徒然ブログ

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先週まで反戦番組が多く放送されていたが、太平洋戦争の核心にせまる内容は1つも無かったのが個人的には非常に残念である。

未だに日本が勝手に「大東亜共栄圏」を主張し、朝鮮併合や満州国の建国など一方的に暴走して数々の悪事を働いたような内容ばかりであった。

戦争で犠牲になった、何の罪も無い多くの日本人の霊を鎮めるためにも、また遺族の気持ちを察すると早急に真実を明らかにしてほしいものです。勝てば官軍…という言葉どおり、歴史の真実は闇に葬られてしまい何時になったら日本人に明らかにされるのだろうか。

今や明白なのは、戦争・商取引・金融為替取引・その他の国際的裏取引は、それぞれが独立して偶然に進展し続けているわけでもなく、大半は画策された時代の流れの中で起きているということである。

そして、中東でのキナ臭い足音が聞こえてきている昨今、いったい世界の情勢は何処に向かっているのか?それを知るためには、世界最大の軍事大国であり軍需関連産業が基幹産業化しているアメリカの歴史を学ぶことも必要になってきているのではないだろうか。

アメリカの歴史は戦争の歴史でもある。スペインとの戦争、内戦である南北戦争、イギリスからの独立戦争、そして数々の小国を蹂躙してきた。

その後、第1次世界大戦と第2次世界大戦の中心的国家として戦い、急速に肥大化して政府をもコントロールしていく軍需関連産業を支えるために、常に仮想敵をつくり戦争を行うための大義名分の事件をでっち上げ、世界中で罪も無い数え切れない人数の民衆の命を虫ケラのように奪ってきた。

しかも、第2次世界大戦の終末には、人類史上最悪の大量殺戮行為とも言うべき、広島と長崎への原子爆弾の投下による数十万人もの死者と負傷者を出した。

それ以後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ軍事介入、パナマ侵略、グレナダ侵攻、ハイチ侵略、湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク侵攻と息つく暇も無いくらいに立て続けに戦争的侵略行為を続けてきた。

このアメリカ史において、陰の支配エリートと呼ばれる人々の息のかかった者たちが様々な政府機関に入り込み政治を乗っ取りコントロールしているということがわかってくる。太平洋戦争は日本が全て悪いのではなく「出る杭は打たれた」のである。

当時、世界の檜舞台に現れ始め、英米を始めとする列強に対して次第に反旗を翻していた日本を叩くために、予め経済的に封鎖し締め上げていくことで英米の思惑通り日本に傀儡政権をつくるために誘導された戦争だったのだ。

アメリカの政治が彼らにユダ金に完全に乗っ取られたことを示す時期は、ウッドロー・ウィルソン大統領の時代であることが最も目に付く。このウィルソンは史上で最も彼らに操られ易かった大統領であった。

ウィルソンと、ハウス大佐と呼ばれる悪しき取り巻きが再選されて2期目に入った1917年あたりから支配者たちはウィルソンの次に操り人形となってくれる人物を探し始めていた。その支配者たちは「FDRを早くも格好の人物だと判断した。

ルーズベルト一族は1700年代からニューヨークで銀行業を経営していた富豪であり、フランクリン(以下FRD)の伯父だったフレディック・デラノは連邦準備制度理事会(FRB)の草創期の関係者でもあったので、FDRは彼ら支配者たちとも親交があり、かつて彼自身が「アメリカは60の名家が国の富を支配している」と語ったこともあるくらいだ。

そして彼が1920年代には11社の企業の役員を務め、2つの法律事務所を運営し、法律家協会の会長まで歴任していた。アントニー・サットンは著書「ウォール街とFDR」の中で「ルーズベルトはウォール街の産物であり、ニューヨークの銀行業界には不可欠な人物だった」と述べている。

FDRの義理の息子であるカーティス・B・ドールは、晩年に驚きべき告白をしている。それは「彼の考えは、いわば彼の政治的武器であるが、その殆どは外交問題評議会(CFR)即ち、世界統一金融グループが予め彼のために、念入りに作成したものだった」と述べていた。

デズ・グリフィンは著書「隷属への転落」の中で「FDRは大統領在任中の12年間に、国際銀行家たちの見えざる政府計画を現実のものにしようと、おそらく歴代のどの大統領よりも精力的に動いていた」と述べている。

