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【Old hits 60'〜】

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あの懐かしの…


☆こちらでは、30代後半〜?の方々が「おお〜!」と
 (@^_^@)…クスクス 笑いながらご覧頂ければ…と思います♪

『ふぁん's Music (邦楽) 』は、お夾の大好きな曲ばかりですが
それとは別に、ここでは懐かしい往年のヒット曲情報を掲載しています♪
好みが合わない方は、また別の書庫をご覧下さいませ…m(_ _)m

訪れて頂いた方々の気分が、少しでも「の〜んびり」して頂けたらなと思っています。ビードロのお夾(*^.^*)

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「おすすめ楽曲」



★「別れの朝」(ペドロ&カプリシャス)

★「告白.アイ ラブ ユウ」(Abrazame)

★「置きざりの愛」(Abrazame)

★「全てを賭けて」(Abrazame)

★「別れの詩」(Abrazame)

★「エアーポート」(Abrazame)

★「途中下車」(Abrazame)

★「抱きしめて」(Abrazame)

★「さよならは云わないで」(Abrazame)

★「愛のテーマ」(Abrazame)

★「If I Have To Go Away」


★「君にさようなら」

★「ジャズシンガー」

★「夜が明けて」

★「シークレットデザイア」

★「朝もやの中で」

★「さようならの紅いバラ」

★「そして今は」

★「蘇える金狼のテーマ」 (映画「蘇える金狼」)

★「優雅なる野獣」(映画「蘇える金狼」)

★「TAKE A CHANCE」(映画「復活の日」)

★「コブラ」(アニメ「コブラ」)

★「Seacret Desire」

★「Move Over」(ジャニス・ジョプリンCover)





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<Wikipediaより引用>


前野 曜子(まえの ようこ、1948年1月25日 - 1988年)


歌手、ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカリスト。東京都生まれ。本名の文字は「耀子」。
宝塚歌劇団を経て1968年にリッキー&960ポンドに参加。翌1969年、『ワッハッハ』がヒット。


1971年、ペドロ&カプリシャスに初代ヴォーカルとして1971年から1973年まで務めた。
『別れの朝』がヒットするも脱退し渡米。帰国後はソロ歌手として活動、『蘇える金狼』
『野獣死すべし』『スペースコブラ』主題歌などを歌った。


歌唱力はピカイチだったが酒好きがたたり、ステージ等に穴を空けることが増えて、結果的に仕事量が
減少するようになった。1988年に肝臓病で死去。満40歳没。


※ 前野曜子の詳細記事→【Click!】


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/25/4d/bedoro_no_okyoh/folder/1496042/img_1496042_29985734_34?1221152987
※『別れの朝』作詞/なかにし礼 歌/前野 曜子、ペドロ&カプリシャス


ペドロ&カプリシャスで歌った『別れの朝』の原曲は、オーストリア歌手の "Udo Jurgens
(ウド・ユルゲンス)" が作曲した「夕映えのふたり/Was Ich Dir Sagen Will」
原曲と日本語の歌詞は異なり、「夕方」が「朝」、「コーヒー」が「紅茶」に替えられている。

※ ウド・ユルゲンスの詳細記事→【Click!】

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/25/4d/bedoro_no_okyoh/folder/1496042/img_1496042_29985734_33?1221151947
※ Udo Jurgens「Was Ich Dir Sagen Will」(1971.10.25)


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■高橋まり(ペドロ&カプリシャス/三代目ヴォーカル。現/高橋真梨子)詳細→当記事


二代目ヴォーカル。1973年から1978年まで務めた。「ジョニィへの伝言」や「五番街のマリーへ」が
ヒット。1978年からソロ歌手として活動し大ヒットを飛ばす日本を代表する歌手の一人に成長し、
現在もなお、ペドロ&カプリシャス時代の作品を歌い継いでいる。1978年には三代目のヴォーカル
松平直子を迎え、現在に至る。



