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ひょんなきっかけ、でした・・・
「鉄分」の多い、私。高校時代は勉強もせず、郷土の鉄道関係の書籍を読み漁ってました。
その中で、戦後、悲しい事故があったことを知っていました。国鉄の企画「チャレンジ20000
キロ」で、日田彦山線を始めて全線乗った時、ああ、ここかな?という切通や、彦山駅の、
駅舎に残るという事故の痕跡を探したことも・・・
事故の件は、私がここに書くよりも、ネットで見た方が良いので・・・
今はウィキペディアにも載ってるんですね。びっくりです。
二又トンネル爆発事故
そんなことなんて、忘れてましたよ。
先日、ラーツーの折、Sさんから「爆発踏切って知ってる?」と。
最初、つながらなかったのですが・・・もしかして、あの事故の話??と。帰路に、案内して
いただきました。彦山から小石原へ抜ける道路。私自身、何度も走ったことがあります。
その主要道から、えっ、こんなとこから、と思う場所へ車を走らせて。
遮断機も警報機もない、のどかな踏切。これは、筑前岩屋駅方向。
そして、こちらが、事故のあったトンネルの方向(=彦山駅方向)。
るのがスマホカメラでも捉えられています。
トンネル内の火薬が爆発して、山が吹き飛んだという・・・沢山の方が犠牲になられて。
現場と彦山駅の間にあるアーチ橋は、日田彦山線の撮影地として有名ですが・・・
私は、アーチ橋がここにあることもハッキリ知らなかったし。
いつしか、しっかりしたカメラ片手に、訪れてみたいものです。
彦山駅から現場方向を望む
なお、現場に行くには、かなりの狭隘道路になりますので、車の場合はお気をつけて。
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鉄道趣味
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「小倉経済新聞」という地元の情報満載のニュースサイトに、日田線鉄道遺構の件、
掲載されました。
たまたま休みだった25日の朝に見つけ(前日は遅く帰宅したので気がつかなかった)
すぐに工事の方に鉄道遺構であることを説明したものの、、どうやって、この事実を広く
伝えたものかと、考えましたが、いい知恵も浮かばず、ここに書いたり、とある新聞社の
報道部に連絡してみたり、かねてから拝見させていただいていた鉄道関係のHP等に書
き込んだりしたものの、正直、どれくらいの方に認識していただいたのか判らなかったの
です。
こうして、記事に取り上げていただいて、また、何人かの方は、実際に見に来ていただいた
様子。
本当に、良かったと思います。
発見されたがゆえに、壊されてしまった感はありますが、その前に、興味を持って見ていた
だけたのなら、繰り返しますが、本当に、良かったと思っています。
特に、twitterで情報を広めていただいた、otchee/おっちーさん(http://otchee.com/index.html)に
に、この場を借りて、感謝申し上げます。私、twitter全くやらないので(苦笑)
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昨日(27日朝)と今日(朝)の様子
まずは昨日
手前の石組みとブロック塀が取り払われ、全貌が見やすくなりましたが、形はずいぶん歪に
なったように思えます。
28日朝
あまり様子は変わっていなかったので、橋桁があったと思われる跡(コンクリで埋めている)の
アップ。
川(水路という感じですが)の側からの画像
そして、夕方。
今日の作業が終わった後。
上の白い部分は、2枚目画像に、橋桁が載っていた部分をコンクリで埋めた跡。
コンクリとその下の部分を残し、消滅しました。
実物を見れた方、ラッキーだったと思います。
工事で存在がわかったものの、その為に、貴重な遺構(大正時代からの?が消滅しました。
わからないままに、眠っていたほうが良かったのか・・・
しかし、このライン、別の場所で、こうして見られるかもしれませんね。
おかげで、正確な位置が、証明されました。
(メモ)幅 約3.7m
高さ 約1.2m(橋桁設置台座高さ 約80cm) 床石部分 約H37cm×W62cm
道路から 約2.7m東寄り
昔の写真で確認したところ 付近は盛土。南方向は土地が若干勾配(上り)なため
南側にある橋台遺構付近では、ほぼ周囲とフラットになっていたと考えられる。
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今日は、夏休みを取った。
ふと見ると・・・
永らく駐車場(一時期は旧・小文字病院の職員駐車場)だった空地(ちなみに、そのずっと以前は
大きな1軒の民家)だった、空き地にユンボが入り、工事が始まっている・・・
あれぇ?
うーん、なんかレンガの構造物が見えるぞぉ。
(位置的に)すぐに、ピーンときた。
ここには、かつて鉄道があった。
この東側の敷地(マルショク エル大畠等)は、旧・小倉炭鉱の跡地。
レンガ遺構の位置は、その敷地の西端を走っていた国鉄線路の跡地。
昭和30年代まで走っていた、旧・添田線(日田線)の鉄道遺構。鉄橋の橋台ですね。
元々は、小倉鉄道という私鉄が、大正時代に敷設。
その後の戦時。他の私鉄同様、ご多分に漏れず、国有化される。
その旧・添田線は、その後、日田線、さらにその後は、日田英彦山線と名を変えている。
現在は城野駅が起点だが、最初は東小倉-(砂津)-妙見-(水町信号場)-石田・・・の路線で
あった。(以前、「本館」ブログにて、写真を掲載した区間)
かの、松本清張が、当時住んでいた黒原(黒住?)の自宅から、、勤務先である朝日新聞
西部本社(砂津にあった)まで、この線路上を徒歩で出勤していた、と、どこかで見ましたが・・・
(追補:「雲のうえ」11号/「九州・鉄道歴史探訪」弓削信夫・著)
ここから、すぐ南側の、別の川辺に、レンガ積みの橋台(上に建物)があることは、広く知ら
れている。が・・・まさか、同じような橋台が、ここにも埋もれていたとは・・・
廃線から約半世紀ぶりに姿を現した、この橋台。幸か不幸か、ただいま、掘込式の駐車場?
建設中。建売住宅が建つそうです。いつまで拝めるやら・・・
思い切って、工事現場に近づいて写真を撮っていると、レンガ構造物の上にいた工事関係者
に話しかけらる。
「ここ、掘っていたら下のほうからボタ(石炭がら)が出てきたよ。」
「ああ、そうですね、ここ、小倉炭鉱の跡地でもあるので。」
「ところで、これ何?」
「鉄道の線路の跡でしょう。昔、鉄道が走っていたんですよ」
さて、どうしよう。これ、すごい発見じゃないの。
実は、午後から博多。ホークスの試合観戦に出かけるので時間がない。とりあえず、ここに
書いて、この付近の廃線跡を辿った記事がある鉄道関係ブログに書いて、メールして、つい
でに、我が家がとっている新聞社の報道に電話して・・・反応はイマイチだったけど。
<追記>
※7月26日現在、掘り下げられて取り残されていた道路側のコンクリ石垣が撤去されたため、
市道からも、この橋梁遺構が見えています。
※7月27日、レンガの南端が、かなり歪になってきました。
この日以降の状況は、また別に書きます。
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