1940年10月30日、FDRはアメリカ国民に公約を断言した。その公約とは「これまで言ってきたことだが、これからも何度でも申し上げる。子供たちを海外の戦場には送ることはしない」と、アメリカは戦争には参加しないことを宣言した。

ヨーロッパで既に始まっていた第2次世界大戦の悲惨さや残忍さ、それにナチスが行っているとされたユダヤ教徒への大量虐殺には関わりたくないという意識が、当時のアメリカ国民の世論の大半を占めていたからFDRの公約は立派に思えた。

ただ問題なのは彼自身には公約を実行するつもりが無かったことだった。当選のための方便であり、実は真っ赤なウソだったのだ。
この演説の3ヵ月後、要するに真珠湾攻撃の11ヶ月前の1941年1月には、FDRの重要な側近だったハリー・ポプキンズがイギリスに向かった。

そして、チャーチル首相に「英米両国は一丸となってこの戦争に勝利する、と大統領は決意しておられる。これは間違いない。大統領が私を送ったのは…是非ともイギリスに今の事態を切り抜けていただきたいという気持ちをお伝えしたかったのです」と。

この期間中にロンドンのアメリカ大使館で暗号解読を担当していたタイラー・ケントは、ルーズベルトとチャーチルの間で既に何度かの極秘電報がやり取りされていることに気がつき、その中でFDRはアメリカを第2次世界大戦に参加させる予定であったことを明かした。

ケントは、この暗号解読文をアメリカ国民に発表しようと行動したところ、奇妙にも微罪を着せられ終戦まで身柄を拘束されてしまったのだ。この舞台裏の計画は余りにも露骨であり、アメリカ国民を完全に裏切るものだったからだ。

FDRの伝記を書いた作家のロバートシャーウッドも「それまで外国不干渉主義を貫いていたアメリカ国民が、英米間の機密の軍事協定を全て知ったら、大統領の弾劾を要求する声が国中から沸き起こっていただろう」と述べている。

さらに追い討ちをかけるように、FDRの国防長官で外交問題評議会(CFR)の大物メンバーだったヘンリー・スチムソン(スカルアンドボーンズに1888年に入会済み)は、1941年の秋にルーズベルトと会談した後に、日記にこう書いていた。

「我々は今、非常にデリケートな問題に直面している。確実に日本の責任になるようにし、なるべく向こうに先に手を出させて、しかも明らかな攻撃行動を仕掛けていくように、外交で上手く持っていかねばならない」と。

スチムソンは再度FDRと会談した後に、真珠湾攻撃の2週間前だった1941年11月25日の日記にこう書いている。「重要なのは、コチラの危険を最小限にしながら、日本に先に攻撃させるにはどうしたら良いのかである。侵略行為をした側がドチラかという点で疑念を全く残さないよう、確実に日本に先に攻撃させることが望ましい」と。

日米間に戦争を起こすためにFDRが何としても日本側に真珠湾を攻撃させようと画策していたことを示す決定的証拠は、「アメリカ情報機関が、日本の軍用と外交用の暗号を解読を成功していた」という事実である。

それだけではなく、FDR本人と政権の閣僚たちも、これら日本の暗号を解読し真珠湾攻撃のために択捉島近海に日本の連合艦隊が集結していることを知っており、真珠湾を攻撃する正確な日時まで把握していたのだ。

実は、当時のアメリカ大統領が戦争を行う大義名分のために自国の領土を攻撃させることを黙認し、軍需産業の活性化と国際資本家の思惑通りに行動していたことがわかる。

FDRは公約とは全く異なる行動、それは戦争に参加する準備を進めており、何食わぬ顔でアメリカ国民と兵士を裏切っていたことは事実である。アメリカの情報機関は日本軍の行動を時間刻みで把握しており、情報機関で解読された暗号文は逐一即座にFDRと陸軍参謀総長だったマーシャル大将に送らた。

以下にはその証拠を列挙する。ジェームズ・リチャードソン大将はFDRにアメリカ太平洋艦隊を真珠湾に移動させないように断固として主張していた。この理由は、真珠湾は特に第1次世界大戦時に活躍した旧式の観戦が主で無防備状態に等しく簡単に攻撃されやすい、という理由だった。

