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「3・日本のマンガ文化についての考察」からの続き
それたので話を戻します。今でも多くの国では、女子が中学や高校に行くなど、よほどの金持ちの家庭環境で無いと行けないのが実情であり、それに女子が通えるような学校は幾つも存在していない。
だから日本のマンガやアニメで女子中学生や女子高生が運動部などで他校と対抗試合をして盛り上がるという風景は意外と少ない。ヨーロッパでも女性が高校に行くのは、ごく最近まで多く無かったのです。 25年くらい前の欧州で、「日本では95%以上の女子が高校に行きます。日本人女子の殆どは高卒ですね」と言うと、「女子を高校に行かせて何にするのか?医者や弁護士にでもしたいのか?」と言う人までいたという。
今の日本のように中学まで義務教育で、その上に「高校無償化政策」などは、世界中の一般下層民から考えれば正に夢のように凄いことなのだと思う。
「日本では親の殆どは、そのような職業に娘をさせようとは思っていない。ただ、みんなが行くから、ただ行っているようだ」と言うと、 「そんなのはもったいない。女の子は義務教育を出たらウェイトレスなどをさせて早くから働かせれば、ちゃんと稼いでくれて家計を助けてくれるのに・・・」と、それが当たり前のように言っていたというから、教育に関しては日本の方が男女平等の観念が進んでいると思う。
欧州でも地域によっても差があるが、当時のヨーロッパ地域では女性の高校進学率は50〜60%ほどだった。日本が経済発展したということもあるが、この点でも日本が進んでいたことが見て取れる。 それが日本の影響を受けて徐々に上がっていく途中だったから、当時の欧州における大衆の考えでは女子は義務教育を出たら働くものであって、学校に行ってスポーツの試合なんかするなんて時間がもったいないと思っていたようだ。
世界の常識では、スポーツ選手になるような才能のある人は、子供の頃から英才教育を受けさせる傾向が強かったからだ。そこへ、日本のアニメである「キャプテン翼」や「アタックN01」や「エースをねらえ」などが入ってきて放送されるようになった。
それも英語やフランス語やイタリア語に吹きかえられていたため、主人公以下全ての名前がマリアンヌやクリスティーナなどの名に変っていたようだが・・・。
日本では1969年に「アタックN01」が放送されたが、日本国内にいると酷い男尊女卑社会に思えるかもしれないが、既に当時から日本の方が遥かに男女平等であったのです。
その様子を、外国人は文化の大きな違いに驚きながらも面白がって見ていた。それを見た子供たちが影響を受け、学校でクラブ活動を行うようになる。そうして次第にマネをするようになっていった。
欧州とは異なり日本では江戸時代から女子教育が普及していて、寺子屋などの塾でも男女とも一緒に勉強していたし、寺子屋の教師の3割強は女性でした。歴史を詳細に見れば実は女性が男性と変らないような活動を行っているケースもあったのだ。
明治以降、積極的に欧米化と富国強兵化を推し勧める際に、欧米式を其のまま真似た。代表的なのが鹿鳴館での社交ダンス。こうして次第に「男は男らしく、女は女らしく・・・」という思想が教育されていったのです。 それまでの江戸時代の大衆は、言葉も男女の区別なく同じような言葉遣いをしていた。時代劇を見ればわかるが、武士や貴族などの上流階級では言葉は男女の差があったが、大衆では男女の差や区別が意外と少なかったのです。
平安時代の結婚は男性が女性の家に行く「通い婚」が主流であったし、現代では次第に女性が強くなっていることからみても、そろそろ日本は欧米の呪縛から解き放たれ元の風習に戻りつつあるのかもしれない。
日本のマンガやアニメが何故に面白いのか?ということを調べていくと、日本社会が到達していた文化水準が世界レベルと比較して非常に高度だということに気づく。 現実問題としても、明治以降の欧米化で退化した分野も多い。其れは軍備拡大である。欧米が軍事力の強弱で相手の国を見ていたから、日本も他のアジア諸国のような植民地にされないように仕方なく軍拡に進んだのです。
道義心が無い狡猾な相手には、民度のレベルを下げて対処することも必要だった。既に高度なレベルに到達しているから、日本人は其の凄さをわからないし何とも思っていない。
だから日本は少なくとも30年以上は確実に進んでいる。日本が女子サッカーが強いのは、世界の中で実際には意外と男女平等精神が古くから根付いているからかもしれない。
「日本には女性の学校生活を描いたマンガが多数あることは世界では珍しい」ということを、経済的や社会的な発展を考えた場合でも早く日本人の多くが気づくことが必要になっている。 終戦後にハリウッド映画を日本人が見て刺激を受け、アメリカ式の生活に憧れたような現象と全く逆の現象が起きているのである。そして、日本では主人公が年を取っていく物語が多く存在する。
それでは、成長ストーリーマンガとは何か?欧米人が考えるストーリーの終点とは何か?特にキリスト教の信者が抱く「最後の審判」がある。ある日、雲の上から高らかに天使がラッパを吹いて大きな音が響き渡る。 そして神の使いだという天使が地上に降りてきて、死んだ人も生きている人も人間を全て集めて、神様に「お前は天国へ行ってよいぞ、お前は地獄に行け、と振り分けてくれることになっている。
こうした話は比喩的で宇宙人の来訪を想像させるが、そういう前提から社会基盤が始まったので習慣や思考や儀式が根強くヨーロッパに存在している。こうした思想はアメリカにも浸透している。
彼らは歴史には必ず終りがあり、神様が全て決着してくれると思っている。欧米でも今の若者はキリスト教でいう神様の存在を信じていない人も多くなっているが、学校でも教えているので殆どの人が知っている。
