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本書から少し抜粋して書いています。一般のキリスト教の宗教的常識とは異なりますので、予めご了承くださいませ。
この少しの抜粋記事だけでは理解できませんし、本書を全部読まないと著者の言いたいことが伝わらないと思われます。
キリストに関する古文献(竹内文書)を元に現地調査されて書かれた貴重なものです。
この竹内文書は、竹内宿禰(すくね)の66代の孫と称する竹内巨麿と名乗る人物が引っ張り出してきた古文書で、皇祖皇大神宮「天津教」で代々官長職を務める竹内家に伝わるものとされている。
この壮大な記録は、原始神の誕生からまさに何十、何百億年にも及ぶもので、天皇以前の記載から、エホバ、モーゼ、キリスト、マホメット、釈迦などの多岐に渡る人物が登場するというものである。
しかも、それらの人物がことごとくこの日本にやってきていると書いてある。もともと神代文字で記載されていたものを五世紀後半に漢字かな混じり文に書き改められたとされているが、それが事実だとすると、太安万侶の古事記よりも二百年以上も前に書かれたものという事になる。
キリスト教からすれば異端となるのであるが、なんとこの竹内文書を裏付けるかのように、「キリストの墓」が青森県三戸郡新郷村戸来で発見されているのである。新郷村、かつての戸来村がキリスト日本渡来の地であるとされたのは、昭和十年のこと。
古代史研究家で本書の著者「山根キク」という人物が、釈迦、モーゼ、キリストらが日本に渡来したという説を再び唱え、昭和十二年に「光りは東方より」という本にまとめた。さらに山根が戸来を訪れ、傍証を固めた事もこの説を世に有名にしたといえる。
その後、山根は「キリストは日本で死んでいる」という本も出版しているが、確かにここに紹介される傍証は、なるほどと唸るほどのものではある。さらに新郷村は、「村勢概要」において、イエス渡来伝承に関して詳細な記述をしている。
現在は、舗装された道路のあちこちに「キリストの墓」、「キリストが発見した滝」などという道路標識が立てられ、新郷村ははっきりとキリストを観光のセールスポイントとして打ち出しているという。
キリストは、元々真理を求めてやまぬ天才的能力と正義感の強い青年でした。ローマの圧制に苦しむ民を救いたいという願いから、神の心力を得て、民を救うよりほかに方法はないと確信されました。
それで、聖人の釈迦をしたってインドに向かいます。釈迦はキリストより1000年前の人物です。
インドに渡り、釈迦が師と仰いだカカラ仙人の居住だったヒマラヤの壇得山(だんとくせん)に登りました。
そこで、カララ仙人の子孫にあたる当時の師より、真実の話しを聞かされて、キリストは日本を目指すことになりました。
キリストが到着したのは能登半島の宝達(ほうだつ)の海岸でした。何故、キリストは日本を目指したのでしょうか。当時の世界は日本の天皇が世界天皇として統治されていました。
そして日本には天地創造からの神が祭られており、そこには真理の教えがあり、世界の宗教全般と世界の政治の全権を統括されていました。
キリストが求めたものは日本にあったのです。能登に着いたとき、キリストは18歳でした。
垂仁天皇即位10年の時です。
そして、天地創造からの神が祀られている、越中の皇祖皇太神宮の神官であった、武雄心親王(たけおごころしんのう)の弟子となり、様々な修行を積むことになります。
これは足掛け5年に及び、このときに病気を治す術や、姿を隠す術、一丈以上もある高木への飛び上がり、飛び降り、さらに海や川の上に竹ざおを投げ、それを伝って水面を歩くこと、空中を歩くことも出来るようになったそうです。
イエスの見せた奇跡は日本での修行の賜物だったのです。
そして、天皇からユダヤの王の紋章(きくのもんしょう)を賜り、ユダヤの人々に道を説くために帰国することとなりました。
親王はイエスに、これからいろんな事があるだろうが、「絶対に死ぬな」と明言されたそうです。
祖国に帰ったイエスは、道を説き、人々の人気を集め始めると、親王らが危惧したとおり、ローマ帝国による迫害が待ち構えていました。
