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先週末、休暇が取れたので兵庫から岡山まで、山陽道の旅に出る。
そのまとめの一部。 新幹線で新大阪まで出て、まず明石に降りる。 明石城は以前にも訪れたことがあるが、季節が違うとまた雰囲気も違っている。 3月の声を聞いたせいか、小学生くらいの子どもたちが数百人規模で訪れている。 それも、いくつもの学校単位で。 明石公園はとっても賑やか。 以前にも来たとはいえ、時間がなくてこの場所から写真を撮っただけで終わってしまった。 今回は城郭内に入り、本丸跡まで足を伸ばしてみる。 どこもそうだが、どんどん整備が進んでいる。 ここでは、茂りすぎた樹木の伐採と石垣の整備が行われていた。 地元の人が誇りに思えるような「城づくり」になればいいのだが。 続いて、姫路に向かう。 姫路城が平成の大改修に入っているのはわかっていたのだが、今回はあえて「天空の白鷺」から全容を覗いてみたくなり訪れてみた。 姫路駅から「お城通り」をまっすぐに歩いてくると、この景色に遭遇する。 かぶせられた覆いの上に、実物大の姫路城が描かれている。 最近は工事中でも来城者を粗末にしない、行き届いた対応がなされている。 だが、実際の様子は、あまり期待したほどではなかった。 決まったところから眺めるだけでなく、名古屋城本丸御殿のように、周りを歩けるような工夫がされていればもっと良かったのに、と思うのだが…。 翌日は、赤穂線で播州赤穂に向かい、赤穂城を訪れる。 どちらかといえば、「忠臣蔵」のイメージしか持っていなかったのだが、いやはやどうしたものか、この立派な縄張りといい、城郭の様子は、いかにも「百名城」にふさわしい。 ただ、何も残っていなかったところに「復元」といわれても、新しい石垣やら何やらを工事しているところを見てしまうと、これはどうなんだろうと首をかしげてしまう。 あまり整備せずに、標を残しておくだけでいいと思うのは、通りすがりの観光客の自分勝手だろうか。 でも、「見えないものが大事」ということもあると思うのだが…。 忠臣蔵のイメージは、全く別物になった。 そして、今回の最後の城「岡山城」を訪れる。 「烏城」の名の通り、見事な城だと思う。 ここは鉄筋コンクリートだから、作り物ではあるが、それでも昔のイメージを彷彿とさせる立派なたたずまいだ。 ここでも、幼稚園児らしき集団が遊びに来ている。 3月にもなってくると、もう学習することはないということなのだろうか。 それとも、春になったから、やっと外に出られるようになったということなのかな。 この子たちの中で、「城」に興味のある子は、どれくらいいるのだろう、などと想像してしまう。 それにしても、さすが山陽道、立派な城が多い。 外様でもあり、外様を押さえるためでもあり、どちらも威信をかけて城造りに力を注いだことが伺える。 これで、「百名城」のうち、訪れたのは65城。 あと三分の一を残すのみとなってきた。 |
城郭めぐり
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もう1週間も経ってしまうが、先週末、宮城から山形、新潟の城を巡ってくる。
その記録。 はじめに訪れたのは多賀城。 近くまで来てはいたのだが、実際に訪れるのは初めて。 ずいぶん遠い城になっていた。 築城は奈良時代というから、すでに1300年も経っていることになる。 大和朝廷が、蝦夷を駆逐するために造られた城(軍事拠点)で、ここを起点にさらに北へと制圧を進めて行った。 国府多賀城駅から歩いて15分くらいだったか。 丘陵の下に石碑が並んでいる。 書かれているのは経文だったり、何やら読めないものだったり。 イメージとしては、太宰府跡に近いのだが、東日本大震災で被害を受けていたりして、落ち着いた様子がない。 だが、こうして礎石しか残らないところが、かえって郷愁をそそり、想像をかき立てる。 1300年前の様子に思いをはせて。 引き返して仙台城に向かう。 仙台駅は何やら大混雑。 ペデストリアンデッキには大行列があり、乗ろうとした「ループル仙台」もたくさんの人が並んでいる。 こんなはずではなかったと思いつつ、道路も車内もラッシュにもまれ、やっと仙台城へ。 あまりの混雑に辟易し、さっさと次に行こうと思い、まず正宗像へ。 典型的な山城の上から睥睨する凛々しい像を拝見し、認識を新たにする。 