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画像… "flickr.com" http://www.flickr.com/ 【おすすめ楽曲】 ★「ちぎれた愛」 ★「傷だらけのローラ」 ★「若き獅子たち」 ★「ブルースカイブルー」 ★「1万光年の愛」 ★「愛の十字架」 ★「ブーメランストリート」 ★「ギャランドゥ」 ★「恋の暴走」 ★「炎」 ★「薔薇の鎖」 ★「眠れぬ夜」 ★「悲しい友情」 ★「ジプシー」 ★「ラストシーン」 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――★ <Wikipediaより引用> 西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名/ 木本 龍雄(きもと たつお)、1955年4月13日 - ) 広島県広島市出身の歌手で、激しいアクションとエモーショナルな歌唱により、1970年代の様々な 音楽シーンにスケールの壮大さと魂・活力を与えて、エキサイティングかつドラマティックに歌謡界 を変貌させた。まさに時代を変え、人々に勇気と感動を与え続けた、ヒーロー性、カリスマ性を兼ね 備えたスーパースターと言える。 広島駅近くで生まれる。血液型はAB型。父親の影響で幼少期から洋楽に馴染み、ジャズスクールに 通ってドラムを勉強した。5年生の時に兄とエレキバンドを結成。 高等学校時代、ジャズ喫茶出演時にスカウトされ、家族の反対を押し切り一人で上京。歌、芝居、踊り のレッスンを続け、芸能事務所(芸映)に所属。山陽高校から明大中野高等学校定時制へ転校。 高校在学中に歌手デビュー。 1972年3月25日にシングル『恋する季節』でデビュー。男らしくてセクシーなマスクが女性ファンを 魅了し、人気急上昇(愛称は片仮名の「ヒデキ」)。『チャンスは一度』で歌謡界にアクション旋風を 巻き起こす。 1973年、『情熱の嵐』が待望の初のベストテン入り。客席からの“ヒ.デ.キ!!”コールが話題を呼び、 全国にその名をとどろかして、一躍トップアイドルになる(郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と 呼ばれる。のちに沢田研二の最大のライバルともなる)。 続く『ちぎれた愛』、『愛の十字架』が連続してオリコンのヒットチャートの第1位に輝く。 絶唱型と言われる独自の真に迫る歌唱法により聴く者を圧倒し、10代の若さにしてその歌唱力が評価 され、初の日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、実力派歌手としても名をあげる。 1974年、『薔薇の鎖』の究極のマイクスタンド・アクションが歌謡界に鮮烈な衝撃を与え、『激しい恋』 の“♪やめろと言われても”の歌詞が流行語になる大ヒット。人気ナンバーワンとして一大ブームを 巻き起こす。続く『傷だらけのローラ』が海外でもヒットチャートの第2位にランクインされ、日本 レコード大賞で史上初となる歌唱賞を2年連続受賞する。 また紅白歌合戦でもトップバッターとして待望の初出場を果たす。ここに“人気/実力No.1”の称号を 得て、歌謡界の頂点に立つ。以来、トップスターとして永く芸能界に君臨、数々のヒット曲を世に出し、人々に“愛”と“夢”と“希望”と“勇気”と“感動”を与え続けている。 1979年、『YOUNG MAN』が大ヒット。“♪Y.M.C.A.”の大合唱となり、日本全国をも巻き込む程の熱狂 ぶりだった。伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』で2週に渡り最高得点である9999点、番組史上唯一の 満点を獲得し、日本歌謡大賞も受賞した。さらにその後も時代を超えた永遠のスタンダード・ナンバー となり、真に“青春のカリスマ”的存在として歴史にその名を刻んでいる。 また“Y.M.C.A.”の4文字を全身で表現したパフォーマンスは、今や全世界に広まっている。 