ペドロ&カプリシャスは日本の音楽バンド。ジャズ、フォークからラテンなど洋楽のテイストを
取り入れたヒットソングを多くもつ。現在も、ライブなどで活躍している。メインヴォーカルを
女性が担当し、大人らしい落ち着いたテイストを持つ曲が多いのが特徴。



☆No.44 「水谷 豊」

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「おすすめ楽曲」



★「カリフォルニア・コネクション」

★「熱中時代」

★「やさしさ紙芝居」

★「何んて優しい時代」

★「あす陽炎(かげろう)」

★「田園風景」

★「表参道軟派ストリート」

★「はーばーらいと」

★「Because (for a Wedding Day)」

★「普通のラブ・ソング」

★「さすらい人のバラード」

★「心のままに」

★「はあとふる」

★「人生ロマン派」〜水谷豊×宇崎竜童コンセプトアルバム〜

★「マリーナ・デル・レイ」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――★

<Wikipediaより引用>


水谷 豊(みずたに ゆたか、1952年7月14日-)


北海道芦別市出身の日本の俳優・歌手。トライサム所属。
三人兄弟の三男坊。芦別市野花南、小平町達布など炭鉱街を炭鉱技師(出典不明)の父親の転勤に
伴い転々とし、東京で育つ。(子供の頃によく諏訪神社で遊んでいたという事から東京での住まいは
立川周辺であったと推察される)その後、大学受験に失敗して働きながら浪人生活をおくる。

少年時代に白黒テレビを見て「この小さな箱がどうやって映るんだろう。いつかこの小さな箱に
入ってみせるぞ」と考え、これが演劇の世界に入る遠因となったとのこと。


2008年5月10日、相棒においての演技が評価され同じく主演を務める寺脇康文と共に
第16回橋田賞俳優部門を受賞した。

1965年、13歳のとき演劇に興味を持ち、「劇団ひまわり」に入団する。1968年、フジテレビの
『バンパイヤ』のオーディションを受けデビューしたと同時に見事主役に抜擢される。
第一話では手塚治虫と共演を果たしている。


高校入学後に自分にはもっと合った世界があると思っていた事と、大学受験も考えていたため
一度芝居を辞めた。その後、大学受験に失敗し、働きながら浪人生活を始めるが、あるときに
「こんな事やっていてもいのか?」という気持ちに強烈に襲われ、「来年もう一度受けるといっても
それまで自分のこの状態じゃ持たない」と思い発作的に2ヶ月ほど家出をした。


その家出のときにはじめは行くあてもなかったため、家の近所の公園の滑り台の上で野宿をしたという。
この時にいろいろな人に出会い忘れられない経験をした。その後、もう一度役者をやらないかと誘われ
、アルバイト感覚で役者の世界に戻った。


1974年10月、テレビドラマ『傷だらけの天使』に出演。深作欣二ら名だたる映画監督が演出したものの
当時は低視聴率にあえいだ。しかし現在でも数多くの根強いファンが存在し、DVD化もされる伝説の
作品である。主演の萩原健一を「兄貴ぃー!」と頻繁に呼ぶ物まねを後にとんねるずらが真似たこと
から80年代の若者にも知られる演技となる。この時に出会った萩原健一を永遠の兄貴だと語っている。
この作品で共演した岸田森に「豊には見ている人にその役が素だと思わせるような役者になってほしい。
豊はそれが出来るやつだと思っている」と助言をされ、その言葉を今も大切に思っている。

1975年の映画『東京湾炎上』では、脚本を読んで予定の役柄とは逆の立場の、テロリスト役に自ら志願。
同じ日本人でありながら、大義のために日本人を追いつめる役を熱演した。


1976年にはATG映画『青春の殺人者』でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞するなど、早くから
演技力の高さが評価されていた。

1977年には、『はーばーらいと』(作詞:松本隆、作曲:井上陽水)で歌手デビュー。
『表参道軟派ストリート』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)や『カリフォルニア・コネクション』
(作詞:阿木燿子、作曲:平尾昌晃)をヒットさせる。『熱中時代』ではギター演奏やダンスを、
『赤い激流』『相棒』ではピアノ演奏も披露するなど、多才を発揮している。

