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この日記を書いてから考えていました。 コメントを下さった方々の言葉も考えてみました。 私は、その行為自体に自分自身が傷つくという感覚は全くなかったんです。 当然、侮辱やら怒りも全く感じていませんでした。 そのおばあさんがどうしてそういう行動を取ったか、それがとても気になっていました。 たぶん、自分ひとりなら喜んでお金を受け取った気がします。 数歳の小さな子供を連れていて、 私のカメラををみて、それを批判されているように感じたのではないでしょうか? ダシに使っているひどい人だと。 だとしたら、おばあさんは、毎日やるせない思いをしながら 物乞いをしてるんでしょうか? 真意は分かりません。 ただ、今すごく後悔しています。 問題は英語が通じなかったことではないです。 タガログがしゃべれないことではないです 罵倒され、唾をはかれ、コミュニケーションが取れないという理由で、 周りに人だかりが出来たという理由で、 逃げるように立ち去った自分が恥ずかしいです。 なんで、あの時、あの惨めな老人を抱きしめて上げられなかったのかと。 言葉が通じなくても、行動で私のあの人への想いは通じたのではないかと。 外国で、言葉だけがコミュニケーションじゃないんだと最近つくづく思っています。
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日記
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で、 この曲を聞いて、歌詞がよくて、1日に何回聴いたでしょうか・・・ 日本語の訳を書いておきます・・・ 人は愛を河だと言う 小さな葦をおし流すと 人は愛をカミソリだと言う 血のにじむような傷を残すと 人は愛を飢えだという 終わりなく誰かを求める疼きだと わたしは愛を花だと言おう そしてあなたはその花の種 傷つくことを恐れて 踊る事も知らない心 目覚めを恐れ チャンスを活かせない夢 奪われる事もなく 与える事も忘れた人 死ぬ事を恐れ 生きる事を学ばない魂 孤独な夜が続き 道は果てしなく続く 運や力でしか愛は得られない そう思う時には思い出してほしい 冬、深く冷たい雪の下に眠る種を 春の光の恵みで
バラになる種を |
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★考えてる人はたくさんいると思います。 でも、実行できる人はほんの一握りだと思います。 私も考えはするけど、実行できない1人です。 ★今フィリピンから逃げたいです。 どうしようもない現実から逃げたいです。 今逃げれば、日本で快適な生活が待っていて、 何もなかったように、全てが続いていくでしょう。 たまたま、生まれた国が違う。家庭が違う。 それだけでこんなにも違う生活。 ★私の子供が通う学校は、フィリピンで名門のインターナショナルです。 学費や寮費は、年間ミリピンペソです。 そこに通う子供は裕福な外国人達、 アッパークラス、富裕層といいたいけど、フィリピンの実情をみると たぶん大金持ちに属するフィリピン人の子供達。 そんな子供達の学園生活と豪華な寮生活。 そして、私の住む家や地域の庶民の貧しい暮らし、ストリートチルドレン。 桁違い、別世界です。 そんなギャップを毎日見ていて、正直きついです。 考えることからのがれたいです。 ★この家のお母さんは、私がこの家に偶然に来たのは 神のお導きだと言って本当に感謝してくれます。 それを聞くにつけ胸が締め付けられます。 私はいつ帰ろうかとタイミングをいつも考えているからです。 「私はただの訪問者で、日本人。いつかは帰る。 でも、いつまでもお友達でいたいから、困ったことがあれば遠慮なく言ってほしいし、 いつでも連絡取り続けよう」というと、泣いてしまいます。 ★前にマカティの中心地のホテルの最上階に属する ペントハウスに3ヶ月住んでいました。 子供の語学学校の付き添いだけの目的でした。 