ロック系のポピュラー音楽を中心にしたコンサート活動も精力的に行い、1974年から1983年までの 10年間、毎年恒例となっていた、真夏の大阪球場コンサートも常時超満員となり、“ダイナミックな アクション”と、“エネルギッシュな熱唱”に、親衛隊の興奮も冷め遣らぬ状態だった。屋外音楽 イベントとしては画期的なもので、ゴンドラの使用など派手な演出も話題となった。また1975年秋には、 日本人のソロ歌手として史上初となる日本武道館でのリサイタルを公演した。 1981年、シングル30曲ベストテン入り(オリコン史上初)の新記録を達成し、さらに総シングル レコード売上枚数が1000万枚を突破する。紅白歌合戦は1974年から11年連続出場、レコード大賞では 歌唱賞を3度受賞、金賞は1978年から6年連続受賞する。1975年の「ブロマイド」年間総売上実績で ついにトップに立ち、以降1976年、1978年、1979年も男性歌手部門で第1位となり、歴代の通算第1位 獲得月数で新記録を樹立している。 1974年のホームドラマ『寺内貫太郎一家』に出演し、高視聴率を得て好評を博する。また、映画 『愛と誠』に主演し、爆発的なヒットとなる。1973年から9年間、ハウス食品の『バーモント・カレー』 のCMに出演し“ヒデキ、感激!!”、“ヒデキ、ご機嫌!!”、“ヒデキ、満足!!”など数々のキャッチ コピーがお茶の間の人気を呼び、国民的アイドルとして大人から子供まで幅広い年齢層の支持を得る。 元来、スポーツマンで、水泳、走り高跳びなどを得意とし、全国ネットでテレビ中継された芸能人に よる水泳大会や運動会、『8時だョ!全員集合』の体操コーナーなどで活躍し、随処に運動神経の良さを 覗かせた。(1983年頃より趣味としてスキューバダイビング(指導員資格所有)、ゴルフなどにも勤 しんでいる。)一般の女性ファンのみならず、山口百恵や岩崎宏美など同世代の女性アイドルにも ファンが多く、西城の音楽賞受賞時には、同じ壇上にいて自分のことのように号泣したという。 1983年、スタッフと共に芸映を円満退社し独立、有限会社「アースコーポレーション」を設立する。 その第一弾のシングルとして『ギャランドゥ』を発売する。それ以降、グラハム・ボネットの 『Night Games』、ワム!の『Careless Whisper』、バリー・マニロウの『In Search of Love』、 『It's All Behind Us Now』をカヴァーする等、本格的なロック系、バラード系の曲が発売シングルの 主流になっている。 1990年代になると若きロック・ミュージシャン達が挙って西城のコンサートを訪れ、“ロック・ アーティストの憧れのスターNo.1”と言われる様になる。 1999年、∀ガンダムの主題歌『ターン A ターン』を熱唱したことで話題を呼んだ。 2003年、85枚目のシングルとなる新曲『粗大ゴミじゃねぇ』発表直後の韓国での公演中、脳梗塞で 倒れた。死を覚悟しての闘病の末、奇跡の生還を果たす。リハビリから復帰後、活動を再開し、 復帰会見では時折涙を流した。ライブなどではバラード中心の選曲で歌声を抑え気味にしている。 2005年、パチスロメーカー「オリンピア」から、タイアップ・パチスロ『ヒデキに夢中!!』がリリース され、年末にはベストアルバム『西城秀樹スーパーベスト』が発売された。 2006年9月より「東京スポーツ」で『西城秀樹歌手生活35周年 奇跡の復活 ヒデキカンゲキ!』が連載 され、9月27日には、3年ぶりの新曲『めぐり逢い』/『Same old story』が両A面で発売された。 2007年3月22日、香港の「IFPI Top Sales Music Award」に、約35年間の東アジアの音楽業界の成長に 大きな影響を与えた日本人歌手として招待された。 |

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秀樹は年齢も同じぐらいで全盛期にはレコードいっぱい買って聞きました。2度脳梗塞になりながらもリハビリに頑張ってコンサートにでている姿を2度見させもらいました。その後も影ながら応援させていただきました。今も悲しい気持ちでいっぱいです。もっと歌う姿みていたかったです。今も毎日CD かけて聞いてます。
2018/9/4(火) 午後 5:09 [ fss***** ]