徒然ブログ

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秦氏は、京都に「平安京」を造ることにおいて、中心的な役割を果たした人々でした。

彼らは高度な技術力を持ち、それまでも天皇の権威を誇示するために「マナの壷」の形を模した巨大前方後円墳の建設をはじめ、数々の土木工事を行ってきました。

かつて大阪平野に流れ込む淀川流域は氾濫につぐ氾濫で荒れ果てていました。そこで、堤防を築き難しい治水工事をやってのけたのも秦氏です。

そして、京都に平安京を造るために技術力の粋を結集し、労働力を提供したのも秦氏でした。かつて京都盆地は、相次ぐ鴨川や桂川の氾濫で荒れ果てた土地を治水工事によって川の流れを大きく変えて、そこを住みやすい土地に改良していったのです。

また、平安京が築かれた地域自体が、元々は秦氏の所有地でした。その土地は、秦氏とその一族である、賀茂氏、八坂氏、土師氏、栗田氏、茨田氏などの所有地でした。旧皇居、即ち京都御所が置かれていた土地も秦河勝の所有地でした。

話は少しそれますが、秦氏は645年の「大化の改新」後に姓を変えていきました。
秦、畑、端、畠、波田、羽田、八田、半田など。これらに山や川や野などを付けた秦野、畑野、畠山、畠田、畑川、畑中、畑山、波多野、八幡…。

一方、秦を違う姓に変えたケースもあります。わかっているだけでも、服部、羽鳥、林、神保、宋、惟宗、田村、島津、長田、長蔵、辛嶋、小松、大蔵、本間、高尾、原、常、井出、赤染、三林、小宅…。
戦国大名の土岐、長宗我部もそうですね。

話を戻します。平安遷都のために必要な巨額の資金も、秦 島麻呂が出しました。つまり、平安京は京都盆地にエルサレムの街を再現すると同時に、秦氏が朝廷中枢に入り込み権力を掌握するための巨大な公共事業でもあったのです。

よく指摘されている、「平安京」という名は、イスラエルのエルサレムと同じ意味です。エル・サレムはヘブル語で「平安の都」という意味であり、平安京ということなのです。この平安京には、秦氏のエルサレムへの憧憬の想いが込められています。

それは平安京が造られた後に始まった「祇園祭」に現れています。今も全国の各地で夏に行われている祇園祭の中心であり本場は京都の祇園祭です。京都の祇園祭における最も盛大な行事、山鉾巡業は、毎年7月17日に行われています。

この日は、聖書の「創世記」にある、ノアの箱舟がアララト山に漂着したとされている日と同じです。祇園祭は、元々は伝染病が起こらないようにと願いから始められました。

一方、旧約聖書によれば、古代イスラエルのソロモン王は、やはり伝染病が起こらないようにとの願いを込めて、ノアの箱舟がアララト山に漂着したとされている日とちょうど同じ時期に盛大な祭りを行いました。

京都の祇園祭は、7月1日と7月10日にも重要な催しがあります。これらの日は古代イスラエルの人々にとっても、重要な催しのある日でした(ラッパの祭り及び大贖罪日)このように、平安京には聖書から由来されていると思われる事柄が多くあることがわかります。

当時の人々は、渡来人たちと一緒になって、平安京遷都というビッグ・プロジェクトを成し遂げました。平安京の時代の日本は、ユーラシア大陸全域にわたる多くの民族や文化や宗教や各地の伝統を全て包容し、そこから新しい文化と文明を創造していったのです。

また、京都の近くに「琵琶湖」があります。イスラエルには琵琶湖と大きさも形も似たガラリヤ湖という湖がありますが、これは古代には「キネレテ湖」と呼ばれていましたが、これは琵琶の意味です。京都付近にはイスラエルを思い起こさせるような名前が多く存在するようです。

平安京を建設した秦氏は、全国に数多くある「稲荷神社」の創建にも深く関わりました。全国に1番多い神社は八幡神社で、稲荷神社は八幡神社に続いて多い神社です。

稲荷神社の頂点に立つのは、京都の伏見稲荷大社です。伏見稲荷大社は、秦氏の首領だった秦 公伊呂具が創建したものです。稲荷神社は秦氏の氏神(氏族が崇拝する神)でした。

また、空海に始まる真言密教の僧侶たちも、熱心に稲荷信仰を広めていきました。稲荷神社というと、朱色の鳥居やノボリ旗が特徴です。入り口にある狛犬も普通の神社のものは獅子なのに、稲荷神社はキツネになっています。

キツネは本来の神道とは別のものです。実際の稲荷神社とキツネは無関係でしたが、後に仏教系のダニキ信仰のキツネが入ったことで、稲荷神社にキツネが置かれるようになりました。

本来の稲荷神社は現在とは違うものでした。本来は秦氏の信仰する景教の流れを汲むものだったのです。イナリは、今は普通、「稲荷」と書きますが、漢字が日本に輸入される以前から、イナリという音がありましたので、稲荷は当て字なのです。

ある研究家は、このイナリというのは、「INRI」(ユダヤの王ナザレのイエス)からきているのではないか、と考えています。稲荷大神は正式には「宇迦之御魂大神」という名です。

この神は、実は伊勢神宮の外宮で祀られている「豊受大神」と同じ神なのです。世界百科事典には「(豊受大神の)トヨは美祢、ウケは…食物の意、すなわちこの神は…うかのみたま(の神)である」と。要するに、稲荷の神と伊勢の神は同じだということです。

また同辞典によれば、「伊勢神道」(伊勢神宮に基盤を置いた神道)において、「豊受大神」は秦氏が創建した「蚕の社」で祀られていたアメノミナカヌシの神と同一神とされているといいます。

また三神たける氏は「豊受大神が伊勢の外宮に移る以前、この神は丹後の『籠神社』で祀られていました。その籠神社の宮司はハッキリといいました。豊受大神はイスラエルの神であると。稲荷大神は元々は絶対神ヤハウェであり、イエス・キリストだったのでしょう」といっています。

伊勢神宮の神も、稲荷の神も、秦氏が創建した蚕の社のアメノミナカヌシの神も、みな同じ神なのです。元々はイスラエルの神ヤハウェだった。

地方に伝播されたり後世になって名前がいろいろになったので、たくさん神が存在しているように思いますが元は1つのようです。
伊勢神宮にまつわる「元伊勢」の1つである丹後の「籠神社」の近くに日本三景として美しい景観で有名な「天橋立」があります。

細長く伸びた砂洲が湾の中を横切っています。しかし、この橋立の由来は、元々は天と地とを結ぶ橋だったのが、外に外れて落ちそうになったのだといいます。しかし、立てた橋なら、元々は梯子だったということです。

昔は梯子を立てることを梯立と言っていましたから、「橋立」の由来はここから来ているのでしょう。聖書には、昔のイスラエル民族の父祖であるヤコブが、ある夜に神の幻の中に天と地を結ぶ梯子を見て、天使たちがその梯子を上り下りしていてた、という話が載っています。(創世紀28・11〜12)

この天橋立の伝説は、まさに聖書の話と酷似しています。また、日本の神道には、古来から「神道五部書」というものが伝わっています。これは鎌倉時代に完成したもので、伊勢神道のためのものです。

ある研究者は、この「神道五部書」と聖書の「モーセ五書」の間に見られる数々の類似性について語っています。秦氏は、稲荷神社の創建以外にも、伊勢神宮の創建にも深く関わっていたようです。

続く…http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/58961479.html

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