だからなのか、成長ストーリーが生まれても、その主人公の死という最後まで行かない。人間の最後は全て神様が審判してくださるのだから、人間ごときが描くなんて畏れ多いという思考がある。
だが、日本には、そういう考えが殆ど無い。ユダヤ教的な側面を持った原始キリスト教の流れを汲む日本神道が根底にある。
しかし、それはユダヤ教から派生した原始的キリスト教が、外国人伝道用として西洋人にも受け入れ易いように戒律の厳しいユダヤ教義を省いてから本格的にヨーロッパに布教される遥か以前に、東方のアジア地域に伝道された教えを基盤としている。 それがアジアでは景教となった。その影響なのか、ローマ帝国の末期にユダヤ教義を省いたキリスト教であるカトリックがヨーロッパに広がっていったとき、皇帝は当初はキリスト教を弾圧していた。
だが、支配者たちは考えを変えて都合よく政治利用し国教にも採用されヨーロッパ地域に大々的に布教された。
日本の場合は欧州のキリスト教の概念とは大きく異なり、ユダヤ教義を残したままである東方キリスト教の流れを汲む景教が入ってきていた。実は其の景教の方がイエスが説いた古来からの本当の教えが詰まっているように思うのだ。
個人的には欧州北部や英米で信仰されているプロテスタントはカトリックから分派したとされているが三位一体の思想など多くの点で異なっていることから、本来はモンゴル帝国が東欧を植民地化したときに、当時モンゴル帝国で普及してた東方キリスト教「景教」が伝播して派生したものだと思う。
日本の神道の中に垣間見る教えがキリスト教的だということに、日本で歴史上の人物でこの事をいち早く見抜いていたのが、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルであった。
彼は鹿児島に上陸した後、長崎の平戸から山口〜京都と旅をする間に不思議な感覚にとらわれたという。神の教えを全く知らない極めて野蛮な国であると聞かされて来てみたが、どうやら日本の人々に崇高な倫理、道徳、礼儀が自然と備わっている。
しかも、それは異教的なものではなく、明らかに絶対神の教えが元になっているようなのだ。イエズス会の管区に当てた手紙の中で、ザビエルは「この国はかつてキリスト教が全国規模で伝道された痕跡がある」と報告。
一体、いつキリスト教が伝来し、誰が宣教したのか。様々な手を尽くして調べたが、結局は謎を解くことが出来なかったという。
カトリックを知り尽くした宣教師であったからこそ、ザビエルにはわかったのだろう…インドや中国や朝鮮には無く、この日本にだけ存在する古代キリスト教な空気を敏感に感じ取っていたようなのだ。
だが、現在の日本にはユダヤ教義を残した原始キリスト教的な面影は既に無い。日本神道の中に取り入れられ、日本人の心の拠り所となって根本的な思想となっているだけだ。
その理由は、景教の中に仏教系のダニキ信仰が入った稲荷信仰の普及や、その後には大陸から本格的に仏教が入って来て国教にまでなった。
16世紀にはキリスト教カトリックも入って来ており、非常に少ないが其の前にマニ教やイスラム教も入っている。チベット密教や儒教と道教も朱子学も入っている。
それらを全部混ぜて各自で勝手に宗派を造って行き、自分たちの人生観や自分の社会通念と男女のあり方などの思想を誰かが勝手に作って地域ごとに自由に崇拝して生活してきた。それでも良いことになっている。
欧米や中東のように同じ宗教なのに宗派が違うだけで争うなんてことは特に無く、正月の初詣も神道系の神社だけでなく寺院でも稲荷神社でも観音様でも何処でも参拝してもよいという非常にファジーで便利な風習です。
これは世界的にみても非常に理解しがたい稀有な風習になっている。「八百万の神々」という言葉も、嘗て日本の奈良はシルクロードの終着点だっから、様々な異国文化や多くの宗教や宗派が入って来たので、その文化や宗派が根付いた地域によって多くの神様が生まれていった。
しかし、現代では大陸の朝鮮系人脈が入り込んでいるカルト新興宗教の中には、異宗教も融合してきた日本的な価値観とは大きく異なり、決して他宗派を認めない排外的な言動が非常に多く、明らかに日本的ではないと思うのは私だけだろうか。
例えば、同じ日蓮正宗を騙る創価学会と顕正会や法華講は常に互いを誹謗中傷しており常に暴力沙汰が絶えない。こうしたカルト宗教では、教祖や幹部が日本人ではない場合も多い。日本の仏教でも宗派争いは既に皆無なのに異様であると共に時代遅れです。
話を戻します。日本人は、ガチガチのキリスト教徒が説く「最後の審判」も全く恐れない。それに特に期待もしていないし、宗教を必要以上に畏怖したり特にタブー視もしてない。
要するに日本には古来から高圧的なな思想統制が無かったようだし、もし朝廷から発布されたとしても隅々まで思想統制が行き届かなかったようである。
そういう経緯があるから、日本人は各自で勝手に成長マンガやストーリーマンガを描いてしまう。それに、幽霊や宇宙人と一緒に学校に行ったり同じ家での共同生活まで描いてしまう。
欧米人は直ぐに敵視する傾向が強い。ゴーストバスターズのように幽霊は退治し、宇宙人を侵略者とみなして人類の敵として扱うが、日本人に漫画を描かせると宇宙人を敵ではなく直ぐに仲間にしてしまう。
この事は、欧米の基底文化には、キリスト教的価値観において異教徒は人間ではないという思考が根強く残っていたからでしょう。
例え敵だった者でも戦った後には仲間になる。そうした「みんな仲良く」という日本思想に憧れる若者も世界各地で増えつつある。
今まで欧米が行ってきたアジアやアフリカなどの植民地において、熾烈な搾取や弾圧や虐殺といった行為の数々は、自己保身を最優先にした先制攻撃であり、まさに有色人種を人間として見ていなかったからこそ行えた所業なのだろう。
続く…
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日本マンガの考察