2008年には代表曲『カリフォルニア・コネクション』を中心にカバーしたアルバム「TIME CAPSULE」を
発売した。


1978年10月、最高視聴率46.7%をたたき出したという伝説のドラマ『熱中時代(教師編)』の主演で
大ブレイク。視聴率の取れるTV界の大スターとなる。それまで教師が主人公のドラマといえば、
高校生と若い教師の青春モノというイメージだったが、現代っ子である小学生を相手に“子供とともに
成長する新米教師”北海道出身の「北野広大」役は、『傷天のアキラ』などのそれまでのチンピラ
イメージを払拭し、ファンの幅を広げた。この人気を受けて『熱中時代』のタイトルだけを継承し、
設定を一新した『熱中時代・刑事編』もその後放送された。


更に、『教師編』は後に続編が1作、単発の2時間スペシャルドラマが3本作られた。
後に共演する寺脇康文は『熱中時代』の時の水谷のモノマネが得意なほどの水谷ファン。


1986年の「Unlimited Night Concert」を最後に突然音楽活動を休止した。 当時水谷は芝居の台詞と
違って、決められたリズムの中で歌わなければいけない音楽の世界では歌の主人公のイメージが充分
表現しきれていないと悩んでいた。しかし、コンサート会場はいつもいっぱいでそんな現実と自分の
想いのギャップに違和感を覚えていた。


その後、2008年3月には22年ぶりに音楽活動を再開。 若い頃の歌なのに、55歳という年齢になって
ようやく歌の世界がイメージできるようになってきたと自身が語っている。
2008年5月18日に22年ぶりとなるミニライブとして『TIME CAPSULE』発売記念イベントを開催。
映画「相棒-劇場版-」人気も重なり、1万人のファンが集結した。その席で今後のライブ活動にも
意欲的な発言をするなど、歌手活動に於いても期待が持たれている。
最近は『相棒』などのドラマや2時間ドラマ(『地方記者・立花陽介』、『探偵左文字進』など)も
シリーズ化されるなど、今なお、幅広い層から支持を受けている。


演じるキャラクターには庶民的な設定が多く、近年は比較的おとなしめの役(相棒が顕著)が多いが、
傷だらけの天使、青春の殺人者などでは棘や影のある青年やチンピラ、刑事貴族やハローグッバイ、
探偵事務所シリーズでは、シュールでスピード感のある破天荒かつ調子のいい二枚目半的な役も
演じていた。


『熱中時代・刑事編』で共演したミッキー・マッケンジーと結婚をするも、離婚。1989年には、
『あんちゃん』、『事件記者チャボ!』等で共演した元キャンディーズの伊藤蘭と再婚した。
その後、一女をもうけた。現在でも変わらず妻の伊藤蘭の事を自宅で「蘭さん」と呼んでいるそう。

『あんちゃん』の後の『事件記者チャボ!』での伊藤蘭との共演は水谷が自ら指名して決まったという。
この時指名したのは俳優としてもう一度共演がしたかったという理由だった。


今は亡き松田優作とは親友で(水谷は松田を「優作ちゃん」と呼んでいた)、互いの主演番組に
ゲスト出演するほどであった。共通の友人である桃井かおりは、まだ三人が若かりし頃に、
「若い俳優達がたくさん出てきているが、その中でも優作と豊が一番俳優には向いていないと思う。
二人には華がないし、短気すぎる」と言ったことがあった(2006年8月19日『SmaSTATION-5』での
水谷談)。 ちなみに松田に言わせれば、彼より水谷の方が短気だそうである。


『TIME CAPSULE』発売記念イベントが2008年5月18日14時よりラゾーナ川崎PLAZAルーファ広場
グランドステージで開催され、トークのほか往年の名曲「カリフォルニア・コネクション」
「やさしさ紙芝居」「何んて優しい時代」の3曲を披露した。しかも22年のブランクすら感じさせない
熱唱ぶりであった為か、中には楽曲を聴いて感涙するファンの姿もあった。


