徒然ブログ

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▲泪覆猟

http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/60068584.html…からの続き

日本人とヤダヤ人、見た目も風貌も全く異なる両民族も文化的ルーツを比較してみると誠に興味深い共通点が多く存在していることに気づく。

日本文化の根底に流れているのは神道であり、日本古来の宗教でもあるのだが、外国人が日本人の本質を知ろうとするときに神道が関係してくることが多いという。神道を信奉している日本人であるならば、ユダヤ教を信じているのがユダヤ人なのである。

異なる両者には酷似した習慣が意外と多く存在している。一般的には神道は多神教でユダヤ教は一神教で両極端のようにも思えるが、多神教を極まれば唯一神教になってくる。実は奈良時代までの日本はユダヤ教的な側面を持った一神教だったことがわかっている。

神道には仏教とは違って偶像崇拝が無い。これもユダヤ教的である。神社の本殿にあるのは、鏡や幣帛という祭具であり、御神体は山や岩や樹木である場合が多い。これらの自然物は神ではなく神が降臨する聖地の意味が強いのだろう。

これはユダヤ教でいうシナイ山を聖地として神が降臨した岩に祭壇を作って聖なる樹木を「生命の樹」とすることと似ている。神殿の配置や構造も似ている。神社の拝殿と本殿が分かれており、ユダヤ教の神殿は拝聖所と至聖所に分かれている。

神社拝殿の前には手水舎があるし、ユダヤの神殿には手洗い洗盤がある。鳥居に相当するものは2本の柱であるが、古来の神社の鳥居は2本の柱に縄を張るだけの風習があったようだ。

神社の祭りでは御魂を入れた神輿担ぐのだが、これはユダヤ教の「契約の聖櫃アーク」を模したものであるとされている。人々が担ぐ姿はもちろんのこと、上にある羽を持った生き物の形など、ユダヤ人が見れば「これは契約の聖櫃アークだ!」と想像するだろう。

本来の契約の聖櫃アークにはイスラエルの3種の神器が入っていたことは有名であるが、これは「モーセの十戒石板」「アロンの杖」「マナの壷」である。このうちでは籠神社にあったという「真名之壷」と名前がソックリで、共に黄金製だということも同じようなのです。

現在では契約の聖櫃アークは3種の神器と共に行方不明になっているようだが、騎馬民族と共に日本に持ち込まれ何処かで密かに祀られているのだろう。日本でも3種の神器が存在した。

神道の最高祭祀である天皇が持つ王権のシンボルであり、「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「草薙の剣」である。「八咫鏡」は御船代という名の聖櫃に入れられて伊勢神宮の内宮にある。実は「契約の聖櫃アーク」のアークとは船の意味なのであるから、もしかしたら御船代が「失われたアーク」なのだろうか。

他にも禊とパプテスマ、塩による聖別、柱を神の象徴とする思想、新年に食べる餅と過ぎ越しの祭りの種無しパン、など神道とユダヤ教とは風俗や風習が似ているのである。

こうして江戸時代後期には外国人から日本人とユダヤ人の類似性が指摘されてきたが、両者は同じ祖先を持つのではないかという「日ユ同祖論」が言われてきた。

この「日ユ同祖論」は明治時代から昭和初期まで盛り上がりを見せ、戦後は大きな発見と共に信憑性が高くなってきた。最近では長い年月の間に隠されてきた神社の秘儀や奥義などが明らかにされつつあるので、古代日本にイスラエル人が直接または子孫たちが渡来してきたことは間違いないようです。

しかし、ここで大きな問題にぶつかる。アジア系(スファラディー)や白人系(アシュケナジ)などユダヤ人の定義はいろいろありますが、実は本家ユダヤ人はアジア系なのです。

でも「ユダヤ教徒」であるという意味では皆さん基本的に「旧約聖書」を信じており、そこに記された預言をもとにして生きている。詳細は末尾の「ユダヤ人の定義について…」をご覧下さいませ。

ユダヤ人の太祖はアブラハムという予言者であったといわれている。アブラハムの長男だったイシュマエルからアラブ人が生まれ、次男イサクの子であったヤコブからはユダヤ人が生まれた。イスラエルの別名はヤコブということから、彼の子孫をイスラエル人と称した。

さらにヤコブには12人の息子がいた。名は「ルベン」「シメオン」「レビ」「ユダ」「ナフタリ」「ガド」「アシュル」「イッサカル」「ゼブルン」「ヨセフ」「ベニミヤン」という。彼らを元にイスラエル12支族が誕生したことになっている。

しかし「レビ」の子孫がレビ族として聖別されてレビ人と称した。彼らは特定の土地を持たず、他の支族の祭祀を行う要職にあったので、12支族からは除外されている。残った12支族は各自それぞれ支族を形成していった。

この中でヨセフ族は祭祀のために抜けたレビ族の穴を埋めるために2つに分裂し、それぞれ「マナセ族」「エフライム族」と称した。これが一般的なイスラエル12支族である。

そしてユダヤの古い伝承の話では、イスラエルの3種の神器を継承したのは「ガド族」だったといわれている。そして中央アジアを経由して日本に渡来してきたのは、「マナの壷」を王権のシンボルとして掲げていたのはガド族だった可能性が大きい。

日ユ同祖論を研究していた小谷部全一郎氏は、ガド族の王が日本の天皇になったと推測している。天皇を意味するミカドとは、ガドに尊称である御を付けて呼んだものであり、要するに「御+ガド」のことであると説いたのである。