私自身は暇なので、午前中だけ授業を受けて、 午後は、毎日ホテル内のフィットネスで汗を流し、プールで泳ぎ、 たくさんのフルーツを食べ、外人の行く生活圏しか行き来してませんでした。 貧しい人を見かけたときはお金を上げて、事故にあったと思って、忘れるようにしていました。 その後の滞在もマカティのベルエアという最高級とも言われているビレジの中に住み、 買い物はパワープラントという日本とあまり物価の変わらない高級モールでしていました。 文化を知ろうと、毎週近くの教会に行っていました。 大きくてすばらしいホールを持つ教会の牧師達は欧米人で、 今思うと、来ている数百人の人達もドライバー付きのお金持ちばかりでした。 韓国人がフィリピンにはたくさんいてクリスチャンが多いのですが、 その時に、そういうグループのボランティア活動に何度か参加して、 平均子供8人とかの貧しいバランガイを見てきましたが、 その時は、極貧の特別な地域に連れて行ってくれてるんだと思っていました。 ★でも、最近、別にそれは特別な地域じゃなく、 どこも似たり寄ったりなのが庶民の暮らしだとわかりました。 ★その時は、本当のこの国が見えていませんでした。 語学を勉強するには近くて安い国。腰掛程度。 そういう気持ちでいたので、深入りするつもりはありませんでした。 ★でも、民家に滞在して、フィリピン人と直接交流し、言葉を交わし、行動を共にし、 そして、欝です・・・ ★実際この民家から、あちこちのバランガイを見に行きました。 みんな日本人だと知ると、どれだけ自分達が貧困で苦しいか必死で訴えてきて、 助けてほしいといいます。 何処に行っても、行っても、どん詰まりの生活。 仕事がない。教育がない。未来がない。夢がない。 最初は事実が知りたくてあちこち見に行きました。 日本人というだけで市長にまで会わせてくれた所もありました。 どれだけ、助けを必要としているのかわかります。 ★でも、今逃げたいです。 悲惨な現実から逃げたいです。 無力な自分に苦しむだけです。 若くて体力もあり健康そのものの人達、 30代、40代の働き盛りの人達、 みんな仕事がないです。 そして、働くことに対して、諦めています。 そして、そこにはたくさんの子供達・・・ 逃げるしかできないです。
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★この国はどうなってるんだろう? あの子達はどうなるんだろう? いつも考えています。 今日ほどタガログ語を話せたらと思った日はありませんでした。 ★久々に晴天でマーケットでもぶらつくかな〜 しかも、撮影も久々マーケットでするかな〜と思って、出かけました。 ★そして、またもやストリートチルドレン達を発見・・・ その辺りは大変な規模の商店街・・・ 1軒1軒を回り、何かもらえるものがないか尋ねている様子でしたが、 収穫はないらしく、路上で物を売る人達もあふれているのですが、 そこで飴をばら売りする人の側でじっと立っています。 お金がないので、指をくわえてるだけ。 その店主も上げる気はないらしい。 後ろから様子を見ながら歩調を合わせ、ゆっくり歩いていた。 その時点でカメラを出すかどうか迷った。 前の記事でも書いたように、かわいそうな人達を好奇心や自分のネタで 写真に収めたくなかったし、失礼だと思っていたからです。 撮られるほうもみすぼらしい自分を撮られてどう思うでしょう? ★そういう意味で今まで、悲惨な人達を目にしてシャッターを切ることができないできたのですが、 この間、目の見えない大人と子供限定でおそるおそる、お金を上げた後に1枚ずつ撮らせてもらい、 みんなからいい笑顔をもらっていたので、私の中でも少し安心感?が出てしまっていたのは事実です。 迷ってただ、様子をみてる間に、その中の男の子1人が振り返りました。 見ると前にもお金をあげたことのある子で、 その子が私を覚えていたようで、嬉しそうな笑顔で走ってきます。 もちろん、その笑顔はお金がもらえるという笑顔に他ならないのはわかっていましたが、 すごくその笑顔が嬉しかった。 