だが、リチャードソン大将は後に感謝されるどころが、FDRのオカシイ命令を実行しなかったとして解任されてしまった。ということは、アメリカ国民に戦争参加を肯定させるためにFDR自身、アメリカ太平洋艦隊の主力艦船にも多少の被害を受けさせる算段だった可能性が高いのだ。

アメリカ情報機関が日本軍の暗号通信文を解読した結果、ハワイ在住のスパイが真珠湾の米軍基地に関して知りえる全ての詳細な情報を日本側に流していたことが明らかになっていたことがわかったが黙認した。

こうして迫り来る真珠湾攻撃に関する警告が方々から入ってきていた。この警告をアメリカ側に発していたのが、ジョセフ・グルー駐日大使、エドガー・フーバーFBI長官、ガイ・レジット上院議員、マーティン・ダイズ下院議員、朝鮮に潜入させていた地下組織スパイ、エリオット・ソープ准将、バイヤーマン大佐など軍部と軍事産業と関わりのある者たちだった。

米軍のマーシャル陸軍参謀総長は、1941年11月27日に真珠湾に駐留している部隊に異例中の異例である奇妙な要請を出していた。「いつ敵が攻撃して来てもおかしくない状況である。よって、戦闘行為が不可避なら、繰り返すが、不可避であるなら、日本に明白な先制攻撃を仕向けさせてほしい」と。

何と驚くべき、かつ自国民と自国兵士を裏切る卑劣な内容だろうか。真珠湾に停泊していた米軍の旧式艦船は碇に固定されたままであり、ご丁寧に無防備にも旧式の軍用機も一箇所に集められていた。どうぞ、思う存分に攻撃してください、と言わんばかりだった。

マーシャル陸軍参謀総長は、真珠湾の司令官たちに、襲来を察知しても日本軍が先制攻撃してくるまで待てと命じていたのだ。まったく持って信じられない。こうして昔も今も軍産複合体を潤すための戦争は「でっち上げ」から始まるのだ。

ワシントンにいたオランダ海軍武官のヨハン・ランフト大佐の証言によれば、1941年12月6日にアメリカ海軍情報部の将校から「日本の艦隊がホノルル沖の400マイル(約640キロメートル)の近海にいると注意喚起の報告を受けていたという。1941年12月に入ってからも、アメリカ情報機関は日本軍の「紫暗号」を傍受していた。

その内容の中に、ワシントンに駐在している日本使節団に対し、「公文書を全て廃棄して施設から撤退せよ」という指示を解読していた。
12月4日にはオーストラリアの情報機関が、交流のあるアメリカの下院議員に「数日前から確認出来なくなっていた日本の艦隊と軍用機群が南下しており、現在は真珠湾に向かっている」と報告されていた。

これに対しFDRは、ナント「そんな情報は共和党による戦争促進のためのデマだ」と一蹴したという。あくまで日本に先制攻撃を仕向けさせるためにシラをきり続けていたのだ。

日本の先制攻撃を受けたから、アメリカ国民感情の高まりを受けて仕方なく参戦したという大義名分のために、かなり以前から真珠湾攻撃を知っていながら何も対処せずに放置し、さらに日本の攻撃による被害を撮影するように命令していたのです。

続く…2・太平洋戦争は予め仕組まれていた!
http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/60242391.html

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お励みくださいませ!傑作記事にポキポキですね。

2012/2/26(日) 午後 10:54 [ 筑後川の日本人 ]

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こんにちは、筑後川の日本人様。激励と傑作いただき感謝いたします。戦争の殆どは偶然に発生するのではなく、基本的に計画されていたものであり、発端事件を捏造したり相手の行動を知っていながら放置して、自分たちの利益になるように仕向けたりする、そういう策謀が絶えず渦巻いているのだと思います。日本も真珠湾攻撃の前に、事実上は米国のハル国務長官からの宣戦布告と同じような内容であるハル・ノートを送られましたから、今まで数多くの酷い外圧を受けてきた件も含めて其れに対して怒って行動を起こしたのでしょうね。

2012/2/28(火) 午後 3:52 [ hideチーフ ]


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