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http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/59998445.htmlからの続き
いったい日本はどのような方策を行えば良いのか。実際問題として世界の秩序を安定させるには、日本とアメリカが互いに協力し合うのが一番の得策であり現実的で効果が上がると思います。
些細なことで妨害や足の引っ張り合いやイガミ合いをしているのではなく、互いの国家を理解しあうことを考えたほうが良いのです。実は日本とアメリカは、国家としては誠に両極端なのです。
このような両国を比較してみると、相手を異質だと決め付けるのではなく交互理解のためのヒントが得ることも出来ると思う。日本は千年以上も昔から、ほぼ同じ民族が同じような場所に住んでいて顔ぶれも変化が少ない。
現在、日本列島の上に住んでいる人たちの大半は千年前に日本列島に住んでいた人たちの子孫が圧倒的多数を占めているのです。また、日本という国は領土もそれほど変化が少ない。
一時的に増えたが第2次大戦後に元に戻ったので、ほとんど変っていないといっても良い。それに歴史的記録上だけをみた場合では、国外から主権国家を強制的に押し付けられたり征服された経験が無い。
そのために、日本で「国家」といえば、その意味ではほとんどが故郷と同じであるように思う。首相という存在も民衆の代表者として村の村長さんとか、権力を持つ親戚のオジサンとかのような感覚でもある。
それに比べて中国を始めとするユーラシア大陸やアフリカ大陸やアメリカ大陸のほとんどの国は、異民族がやってきて武力をもって侵略して皇帝や君主になり、有無を言わせずに独裁的に統治してきました。
征服した方の民族的慣習を征服された民族に強制的に押し付けたりした歴史が多いが、日本は千数百年以上は異民族の支配を受けたことが無いので、国民はみんな親戚のような感覚になっている。
それに対してアメリカは、つい200年ほど前にヨーロッパの貴族や資本家たちが利益を生み出し続けるためにムリヤリ造った人造国家なのです。
メンバーの加入や脱退などについての規約を自分たちで作り上げ、中央政府の権限を大幅に制限し大統領制を採用するなど、国家を試行錯誤を重ねて創造してした経緯がある。
だからアメリカは今でも法律を重視して実に様々な事柄を丹念に文書化している。つまり、アメリカは何でも言語化して法律に書きたがる。そして先ずは均一化と称してマニュアルブックを作りたがる。そこから全てが始まる。
法の支配とか法の秩序からスタートし、異民族・異文化・異宗教を全て混ぜて人種の坩堝を法制度で縛り統制してきたのが自慢であるが、そのために「異文化の相互理解は困難」という前提から出発し、言語に頼る理解の道を選択した。
そのために感情も人情も全て言語化が必要だった。以心伝心で「わかりあえる」という世界を予め否定して発展してきたのがアメリカだった。しかし、日本は御存知のように、あまり書いたりしてこなかった。
日本は狭く小さな島国であって、千数百年以上前は多民族色豊かな国際国家だったのだが、平安時代の終焉と共に戦乱時代の出現によって祖先が何処の民族なのかという問題よりも先ずは敵か味方かを最重要視された。
その後の封建時代と鎖国時代を含め、国民が以心伝心が可能な国を400年程度かかってつくってきた。
こうして千年以上も続いて来た伝統があるので、大抵のことは「以心伝心」や「暗黙の了解」の事項になっていて、特に書いても書かなくても済んできた。
あえて何かを決めて書いたとしても、すぐにウヤムヤになったり有名事実になるが「何とかなるよね」という意識が先行して、そのことについては「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のように時間が経てば誰も責めない傾向があった。
それに対してアメリカは今も連日のように移民という形で異民族が入植してきており、実態の方が常に流動的なので、建前をしっかりと文書化して時々は改定したりしている。
日本は建前が無くても有名事実のような実態があるから、そのつど臨機応変に対応できる国であり、建前を作っても直ぐに「なぁなぁ」になって骨抜きになってしまうのです。日本とアメリカの両国の違いが一番端的に現れたのは、国家の根本とも呼べる憲法でした。