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「2・日本のマンガ文化についての考察」からの続き
だから既存の仕事の枠組みに当てはまらない若者が多くなっても日本経済は決して沈まないし、もっと日本人は自信を持つべきである。
中には其の経済効果について懐疑的な旧来思考の有識者もいる。だが、現実は違う。マンガやアニメやゲームを始め各種コンテンツを楽しむ人が更に増えてこそ、より一層に日本は浮上していくと思う。
本来、そうした文化的遊び人が居なければ、こうした産業は成り立たない。だが、現実に成り立っている上に大きく拡大していることは、其の産業が今後の主流となっていく要素も持ち合わせているように感じる。
こうした世界が日本のコンテンツ産業に求めているのに、政府の御用学者などは陳腐化したエコノミストや評論家が重宝されており、悲観論を言えば言うほど有能な人だと評価されているように思われる。
旧来のエコノミストたちが「そんな子供じみた幼稚文化は役に立たない」という論調である。こうした有識者が次第に減ってきたのは幸いであるが、未だに彼らは世界に受け入れられている日本文化が、次第に主流になってきているのを軽蔑と無視をしている。 そして、相変わらず「製造業は景気の不透明感に見舞われている・・・」、「早くアメリカ式にグローバル化した金融システムの拡充、および自由貿易の進展を・・・」などと言っているのは本当に困ったものです。 そうした分野の経済予測だけでは当たる確立が少ないので、大衆はエコノミストや経済評論家の言うことを信じなくなっている。そして何でも数値化して発表すれば、さも正しく賢そうに見えるだろうというセコイ背伸びをしている。
数値ばかりが載っている其の雑誌を「ビジネスマン必読の書」と言って紹介することは既に時代遅れになりつつある。もっとライブ感に溢れているような生の情報や、日本に対する世界の目や多大な期待を常に察知し提供していかねば好機を逃すことになりかねない。
こうした大手新聞や系列のテレビ局が御用達にしているエコノミストたちが「人口の減少による日本経済の衰退」を悲観的に拡散しているのである。
以前の記事にも書いたがアメリカの書店には少女マンガのコーナーが最近になって出来ているという。
アメリカは未だにマンガやコミックは子供のものであるという認識が強く、ここ10年くらいで急速に日本のマンガ子供や若者たちに受け入れられているが、既にココまで細分化されていると思うと感慨深い。
少女マンガを発明したのは日本人であるが、少女対象のアニメも日本が最初である。最初、欧米で日本の少女向けアニメの放送が始まったときは欧米の大人たちは驚愕したようだ。
何故かと言えば向こうには少女向けマンガやアニメなど存在していなかったからである。女性を、しかも少女が主人公にして活躍させるというのは当時は信じられなかったようである。
本来、中世期のキリスト教文化では女性は付属物という位置であり、実は決して男女同等ではない。まだ南欧には女性ばかりに働かせて亭主はサッカー観戦に夢中の人が大勢いる。
これは日本の社会体制が欧米よりも進んでいるということに彼らはカルチャーショックを受けた。女性が仕事と育児の両立を支援することなどや女性の社会進出についての理解は、確かに欧米の方が進んでいるように思える。
だが、それは虐げられてきた歴史が長いからであり、彼女らが様々な努力の末に勝ち取ったものだからだ。
だが、現代の女性の仕事とは違った意味で、日本には古来から紫式部や清少納言といった女性たちが、日本を代表する女性文化を創造するという下地が既に存在していたのです。
先述した「カワイイ」という言葉は日本語であるから日本しか存在しない言葉だった。今やサンリオの商品は海外でも異常なほど高い人気を博している。 サンリオのキャラクターのアニメは韓国や中国を始めとした諸外国の玩具産業で直ぐにコピーされるので、動画サイトにアップロードされれば直ぐに削除される対象となっている。
大阪のUSJに中国人が大勢やってくるのは何もハリウッドのキャラクターが好まれているのではなくサンリオのキャラクターが目当てである「本物のキティちゃん」を求めて来ている中国人も多くなっている。
中国には日本製品の偽モノが多いが、本物は日本だけだから「高品質」を求め始めた富裕層が遠路はるばる日本に本物を求めにやってくるのです。東京のポケモンセンターには連日のように世界各地から本物を求めて来る人が多い。
其の場所は外国人が多く訪れる観光地になっており、今や築地市場に次ぐ第2位である。それに日本のマンガやアニメや特撮ヒーローものは、日本の代表的な文化産業にまで育ちつつあり、既に海外では日本のイメージとして定着している。
中国や韓国の真似も酷いが其れに次いで米国も結構と真似ている。日本の戦隊ものヒーローをソックリ真似た番組まで登場して人気を博している。
「マインドシフト」「第三の波」で有名な世界的な未来学者のアルビン・トフラー氏も、意外と日本のマンガやアニメに詳しいようだ。
彼が「日本のマンガがアメリカに洪水のように入ってきて、莫大なるアメリカの子どものこづかいを日本が取っていってしまう。これは由々しき問題だ」という。
それはディズニーの悔しさから来る意見だ。以前、ディズニーがアメリカ中にそういう宣伝をして日本企業相手に裁判まで起こした。
彼は「日本のマンガやアニメは素晴らしいのだが、その中に暴力的や残虐や性的描写のある作品が非常に多いのは残念に思っている・・・」のだという。
これは大きな偏見と誤解が含まれている。例えば日本はアニメを年間で約3000近いのタイトルが作られているのですが、それには幼児向けから学習用を始め、青少年向けや大人向けやマニア向けなど様々なジャンルが作られて放送や上映されたりDVD化され販売されたりしています。
だが、何故かアメリカ人が好む内容の分野や日本に来て買っていったりするのは戦争や格闘モノや暴力モノや性的内容が多いのが実情である。このような傾向はハリウッド映画を見ればわかる。