といっても、バスでこのそばまで来てしまったものだから、いわゆる「城」という感じが全くしない。 石垣やら天守跡やら、歩けばそれなりのものが見つかるのだろうが、あまりの観光客の多さですでに頓挫。 途中、大学祭をしているところもあったし、ちょっと時期を誤ったかなと思う。 だが、こうして立派な像を見ると、これに匹敵するのは、上野の西郷さんだったり、桂浜の龍馬だったりするのだろうと思う。 像を目当てにやってくる場所は、そんなに多くない。 さすが伊達者。 また、人の多くない時期をねらって、来てみたいものだ。 次に、仙山線で山形に向かう。 前回来た時は雨。 朝の短い時間で、傘を差しながら急いで回った。 今回も急いでいるのは変わらないが、違う季節と時間帯で、違った姿を見ることができた。 山形城の中では菊祭りも行われていた。 城跡と菊は、確かに良く合う。 西日に照らされた菊の飾りを、急ぎながらも十分に堪能させてもらった。 地方都市って、とってもいい。 その足で米沢に向かい一泊。 翌朝は、早くから米沢城に向かう。 ホテルから歩いて15分。 好天の中、米沢城跡に対面する。 「毘」と「龍」の旗がはためく奥にあるのが、上杉神社。 謙信を祀るところ。 上杉家も紆余転変。 一時は天下を望むかと思えば、関ヶ原で暗転し、その後さらに半分の15万石まで落とされてしまう。 しかし、武門の誉れ、家臣を首にしなかったのは、さすがだと思う。 だから今でも尊ばれているのか。 「誇り」とはかくあるべきか。 最後に、米坂線で新潟に渡り、新発田城を訪れる。 敷地の大部分が自衛隊駐屯地になっているために、3つの鯱が載っている三階櫓も入ることはできない。 だが、鯱にも阿形吽形があることや、堀部安兵衛と新発田藩の関わりなど、面白いことを知ることができた。 堀ではいいのか悪いのか、買った負けたといいつつ子どもが釣りをしていた。 こんなのんびりしたところがいい。 今回は5城めぐり、4つスタンプをゲット。 先はまだまだ長いが…。 |
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昨日は運動会の代休だったので、久々の平日休み。
南信州にある、高遠城を訪れる。 「天下第一の桜」で有名な高遠だが、いかにもその季節に訪れれば見事なのだろうが、葉が茂るだけの季節には少し風情がない。 これは有名な桜雲橋。 枝を伸ばしているのはもちろん桜だが、伸び放題に伸びていて、普通に歩いていてもぶつかってしまうほど。 もう少し手入れして方がいいと思うのだが…。 有名な太鼓櫓も同様。 どの角度からも、全景をそのまま写すことはできない。 「桜伐る馬鹿…」とはいうが、そのままにしておくのは、日本人の感覚としてどうなのだろうか。 せっかくのものを、もったいないような気がした。 話を本題に戻すと、高遠城は武田氏の悲劇の始まりになった場所とも言える。 長篠の戦いが発端なのはもちろんだが、高遠城陥落の後、武田氏は本格的に滅亡に向かう。 今訪れてみると、そんなに戦略的な位置にあるとは思えないのだが、終わりの始まりの土地である。 しかしその後は、保科氏など高名な大名の領地となり、名を知られるようになる。 今回も、「保科正之を大河ドラマに!」などという幟を多数見かけた。 ま、最近この手の幟は、どこにでも多いのだが…。 そして、高遠城から望む、城下の遠望。 けっこうな平山城である。 鉄道からも、幹線道路からも、ずいぶん離れているので、僕自身も今回が初めてなのだが、足を伸ばしてみて、こんなところに住みたいものだとも思う。 やはり、昔も今も、目をつけるところはそんなに違わないのではないだろうか。 11月からは秋祭りが始まるらしい。 また来てみたいところだ。 |
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で、今回は城めぐりの旅でもある。