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「おすすめ楽曲」



★「白いギター」

★「ひまわりの小径」

★「若草の髪かざり」

★「なのにあなたは京都へゆくの」

★「だからわたしは北国へ」

★「避暑地の恋」

★「春の恋」

★「まちがい」

★「桜並木」

★「花のかなしみ」

★「白いスニーカー」

★「恋の風車」

★「虹色の心」

★「雲の流れのように」

★「四季・奈津子」

★「渚のささやき」

★「街を流れる川」

★「ラスト・シーン(鏡の中のアンナ)」

★「おはなし」

★「愛とは勇気だから」

★「レイン・レイン」

★「千羽鶴」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――★

<Wikipediaより引用>


チェリッシュ


愛知県出身の歌手夫婦デュオ。

松崎 好孝(まつざき よしたか 1949年11月1日 -)愛知県名古屋市出身。
松崎 悦子(まつざき えつこ 旧姓:松井、1951年3月11日 -)愛知県春日井市出身。


老若男女誰にでも親しめる清純なメロディーと歌唱力で人気を博し、1970年代を中心にヒット曲を
飛ばし、現在も活躍。名の由来は、アメリカのバンドアソシエイションの曲名による。


名古屋を中心にアマチュアバンドとして活躍し、当初メンバーも5人であった。

1971年に第一回全国フォーク音楽祭全国大会に出場していたところをビクターレコード

(現:ビクターエンタテインメント)にスカウトされる。

1971年に「なのにあなたは京都へゆくの」でデビュー。男女のデュオとして、構成も変わった。

1972年に代表作「てんとう虫のサンバ」をリリース、現在も結婚式などで歌われているほど定着。

その後、1977年に二人は結婚。家庭生活のために、歌手活動に制限がかかるも、アメリカでの活躍
・全国ツアー・テレビ出演などを順調にこなし、現在にいたる。


<シングル>

〜1970年代〜

■なのにあなたは京都へゆくの (1971.09.05) 作曲 藤田哲郎

■だからわたしは北国へ (1972.01.25) 作曲 筒美京平

■ひまわりの小径 (1972.05.25) 作曲 筒美京平 

■古いお寺にただひとり (1972.09.25)

■若草の髪かざり (1973.01.15) 作詞 阿久悠

■避暑地の恋 (1973.04.25)

■てんとう虫のサンバ (1973.07.05)

■白いギター (1973.09.25)

■恋の風車 (1974.01.15) 作曲 筒美京平

■ふたりの急行列車 (1974.04.25) 作曲 筒美京平

■渚のささやき (1974.07.25) 作曲 筒美京平

■愛の終末 (1974.10.10) 作曲 筒美京平

■哀愁のレイン・レイン (1975.01.10)

■ペパーミント・キャンディー (1975.04.25)

■絵日記 (1975.08.05)

■千羽鶴 (1975.10.25)

■決心 (1976.02.05)

■夕映えの恋人達 (1976.06.10年)

■はつかり号は北国へ (1976.10.10)

■月は東に (1977.03.05) 作詞 阿久悠

■男と女のメルヘン (1977年) 作詞 阿久悠

■行ったり来たり (1977年)

■海の見える部屋 (1978年)

■色のない雨 (1978年)

■マイルド・ウォッカ (1978.11.25) 作曲 宇崎竜童

■流されて流されて (1979年)

■2倍うれしい日曜日 (1979年) 作詞 来生えつこ/作曲 来生たかお

■風光る (1979年)


〜1980年代〜

■四季・奈津子 (1980年)

■結婚指輪 (1980年)

■ビューティフル・スマイル (1981年)

■風になれ〜私と私たち (1981年)

■カモン・サンシャワー (1982年)

■虹色の心 (1983年)

■セピア色・納屋橋 (1984年)

■想い出を香水の様に( 1986年)

