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東京都 北区赤羽 岩淵宿 日光御成道
【岩槻街道と岩淵宿】 13世紀鎌倉時代にはすでに川口に渡って岩付(岩槻)から古河へと奥州に向かう街道が出来ていて、岩淵には宿場が開かれていた。江戸時代に入ると各街道に整備が急がれて岩槻街道は主要五街道の下にランクされた。 家康の廟所が日光に出来ると二代将軍から日光社参の旅が始まったが、将軍家の第一の宿所を岩付城と定めていたことから行列は日光街道を利用せずに岩槻街道を通ることを習いとした。旅人や諸大名の行列の多くは日光街道の方を通行していたので岩槻道は徳川家のワンマン道路的に見なされて日光御成り道とも呼ばれていた。 徳川家の社参行列は臣下の大名行列よりも規模が抜きん出たものでなくてはならず、そのために多大な費用と手間を要して財政を圧迫することにもなったが、江戸期260年のあいだに中断した時期はあるもののたびたび行われていた。またそれ以外にも奥方お女中達の東照宮参詣も盛んでよくこの街道を往来した。 【岩淵宿】 荒川を挟んで岩淵宿と川口宿があった。 岩淵宿は岩槻道の最初の宿場。日本橋から三里八町、宿の長さは四町二十一間、道幅四間とある。旅篭屋は若松屋、大黒屋が有名で本陣は小田切氏が代々勤める。 川口と合い宿として月の前半後半で宿場の役目を交代した。 実際にはほとんどが日光街道の千住宿を利用したのであまり活気はなかった。 しかし宿場の機能とは旅人に宿を提供するばかりではない。むしろ江戸内外の物資の運輸や郵便通信などの問屋場業務のほうが政治的社会的には重要で、多くは本陣が直轄して運営されていた。ことに岩淵は街道交通に加えて荒川の上流下流の水運もあったのでその意味では物資が集積する賑わいのある町だった。 (「赤羽時間旅行」より引用)
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2011年10月21日
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