武士道と私

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

今日私は大学院の卒業式を迎える。

卒業式は朝っぱらの7時半から、しかも大学内のグラウンドで行われるらしい。
校庭で行事が行われるなんて、小学校の朝礼か運動会以来のことで、正直とまどう。

というか・・

卒業式といっても、日本と違い、中国では一人一人名前を呼ばれて証書をもらいにいくわけではない。
指導教官はじめお世話になった先生が出席するわけでもない。
これでは、何のための卒業式かわからない。

それ以前に、中国という国は何をやるにしてもバラバラとまとまりがなく、そのクセ面子重視で表向きはやたらと派手で金ぴかな印象がある。
中国医学的に表現すると、「形神不一致」ということになる。

そこが大和民族である私の生き方にそぐわない。
いい加減な気持ちとやり方で「卒業」という大切なプロセスを迎えたくない。

参加したいというモチベーションがわかないこともあるが、私的にはもっと厳粛な理由で卒業式には不参加と心を決めた。

今日は、私なりのやり方で、心静かに卒業式を祝おうと思う。

女の武士道

イメージ 1

自分で言うのもなんですが、武士道書庫、気に入ってしまいました〜笑。

なんというか、書きながら自分を戒めているんです。

武士道は、私にとっての理想であり、目標です。

しかし、ときには現在のおのれの未熟さに愕然とさせられ、自分の歩みがとまってしまいそうになります。

禅の言葉で、百尺竿頭という言葉があります。ひゃくしゃくかんとう、と読むのでしょうか?

一度物事を決めたら、前進していくだけ。
振り返らずに、ただひたすら歩みをすすめる。

昨年の大河ドラマ『篤姫』にも、「女子の道に、後戻りはござりませぬ」というせりふがありましたよね。

この言葉、私は大好きです。

最近、ちょっと意気地がくじけていて、心が寄り道をしていたのですが、もう一度ここで襟を正して、前進していきたいと思います。

イメージ 1

いつも、何ヶ月かに一度しか更新しないのに、今日は、なぜかエンジンがかかってしまい、1日で2度目の更新です。

普通、きっと記事のネタをためておいて、何回かにわけて投稿するものだと思うし、私も以前はそうしていたのですが、そうすると、何か記事の鮮度が落ちてしまうのです。

記事の内容と、記事を書いているときの自分のエネルギーとの間に乖離がおきてしまい、読み手に気持ちがつながらないのです。

だから、私は、たとえムラがあったとしても、こういうやり方をつらぬこうと思います。

さて、今日朝の記事を書いたあと、私にとっての武士道とはなんぞや?と問いかけをしていました。
たぶん、それができないと、卒業論文に魂が入らない、とずっと感じでいたのです。

さきほど、昼ごはんをすませて、皿を洗っていると、突然インスピレーションがきました。

<矜持(きょうじ)>

そうか・・・。

私がこんなにも武士道にひかれるのは、ひとえに武士道が私に人として、自分としての矜持を教えてくれているからなんだ!

そう気がつきました。

矜持の意味を辞書で調べると、“自信と誇り。自信や誇りをもって堂々とふるまうこと。プライド”とあります。

でもそれは、空威張りだったり、見栄や虚栄心からくる自尊心ではなく、もっと魂の奥底からにじみ出てくる、自分の人生すべてをかけた緊張感のようなものだと思います。

そしてそれは、日常生活の些細な場面、場面で、どれだけ心をかけ、心をこめて取り組んだかによって培われるものではないでしょうか?

たとえば、料理などの例があげられます。

昔、<男子、厨房に入るべからず>という言葉がありました。
これは、表舞台に出ることを許されなかった女子が、せめて台所だけでも聖域として守りたかったがために出た言葉ではないと思います。

台所は、女にとっての<矜持>をかけた戦場(いくさば)だったように感じます。

私自身も、料理をつくるときは、生死をかけてのぞみます。
おおげさなようですが、そうすることで料理に魂が入ります。
もしおいしくなければ腹を切る。
生死をかけるくらいの気迫がないと、おいしい料理ができませんし、そのくらいの覚悟が、人の潜在エネルギーを最大限に引き出すのだと理解しています。

だから、自分が生きるか死ぬかの覚悟をしているときに、部外者に介入、詮索、邪魔をされたくないのです。別にそれは、男子に料理をするなといっているわけではなく、命がけで料理をする、という覚悟のないもの、という意味で、当時は<男子>という表現になったのだと解釈しています。

『葉隠聞書』の著者、山本常朝は、つぎのように述べています。

「武士道というは、死ぬことと見つけたり」
別に、死ぬことを推奨しているわけではありません。
あなたが、今しようとしている、していることに命をかけられますか?という命題です。

「二つ二つの場にて、早く死ぬほうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり」
いつも、この文を読むと、胸がすっとします。
つまり、うまくいくのか、いかないのか、損か得か、そんなことを考えているヒマがあったら、死ぬ覚悟で物事にあたれ。それ以外に真理はない。それだけの覚悟があってはじめて、前にすすむ力と魂を得ようというものだ。
そんな風に、後ろから肩を押されているように思います。