■みんな名古屋で (1986年)

■COOK・クッキング(エッちゃん&ジュンちゃん) (1987年)

■神様のゴミ箱 (1988年)

■宇宙は楽しいフェスティバル (1988年)

■夏のドン (1989年)

■チェリッシュのたのしいサンタクロース (1989年)


〜1990年代〜

■白いスニーカー (1992年)

■明日に向かって (1994.12.16)

■愛とは勇気だから (1996年)

■愛と誓いの中で〜We belong together〜 (1998.06.24)

■ぎふのやさいで1・2・3 (2002年)



☆No.42 「森 昌子」

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「おすすめ楽曲」





★「愛傷歌」

★「越冬つばめ」

★「女の港」

★「せんせい」

★「哀しみ本線日本海」

★「ゆきのはな」

★「夕顔の雨」

★「春の岬」





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――★

<Wikipediaより引用> 


森 昌子(もり まさこ、1958年(昭和33年)10月13日 - )


本名:森田昌子(もりた まさこ)

栃木県宇都宮市出身のアイドル・演歌歌手・女優。前夫は森進一。元NEWSの森田貴寛は長男。


1971年(昭和46年) 12歳で日本テレビ系『スター誕生!』(1971年10月開始)に出場。
         初代グランドチャンピオンとなる。ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。


1972年(昭和47年)7月1日 徳間音工から「せんせい」で演歌歌手デビュー。翌年デビューした同学年
         の山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。
         尚、この中三トリオで最初にNHK紅白歌合戦に初出場を果たしたのも彼女であり、
         15歳最年少での出場であった(1973年)。


1973年(昭和48年)松竹の『男じゃないか・闘志満々』で映画デビュー。初々しい演技が好評を
         博した。同年、『としごろ』で主演に抜擢された。この年から開催された
         『ものまね王座決定戦』の初代チャンピオンとなる。


1975年(昭和50年)『花の高2トリオ・初恋時代』で初めて山口・桜田と共演。また、この年に開催
         された、春のセンバツ高校野球大会に「おかあさん」が入場行進曲に選ばれ、
         森もセンバツ大会の開会式にゲスト出演。


1977年(昭和52年)、堀越高校を卒業。同期卒業生には岩崎宏美、岡田奈々、池上季実子らがいる


1977年(昭和52年)の「なみだの桟橋」以降、本格的な演歌歌手への道を歩み始め、「彼岸花」など
         難易度の高い曲を歌いこなすことのできる実力派へと成長。1981年(昭和56年)
         の「哀しみ本線日本海」で出場9回目、23歳にして初の紅白・紅組トリを務め、
         1983年(昭和58年)の「越冬つばめ」で第25回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞
         を受賞した。このほか、TBSの金曜ドラマ「想い出づくり」などドラマにも出演、
         女優としても活躍した。


1979年(昭和54年)新宿コマ劇場で史上最年少女座長として「森昌子公演」を行う


1983年(昭和58年)「越冬つばめ」で第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。


1985年(昭和60年)紅白歌合戦で初の紅組司会及びトリを務めた。「愛傷歌」を号泣により途中殆ど
         歌えなかったが紅組の共演者たちが歌った。彼女の姿は、紅白史上に残る名シーン
         として語り継がれている。


1986年(昭和61年)10月1日 演歌歌手の森進一と結婚。これに先立ち8月、引退コンサート及び
         引退記念曲「さようなら」を発表し歌手業を引退。


2001年(平成13年)12月31日 紅白歌合戦へ16年ぶりに出場。これを機に限定的ながら復帰
         (※夫婦共演形式でのコンサートツアー及びCD吹き込みのみ)。


2005年(平成17年)4月19日 離婚を発表。


2006年(平成18年)3月27日 旧所属事務所のホリプロから歌手として復帰することを正式発表


2006年4月、幻冬舎から初エッセー集「明日へ」を刊行。その後、和田アキ子・片平なぎさ・榊原郁恵
      らにより、「おかえり!昌子 激励の会」が開かれ、関係者700人が詰め掛けた。


