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日本中の話題になった金環日食。
わが校でも通常より早めに登校し、全校で観察をした。 埼玉県中央部は、幸いにも晴天。 地平線上に雲は出ているものの、太陽にはかからず、絶好のコンディション。 理科主任の解説の後、太陽観察用グラスからのぞいてみると、大きく欠けた太陽がくっきり。 時間が経つにつれ、月の陰が太陽に入り込み、いよいよリング状に。 素晴らしい金環日食を見ることができた。 子どもたちの歓声もしきり。 同時に、一緒に集まった保護者や地域の方からも歓声が上がっていた。 ところで、今回の金環日食の撮影用に、減光フィルターを買ったのだが、その威力を実感することができた。 太陽が欠ける前から、食の終わりまで、時間をおいて撮影をしてみたのだが、終わりに近づくにつれ、意外なものが…。 この写真ではわかりにくいかもしれないが、太陽の黒点が写っている。 画面上で拡大して気づき、改めてプリントしてみたら、自分でもびっくりするほどしっかりと写っていた。 このフィルター、太陽光を10万分の一に減光するという。 なかなかピントが合わずに苦労したのだが、それはこちらの技術の問題で、写るべきものはしっかりと写っていたということになる。 道具はしっかりと仕事をしてくれていたということになる。 さて次は、6月6日に、金星が太陽上を横切る。 いわゆる「金星の日面通過」。 ほくろが移動するようなものだが、うまく写すことができるかどうか。 今年は、天文現象の当たり年だけに楽しみ。 |
教育の話
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公園って誰のためにあるんだろうとつくづく考える。
あれはダメ、これはダメ、のダメダメづくし。 ボールを使った遊びはダメ、バットなどを振り回すのもダメ、大きな声を上げるのもダメ、自転車など乗り入れるのもダメ、…。 学校に勤務している身として、時々クレームの電話が入ることがある。 「子どもたちが野球をしているんです。やめさせてください!」 自分の家の近くにある公園でも自由に遊べない、この不自由さ。 世の中って、誰を中心に動いているんだろうと思う。 小さい子がいたら、そのそばで野球をしているのは危ないと思う。 お年寄りがくつろいでいるところに、鬼ごっこの子どもたちが走り回っていたら、確かに落ち着かないと思う。 じゃあ、子どもたちにはすべて我慢させればいいのか。 この寒い空の下で、公園に集まってひたすらニンテンドーDSに興じる子どもを、誰が非難できるのか。 小さい子どもや、お年寄りや、公園の近所に住む人たちのことは考えて、子どもは何にもしてはいけないのか。 そこで思いついたこと。 ワーク・シェアリングならぬ、パーク・シェアリングってできないものだろうか。 年代によって使う時間帯を決める。 そもそも昼間の時間帯なんて、子どもたちは学校に行っているのだから、公園に出没するはずがない。 その時間帯は小さい子やお年寄りを優先する時間帯とする。 放課後の1〜2時間だけでいい。 学齢期の子どもたち優先の公園にできないか。 学校で遊びたくたって、学校が遠い子どももいる。 近所の公園で思いっきりボール投げをしたり、鬼ごっこができれば、子どもの体力だって向上すると思うのだが。 事なかれ主義の行政には無理かも知れないが、誰か声を上げてくれないものだろうか。 |
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久しぶりに教育の話。
去年に続き、今年も猛暑だったわけだが、ニュースでも天気予報でも「熱中症に気をつけましょう」という決まり文句で締めくくるのが気になった。 もちろん、そのこと自体が問題なわけではない。 今、地球は温暖化が進んでいる。 日本に限って言えば、「熱帯化」が進んでいると言っていい。 にもかかわらず、「暑いところでの運動を控え、水分を補給し、熱中症にならないようにしましょう」というだけでいいのかということである。 先日読んだ『こんなに厳しい!世界の校則』という本の中には、「−18℃以上の日は外で遊ぶこと」というフィンランドの校則が紹介されている。 −18℃!! 外で遊ぶ!! だが、将来もフィンランドで暮らしていく子どもたちにとって、猛烈な寒気に慣れること、順応した体を作っていくことは何にもまして大切なことに違いない。 そのために、小さいうちから環境にあった体を作っていかなくてはならないわけだ。 翻って我が国では。 実は先日、運動会が終わったばかりなのだが、「猛暑の中だから運動会を延期して欲しい」という匿名の電話があった。 匿名の電話はいつものことなのだが、こちらの対応を説明しても聞く耳を持たない。 