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最近、よく思うことだが何でも法律や条例にしたがる傾向があると思う。何時だったが忘れたが、東京の石原都知事は青少年のマナーが悪いとして、それを規制する条例を作ろうとした。
それは、電車内で女子高生が化粧をしたりとか、電車内で大声で喋る、コンビニで夜中に大勢でたむろしたりしているということで、それを条例で規制しようとしたのだった。
これは、マナーを法律、条例で規制するようなもので全く理性を欠いた政策で最終には受け入れられなかったと思うが、テレビなどで議論していたのを見てワイドショーのコメンテーターがマナーが悪いのを憂いて、これを何とかしなければと条例に賛成するようなことを言っていたので驚いた。
まず、マナーというのは法律や条令、省令で規制するべきものではない。なぜかと言うと、マナーとはその概念自体が曖昧であり、人によって概念自体が違うからだ。
それは、人によっては道路の真ん中で井戸端会議をしているおばさんをマナーが悪いと感じる人もいれば、不潔な臭い体で電車に乗る人がマナーが悪いと感じる人もいる、電車の入り口にへばりついて乗り降りの邪魔になっていると感じる人もいる。また人とぶつかった時に声を出さないで頭を下げる下げることにマナーが悪いと感じる人もいる。又、食事の時に「いただきます」や「ごちそうさま」を言わない人にマナーが悪いと感じる人もいるだろう。
要するにマナーというのは人によって感じ方が違うというのである。どのマナーを規制するかは非常に難しいのである。人はそれぞれ個性があっていろんな考え方があるから楽しいのではないのか。
いろんな考えがある中で最低限守らなければならないものが、法律、省令、条令であってマナーなどは規制すべき対象ではない。自分が不快に感じる物事すべてを法律で規制していたら、物凄く息苦しい世の中になってしまうであろう。今の日本に息苦しさを感じるのは私だけであろうか。日本人はもう少し世の中の出来事に対して寛容な精神を持てないものだろうか。
かといって明らかに悪いマナーを放置してよいわけではなく、国民が共に暮らしていく中で気持ちよく過ごせるようにすべきである。
どうすれば国民の間に良いマナーを広げる事が出来るのか、それは国の指導者や社会的地位の高い人、マスメディアなどで国民に影響を与えられる人が、人から尊敬を集めることが大事であろう。
社会のリーダーに人徳があれば国民もその道徳的価値観についていかざるを得ない、逆に言えば社会のマナーが退廃しているのは日本のリーダーが道徳的価値観を持っていないことが原因だとも言える。
社会の安全を守るのは法律だけではなく、人々に正しい道徳的価値観を持たせることが必要である。そのためには社会のリーダーが「人を似って本となる」ような道徳的価値観が必要である。
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