必ずと言ってよいほど戦闘シーンとカーチェイスとラブロマンスのシーンが多く含まれていることからもアメリカ人は、その分野を求める傾向があることがわかるだろう。
日本的哲学とは何か。例えば、「ある物語」にオチをつけるとき、キリスト教的なオチと日本的なオチはまったく違う。
日本的なオチというのは、みんなで話し合って、わかり合って、許し合って、涙を流して……というようなもので、日本人がつくればこういうオチになるのだ。
しかし、アメリカ人が作ると、最初から悪が存在しており其の悪を退治し組織を皆殺しにして壊滅させるが、日本は手をとってお互いにわかり合うというオチになる。
日本のマンガはほとんどがそうだといえる。アメリカの子どもたちは、そういう哲学を知って、もう別人になっている。もちろん、日本にも平和的なオチでない物語もある。実は日本には両方あるのだ。
日本には全部そろっている。その中から暴力や残虐なものや性的なものを主に輸入していることに気がつかない。有名な学者が言うと余計に影響力が強いので、かえってアメリカ人に誤解され易くなってしまう。
だから日本のマンガやアニメは「品が無いものが多い」と言う外国人は、日本に来て暫く住んでみれば「思っていたよりもマトモだった」と理解するはずだ。
最近、日本のマンガが原作の実写映画やアニメがアメリカのテレビや映画館でも見ることが出来るようになったが、これはマトモな作品の良さを理解できるようになり輸入しはじめたからであり、ようやくアメリカ人は精神的に進歩して日本的な思想が少し理解できるようになってきて幅が広がってきたのかもしれない。
徐々に「経済離れ」を始めている日本人は、急速に「欧米文化離れ」をしつつあるので、近年になって日本の伝統文化が再び見直されてきている。
日本には、深く掘り下げて探求するような奥深い文化があるが、多くの海外旅行を体験した人の中には、欧米の文化よりも歴史が長く崇高な理念が息づいていた日本文化の素晴らしさを再発見し始めている人も増えてきた。
こういう歴史が長いという国は、世界でも数少ない幸せな国であるといえるだろう。
外国には無い日本マンガの大きな特徴は3つほどある。先ずは少女マンガが存在することだろう。
更に細分化していくと日本には子供向けマンガがあり、少女マンガもその分野に入ると思われる。その少女たちが中学生や高校生になり徐々に大人になって行くところを描いた青春学園ものがある。
それから、少女たちが学校を卒業して大人になると、それまでの学園ものから恋愛ものへと興味が移る。それでレディースコミックなる分野が生じた。
するとそれで外国人の多くが「今まで世界には、このようなものは無かった」と言うが、私たち日本人は「女の子向けは以前からあったものだし、それがどうした!」という考えがある。
何故、このように様々なジャンルのマンガ大国になった理由の1つは、子供の小遣いの金額が世界レベルと比較して群を抜いて高いということもあるだろう。
20年ほど前の話になるが、当時のアメリカ人から聞いた話によると、ヨーロッパでは子供1人あたりの小遣いは年に20ドル程度、しかしアメリカは70〜80ドルだから子供産業のレベルではアメリカが世界一」と自慢していたが、その世界一の中に日本が抜けている。
日本の子供は平均して20年前の当時でも約200ドルくらいは貰っていたのではないだろうか。家庭によっては月々の金額は少ない場合もあるかもしれないが、日本には古来から「お年玉」という風習があるから、年間に貰う小遣い金額では世界一だと思うのだ。
その「お年玉」が玩具産業界の他にもマンガやアニメ産業に与える威力は相当大きいものになる。それに最近では欧米と同様にクリスマスプレゼントの習慣もあるから、年末年始は子供たちにとって最も嬉しい時期になっている。
お年玉の効力は玩具やマンガやアニメだけではなく、TVゲーム・ケータイ電話・パソコンにまで及んでいる。日本型IT革命が大きく進んだ背景には「お年玉」の効果が大きいということもわかる。
ケータイ電話のインターネットでもある「iモード」が日本で開発され爆発的に普及した背景には、そういう経済的な自由が女の子にある国は極めて稀です。アメリカのIT革命が進んだ背景は金融と軍事関連だから、これも日本独自の進化なのだろう。
また、日本の優秀な携帯電話や端末製品に対して日本に不利な規制を勝手に制定されてしまい、現在も日本のモバイル製品が欧米市場から締め出されていることは残念でならない。こうした日本人への規制は意外と多い。
スキージャンプを始めとしてオリンピックでも日本が不利になるような露骨な規制を設けてきたし、F1グランプリも日本製エンジンの高性能に対しても幾度も仕様変更が行われ日本が不利な規制がかけられた。
ルマン24時間レースは更に酷く、日本車が強いことから市販車改造が規定であるのに欧州勢はF1マシンにボディを被せたような車両を持ち込み「数台売れば市販車だ」と勝手に主張する。
こうしたことはWRCラリーでも常勝トヨタに理不尽な言いがかりを吹っかけて2年間の出場停止のペナルティを与えたことも同様だ。白人社会を脅かす存在である日本を汚い手を使ってまで貶めようと画策されてきた。
TPPでも実際に米国に行って通商から直に聞いてきた小野寺議員が主張しているように、郵政と牛肉の完全自由化はTPP参加交渉への手土産である。仮に参加すれば其の後のTPP交渉でも勝手な例外を設けて同様な理不尽で不平等な手が使われてくることは間違いないでしょう。
続く…
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「1・日本のマンガ文化についての考察」からの続き
我々日本人が全く意識していない事が、知らないうちに世界各地の外国人に認められて日本の基底文化の熟成度を含めて高評価してくれるようになっている。
