徒然ブログ

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http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/58961479.html…からの続き

古代の日本において、景教徒の影響が庶民の間に入り込んでいたことや、当時の知識人の間では聖書が好んで読まれたり研究されていたことは、次のような事実からも伺えます。

例えば、聖徳太子にまつわる様々な伝記です。聖徳太子が実際には、どのような人物だったかについては謎が多いといわれています。

聖徳太子の死後、数百年たった平安時代には、聖徳太子に対する敬意が膨らんで、彼に関する多くの伝説が生まれていきました。そして、不思議なことに聖徳太子の伝説の中には、聖書の物語が多く転用されたようです。

例えば、聖徳太子は馬小屋で生まれた「救世菩薩」という一種の救世主とされています。聖徳太子は「厩戸の皇子」と呼ばれていますが、馬小屋で生まれたということです。

久米邦武博士は「これは、マリアが馬小屋でイエスを産んだとするキリスト教の話が、聖徳太子の伝説中に取り込まれたからだ」と推測しています。

聖徳太子にまつわる他の伝説も聖書の話によく似ています。例えば、聖徳太子の母である間人皇后がみた夢の中に救世観音が現れ、太子の誕生を予告したとなって居ますが、同様に聖書においても、マリアの前に大天使ガブリエルが現れ、イエスの誕生を予告しています。

さらに伝説では、日羅聖人は聖徳太子を「救世観音」と呼んで礼拝し、その後に日羅聖人は暗殺されたとなっています。これは、バプテスマのヨハネがキリストを「救世主」と呼んで礼拝したが、その後にヨハネは暗殺されたという、聖書の記事にソックリです。

『日本史の中の仏教と聖書』の著者である冨山昌徳氏は「醍醐本『聖徳太子伝記』(13世紀)には聖徳太子が死んで甦った話が出ているだけでなく、本書(聖徳太子伝記)全体の構成が『ヨハネの福音書』を模したものと推測される」といっています。

さらに聖徳太子が「片岡山で飢えた者に衣食を与えたという話」と「それに続いて、その飢えた人がやがて死んで葬られたが、数日の後に復活して、ただ棺の上には衣だけしか残っていなかった」という話が「日本書紀」に載っていますが、これらも聖書について知っている人なら、聖書の話に似ていると思うでしょう。

キリストは飢えた者に衣食を与えるなら決して報いからもれることはないと言い、それはキリスト自身に与えられたのと同じだと教えました。そしてキリストが死んで葬られ、後に復活した墓には、ただ衣だけしか残っていなかったと、聖書では記しているからです。

また、聖徳太子は大工の祖と仰がれ、「大工の守護神」とされています。同様にイエスの職業は大工でした。広隆寺でも1月に「チョンナ初め」という儀式が今もあって、これは聖徳太子が大工の祖であるとしています。

聖徳太子にまつわる伝説には、元々はキリスト教だったものが多く取り入れられています。池田栄教授は「聖徳太子の当時、キリスト教の何らかの一派が、既に我が国においてキリスト教を伝えていたと思われる。そのために仏教徒の間に、このような一種の習合伝説が生まれたのであろう」と。

日本には早くから原始キリスト教の流れを汲む東方キリスト教(景教)が入っていました。その考えが取り入れられ、或いは対抗する形で後に、秦氏など聖徳太子のメシア化を図る人々が存在し、そのためにこのような聖徳太子の伝説が民衆の間に根付いたようです。

続く…http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/59024173.html

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