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川口市 朝日「薬林寺」 薬師堂
境内に川口三薬師(安行慈林の薬師、領家光音寺の薬師)の一つである「岡の薬師」と称される薬師堂があります。このお堂の中央には薬師瑠璃光如来(この尊像を岡の薬師と称す)左右の脇士に日光、月光両菩薩を、護法神として十二神将そして娑子が安置されています。このお堂は、天文八年(1539年)四月の造立で天正十三年(1585年)、北条氏の家臣立川山城守、代官大久保内蔵助らを大檀那として再建したといわれています。 平成元年には岡の薬師450年大祭記念として老朽化したお堂を再建しました。またこの薬師堂では大護摩供が勤修され岡の薬師は、現在も広く信仰されています。
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川口市 朝日
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川口市 朝日「薬林寺」 本堂
開基は室町時代、開山は当山第一世法印宥淳和尚で、寛正元年(1460年)五月とされています。 中興開山は、第四世法印了高和尚で、大永五年(1525年)六月です。 薬林寺は往古、樋の爪村(現朝日)の西を流れる野川(現芝川)のほとりに大伽藍を配し建てられていました。 しかし天正年間(1573〜91年)北条氏との戦いに敗れた岩槻太田の落人が、樋の爪村薬林寺へのがれて来た時、村民が集って堂を破壊してしまい、その後再建の時、現在地へ移ったと伝えられています。 境内に川口三薬師(安行慈林の薬師、領家光音寺の薬師)の一つである「岡の薬師」と称される薬師堂があります。このお堂の中央には薬師瑠璃光如来(この尊像を岡の薬師と称す)左右の脇士に日光、月光両菩薩を、護法神として十二神将そして娑子が安置されています。このお堂は、天文八年(1539年)四月の造立で天正十三年(1585年)、北条氏の家臣立川山城守、代官大久保内蔵助らを大檀那として再建したといわれています。 平成元年には岡の薬師450年大祭記念として老朽化したお堂を再建しました。またこの薬師堂では大護摩供が勤修され岡の薬師は、現在も広く信仰されています。 |
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川口市 朝日「薬林寺」 弘法大師像
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川口市 朝日「薬林寺」
瑠璃山薬林寺の由緒 無量寿阿弥陀如来をご本尊とする薬林寺は真言宗智山派のお寺です。 開基は室町時代、開山は当山第一世法印宥淳和尚で、寛正元年(1460年)五月とされています。 中興開山は、第四世法印了高和尚で、大永五年(1525年)六月です。 この法燈は現住第四十二世秀隆和尚まで綿々として続いております。 薬林寺は往古、樋の爪村(現朝日)の西を流れる野川(現芝川)のほとりに大伽藍を配し建てられていました。 しかし天正年間(1573〜91年)北条氏との戦いに敗れた岩槻太田の落人が、樋の爪村薬林寺へのがれて来た時、村民が集って堂を破壊してしまい、その後再建の時、現在地へ移ったと伝えられています。
観音堂の十一面観世音菩薩立像にもいい伝えがあります。
文化年間(1804〜17 年)のはじめに、何者かの手によって観音像が盗まれ、江戸駒込の古物商に売払われた。 ところが、古物商の妻が高熱にうなされ、しきりに「樋の爪村の薬林寺に帰リたい、帰りたい」とうわごとをいうようになった。 これをおそれて古物商はこの像を寺にかえした。 この像を住職が村入達とねんごろに礼拝供養した折 、観音像はさも満足気に首を振ってうなずいた。 それより誰いうとなく「薬林寺 の首振り観音」と呼ばれ、人々によって益々願い事が成就するよう信仰が広まっ た。 この十一面観世音菩薩像は、首部が抜け、胴部は内ぐりされており、その胎内には元禄十五年(1702年)の古文書が納められています。 |
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川口市 朝日「昌国利器工匠具(刃物)博物館」
川澄 昌国 盆栽ハサミなどで有名な方です。 海外でも有名なようです。 その制作工場が川口市朝日にあります。 その一角に日本で唯一の刃物博物館があります。 日本のみならず、世界の刃物のコレクションも揃っています。 初代昌国さんのコレクションのようです。 これを見に行った当日は震災の影響もあってか公開はしていませんでした。 奥さまやお婆ちゃんとお話しをしているうちに、どうしても見たいかい?ということで 特別電気をつけてくれ、説明しながら貸切の状態で見せていただきました。 ぜひ皆さまも頼んでみてください。 男性の方にはたまらないコレクションですが、女性の方にも必見です。 もの凄い切れ味の包丁も作っています。 この博物館の1階で購入する事ができます。 あっちなみに、天皇陛下が秋の稲刈りにご使用になる鎌(かま)を制作している会社です。 |
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