以前も述べたが、3J…日本製のアニメであるジャパニメーション、日本の音楽であるJ-POP、日本のファッションであるJ-ファッション、これらがアメリカのサブカルチャーに取って変る時代が直ぐ近くにまで来ている。
というより既に取って変わっている。これは軍事的や経済的な世界覇権ではなく、経済と文化的な世界覇権を日本が握れる日が来るかもしれない。
世界的に有名なサッカー選手であるフランスのジダン、イタリアのトッティがインタビューで「あなたは何をキッカケにサッカーを始めましたか」という質問に、「キッカケはキャプテン翼だ」と答えていた。
2人とも同じ事を答えたという。彼らは日本のアニメを見て、サッカーを始めたというのです。彼ら2人だけでなく、実際には多くのスター選手が「キャプテン翼」の影響を受けていると思われる。
こういうマンガを始め3Jが日本の国力と国益に繋がっていくのです。だから「子供じみている、小学生レベルの思考だ」などと批判せず、今後も日本の若者が作り出す新しい文化に期待して欲しいのです。
日本が世界から注目されていることを日本人自身がやっと理解するようになった。何故、日本だけが主人公が成長していくストーリー性のあるマンガを生み出すのだろう。
自分のマンガ作品が様々な言語に翻訳されて海外に輸出されている作者は「自分のマンガの役割とは何か?と思うようになり、日本のアニメの製作者も日本のアニメが与える効果や影響とはどういうものか?と考えるようになったことは喜ばしい。
今の日本人の殆どが過去の歴史を共有しているから、日本に在るものの大半は自分たちで選んだり受け入れたり好きで選んだものが多くなっている。要するに大陸文化の全てを受け入れないで良いと感じたものだけを取り入れてきた。
平安京遷都から100年後の894年には遣唐使を廃止したが、これは大陸からは特に学ぶべき必要性がなくなったからだろう。其の後に現代の日本文化の基礎が形成されていく。
過去にはキリシタン勢力が急速に拡大したので、ご法度になった時代もあるが、その時代を除けば交易国をオランダに限定して西洋の物は輸入が自由に出来た。 明治以降ではキリスト教も自由に信仰して良いことになった。面白いことに、信教の自由になってみれば、意外にもキリスト教は一定の信者だけで大きく広がらなかった。いつまで経ってもクリスチャン人口は5%以下のままである。
クリスマスは全国で祝うが、それを過ぎると直ぐにツリーを片付けて正月用の門松を置く。単にイベントとしての社会風俗化しているだけで完全な信者にはならない。
こうして考えてみれば日本人の特性を予め知っていたなら、徳川秀忠は焦ってキリシタンを禁止しなくても良かった可能性がある。しかし、弾圧は正しかった。
実はキリスト教を弾圧した背景は、欧州の植民地化政策の前哨戦として、先ずはキリスト教を普及させるという戦略があったからだった。
今も日本人は様々な思想や文化に対して寛容で免疫を持っているし、良い悪いを判断する抵抗力も備わっている。窪塚洋介さんが言うように、日本は仏教もキリスト教もイスラム教も何でも寛容な国だし、そんな国は世界中では日本しかない。
他のアジア諸国のように、扇動されれば大衆の多くが右向け右にはならない。恐るべきセンスと常識がある。一部のグローバリストや高学歴のインテリ層は別だが、国民の大半が似たような認識を既に共有している。このような国は世界中探しても殆ど見当らない。
ということは、日本は既に日本の国だけで1つの高度文明圏を確立し形成していることになり、長い歴史に裏打ちされた其の高度な文化を発進するのは文章だけでなく、大衆に解り易い形であるマンガやアニメや映画、それに高機能で高レベルなデザインの工業製品に表れている。
それに、日本人は共同体の論理や概念も理解できるし、グローバルスタンダードの良さも理解でき、既に両方を経験しており両方の良さや欠点がわかるのも凄い。
例えば、戦国時代を思い起こせばわかるが、国内で領土の取り合う戦争をすることは理屈でなく実感を伴ってわかる。しかもテレビや小説やマンガで戦国武将の生き様の物語を描くから、いつのまにか其の時代についての知識が身についている。 しかも、武士の掟があるので、源平合戦頃から続いた相次ぐ内戦で戦い方のルール化が終わっている。だから、争い事になっても諸外国のように一般大衆を巻き添えにする残虐非道な野蛮な行為にはなりにくい。
文明人的な戦いの方法を日本は源平合戦の時から会得しており、武士対武士戦いが主流であった日本は民間人大量虐殺型の欧米の戦争よりも遥かに進んでいる。
大陸的な戦い方は、2〜3人が1つのチームになり、敵を囲んで必殺する傾向がある。上陸した元寇でも日本武士に対して行われたし、WWⅡでもゼロ戦への米軍グラマン機などが攻撃する上でも行われていた。
確かに勝つために合理的だが、そこには武人としての誇りも感じられない。当時の武将は「一騎打ち」が主流だった。先ずは自分から名を名乗って祖先は誰かなども明らかにした。
この戦い方は元寇のときに苦慮したようだが、日本的な戦いは武人として潔さと覚悟は感じられ、それが江戸時代に武士道として昇華していったのです。戦国時代には近代のような武士道などはありませんでした。
日本人の多くは理解していないが、これらを全てひっくるめて、芸術や工業製品に応用して磨きをかけ、「丹念に仕上げる」というポリシーが生まれて、それが世界中で高評価されるモノが出来るように思うのだ。
21世紀に入り、次第に西洋文明が没落していく現象が誰の目にも顕著化して見えるようになっており、異質同士である東洋文明と西洋文明が激しく衝突するのではないか?との懸念もあるが、これは衝突し争うのではなく文明が徐々に移行しているのだと思う。
インターネットの普及で文明や文化や情報が直ぐに世界中へと伝達されている。これからの時代は、国家単位では視野が狭すぎるし、地球単位でも大きすぎるので、東西の文明別の他にも大陸国と島国として区分して考える必要が出てくるだろう。