母国に帰ったキリストは、日本の天皇や親王達が危惧したように迫害を受けるようになり、ついに十字架の処刑ということになりました。
ここで、最大の問題が起こるのですが、キリストより3歳年下のイスキリが身代わりになる事を買って出たのです。弟のイスキリはイエスと容姿がそっくりだったようです。
弟が言うには、「貴方は、親王より絶対に死ぬなと言われています。日本で修行した貴方にはこの先、天皇が再び世界を統治する御代が来るのだと言うことを、人々に伝える大事な役目があるのです。ここで死ぬことは、その天皇の命に背くことになるのです。」と必死に兄キリストに説得したそうです。
そして、ついに弟の処刑が行われました。悲嘆にくれたイエスは弟の死を見取った後、世界中をくまなく周り旅の最後には、再び日本へ来ています。
弟を身代わりにするほどの大切な役目を必死で果たそうとしたのです。このときイエスには14人の弟子がいたそうです。
そして、イエスの再上陸の地は青森県八戸の松ヶ崎港であります。この近くには、戸来岳(へらいだけ)があり、ここには越中皇祖皇太神宮のご分霊がおまつりされていました。
再び日本に来たイエスは日本語と文字を学び、日本国中を巡廻することさらに十年が経ちました。
当時の垂仁天皇にも拝謁し、戸来岳の麓の神宮に戻り、隠遁されました。さらに驚くことは、それから、日本を拠点にして15年毎に3度も世界各国を旅回りして歩いているそうです。
それは、母国の民を救い、親兄弟の安否も確かめ、弟子達をも導き慰めたかったからであります。
イエス107歳の時、自身の遺言書とともに、自身の像形を刻み込んだ父母の骨像石を自身の霊として、皇太神宮に納祭してもらいました。
そして、118歳の時に生涯を閉じました。遺体は遺言どうり、戸来岳に風葬されました。
この本は、一般に知られているキリスト像とはあまりにもかけ離れたものですが、聖書にはキリストの12歳から30歳までの17年間が空白となっているそうです。
また、当時は大陸と樺太と北海道と本州とがすべて地続きだったといいます。日本が世界を統治し、天皇がその支配者であったそうです。
本書を読んでわかったことは、もしかしたら「日ユ同祖論」が現実であるかもしれないということですね。
目次
アダム、イブとアブラハム、サラは兄妹
アダム、イブは日本から分れた
十六菊の御紋の起り
ツタンカーメンのピラミッド
御即位式に於ける万歳旗の由来
五十一字の由来
ボリビア高山の祠から出た神代文字
古事記編纂の裏面
キリスト渡来は彼が18歳の時
キリストは5年間日本で修業
ユダヤ教とは如何なる宗教か
キリストの父は神か?ヨセフか?
キリスト十字架を逃る
弟イスキリ身代わりとなる
キリストと吉田松陰
正直者のペテロ
キリスト甦りの前後
甦りのキリストを幽霊と思った弟子
キリスト日本渡来の道程
いよいよ遺跡探査
上陸地、松ヶ崎
八の太郎とはキリスト
お二月様
母屋に馬小屋
キリストは馬小屋で生まれた
赤ん坊の額に十字をかく
キリスト上陸最初の宿
陳札の石切彦惣
片葉の葦、片目のどじょう
三百年前の藁の穂先の背負い袋
小泉八雲とモーゼの秘史
葺き合不朝中期の山稜
戸来の村へ
キリストは生涯独身
十来塚は弟と父母の塚である
キリスト、石堂より戸来岳へ
戸来岳の分霊殿と古き皇祖皇大神宮
キリスト、越中より帰り大平に住む
大平太郎坊、金笠太郎坊
戸来村の以前の名は「シナコ町」
戸来付近に残るヘブライ語の唄
信州に見る古語
お石神山と八太郎の森
キリスト永住地「眉が平」
キリストの本塚は戸来岳(トガリ山)
分骨は十和田湖畔のオンコ岳
無数の文字石
誰人の風葬の山か?
南部の馬と煎餅
伊勢地方のキリストの足跡
弘法、親鸞、日蓮は古文献研究者
赤池白竜明神
カゴメカゴメの童謡は予言
昭和十年十月十日の夢キリストが彫刻した版木
キリストの肖像の胸に画ける米と麦
お月様いくつ、十三、七つの子守歌の由来
天地身一王大神また名メシヤ
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