日本100名城を数えてみれば、すでに60を超え、3分の2は訪れたことになる。 でも、スタンプがあるのを知ってから、もう一度やり直しているので、似たような写真も出てきてしまうが。 今回の最初は松阪城。 前に来たのは1月だったと思う。 夏の城めぐりは、避けた方がいいなと、今回はつくづく思った。 でも、城の前に並ぶ御常番屋敷は、相変わらずきれいに手入れがされていた。 長さにして数十メートルの、いわゆる長屋に、今でも普通に住んでいるのだから素晴らしいと思う。 角館の武家屋敷などとはまた別の印象。 すれ違った、犬の散歩の婦人が上品にあいさつしてくれる。 奥ゆかしさとはこういうことをいうのだろうなと実感する。 一方で、残念ながら月曜日だったために、本居宣長記念館も資料館もみんな休み。 スタンプは、駅前の観光案内所にあるとのこと。 まあ、いいんだけどね。 暑かった。 続いて、上野城に向かう。 忍者で有名な伊賀だが、改めて調べると、三重県だったんだね。 関東に住んでいるものにとって、畿内はよくわからない。 だが、日本一の高石垣で知られる上野城には、絶対に行ってみたかった。 松阪から近鉄線と伊賀鉄道を乗り継いで上野市(伊賀市)まで出る。 なんだか学生ばかり。 学校が多いところなのだろうか。 帰りの時間を気にしながら早足で上っていくと、さすがに忍者の里、忍び装束の幾人かが城の前で写真撮影のサービスをしている。 でも、子どものようだったのだが…。 まぁ夏休みだから…、なんだろうか? 高石垣を見るためには、さらに反対側に回り込まなければいけない。 もう頭の先から足下まであせびっしょり。 でも、ここまで来てそれを見ずに行くことはできない。 重たい荷物と腰の痛みに耐えながら歩いたのだが、…城を見るには冬がいいのかもしれない。 茂みに覆われて、期待したとおりにはいかず。 場所が違っていたかもしれないが。 でも、苦労した分だけは、とりあえず満足。 2日目は、和歌山城を訪れる。 和歌山駅に着いたのが、夕方の5時になってしまったので、もう間に合わないと思っていたのだが、観光案内所に顔を出したら、8月いっぱいはナイター営業をやっているとのこと。 ラッキーと思い、バスに飛び乗った。 下調べができていないものだから、どこから撮るのが一番いいのかわからず、手当たり次第となってしまった。 でも、先入観なく歩けたのも良かったかなと思う。 泊まる場所を駅前ではなくお城の前にしていれば、また違った写真が撮れたかもしれない。 だが、紀州55万5千石。 さすがに立派な城構えだった。 天守閣最上階からは紀州灘や和歌浦なども見渡せた(と思う)。 雄大な景色、素晴らしい。 3日目は、大阪城へ。 3日目にして雨に降られてしまった。 迂闊にも傘を持ってこなかったので、駆け足で回る。 今回撮った中では、このアングルが一番良かったかもしれない。 思うに、展示でも何でも、豊臣時代のことが多いのに、この3代目の城も徳川時代を模しているとは、これいかに。 豊臣時代は、松本城のように黒塗りだったというが、会津若松城のように変えてみたらどんなものだろうか。 まぁそうもいかない難しい理由もあるのだろうが。 それにしても立派。 前に来たのは、アテネオリンピックの時だったかもしれない。 とすると、8年ぶりか。 今度は違う季節に来てみたいと思う。 |
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今日は代休。
ずいぶん前に行ったことのある春日山城跡にもう一度行ってみた。 前回はまっすぐ春日山城に向かい、城跡に上ったのだが、今回は史跡広場にある「春日山城跡ものがたり館」から行ってみた。 監物堀と呼ばれる堀と土塁には、「謙信公祭」の幟がはためいている。 後で調べてみたら、今週末に謙信公祭が催されるらしい。 「天地人」をやった時に、謙信を演じたガクトが今回は来られなくなったなどという情報もわかった。 先に調べておくべきだね。 続いて、林泉寺に向かう。 前に来たのは確か6月くらいで、菖蒲がきれいに咲いていた。 今回改めて見てみると、秋の七草が生い茂っている。 さすが500円も観覧料を取るだけはある。 何代目かは知らないが、山門の裏側にある「第一義」の額。 釈迦が悟ったあらゆる事物の心理を表す、と言われるが、その時点で何のことやらわからない。 事物の心理はなんぞや。 いかにも禅問答。 しかし、謙信の行動指針がここにあったことは間違いない。 今回はあまりに暑いので、本丸跡には向かわなかった。 反対側に降りてみたら、川中島で見たような像が建っている。 上越市埋蔵文化財センターの前に、こんな像が建っていた。 後ろからバスにせっつかれてしまったのでそのまま通過。 ちょっと寄ってくればよかったと後悔。 その後は海に向かい穏やかな日本海を眺める。 埼玉は海なし県だからよくわからないけど、こんなに水平線がはっきりと見えることってどれくらいあるのだろう。 走行距離約600km。 でも、心地よい疲れ。 |




