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これは自分が高校生の頃から定期的に行っている行事である。

皆さんは、好き嫌いはありますか。

高校生の頃、当時嫌いだった「わさび」「コーヒー」「からし」「納豆」を、もういい歳なのだから食べられるようになろうと心に誓い、母親に頼んで毎晩食事に出してもらったことが事の発端である。結果、コーヒーは自分でドリップするほど好きになり、わさびとからしに至ってはもはや無くては物足りないレベルにまで到達することができた。やはり何事もチャレンジだと思った。

ところが、納豆だけはどうしても美味に感じられない。大学に入ってからも年1ペース程度にやっていたのだが、なかなかうまくゆかないものだ(大学時代は母親に頼むわけにはいかないので、自らゆめタウンなるスーパーまで毎日納豆を買いにいっていた)。それは社会人になってからも続いており、どうしても納豆だけは美味く感じられないのであった。

いや、ここで敢えて「好き嫌いの判断基準」というものについて、そもそも何なのか問いたい。正直、どう頑張っても食べられないというものは今現在ない。我慢すれば何でも食べることができる。世の中には、どうしても体が受け付けず、喉を通らないほど嫌いなものもある人もいるようだ。こういった食べ物のことを嫌いな食べ物だというのだとしたら、もはや自分には好き嫌いはないと言えないだろうか。

納豆もそうだが、野菜も好きではない。特に生野菜が厳しい。とりわけ、玉ねぎなどはたまらない。しかし自分から言わせていただくと、野菜や納豆は身体に「おいしい」わけであって、好き嫌いを問われたときに、捉え様によってはもしかしたら「好き」などと答えるかもしれない。なぜなら身体に良いからである。味どうこうよりも身体に良いものを自分は「好き」である。ここ数年は自ら進んで、野菜をまるでサプリメントのように摂取している。これはつまり、野菜や納豆を克服したと言っても過言ではないのでは。どうだろうか。

味がおいしい、身体においしい、心においしい。こういった好き嫌いの話になると必ず出てくるのが「彼女もしくは嫁はんの料理がまずかった時、言えますか」といった究極の問いかけである。NOと言えない日本人として完成された自分は勿論言えない。それどころか満面の笑みを浮かべ「おいしい」などとほざきながら完食することであろう。その場合、納豆だろうが玉ねぎだろうが無論お構いなしである。丸呑みする。「こんな飯が食えるか」とちゃぶ台返しをするなど、自分にとっては切腹よりも難しい。星一徹はアホだと思う。

しかしこれは彼女のためにならないのではないか、といった意見が必ず出る。彼女のためを思うのであれば、はっきり言ってあげることが真の思いやりなのではなかろうか。だが、そのようなことを言えるのか。誰のために作ってくれた料理だと思っているのだ。

この議題に関しては未だ答えは出ていません。皆さんは、どう思いますか。


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