その瞬間は、物乞いを撮るとかそんな気は吹っ飛び、 可愛い子供達の笑顔をいつもの感覚で撮りたいという気持ちでシャッターを押してました。 ★子供達もなんの屈託もなく笑顔で撮られていました。 まぁ、人通りも激しい場所だし、数枚でやめて、後は、しゃがんで 赤ちゃんの頭をなでたり、薄汚れた子供達の手やら頭をさすってやりました。 嬉しそうにしている子供を見ながら涙が流れないようにするのがやっとでした。 ★少女がミルクの入った哺乳瓶を見せてきて、赤ちゃんを育てないといけないので、 大変なんだというようなことを話しているようです。 試しに、この15,6歳?の少女に ハウ オールド アー ユー? と聞いたのですが、英語が理解できません。 答えが返ってこず、タガログでペラペラ何か話しています。 ああぁ・・・コミュニケーションが取れないのか・・・ ショックでした。 この子は小学校にすら行かずにここまできたのか・・・とはっきりわかったからです。 この赤ちゃんは誰の赤ちゃんなんでしょうか? この少女のなのか、親なのか? ほかの少年達も兄弟か、知り合いか。 1人の少年は顔つきが似ているので、兄弟かもしれません。 疑問はたくさん押し寄せてきますが、言葉が通じません・・・ ★フィリピンは英語さえ話せれば、問題ないと思い続けてきた価値観が 崩れました。 側に居て、いろんな話しを聞いてあげたい気がしたけれど、 悲しいけど会話できないので、すぐに別れました。 ★他の子達にも会いました。 お金を上げていると路上で物を売っている年寄り達が、 サンキュー、サンキューと頭を下げて、感謝してきます。 あぁ、この老人達も、貧しくて何もしてあげられないけど、こういう子供達を 見ながら胸をいためて痛んだと思うと、またジーンとしてしまいました。 ★TVの画面で見てるのとは大違いで、 目の当たりにそういう光景を見ていると、感情が高ぶってきてしまいます。 逆境に負けず、たくましく生きている子供達をみて、 頭を殴られた感じで、ぼんやりと、大きな交差点の歩道橋の上から、 少ししたの町並みを眺めていました。 路上でたくさんの行商人達が物を売っています。 ★そういう光景を見ていると気持ちが落ち着いてきました。 小さな子供や赤ん坊を連れての行商姿を見て、のどかでほっとしたのでした。 10分以上見てたのかな?気を取り直して、少し移動をしようと思いました。 前にいた3,4歳?の少女はどうなったかと気になり、 同じ場所に行きました・・・もう、惨めな物乞い姿はみたくないと思って、 いないことを願ったのですが いました・・・ 一生懸命笑顔を振りまきながら、前と同じ服をきて、お金を求めています。 数分見ている間だけでも、1人の男の子と、20代の女性がお金を入れてあげていました。 側に行き、お金をいれ、1枚撮らせてもらいました。 本当に純粋な笑顔です。 ★今までこらえていた涙がどっと出そうになって、 その子から数メートル離れた歩道橋の上から外を眺めていました。 その子が気になって立ち去れないけど、正視できないので、 その子を背に向けて車の流れを見ていました。 この国はどうなってるんだろう? あの子達はどうなるんだろう? 前に大人が堕落してくたばっても、自己責任、そんなもんしらない。 でも子供には責任はない。と書いたけど、 こういう教育のない子供達がそういう大人になり子供を無責任に生んで放置、 自分も堕落・・・ こういう循環になってるんでしょうか? こんなひどい境遇で生きている子供達でも、私に笑顔を見せてくれます。 なんで笑うことができるのか?こんなにいい笑顔ができるのか? 分かりません。そのギャップを感じるたびに、泣くことしかできない自分がいます。 ★この子達はどうしてこんな笑顔を向けることができるんだろう? 親に捨てられ、世の中から切り捨てられ、世間から冷たくされ、 愛情というものすら知らないかもしれない子供達がこんな笑顔が出るものなのか? 見ていると路上生活の子供同士で連帯感があり、協力して生きているようです。 年上が年下の子供の面倒を見ています。 