日本はユーラシア大陸の影響を多大に受けながらも、それらを全て混ぜて独自の文化圏を形成している。この問題についてはマンガやアニメ産業は既に1つの答えを明確に出しつつあるように思う。
既に日本は独立した高度文明の1つの存在であり、更に世界に多大な影響力を持った文化大国なのだということを私たちが自認することである。
話を戻します。僕の周囲でも、「日本語で世界の文化がわかる」と言うと「世界がわかるのは英語だろ?」と反論する人が多いが、実際には英語では世界の事はわからないようになっている。確かにビジネスとして割り切る場合では有益だ。 しかし、基本的に英語ではイギリスを悪く書く文章は意外と少ない。特に資本主義が発展してきた裏の顔でもある「戦争を仕組んで勝って略奪する」という「略奪の歴史」が書いてあるような文献は殆どなく、大半は事実を美化して捻じ曲げて書いてある。
その資本主義の元手をつくるために行われる「戦争と略奪行為」を認めれば、イギリスを始めフランスやスペインやオランダ、それにアメリカが世界から批難の嵐に遭うし、欧米諸国の文化や思想に対して公平に見れなくなってしまうだろう。
日本は第2次世界大戦に引きずり込まれ敗戦した国である。だからこそ今後は「資本主義の原型は略奪主義だ!」というのを日本から発信したい。
アフガンやイラクを始めリビアでさえも、単に欧米のような経済構造を受け入れないという理由で「独裁者」のと決め付けて叩き潰しています。これら一連の戦争に共通するのはドル防衛および石油などの資産略奪です。
リビアは更に金本位制アフリカ統一通貨「ディナール」の発行を目指していましたから、米ドルやユーロなど実際には紙ペラの価値しか無いような貨幣では、ドルやユーロが機軸通過から転落し米国やEUの崩壊がを加速させるので、反政府ゲリラを背後から支援してリビアを叩いた。
リビア政府は米語ゴールドマンサックスに政府資金の運用を依頼していたが、其のリビアの政府資金の9割を損失させてしまった。
其の事実をウヤムヤにするためにもリビアは潰されました。またEUへ売った石油代金の600億ドルもウヤムヤにされた。其れもNATOが空爆した理由でしょう。大規模な軍隊は既に他国資産を略奪するためにユダ金らが求めた暴力装置と化しています。
それたので話を戻します。実は世界中で翻訳が行き届いている国は日本であり、世界中の書物が読める国は意外と少ない。
ギリシャ哲学からローマの有名な思想家や共和制について、それにキリスト教の各宗派やイスラム教の各宗派、インド哲学や思想、それに中国の思想家や武人や歴史文献などが簡単に入手できる。
もちろん、イギリスを始めとする欧州諸国やアメリカの欠点や悪口も堂々と翻訳されているし、日本の欠点や悪口も多数存在している。実は欧米など多くの国々では自国の欠点や悪口の書籍を出版することは少ない。
こうしてみても世界中で一番の公平な言語だということがわかるだろう。しかし、欠点を言えば外国の書籍が日本語化されるのは少し遅いので、その点では各国の最新情報が遅れる傾向があるのが難点である。
最近では外国の最新本が日本語に翻訳され書籍化されるのが早くなっている。英語を始めとするヨーロッパ系の言語は意外と不完全な表現しか表せないと思う。
日本語には多くあっても、英語には無いニュアンスや意味が多く存在している。日本語で話した言葉が英語に変換されると、細かいニュアンスが伝わらないことがあるが、これも根本的に文明というか言語に関しての歴史が大きく関係している。
文化も思想も潜在意識や一般常識まで違うとなれば、語彙を減らして相手に理解できるように話すと内容のレベルが下がってしまうそうだ。実際に語彙やボキャブラリーは日本語の方が圧倒的に多い。現代中国語や韓国語の単語も其の大半が日本語から取ったものですし。
季節感に根ざした優れた表現が数多くある。最近の日本も若者を主体として語彙力が落ちてきた。何を見ても「カワイイ」で済まされる。可愛い、美しい、素晴らしい、凛としている、愛らしい、綺麗ですね、などを全て含んだ表現でカワイイが使われるようになってきた。
この「カワイイ」は日本人だけでなく外国でも便利な言葉として取り入れられている。ビューティフルやプリティやキュートを総合した便利な新しい概念として褒め言葉になっている。
マンガやアニメは「カワイイ」という言葉の深くい意味を含んだ言葉をアメリカの子供たちに伝達することに成功している。文化を通して子供たちに日本的人間観が浸透しつつあるのです。
この現象はアメリカからヨーロッパへと伝わり、「カワイイ」は既に世界の言葉になっているように思える。中国でも「カワイイ」を当てはめる漢字が登場している。
元来、日本には「カワイイ」の意味の中にある、か弱い存在に対しての守ってあげたいという想いがある。
だから「カワイイ」の条件には力が弱く無力であるという定義づけがなされるだろうが、これが欧米ではクールだというのだから私たちが思っている以上に世界は大きく変わっているようです。
「新しい日本の底力」が世界に広がっている。マンガやアニメや特撮ヒーローものやゲーム、それに音楽やファッションである。これらの日本文化は今や「クール」であると思われている。
要するに彼らにとって日本文化は格好いいのである。日本人が経済離れになりつつある今は時代の転換期であり、本当はこのような新しい文化を「日本経済の底力」と認識して評価し、資源の要らない製造業として国を挙げて支援していくことが重要なのだ。
続く…
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●ドショウ首相、美女にはさまれご満悦
