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蕨市南町地区 板倉家「板碑」
鎌倉街道を探索していると、街道沿いのお寺や街道辻など人目につきやすい所によく板碑を見掛けます。 板碑という呼び方は江戸時代の中頃以降といわれ、松平定信の編集した『集古十種』より見られ、その後流行した地誌・紀行文等にはことごとく板碑が収録され、この塔婆を板碑と呼ぶのが一般化したそうです。 しかし板碑と呼ぶとこれは石碑や古碑などの記念碑などを意味するものとなってしまい、本来の仏教的意味合で仏の供養に使われた卒塔婆を理解しない呼び方になってしまって居るといいます。 板碑は正式には「板石塔婆」か「青石塔婆」が正しいそうです。板石塔婆は姿形が薄平な石の板であることを強調するあまり、碑と言うあいまいな根拠から板碑と呼ばれたわけですが、仏教の卒塔婆であるというのは、仏像、種子、曼陀羅、塔婆のいずれかを刻んでいることが必須条件であるとする為だそうです。 そして昭和37年、長くなじんで親しんだ「板碑」の名称の方が簡単でわかりやすく、かつ便利なので、文化財の指定も板碑の名称で良いということになったようです。 |
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2010年06月30日
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