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蕨市 三学院「閻魔堂」
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warabi三学院
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蕨市三学院
三学院は、京都の新義真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺で、金亀山(こんきさん)極楽寺三学院という。創立年代は不明ですが、本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることや、他に現存する資料から中世以前の創建と考えられている。
天正19年(1591)には、徳川家康より、寺領20石を寄進する旨の朱印状が授与されており、以後徳川歴代将軍からも同様の朱印状が与えられている。 また、三学院は、足立坂東三十三観音霊場の20番、北足立八十八霊場の30番にあたる札所としても知られている。
また、江戸時代には「関東七ヶ寺」の一つとして僧侶の教育機関であった。初めは中山道の三学院入口角にあったが、明治元年、明治天皇の氷川神社行幸の折りに、参道の中ほどへ移され、さらに昭和23年、現在の仁王門前に安置された。
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蕨市 三学院「墓石群」
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蕨市 三学院「平和観音」
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蕨市 三学院「仏舎利殿金亀舎利塔」」
ここ三学院の「仏舎利殿金亀舎利塔」はあのかの有名な「孫悟空」にゆかりがあるんです。 玄奘三蔵法師といえば、「西遊記」によって人々に親しまれている名僧であり、また経典を求めて遠く天竺(インド)まで苦難の旅路を続ける法師を助けて、妖怪相手に大活躍する「孫悟空」は誰しもが知っているヒーローです。 玄奘塔完成の式典の際、「法師は仏教の一大恩人であり、日中の仏教徒が永遠に法師の遺徳を大切にしよう」という趣旨で分骨され、日本仏教徒代表の倉持秀峰氏に手渡されました。こうして霊骨は日本にもたらされることになりました。 来日した霊骨は当初、仏教連合会の置かれていた東京、芝の増上寺に安置されましたが、第二次世界大戦末期、東京では空襲が始まっており、万が一灰燼に帰することがあってはならないということで、一時は倉持会長の住職寺である蕨市三学院に仮安置されました。 |
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蕨市 三学院 蕨市指定文化財 「目疾地蔵(めやみじぞう)」
地蔵石仏「目疾地蔵(めやみじぞう)」蕨市指定文化財 高さ約1.9mのこの石仏は、万治元年(1658)に念仏講の人々が「この世」と「あの世」の 安楽を願い造立したものです。 通称「目疾地蔵(めやみじぞう)」と呼ばれ、目に味噌をぬると眼病が直るという民間信仰の対象となっています。
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