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皆様、こんにちは。いろいろと忙しくこちらまったく記事を書くことができず申し訳ありません。

最近、前々からやっている音楽をわりと精力的にやっています。
こちらをご覧ください。


http://www.muzie.ne.jp/artist/a041411/
http://wacca.fm/a/et/

歌詞
http://blog.livedoor.jp/canes26/
もう2年くらい前からずっと、通勤の途中にいつも盲導犬を連れている方とすれ違っていました。そしてついに今日の朝、そのあまりの可愛らしさに、信号待ちのときに触ってしまいました。

そのあと今日の昼休み、会社の食堂で友人と話していて、知りました。盲導犬に触ったり話しかけたりしてはいけないんですね。訓練/仕事の最中だから、第三者が触ると戸惑うんですね。なんで俺はそれを知らんかったんぞ。自分の軽率な行動に腹が立ちます。

もしかしたら僕の他にもこの事を知らない方がいらっしゃるのではないかと思い、また盲導犬に対する知識を伝えたいと思い、今日この文章を書かせてもらいました。近くに盲導犬がいても、かわいくてたまらないですけど、触ってはいけないんですね。それは主人の盲導犬に対する溢れ出んばかりの愛情に水をさすことになってしまうのですね。


…それから。水曜日は一応定時退社日なので今日は早めの帰り道。もしかしたら盲導犬に会えるかもしれない…そう期待しつつ、駅までわざとゆっくり歩きました。すると、なんと本当に会えました!しかも朝と同じ場所で信号待ち…犬を連れているおばあちゃんに声をかけるの、正直、躊躇しました。しかしここで黙ったままだと絶対一生後悔することになるから。僕は、意を決して話しかけました。

「あの、すみません。僕、今朝、盲導犬を触っちゃって。あまりに可愛かったので…盲導犬を触っちゃいけないっていうこと、知らなかったんです。ごめんなさい。今度から気をつけます」

するとおばあちゃん「わざわざありがとね〜」なんて言ってくださって。

「ありがとうございました」のお礼のあと、僕が足早にその場を立ち去ったのは勿論、こみ上げてくるものを抑え切れなかったから。無知な自分自身が悔しくて、でもその気持ちを伝えることができて本当に嬉しくて…なんて幸運なのだろう。僕は幸せ者です。本当に、ありがとうございました!

手ぶら最高

皆さんは、職場に行くときに大して荷物もないのに鞄を持って行っていませんか。かくいう自分もそうなのですが、手ぶらで会社に行くことに何かしらの抵抗を感じてなのか、荷物もないのに結局バッグを持って出社してしまうのです。極力手ぶらに近づけようと、最近はリュックにも変形できるビジネスバッグを買って、背負って通勤しております。勿論、休日などは極力手ぶらで出掛けております。

満員電車で通勤している方でないとイメージが湧きにくいかもしれませんが、ああいった状況下ではもう鞄が邪魔で邪魔でたまりませんね。そこで、電車に乗っている人々が手ぶらなら、満員電車でも大分スペースが確保できるのではないかと思いまして。

そもそも、どうして鞄が必要なのか小一時間ほど問い詰めたいですね。必要な荷物がたくさんある方なら仕方ありませんが、例えば自分は会社のパソコンで仕事をしているので、実際のところ自宅から何かを持って行く物もなければ会社から持って帰らなければならない物もないです。大きなビジネスバッグの中にはタオルやクレアチンくらいしか入っていません。

また、自分と似たような環境の方も多数いらっしゃるのではないかと思います。ならば、なぜ鞄を毎日々々持ち歩かなければならないのだろうか。まさか自宅でも仕事をしているとでも言うのでしょうか。オンオフの切り替えの重要性もここ数十年よく言われておりますよ。

そう考えるとやはり手ぶらで通勤したいという気持ちは強まるばかりですし、満員電車等の通勤における有意性も大いに考えられるのではないでしょうか。社会人として「手ぶらで出勤」といったことに抵抗を感じるのかもしれませんし、もしかしたら一種のマナーのようなものなのかもしれません。しかし、しかし邪魔でしょうがない。手ぶら最高!「カバンなら置きっぱなしてきた会社に/マジ親に迷惑かけた本当に」と言わせていただきたいです。いつの日かクールビズが認められたように「置きっぱなし通勤」が推奨される時が来るかもしれませんね。

これは自分が高校生の頃から定期的に行っている行事である。

皆さんは、好き嫌いはありますか。

高校生の頃、当時嫌いだった「わさび」「コーヒー」「からし」「納豆」を、もういい歳なのだから食べられるようになろうと心に誓い、母親に頼んで毎晩食事に出してもらったことが事の発端である。結果、コーヒーは自分でドリップするほど好きになり、わさびとからしに至ってはもはや無くては物足りないレベルにまで到達することができた。やはり何事もチャレンジだと思った。

ところが、納豆だけはどうしても美味に感じられない。大学に入ってからも年1ペース程度にやっていたのだが、なかなかうまくゆかないものだ(大学時代は母親に頼むわけにはいかないので、自らゆめタウンなるスーパーまで毎日納豆を買いにいっていた)。それは社会人になってからも続いており、どうしても納豆だけは美味く感じられないのであった。

いや、ここで敢えて「好き嫌いの判断基準」というものについて、そもそも何なのか問いたい。正直、どう頑張っても食べられないというものは今現在ない。我慢すれば何でも食べることができる。世の中には、どうしても体が受け付けず、喉を通らないほど嫌いなものもある人もいるようだ。こういった食べ物のことを嫌いな食べ物だというのだとしたら、もはや自分には好き嫌いはないと言えないだろうか。

納豆もそうだが、野菜も好きではない。特に生野菜が厳しい。とりわけ、玉ねぎなどはたまらない。しかし自分から言わせていただくと、野菜や納豆は身体に「おいしい」わけであって、好き嫌いを問われたときに、捉え様によってはもしかしたら「好き」などと答えるかもしれない。なぜなら身体に良いからである。味どうこうよりも身体に良いものを自分は「好き」である。ここ数年は自ら進んで、野菜をまるでサプリメントのように摂取している。これはつまり、野菜や納豆を克服したと言っても過言ではないのでは。どうだろうか。

味がおいしい、身体においしい、心においしい。こういった好き嫌いの話になると必ず出てくるのが「彼女もしくは嫁はんの料理がまずかった時、言えますか」といった究極の問いかけである。NOと言えない日本人として完成された自分は勿論言えない。それどころか満面の笑みを浮かべ「おいしい」などとほざきながら完食することであろう。その場合、納豆だろうが玉ねぎだろうが無論お構いなしである。丸呑みする。「こんな飯が食えるか」とちゃぶ台返しをするなど、自分にとっては切腹よりも難しい。星一徹はアホだと思う。

しかしこれは彼女のためにならないのではないか、といった意見が必ず出る。彼女のためを思うのであれば、はっきり言ってあげることが真の思いやりなのではなかろうか。だが、そのようなことを言えるのか。誰のために作ってくれた料理だと思っているのだ。

この議題に関しては未だ答えは出ていません。皆さんは、どう思いますか。

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