練して特急で収録しました。
 第一興商さんにもまたまた感謝です。(^^)

 今回のキーは、「 0 (原曲キー)」 で、[ Dm ] です。


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)


 おかげさまで、私の YouTube チャンネルの登録者数が 900人を超えました。( 6月10日現在 ) ありがとうございます。 これからも良い歌をお届けする努力を続けて頑張りますので、応援よろしくお願いいたします。

 そして・・・私の YouTube の原点はこの曲でした。 歌っている動画を初めて公開したのもこの曲でした。 これでこの曲は4回目の収録です。
 一回目はまだ手探り状態で取り敢えず作ってみたため、歌い込みが足りない、録音のコツもまだ分かっていなかったので音も悪い、と試行錯誤7か月 ( 自分でもなんでこんなに時間が経過したのか覚えていないのですが ) の後に同じ曲をほとんど同じ画像構成で 二回目 のアップをしました。 その後はいろいろな曲をコンスタントに静止画のスライドショー形式でアップし続けました。

 そして 三回目 はいよいよ ライブ活動の準備のために 顔出し に踏み切り、最初の動画としてもこの曲を選んでアップ。 まだ動きがぎこちないこと極まりなく、恥ずかしいのですが、自分を客観視することがある程度できましたので、ひとつのステージ ( 段階 ) として残しながらも、ずっと気になってはいました。

 そして今回の 四回目。 キー設定もカラオケも変わりありませんが、60歳になった「ぶん・いとう」にまた歌わせてみたかったのです。 せっかくなので、昭和のイメージ(?)を綿麻の夏着物で表現しながら歌ってみました。

 「これからが青春です・・・もうひと花咲かせましょう・・・」 いつでもぼくを励ましてくれる応援歌です。 同世代の人たちにこれからももっと浸透して行ってくれたら嬉しいです。

 今回のキーは 「−1 」 ( 原曲キーは+1 ) で、[ Eb ] です。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事