国の生い立ちが全く異なる両国が第2次世界大戦で戦い、勝ったアメリカは「このようなものを作りましたがいかがですか」と日本に新憲法を押し付けた。
実はこれは国際法違反で、占領軍は敗戦国に対して国家の根幹に干渉する権限は本来はないのだが、本来の占領軍の仕事はポツダム宣言を日本が完全に履行するかどうかの監視役なのだから、憲法の改正は「表向きは日本側の自発」という形式にしたのです。
しかし、提示された新憲法を日本人は真面目に受け入れ、何とか新憲法の精神を体現することに一生懸命に頑張ったので、経済活動を中心として専念でき経済大国への突き進んだが、いつのまにか日本は世界中で一番異質な国になった。
実はアメリカという国の成り立ちから考えれば、軍隊を持つことを放棄した「平和憲法」を受諾したことは信じられないことなのだろうが、日本人としては明治時代以前は明らかに近代国家を形成していた感覚は無かったし、天皇は長年に渡り軍隊を持っていなかったので、平和憲法を押し付けられても案外とスンナリ受け入れてしまった。
むしろ、明治維新以降、急激にムリヤリ国家形成をイギリスの真似をして行ってきた日本人にとって、平和憲法は江戸時代的な体質に合った内容だったし、米軍の空襲で都市の多くが焼け野原になったことで戦争の被害が大きかった。
そういうこともあって、国民の多くが平和を希望する心理も加味されたようだ。実際に新憲法を日本が本気になって真面目に取り組んで実現し始めたのでアメリカは驚いた。
今も尚、押し付けられた憲法を履行しているなど今も信じられないような目で見ているようだが、米軍基地などを始めとするアメリカ側の利益になることが多いので黙っている。新憲法の中でも気になる文言がある。
前文は特に問題だと思う。「諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあるが、「諸国民の正と信義に信頼して」という部分は、つまり「日本以外の国は、みんなよい国ばかりである」ということにる。
裏読みすれば「悪かったのは日本だけであって、日本が悪いことをしなければ世界の平和は保たれる」という意味にもとれる。
その後の「我らの安全と生存を保持しようと決意した」では、これは日本以外の国々は良い国ばかりなので他の国を信頼して「我らの安全を任せようと決意した」ということだと考えられる。
要するに自ら国を守ることを放棄したわけだから、自ら「国家とはいえない」と宣言したも同義である。日本は欧米式の近代国家としてではなく、部族民の集団のようにして暮らしたいということを宣言しているようなものだ。
アメリカ側からすれば、資金さえ出せば責任を持って保護してやるから、お前たちは昔のような生活をして世界の表に出ないようにしていれば良い」という意味もあっただろう。これは日本が自身をつけて再び暴れだすと困るから、とりあえずは大人しくしてもらおうと思ったのでしょうね。
こうして再出発した日本は、かつてヨーロッパ諸国が近代国家とはこういうものだ!と決めた定義からすれば国家ではなく半主権国家である。現在の日本は、主権の一番大事な部分である防衛と外交をアメリカに全面的に任せた「半主権国家」とも言うべき国のように思う。
その半主権国家とは、要するに保護領または保護国であり、植民地に毛が生えた程度の存在と言い換えてもよい。以前、パプアニューギニアは、オーストラリアの植民地だったが、独立して保護国となり更に離脱してオーストラリアと対等な関係になった国なのである。
しかし、依然としてイギリス連邦に留まり続け、エリザベス女王とイギリス政府に外交と防衛を任せた。これは明らかに半主権国家であり、将来においてイギリスが他国と戦争を始めた場合はどうなるか。
そのときのパプアニューギニアの軍隊は女王の命令に従って出動し、国民は戦費を全て負担しながらも戦後は1円ももらえないということを承知したのである。
日本国憲法を読んで思うのは、この内容では永続的に半主権国家のままであり続けるということを宣言しているようなものかもしれない。現在の日本とアメリカの関係はパプアニューギニアとイギリスの関係に近いものだろうと思う。
続く…http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/60023941.html
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