産経新聞10月23日(日)20時57分 野田佳彦首相は23日、アニメや映画の上映を通じて日中の文化交流を図るイベント「中国アニメフェスティバル・映画テレビ週間」の開幕式に出席。「日中両国の国民が互いの文化を体感することを期待しています」とあいさつし、日中友好をアピールした。 会場には、イベント期間中に国内の会場で上映される中国映画の出演者も登場。どじょう首相も美女にはさまれ、ご満悦だった。 http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1023/san_111023_4731490621.html ●<AKB48>初アニメ化決定 メンバー200人から声優9人を公開オーディション
毎日新聞10月19日(水)12時10分 アイドルグループ「AKB48」が初めてテレビアニメ化され、その主人公の声優をAKB48、SKE48、NMB48、HKT48のメンバー計200人からオーディションで決めることがこのほど、明らかになった。アニメは来春放送予定。 http://news.biglobe.ne.jp/entertainment/1019/mai_111019_7149944638.html 日本が、これほどまでにマンガやアニメの大国にまでなった理由の1つは世界中の諸外国が真似できないほど長い悠久の歴史の賜物である。英国王室でも1066年にウィリアム1世がイングランド地域の戦国時代を制し即位してからのスタートです。 つまり、日本は基底文化の熟成度が高いということです。また、ロボットの普及率が高いのも、マンガやアニメおよびゲームの影響が大きいだろう。
ココで言うロボットは工場などで使われている産業用ロボットの事ですが、この産業用ロボットの数は世界一で、世界中で稼動している産業用ロボットは約85万台以上にもなっている。
そのうちの約42%が日本に存在している。しかも、インスタントラーメン製造機や温かい飲み物の自動販売機、常に同じ分量の製品を包装する機械など、日本人が発明して世界で普及した製品は数多く存在する。
その世界中にある産業用ロボットの大半が日本製もしくは日本人が発明したものばかりだ。今やロボットの活躍の場は工場だけではなく、回転寿司の店舗の多くで寿司を握るロボットが設置されている。
またラーメン店やソバ店などでは葱を均一に切りそろえる機械まである。理美容室ではアシスタントの人材不足から自動洗髪機も急速に普及している。洗髪ばかりの仕事だと人間なら文句を言うが機械なら文句は言わないし壊れるまで使える。
また、10年前にソニーが販売した「アイボ」という家庭用の犬型ロボットが大人気になった。ホンダは「アシモ」という二足歩行ロボットを開発した。これは最初、歩行だけだったが研究の末に既に人と一緒に走るまでになっている。
老人や障害者の介護用ロボットも研究されている。最近では一見では生きている犬に見えるような姿をした犬型のロボットが介護施設で人気を博している。
30年くらい前に「ロボコン」というテレビ番組が放映されていたが、今や専門学校や大学の学生たちが、自分たちの作ったロボットで競技を行う「ロボットコンテスト」が各地で開催されている。
其のロボットコンテストでは、いつも彼らの奇抜なアイデアに驚かされる。日本では何故、このように多くのロボットが普及しているのだろうか。何故、欧米諸国よりも遥かに進んだ「ロボット文化」が存在しているのか。
そこには手塚治さんのマンガが影響しているのではないかと思う。今も世界に誇るマンガの巨匠である手塚治さんの代表作「鉄腕アトム」だ。また藤子F不二雄さんが「ドラえもん」を描いた。
日本の漫画の代表作でもある2つの名作に共通するのが「人間が困ったときには必ずロボットが助けてくれる」ということを描いている。
このように日本のロボット観には「ロボットは人間の友達」として表現されていることが多い点である。例外的な作品もあるが、大半が「ロボットは友達」という設定だ。
今のマンガでは「人間そっくりなアンドロイド」が描かれている作品も出てきている。日本のロボット開発者の多くが「アトムのようなロボットを作りたい」という思いが技術者を目指した動機という人も多い。
ロボットの進化の背景には、開発者が親しんだマンガの影響は我々が思っている以上に大きい。だが、日本と比較して、欧米はロボットに関しては懐疑的な人が多い。
多くのヨーロッパ言語の元になったラテン語、特にラテン語の影響を多く受けているチェコ語では「強制的な労働」を意味する「ロボッタ」という言葉があるそうだが、これがロボットの語源に近いもののようだ。
要するに、ヨーロッパで産業革命が成功して機械文明が急速に普及して行くとともに、機械化がこれ以上発展すれば、いずれは人間は機械に支配されてしまうかもしれないというイメージが欧米人にはあるのではないかとも思う。
ロボットの持つイメージは暗く、非人間的なものであり、人間とは相容れない存在として考えられているようにも思ってしまう。欧米の小説や映画には人型ロボットが侵略してくるような作品が多いが、これも日本人との思考の違いがあるのではないか。
戦前の映画で、大ヒットした「モダンタイムス」がある。チャップリンが扮する主人公が機械化された流れ作業的な工場で、単調な仕事を長時間行って働いていくうちに精神に異常をきたしてしまう。
このように機械化は人間性を損なうという思い込みがあるので、ロボットへの親近感が湧かないのだろう。しかし、日本ではロボットへの高感度が高く、産業用ロボットが高度経済成長期の人手不足を補った。
その人手不足を補う目的だったものが、多くの人たちの研究と開発の努力によって、世界一のロボット生産国になった。マンガの効果が経済の発展に影響しているのはこれだけではない。
キチンと歴史的にみても、日本にはマンガが普及する基盤があったのだ。世界のアニメの約7割は日本製で、その殆どが練馬区と新宿区や豊島区で製作されている。東京にすれば、こののこと自体が既に地場産業ともいえるものだろう。
良く考えれば、マンガやアニメやゲーム産業は、大した資源が無くても生み出せる製造業であるから、資源の少ない日本が活路を見出すには最善の産業ではないかと思います。
