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神奈川県 江ノ島「江島神社」辺津宮(へつみや)
宗像三女神(むなかたさんじょじん)のひとつ
田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をお祀りしています。 土御門天皇健永元年(1206年)、将軍・源實朝が創建。 延寶三年(1675年)に再建された後、昭和51年(1976年)に改築されたものが、現在の辺津宮になります。 江島神社の一番下に位置していることから『下の宮』とも呼ばれ、 島の玄関口にもあたり、神社での御祈祷は、こちらで主に御奉仕されます。 昭和51年(1976年)の大改修により、権現造りの現在の社殿が新築されました。 宗像三女神(むなかたさんじょじん)は、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称である。 宗像三女神を祭神とする全国の神社 海の神・航海の神として信仰されている。宗像大社のほか、厳島神社(広島県廿日市市宮島町)、田島神社(佐賀県唐津市呼子町)、および各地の宗像神社・厳島神社・八王子社・天真名井社で祀られている。 |
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神奈川県 江ノ島「江島神社」絵図
この「江島神社」のシンボルとして「弁天様」があります。
辺津宮の境内の奉安殿には、八臂(はっぴ)弁財天と、 日本三大弁財天のひとつとして有名な裸弁財天・妙音(みょうおん)弁財天が安置されています。 「妙音弁才天」は、右足を曲げ、左足を下げ、琵琶を爪弾いている姿から、音楽関係者や歌舞伎役者などから信仰されています。 七福神(弁財天)
七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天(弁才天とも書く)は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されている。 大黒天と同様、弁才天のルーツは古代インドの水の神サラスヴァーティーである。 インドでの弁才天(サラスヴァーティー) 古代インドの水の神サラスヴァーティーのサラスは「水」を意味し、もともとは西北インドにあった大河の名前を指し、大河の自然としての偉大さ自体を神としたものらしい。さらに河がもたらす恵みから豊穣の女神となり、さらさらと流れる河の音が音楽を奏でるようだとの連想から、音楽の女神にもなる。
詳しい地図を見る(文字をクリック) 神奈川県藤沢市江の島2丁目 |
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神奈川県 江ノ島「江島神社」弁天堂
「江島神社」 御祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた神で、三人姉妹の女神様です。 奥津宮の多紀理比賣命、中津宮の市寸島比賣命、辺津宮の田寸津比賣命、この三女神を江島大神と称しています。 古くは江島明神と呼ばれていましたが、仏教との習合によって、弁財天女とされ、江島弁財天として信仰されるに至り、 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで仰がれています。福岡の宗像大社や、広島の厳島神社と御同神でもあります。 この「江島神社」のシンボルとして「弁天様」があります。
辺津宮の境内の奉安殿には、八臂(はっぴ)弁財天と、 日本三大弁財天のひとつとして有名な裸弁財天・妙音(みょうおん)弁財天が安置されています。 江戸時代には、この江島弁財天への信仰が集まり、江ノ島詣の人々で大変な賑わいを見せました。 世にいわれる「日本三大弁財天」とは、安芸の宮島、近江・竹生島、江島の弁財天のことです。 八角のお堂・奉安殿は、妙音弁財天、八臂弁財天の御尊像を奉祀するために昭和45年に造営されたもので、 奈良法隆寺の夢殿をモデルにした造りとなっています。
中には、十五童子像、後宇多天皇の勅額、弁財天像扁額、 弘法大師の手形が押された護摩修法による弁財天像があります。
詳しい地図を見る(文字をクリック) 神奈川県藤沢市江の島2丁目 |
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川口市 朝日「薬林寺」 薬師堂
境内に川口三薬師(安行慈林の薬師、領家光音寺の薬師)の一つである「岡の薬師」と称される薬師堂があります。このお堂の中央には薬師瑠璃光如来(この尊像を岡の薬師と称す)左右の脇士に日光、月光両菩薩を、護法神として十二神将そして娑子が安置されています。このお堂は、天文八年(1539年)四月の造立で天正十三年(1585年)、北条氏の家臣立川山城守、代官大久保内蔵助らを大檀那として再建したといわれています。 平成元年には岡の薬師450年大祭記念として老朽化したお堂を再建しました。またこの薬師堂では大護摩供が勤修され岡の薬師は、現在も広く信仰されています。
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川口市 朝日「薬林寺」 本堂
開基は室町時代、開山は当山第一世法印宥淳和尚で、寛正元年(1460年)五月とされています。 中興開山は、第四世法印了高和尚で、大永五年(1525年)六月です。 薬林寺は往古、樋の爪村(現朝日)の西を流れる野川(現芝川)のほとりに大伽藍を配し建てられていました。 しかし天正年間(1573〜91年)北条氏との戦いに敗れた岩槻太田の落人が、樋の爪村薬林寺へのがれて来た時、村民が集って堂を破壊してしまい、その後再建の時、現在地へ移ったと伝えられています。 境内に川口三薬師(安行慈林の薬師、領家光音寺の薬師)の一つである「岡の薬師」と称される薬師堂があります。このお堂の中央には薬師瑠璃光如来(この尊像を岡の薬師と称す)左右の脇士に日光、月光両菩薩を、護法神として十二神将そして娑子が安置されています。このお堂は、天文八年(1539年)四月の造立で天正十三年(1585年)、北条氏の家臣立川山城守、代官大久保内蔵助らを大檀那として再建したといわれています。 平成元年には岡の薬師450年大祭記念として老朽化したお堂を再建しました。またこの薬師堂では大護摩供が勤修され岡の薬師は、現在も広く信仰されています。 |