自分の、自分に対する、自分のための、誠の自尊心。
それは、本当の意味で自分を信じ、愛し、いつくしむことを悟った人が身につけているものだと思います。

私も、そんな境地に到達できることを夢見つつ、卒論に励みたいと思います。

目標は、“一人でお茶をのんでいるときも、ピーンと背筋をはっているような堂々としたおばあちゃん”
そして悠々と自分のまわりを時間がめぐっていくようなそんな老後です。

っと、いきなり老後の話まで飛躍してしまい、かたじけない・・・

有言実行の美徳

イメージ 1

おはようございます。

ひさびさに、記事を更新してみようと思い立ちました。

武士道精神は、実は日本文化のすみずみにまで浸透しています。
鎌倉時代から江戸時代まで、実に700年の長きにわたって武家による統治社会が続きました。
実は、これだけ長い間武家が国家の舵取りをしている国というのは、世界にも類をみません。

武士道精神は、明治期以降曲解され、悪用・乱用された歴史がありますが、本来の武士道精神には、人が人としての尊厳をもち、自分らしく、美しく、幸せに生きるさまざまな知恵がかくされています。

要素要素を取り出してしまえば、ごく当たり前のことを語っているにすぎないと感じるかもしれませんが、各要素が絶妙なバランスをもって、それぞれを生かしあい、全体のバランスを支えあっているのです。

たとえば、有言実行という徳目があります。

これは、孔子の「誠というもの、物の終始なり。誠ならずは物無し」という言葉にオリジンがあるといわれています。

誠という言葉は、言+成からできています。
つまり、発した言葉が実現化する、ということですね。

自分が言葉を発した瞬間、その言葉が現実化の方向にむかって、そのベクトルエネルギーを増幅させていくわけです。

日本の大和言葉には元来“言霊(ことだま)”という考え方がありますが、言葉には魂がある、つまりその言葉のもつ意味のエネルギーをすでに内包している、ということなのです。

「武士の一言(いちごん)」という言葉がありますが、武士は言葉のもつエネルギーの大きさ、その重大性を肌身で感じていたに違いありません。

学問の神様、菅原道真も、次のような句を残しています。

心だに 誠の道にかなひなば
       祈らずとても 神や守らむ

ちなみに、私も大宰府天満宮で、おみくじをひいたら、この句がのっていました。


このように見てくると、「有言実行」という徳目は、私たちに「言葉にしたことは必ず守れ!」という約束義務の履行を強制するものではなく、「自分が発した言葉は、もしそれが天道・天理にかなっていれば、それは自然に実現されていく」というのが本来の意味なのです。

いかがでしょうか?

もし、ご興味があれば、ぜひ新渡戸稲造の『Bushido-The Soul of Japan』を読んでみてください。原著は英語ですが、非常に難解ですので、英語と日本語の併記してある訳本もしくは現代日本語訳の本をご覧ください。

「ともしびの守り人」

イメージ 1

祖母が亡くなったことをきっかけに、自分の血というか、ルーツに対して深い愛着のようなものを感じるようになりました。

一番のきっかけは、3年前。
実家に戻って祖母と2人でお茶を飲みながらテレビを見ていたら、祖母が急にこんなことを切り出しました。

「今年ね、おじいちゃんの33回忌をやったんだよ。私も50回忌までは生きてられないから、あんたにまかせたよ」

祖母の表情は、何か確信に満ちたような、充実感のようなもので満ち足りているようでした。

私の父は、3人兄弟のうちたった一人の男子で、長男である父の子供は私と妹の2人。
私は長女なので、必然、私がこの家の系統を守っていくということになります。
というか、小さい頃から、私がこの家の「ともしびの守り人」であるというような漠然とした感覚をもっていました。

そんなわけで、祖父方の家に関しては、いろいろ聞かされることが多かったのですが、祖母の生家に関しては、まったく何も知りませんでした。

去年、ふとしたことで、祖父の妹であり、祖母の兄の嫁である大叔母から、祖母方の家の由来について聞く機会がありました。

どうやら、ルーツを江戸時代までさかのぼると、祖母の生家のあたりは伊達藩の飛び地だったらしく、そこで旗本侍をしている家だったようです。

もしかしたら、もともとは東北地方からうつってきたのかもしれませんね。

ロマンをかきたてられます。

そんな血がさわぐのか、もともと武士道精神とか、サムライにあこがれます!

それでもって、武士道と私などという書庫までつくってしまいました。

卒論のテーマも武士道にちなんだものなので(一体どんだけ武士道が好きなん?)、これから折をみて、武士道に関して日々感じたことを綴っていきたいと思います。

全1ページ

[1]


.
空飛ぶ長今
空飛ぶ長今
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ハッピーなブログ仲間

ハッピーメディスン

オリエンタルビューティ

北京で暮らす個性ゆたかな仲間たち

One Asia

One World

登録されていません

中国大好き!の仲間

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事