このことを石原都知事は知っていて、東京都は積極的にアニメ産業を支援したり、フェアの催事をお台場などで開催したりしている。最近、都条例の変更でアニメフェスタの開催は分裂してしまったことは残念であるとともに更なる進展の可能性も含んでいる。
よく欧米思想に染まった有識者と称する人たちが「マンガばかり読んでいては活字離れになる」と嘆いているが、小説でも既存の文学作品のような大作を読む人は減ったが、短編小説を読む人は増えている。 今では短編小説も「ライトノベル」というジャンルを確立し多くのファンを抱えている。歴史的にみれば、マンガの元祖とも言うべき文化が日本にはあったのです。
例えば「源氏物語の絵巻物」は、物語と絵が交互に描かれており、絵によってストーリーのリアルさを増している。その後の時代の「鳥獣戯画」も似たような効果があったと思われる。
江戸時代には「絵草紙」という、絵を描いた空白部に説明文を書いた読み物が誕生したが、これが現代マンガのルーツであると思われる。
これらの作品を考えてみると、現代のマンガと同じような効果を当時の作者が狙っていたと思う。文章を絵と一緒に配置することは、この頃から読み手に解り易くしたいというサービス精神が感じられ、コミックの元祖ともいうべきものだろう。
その他にも、「絵因果経」という経文があるが、それは上段に絵が描いてあり、下段に文字を書いていることから、明らかに作者の目的が絵によるリアル感を出すことを主体としているようにも思われる。 そして、江戸時代には「偽紫田舎源氏」も絵の入った庶民向けの読み物だった。そして写楽や北斎や広重などの絵師が活躍した時代に、日本では版画の技術が大きな進歩を遂げたのです。
一色塗りが主体だったが、高級雑誌になると複数のカラーを使用したものも販売された。これらの絵入り読み物は、塾で使用する道徳の教科書のようなものから、「笑える小咄物」や「お色気物」まで様々な分野で絵入りの読み物が、江戸時代から庶民の間に娯楽の1つとして深く入り込んでいたのです。
このように古い日本人には相手に解り易くするために絵で説明するという伝統があったのです。コミック有害論が叫ばれるようになっても、その流行は決して伝統を破壊しているわけではない。
実際に西洋の様々な文献には殆ど絵入りで説明しているものは極端に少ない。この絵入り読み物は、当時から読み手への作者のサービス精神が体現したものではなかったか。
このように日本のみならず、マンガは世界の共通語になりつつある現在、マンガの持つ良さを我々日本人は再認識すべき時に来ている。源氏物語絵巻も、牧美也子さんがマンガ化した「源氏物語」を読んでみるのも面白いと思う。
既に「三国志」も様々な作者が描いたものが販売されている上、日中合作でアニメ化したが、やはり横山光輝さんのコミックも素晴らしい作品になっている。
一般的に言われていることに、「マンガは、読み手にわかりやすくするために少し誇張して描いているから、人間の思考力を衰えさせて想像力の妨げになる」という批判もあった。それは活字でも同じではないだろうか。
活字文でも読み手に想像しにくい言い回しのものもあるし、マンガでも高い想像力と思想性をもたらしてくれるものもある。
例えば小林よしのりさんのマンガ「ゴーマニズム宣言」は、並みの活字体の文章と比較しても決して劣らないくらいの文章が書かれているし、その後に出版された「戦争論」では絵よりも活字が多いような錯覚さえ起こさせるくらい膨大な文章が書いてある。 これは若者に戦争の意味を問いかけた作品だが、右や左に極端に偏った意見ではなく、ドチラかと言えば中道的な意見が多いので好感が持てる作品だ。
それに、かわぐちかいじさんの「沈黙の艦隊」も良い。こうした高い思想性もマンガで楽しみながら読ませることが出来るのも良い点だと思う。
またアニメでも、ベルリン国際映画祭で「千と千尋の神隠し」が高評価を受け、日本国内でも映画史上最大の興行収入を上げたことからも見て取れる。アメリカを始め世界中でスタジオジブリの作品は上映され高評価を受けている。
またアメリカでも10年前から映画の興行成績の上位に「ポケットモンスター」などの日本の長編アニメ映画が入りようになっている。ハリウッド映画「マトリックス」も元ネタは日本のマンガからのアイデアやインスピレーションされたものが多いのだという。
「ライオンキング」も手塚治さんの「ジャングル大帝」が元ネタだし、「ワイルドスピード」も「頭文字D」など日本の走り屋たちが元ネタだ。
こうして日本のマンガやアニメを始め、音楽やファッションまでもが、国境を越えて世界中の若者に受け入れられており、彼らの価値観でさえも変えるくらい大きな影響力を与えているといっても過言ではないだろう。 ソニーやパナソニックなど日本の家電メーカーと同様、このサブカルチャーの勢力の方が凄い速さで世界に普及していっているのではないかと思える。
最近では、スペインやイタリアを旅行していて当方が日本人だとわかると、現地の若者から「自分の名前を漢字を書いてくれ」と言われることがある。理由は「カクカクしい文字がカッコイイ」という。 それに動画サイトなどで日本製のアニメを見ると、OP&EDに製作関係者や出演者などの名前が表示されるが、それを見て「このような素晴らしい作品を生み出す国の文字はカッコイイ!」と思うらしい。
漢字大国なら中国人や台湾人の方が良いと思いそうだが、サブカルチャー的な知名度等の理由では、日本アニメを慣れ親しんだ若者たちには漢字=日本語という認識があるようなので、どうやら日本に軍配が上がるようだ。
続く・・・
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治安の悪化が叫ばれている昨今だが、特に東京の繁華街を歩いていると目に付くのは外国人の急増である。 |

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