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で、 この曲を聞いて、歌詞がよくて、1日に何回聴いたでしょうか・・・ 日本語の訳を書いておきます・・・ 人は愛を河だと言う 小さな葦をおし流すと 人は愛をカミソリだと言う 血のにじむような傷を残すと 人は愛を飢えだという 終わりなく誰かを求める疼きだと わたしは愛を花だと言おう そしてあなたはその花の種 傷つくことを恐れて 踊る事も知らない心 目覚めを恐れ チャンスを活かせない夢 奪われる事もなく 与える事も忘れた人 死ぬ事を恐れ 生きる事を学ばない魂 孤独な夜が続き 道は果てしなく続く 運や力でしか愛は得られない そう思う時には思い出してほしい 冬、深く冷たい雪の下に眠る種を 春の光の恵みで
バラになる種を |
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2008年09月19日
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★考えてる人はたくさんいると思います。 でも、実行できる人はほんの一握りだと思います。 私も考えはするけど、実行できない1人です。 ★今フィリピンから逃げたいです。 どうしようもない現実から逃げたいです。 今逃げれば、日本で快適な生活が待っていて、 何もなかったように、全てが続いていくでしょう。 たまたま、生まれた国が違う。家庭が違う。 それだけでこんなにも違う生活。 ★私の子供が通う学校は、フィリピンで名門のインターナショナルです。 学費や寮費は、年間ミリピンペソです。 そこに通う子供は裕福な外国人達、 アッパークラス、富裕層といいたいけど、フィリピンの実情をみると たぶん大金持ちに属するフィリピン人の子供達。 そんな子供達の学園生活と豪華な寮生活。 そして、私の住む家や地域の庶民の貧しい暮らし、ストリートチルドレン。 桁違い、別世界です。 そんなギャップを毎日見ていて、正直きついです。 考えることからのがれたいです。 ★この家のお母さんは、私がこの家に偶然に来たのは 神のお導きだと言って本当に感謝してくれます。 それを聞くにつけ胸が締め付けられます。 私はいつ帰ろうかとタイミングをいつも考えているからです。 「私はただの訪問者で、日本人。いつかは帰る。 でも、いつまでもお友達でいたいから、困ったことがあれば遠慮なく言ってほしいし、 いつでも連絡取り続けよう」というと、泣いてしまいます。 ★前にマカティの中心地のホテルの最上階に属する ペントハウスに3ヶ月住んでいました。 子供の語学学校の付き添いだけの目的でした。 私自身は暇なので、午前中だけ授業を受けて、 午後は、毎日ホテル内のフィットネスで汗を流し、プールで泳ぎ、 たくさんのフルーツを食べ、外人の行く生活圏しか行き来してませんでした。 貧しい人を見かけたときはお金を上げて、事故にあったと思って、忘れるようにしていました。 その後の滞在もマカティのベルエアという最高級とも言われているビレジの中に住み、 買い物はパワープラントという日本とあまり物価の変わらない高級モールでしていました。 文化を知ろうと、毎週近くの教会に行っていました。 大きくてすばらしいホールを持つ教会の牧師達は欧米人で、 今思うと、来ている数百人の人達もドライバー付きのお金持ちばかりでした。 韓国人がフィリピンにはたくさんいてクリスチャンが多いのですが、 その時に、そういうグループのボランティア活動に何度か参加して、 平均子供8人とかの貧しいバランガイを見てきましたが、 その時は、極貧の特別な地域に連れて行ってくれてるんだと思っていました。 ★でも、最近、別にそれは特別な地域じゃなく、 どこも似たり寄ったりなのが庶民の暮らしだとわかりました。 ★その時は、本当のこの国が見えていませんでした。 語学を勉強するには近くて安い国。腰掛程度。 そういう気持ちでいたので、深入りするつもりはありませんでした。 ★でも、民家に滞在して、フィリピン人と直接交流し、言葉を交わし、行動を共にし、 そして、欝です・・・ ★実際この民家から、あちこちのバランガイを見に行きました。 みんな日本人だと知ると、どれだけ自分達が貧困で苦しいか必死で訴えてきて、 助けてほしいといいます。 何処に行っても、行っても、どん詰まりの生活。 仕事がない。教育がない。未来がない。夢がない。 最初は事実が知りたくてあちこち見に行きました。 日本人というだけで市長にまで会わせてくれた所もありました。 どれだけ、助けを必要としているのかわかります。 ★でも、今逃げたいです。 悲惨な現実から逃げたいです。 無力な自分に苦しむだけです。 若くて体力もあり健康そのものの人達、 30代、40代の働き盛りの人達、 みんな仕事がないです。 そして、働くことに対して、諦めています。 そして、そこにはたくさんの子供達・・・ 逃げるしかできないです。
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