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【Old hits 60'〜】

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☆No.38 「近藤 真彦」

イメージ 1

画像… "flickr.com" http://www.flickr.com/




「おすすめ楽曲」




★「心ざんばら」

★「北街角」

★「愚か者」

★「大将」

★「夕焼けの歌」

★「アンダルシアに憧れて」

★「ミッドナイト・シャッフル」

★「あぁ、グッと」

★「ベイビー・ローズ」

★「泣いてみりゃいいじゃん」

★「さすらい」

★「NEVER FALL IN LOVE」

★「SWIMMER」

★「純情物語」

★「青春」

★「夢絆」

★「Mrs. Teaser」

★「少年のこころ」

★「真夏の一秒」

★「TRUTH」

★「挑戦者」

★「よいしょ!」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――★

<Wikipediaより引用>


近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 - )


ジャニーズ事務所所属の歌手・俳優、であり、同事務所の取締役でもある。 血液型O型。
ニックネームはマッチ(名付け親は事務所の先輩松原秀樹)。 神奈川県横浜市生まれ。
同級生に野々村真、野村義男などがいる。また、レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する
株式会社エムケイカンパニーの代表取締役社長兼チーム監督としての顔も持つ。


1979年10月、TBSのドラマ、『3年B組金八先生』の生徒役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、
野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。その後ソロ歌手デビューし、1980年代を代表する
男性トップアイドルとして君臨し、ザ・ベストテンやザ・トップテンなどの歌謡番組を中心に活躍
した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。


1980年7月17日放送の『ばらえてい テレビファソラシド』において、美空ひばりの歌をリハーサル
で聴き、それが誰かを知らず、「おばさん、歌うまいね。」と発言。周囲のスタッフを凍りつかせる。
しかし、当の美空ひばりは「私、今まで面と向かって他人(ひと)から上手いって言われたことが
なかったの。」と笑顔で答えた。(共演者の小堺一機の発言による) それ以来美空には可愛がられた。


2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース
(楽曲提供ロクセンチ)し、芸能界への復帰を宣言。復帰の第一弾として25周年記念ディナーショー
を開催し、歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊が
ゲスト出演)。同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。


さらに2006年2月14日に日本武道館で行われた25周年記念コンサートでは、前売りチケットが
発売開始後5分で完売。当日のステージでも、約7年のブランクがあったことを感じさせない熱唱ぶり
を披露し、'80年代以来のファンを大いに魅了した。


2007年3月11日の追加公演では「大将」の間奏中に自身がデビュー後初めて公約していた通りの
華麗なフライング(宙吊り)を披露している場面や「YOUNG MAN (Y.M.C.A)」の途中でSMAPの
中居正広と少年隊の植草克秀(2006年2月14日以来)が応援に駆けつけた。
なかでも中居は大のマッチファンでもあり、特に思い入れのある曲「うそのない言葉」をデュエット
で熱唱し、初回以上に追加公演の方が盛大となった。


2008年2月14日の公演では「スニーカーぶる〜す」から「目覚めろ!野性」までの全シングル44曲を
完全熱唱し、途中15分の休憩を挟んで3時間30分に及ぶロングラン公演となった。
後半ではサプライズゲストとして元たのきんトリオの野村義男が駆けつけ、ライブでは12年ぶりに
共演を果たしたほか、少年隊の植草克秀(2007年3月11日以来)やタッキー&翼の滝沢秀明と今井翼
も応援に駆けつけた。なかでも今井翼はマッチと「少年のこころ」をデュエットで熱唱していた。


2006年2月14日のダイジェスト版と2007年2月14日の日本武道館での公演の模様を収録したDVDが
2007年5月9日にリリースされた。オリコン5月21日付音楽DVDランキングで初登場1位を獲得した。
オリコン1位獲得は1987年9月28日付にシングル「泣いてみりゃいいじゃん」で獲得して以来、
19年8ヵ月ぶり。映像作品では、1987年3月30日付にビデオ『OH!ROCK'A MONO』で獲得して以来、
実に20年2か月ぶりの1位獲得となった。また、これとは別に2006年6月から全国ツアーも実施している。


2006年9月1日放送の「金曜エンタテイメント『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ〜
倉敷殺人事件〜』(フジテレビ系)では「ドンウォリー!」以来のドラマ主演を務め、続いて
2007年8月31日には岡部警部シリーズ第2弾として『〜多摩湖畔殺人事件〜』が放送された。
さらに2008年秋に向けて岡部警部シリーズ第3弾『〜十三の墓標〜』の収録に入る模様。

芸能記者同士の座談会などで応対の良い有名人の一人に良くあげられている。
2007年10月8日、結婚14年目にして待望の長男が生まれた。


1984年に富士フレッシュマンレース(現在の富士チャンピオンシップレース)に参戦したのを
皮切りに、「日本一速い男」の愛称を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、
1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦。1994年には全日本GT選手権にポルシェ962Cの
GTカー仕様で参戦し、第3戦(富士スピードウェイ)で1992年度全日本F3選手権チャンピオンの
イギリス人ドライバー、アンソニー・レイドとともに初優勝を飾る。


その後は、ル・マン24時間レースやフォーミュラ・ニッポンなどを中心に活躍。2000年に自らの
レーシングチームとして「KONDO Racing」を設立した。以後の監督としての活動の詳細はKONDO
Racingの項を参照のこと。2006年からは念願であったKONDO RacingによるSUPER GT(旧全日本GT
選手権)への参戦を開始した(日産・フェアレディZを使用)。2007年SUPER GT第4戦(マレーシア
・セパンサーキット)にて、KONDO Racingとしての劇的な初優勝を飾った。


現在はチームオーナー兼監督業をメインにしているが、ミッレミリアやスーパー耐久への参戦など
ドライバーとしても活動を継続している。2007年7月にはスーパー耐久の一戦である「十勝24時間
レース」に「FINA GSX ADVAN M3」チームの助っ人として出場し、ST3クラスでクラス優勝を果たした。
1995年から2000年まで参戦した旧全日本F3000選手権→フォーミュラ・ニッポンと続く国内トップ
フォーミュラにおいては、荒天で大荒れのレースとなった1996年の最終戦に6位入賞したのが唯一の
ポイント獲得であり、レーシングドライバーとしては目立った実績は上げていない。


ただ、当初は「芸能人の道楽」と冷ややかな視線を送られたにも関わらず、地道に努力する様子を
評価する向きも徐々に増えてきた。また20年以上に渡り日本の4輪モータースポーツに関わり続け、
バブル景気崩壊後に大口スポンサーの撤退が相次ぎ国内トップフォーミュラの参戦台数が減少する
中で、地道に独自スポンサーを獲得してレース活動を継続してきた点も評価されたほか、KONDO
Racing設立以後は監督として采配を評価されるケースも増えている。
過去に岩城滉一・ヒロミ・三原じゅん子・夏木陽介など、芸能活動の傍らモータースポーツ活動を
行った芸能人は少なくないが、その中でも近藤のレースへの取り組み方は群を抜いていることは
確か。


2004年8月4日の午前和歌山県白浜町の白良浜沖で溺れていた当時小学2年生の男児を救助した。
男児がゴムボートから転落しているところに近藤が水上バイクで近づいて海に飛び込み救助した。
近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してもらった人物が近藤だった
ことを知った。ちなみに、この事故の朝日新聞の見出しは「人命救助さりげなく」であった。



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