「死んだらどうするんですか!」と言うばかり。 そうならないように、休憩や水分補給など十分配慮しているんですよ、と答えてもらちがあかない。 結局一方的に電話を切られ、その後さらに匿名で他の教師に捨て台詞を吐かれてしまった。 (今時の学校はナンバーディスプレイなので、同一人物だとわかっているのだが…) 子どもかわいさで周囲が見えなくなっているのはわかる。 心配は親にとって当然だ。 だが、心配の先をどう考えているのか。 子どものことを考えたら、将来の環境に順応できるよう、それこそ配慮していくべきではないか。 かわいがるのは5歳までで(これは私見だが…)、そこから先は子どもの将来を考えていくべきではないか。 「教育」って、そういうことだと思うのだが。 乱暴な話だが、自分が子どもの頃は、校庭一周のウサギ跳びなんて普通にやらされた。 水を飲むのは怠け者!という雰囲気であった。 だが、砂漠のラクダよろしく、体ってけっこう順応するものだ。 その当時のサッカー仲間で、倒れたということは誰一人としていなかった。 もちろん時代が違うということは承知の上だ。 同じことをやらせようなんて思っちゃいない。 だが、世の中どんどん人間を弱くしていく方向に進んでいるとしか思えない。 「配慮」はもちろん必要だ。 だが、みんな同じでいいのか。 もう少し、違った見方が必要ではないのか。 |
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6年生の社会科見学の付き添いで、国会議事堂に行ってきた。 これまでに、何回も訪れてい入るが、今回は5年ぶりくらい。 前回来たときには、小泉総理が人気絶頂の頃で、たまたま車寄せで小泉総理に会ったものだから、のちのちまで話の種になった。 今日はこれまでに来た中で初めてといっていいくらいの人出でびっくりした。 衛視の人の話でも、午前中だけで何千人という来訪があったらしい。 時間通りに受付をしたものの、見学が始まるまでに1時間待ち。 今時の6年生の子どもには、大変な苦痛だったようだ。 それにしても、変わったものだと思う。 僕の後ろの団体は、国会議員が子どもたちを引率して案内をしていた。 本会議場では、「あそこが僕の席なんだけど見える?」なんて言いながら。 また、昔は衛視の人たちによく怒鳴られたものだけど、ずいぶんと対応がソフトになったものだ。 議事堂そのものも洗濯をして、下半分は造られた当時の色に戻ったらしい。 昨年はてっぺんに雷も落ちたりして、ずいぶん手が加わったようだ。 ともあれ、「国権の最高機関」。 建物とともに、そこに集い議論する人たちも最高であって欲しいと願う。 それには、選挙民の眼力も大切だと認識した上で。
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Yahoo!ニュースを見ていたら、 というニュースが出てきた。 設備・備品が不足し、教材費が足りないため、自腹を切って実験を行っているという内容だった。 だが、理科教師に限らず、自腹を切っていない教師なんて、いるのだろうか? 画用紙、模造紙など、一般的なものはともかく、何か工夫して授業をやろうとしたとき、その負担は自分持ちになってしまう。 そもそも学校には現金などなく、また前年度から予算化されているものがほとんどであるため、新しく考えたことに対応できるお金など存在しない。 結果、自腹を切って教材を買い、授業に臨むことになる。 工夫をして、面白い授業にしようと思えば思うほど、出費は自分持ちになってしまう。 それをしていない教師なんて、いるのだろうか? ずいぶん前の話になるが、教員免許を持っている文科省の役人が人事交流で学校に赴任し、学校現場を体験した体験談の記事が新聞に載っていたことがあった。 「役所では資料作りをするのにカラーコピー機で印刷し、綴じ込みまでやってしまうのに、学校では輪転機で印刷し、手作業で綴じ込みをしている。こうしたことにかかる負担を減らすためにも、学校現場をよく知り予算化していかなければならない」、という趣旨のことが書かれていた。 学校は、いまだに家内制手工業の世界である。 にもかかわらず、事情を知らない人たちから「夏休みがあっていいね」などと言われる。 低学年の保護者から放課後電話がかかってきて、「高学年の授業に出ています」なんて答えると、驚かれることも多い。 子どもが帰ると、先生はひまなのだと思われているようだが…。 教育界に、また教師に不祥事が多く、問題教員も続出するため、世間から非難を受けるのはわかる。
が、これまた世間一般と同じく、ほとんどの教員は真面目に地道に子どもたちのために汗を流している。 当たり前のことが当たり前に評価されるようになるのは、いつのことになるのか。 |