2006年(平成18年)5月、「NHK歌謡コンサート」でテレビに復帰。「哀しみ本線日本海」
        「越冬つばめ」「父娘草」を涙ながらに熱唱した。以降意欲的にテレビ出演などの
         活動を行う。


2006年(平成18年)6月7日 古巣のポニーキャニオンから20年ぶりの新曲「バラ色の未来」をリリース
        (初登場14位で、初登場としては過去最高の順位。


2006年(平成18年)12月31日 の紅白歌合戦へ5年ぶりに出場、「バラ色の未来」を歌唱する。


2007年(平成19年)4月 NHK朝の連続テレビ小説『どんど晴れ』で女優業を本格再開。


2007年(平成19年)7月13日 22年ぶりの主演となる金曜プレステージ『お母さん ぼくが生まれて
         ごめんなさい』放送。


2008年(平成20年)2月5日 『NHK歌謡コンサート』で「越冬つばめ」を歌い、芸能活動を再開した。


2008年(平成20年)3月31日 ホリプロを退社。

2008年(平成20年)4月1日 個人事務所「おんがく工房」を設立。



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田中好子さんのご冥福をお祈りいたします





「おすすめ楽曲」



★「翼」

★「微笑みがえし」

★「春一番」

★「年下の男の子」

★「ハートのエースが出てこない」

★「暑中お見舞い申し上げます」

★「アン・ドゥ・トロワ」

★「やさしい悪魔」

★「哀愁のシンフォニー」

★「霧のわかれ」

★「冬の窓」

★「愛のとりこ」

★「卒業」

★「私だけの悲しみ」

★「くちづけのあと」

★「あなたに夢中」

★「アンティック・ドール」

★「空いっぱいの幸せ」

★「その気にさせないで」

★「さよならの朝」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――★

<Wikipediaより引用>


キャンディーズ(Candies)は、1970年代の日本のアイドル歌手グループ。

ラン(伊藤蘭、1955年1月13日 - )、スー(田中好子、1956年4月8日 - )、
ミキ(藤村美樹、1956年1月15日 - )の3人組のコーラスグループ。
所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版社員であった
松崎澄夫(現・アミューズ副会長)のプロデュースによるもの。


1972年4月、NHK「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして「キャンディーズ」誕生

1973年4月7日、TBS「8時だョ!全員集合」のアシスタントとしてレギュラー出演

1973年9月1日、「あなたに夢中」でレコードデビュー

1974年3月17日、代々木・山野ホールで初コンサート(800人)

1975年2月21日、シングル「年下の男の子」リリース・初の大ヒットでオリコン9位を記録
       (スー→ランにメインボーカル交代)

1975年10月19日、キャンディーズ10000人カーニバル開催(蔵前国技館/8600人)

1975年12月31日、「年下の男の子」で第26回NHK紅白歌合戦初出場

1976年3月1日、シングル「春一番」リリース・オリコン3位を記録

1976年10月11日、キャンディーズ10000人カーニバル Vol.2開催(蔵前国技館/13500人)

1976年12月31日、「春一番」で第27回NHK紅白歌合戦出場

1977年7月17日、日比谷野外音楽堂でコンサート中、突然の解散宣言

1977年12月31日、「やさしい悪魔」で第28回NHK紅白歌合戦出場
(3回目。翌年解散のため最後の出場)


1978年2月25日、シングル「微笑がえし」リリース・初のオリコン1位を達成

1978年4月4日、ファイナルカーニバル(後楽園球場/55000人)をもって解散

2008年4月4日: 後楽園球場跡地に建つJCB HALLにて
「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」開催(参加者2000名)

2008年9月3日: 20枚組ボックスアルバム「キャンディーズ・タイムカプセル」
リリース(未発表曲「霧のわかれ」、「やさしい悪魔」の通称“木魚版”を収録)

2011年4月21日: 田中好子が乳がんにより死去。



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