もちろん、全く笑顔の出来ない子供にも、まれに会う。 相当つらい経験をして、誰も信じられず心を打ち解けることもできないんだろう。 ★色々考えているうちに、振り返ると例の少女が荷物ごといなくなっている。 心配で辺りを探すと歩道橋の階段の途中で、かなり高齢のボロボロの服をきた おばあちゃんと一緒に座って物乞いをしていた。 ★ほっとしてそこで私はいつもの、お金を上げてから目を見て、相手に敬意を払い、 シャッターを押させてもらうという自分の中でのやり方を変えてしまい、 遠くから、勝手にシャッターを切ってしまいました。 基本的に写真を撮らせてもらう場合、一眼レフの場合、目立つし、みんな警戒するので、 こういう場合に限らず、必ず声をかけて撮っていいかと確認してから 撮るとか、カメラ持っている私と目が合い、お互いに笑顔をかわし、暗黙の了解があってからとか、 いろんな方法で意思の疎通をしてから撮るようにしています。 そういう意味でも今回は失敗でした。 子供を知っていたという理由で一緒にいるおばあさん(目は見えます)を 遠巻きに撮ってしまいました。 最初は分からなかったのですが、私が近づくにしたがいダンボールで身を隠し、 明らかに撮るなと警告しているようです。 大きな声で何か叫びまくっています。 すぐに撮られたくないのだと分かり、カメラは下ろし、そういうつもりじゃない、 ごめんなさいといいながら、ダンボールの下のおばあさんの手にお金を握らせようと したら、余計に感情にきたのか、唾を吐き始めました。 ★フィリピン人は見て見ぬ振りはせず、堂々と野次馬をするので、 すぐに少し人だかりが出来てしまいました(滝汗) 何を言ってるのか分からないけど、それだけ私に対して汚い言葉で 罵っていたんでしょう・・・ 周囲の人の冷たい目線で分かります・・・ この時も、タガログがしゃべれない私は、おばあさんに何も伝えることも出来ず、 黙って去るしかないと思って、逃げるようにその場を去りました。 ★やっぱり、大人なら物乞いにもプライドやら羞恥心はあるわけで、 私も分かっていたからこそ、目の見えない人や子供だけを撮っていたんだと 思い返しました。思ったとおりでした。 ★でも、今日は子供達と友達になれそうで嬉しかったです。 体を綺麗にしてあげ、綺麗な服をあげたいですが、 そうすればかれらの物乞いとして生計を立てるのが少し難しくなるかもしれません。 そんな小手先のことをして、自己満足しても何にもなりません。 なにか永続的にサポートしてあげられなくては、本当に救うことは出来ません。 ★最近、物が買えません。日本の家族にも あんたはフィリピン人じゃないんだから、 ちゃんと買ってきてよ〜 と、いろんなものを頼まれています。 照明だったり、絨毯、カーテンなど、日本から比べるとおしゃれで、 数分の一の激安で。 昔なら買いあさっていたんですが、いつも買おうと思って見に行くだけで 全く買えず、目をつけていた物もそのうち売切れてしまう始末。 この家の金銭感覚で生活していると倹約して、無駄なものは一切買わないので、 日本でのインテリアとしての照明やらスタンドなんかも、 この数千ペソ、数百ペソで何がしてあげられるんだろうと 考えると何にも買えなくなっています。 自分自身毎日数十ペソの生活なので、 友人にお土産を買う50ペソすら、2、3回下見をして決心して買う始末・・・ 日本では大型冷蔵庫にぎっしり食べ物を買い、 いつも期限切れで、半分は捨て、衝動買いも普通にしていた自分ですが、 今は全く物を買う気がしません。 骨の折れたボロボロの折りたたみ傘も毎日使っています。 数ペソの、パンやバナナを食べ、夕食はこの家のお母さんにお金を払って作ってもらっているので、 それを食べています。ほとんどお金の要らない生活なので、 日本へのお土産やら、仕事上で必要なものまで、買えません。 日本では確かにもっと高いので買ったほうがいいのは分かるけど。 それ何とか直して帰国までにちゃんと買うものを買ってくれないと困ると言われています・・・
果たして贅沢品を買えるのでしょうか? |