この説はユダヤ人にも注目されて、サミュエル・グリーンバーグによれば、ミカドの呼称は「ミ・ガド」であり、ヘブライ語では「ガド族出身者」を意味するのだという。また、小谷部氏は、ガド族の王の長男の名前が「ゼッフォン」であり、それが次第に訛ってゼッポンからジッポン、それからニッポンになったのではないかと考えている。

その他にガド族と日本の関係では紋章がある。ガド族の紋章は移動式の幕舎で、いわゆる「遊牧民のテント」のようなものである。デザインは数種類あるようだが、その1つは3つのテントを模したもので、日本の家紋である「三つ網紋」に酷似しているのです。

両者はソックリだけではなくテントの上にたなびく旗までも似ているのである。この紋章の家系は、もしかしたら天皇家と縁が深いのかもしれない。また、「十六弁菊花紋」と並んで天皇家で使われていた紋章である「五七の桐」は葉の数までもガド族の紋章に似ている。

歴史上、ガド族は突如としてパレスチナの地から消えてしまった。それまで住んでいたパレスチナ地方はおろか中東からも痕跡が消えてしまったようである。

ガド族だけでなく12支族の中でも10支族が何処かへ離散してしまったのだ。詳細は「日本人のルーツ」の書庫の初期に記載してあるが、ここでも再度述べることにする。

紀元前13世紀頃に大預言者モーセに率いられたイスラエル12支族は、エジプトから現在のパレスチナの地にやって来た。そして紀元前11世紀頃には彼らは支族ごとに領地を定めた。

暫くして他国との関係もあって、族長制度から国王制度に移行したが、美男子として大衆から人気が高かった「サウル」を国王として古代イスラエル王国を建国する。

しかし、サウルは風貌とは異なる横暴で冷酷な性格から王の座を剥奪され、代わって即位したのが「ダビデ」であった。武人として英雄だった彼は、ユダヤ人にとって理想的な国王だったようだ。

ダビデの死後に「ソロモン」が即位した。彼は公共事業の政策も兼ねて巨大な神殿を建設して栄華を極めた。古代イスラエル王国の領地も最大となり、周辺諸国との貿易も盛んだった。ソロモンが統治した時代はイスラエル王国ににとって絶頂期だった。

しかしソロモンの晩年はユダヤ教の戒律を破り偶像崇拝に傾倒し、次々に拡大した公共施設の維持費が重くのしかかり、度重なる税率の上昇から次第に重税へと移行、さらには民衆に苦役を強いることも度々だった。

公共施設の拡充で生活は豊かになったが、民衆にとって重税の負担は耐えがたいものだった。彼ら大衆の不満は次第に蓄積され、ソロモンの息子「レハバレム」が即位した後に一気に噴出した。

エフライム族の「ヤロブアム」が民衆を先導して反乱を起こした。反乱は重税や苦役に耐えかねていたイスラエル王国全土の民衆へと飛び火して、ついに紀元前925年に古代イスラエル王国は南北に分裂した。

首都であったエルサレムを確保した反乱軍の「ヤロブアム」派が、自身の部族であるユダ族を始め、ベニミヤン族と祭祀のレビ族の一部を従えて「南朝ユダ王国」を建国した。

これに対して既存の勢力と残りのイスラエル10支族と分断した祭祀のレビ族の一部と共に「北朝イスラエル王国」を建国し、両国の対立が続いていった。しかし、最初に崩壊したのは北朝側だった。

紀元前722年にメソポタミア地方に勢力を急速に拡大していたアッシリア帝国の侵略に遭い、圧倒的な軍事力の差で北朝イスラエル王国は征服された。アッシリア帝国の猛攻に耐えた南朝側だったが国家が疲弊していった。

その後に新たに台頭してきた「新バビロニア王国」の侵攻によって、紀元前586年に南朝ユダ王国は完全に征服され消失した。そして、国王や貴族をはじめ民衆の多くを捕虜としてメソポタミヤ地方へと連行したことが「バビロン捕囚」の所以である。

それから40年後、「新バビロニア王国」が滅ぶと、南朝ユダ王国の人たちがパレスチナ地方に戻ってきたが、当時は既にアッシリア帝国も滅んでいた。
南朝ユダ王国の人たちの他にも北朝イスラエル王国の人たちも戻ってくると思われたが、彼ら北朝側の人たちはアッシリア帝国が無くなった後もユーフラテス川付近に留まった。

同じイスラエル人だったのだが、王朝が南北に分裂後は互いの交流は無かったようだ。彼ら北朝側の10支族は方々に離散していった。
これが歴史上の謎とされている「失われたイスラエル10支族」なのです。彼らは何処に行ったのかは、旧約聖書にも新約聖書にも書かれていない。

彼らは南朝側と一緒になることを拒み、別天地を求めて東へと移動したのだと考えられる。メソポタミアには西のパレスチナへ伸びる道と東へ伸びるシルクロードがあって未知の東方への道が存在していたからだ。

彼らの一部は東へと行かずにメソポタミアから北上していったようなのだ。シベリアを通り北極圏へと到達。「旧約聖書」の外典でもある「エズラ記」によれば、彼らは信仰を守るために絶対神(エロヒム)の導きによって「北の果て"アルザル"という地に向かい、世の末まで平和に暮らす…と記されている。

北極にはアルザルという場所は存在しない。現代科学では説明不能だが、異世界に通じる「謎の扉」のようなものが存在するのではないか。
こうして絶対神とされるエロヒムの手助けもあって彼らは異次元の世界に足を踏み入れることに成功し、争いの無い確固たる崇高な信仰の下で高度な文明を築き上げていたのです。

続く…

ユダヤ人の定義についての詳細はこちらのサイト
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nichiyu.html

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