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2019年5月14日でパプアの戦いのブログを閉鎖致します!
御訪問頂きました皆様方に感謝します!


Ⅹ部隊は1942年11月30日に編成された第6飛行師団=洋部隊所属の定員81名の小部隊でした。
同部隊の部隊略歴には「1943年2月1日から1944年3月31日までウエワク飛行場に展開」と言う記事だけですよ!
これで何が解りますか?

パプアの解明事項:
1 Ⅹ部隊の宿営地はウエワク半島の基部のクワイド=kainde
イメージ 1
2 Ⅹ部隊の主任務は飛行第14戦隊=97式重爆撃機戦隊の支援
3 X部隊は主としてウエワク東飛行場に勤務
イメージ 2
松の岬から眺めたアレキサンダ−山脈、ウエワク戦時の中地区、一番高い山が田崎山か?
イメージ 3
松の岬から見たアレキサンダ−山脈、ウエワク戦時の東地区
イメージ 4
4 第12飛行団所属の飛行第11戦隊の1943年2月頃の戦況
 (1)戦隊長・杉浦勝次少佐ワウ上空で戦死
 (2)第1中隊長・宮林茂徳大尉ワウ上空で戦死
 (3)第2中隊長代理・佐藤哲男大尉ワウ上空で戦死
5 X部隊は第14野戦航空修理廠と関係
6 第25飛行場大隊の整備班と関係
7 飛行第11戦隊装備の隼戦闘機=1式戦は米陸軍機p−38戦闘機やB24、B25、B17爆撃機と戦かつていました。B17の撃墜はできませんでした。

ネツトの動画:united states  b-25 bombers bombin,
                    united states 5th air force bombers  1943年8月17日以降のウエワク地区の空襲の状況を知りました。

1943年2月から約半年後にウエワク地区は空襲をうけるようになり1944年3月には日本機の姿は消えた・ホランジャヤ地区に後退していました。

其の事の意味したことは大日本帝国の敗戦の日が日一日と近いていること、大本営は公表しませんでした。1億玉砕へと臣民を駆り立てていました。




 初めに厚生労働省の統計問題が今、話題ですが、東部ニュ−ギニア戦没者統計も怪しいものですよ!第51師団の衛生隊の戦没者統計をご覧くださいよ!全て空欄ですよ!

 しかし、その問題は第1(陸軍関係)や第2復員局(海軍関係)の統計を申し受けたもので、旧厚生省や厚生労働省には、責任は無いと、この頃、思います。

ところで、Ⅹ部隊は1943年Ⅰ月31日ウエワクに敵前上陸したと公式資料は記して居ます。

約21日間の地獄行きの船旅!とは知らずに?どの様な21日間だつたのか知る由もありません。

昭南島港=シンガポ−ル港をⅠ月10日出航、航路は定かではありませんが、第25飛行場大隊の記録によりますと、バタビァ港に寄港しています。詰めるだけの食料や水、医薬品、弾薬、燃料等を積み込んだものと思います。

○1943年Ⅰ月31日頃のウエワクの状況
 米空軍の空襲を受けないウエワクでした。海軍病院がウエワク半島にあり日本の女性の看護婦=現在の看護師が勤務中で、兵隊たちのあこがれの的だつたとか!

1 第20師団が上陸をしてウエワク中や東飛行場の整備中
2 第41師団も上陸してウエワク中や東飛行場の整備中
3 陸軍航空隊は第25飛行場大隊やⅩ部隊等が飛行第14戦隊を支援するためにウエワク東飛行場に展開中。

●将兵たちの本音は「暑い・熱い!キツイ!ひもじイ・腹が減る!」の毎日でした。

● 第51師団の岡部支隊はワウで豪軍により撃退され、苦戦中。
  
https://history.blogmura.com/ 太平洋戦争ブログ村のクリツクに感謝します!




ブログ友の皆さま!明けましておめでとうございます!本年も宜しくお願いいたします!

パプアは正月早々の約3年ぶりの大地震に驚きました、パプアの所は震源地から約20キロの所で震度4でしたが、かなり揺れました。教訓、「天災は忘れたころに」と言う名言・格言を痛感していますよ!


ところで、今では少しは知られた戦場!?
 東部ニュ−ギニア戦が終了して昭和、平成、そして新元号の時代になろうとしていますね。

東部ニュ−ギニアへの現地慰霊や遺骨収容が今後も、厚生労働省主催、戦友会遺族会等で毎年?行われることを願う一人の日本人です。

あの戦争!(大東亜戦争が大日本帝国の正式名)戦争に負けて太平洋戦争という呼称に変わりました。勝てば官軍!負ければ賊軍!古今東西の歴史上の現実! 日清・日露・日独・日中戦争では官軍!太平洋戦争で賊軍に!そのために、未だに、歴史問題や北方領土問題等!の未解決!新しい元号時代での早期解決を願つています。

前置きは、これぐらいで、1943年Ⅰ月6日第1航空移動修理班=洋第9323部隊(以後、X部隊と略します)は昭南=シンガポ−ルで編成完結をしていました。(パプアはシンガポ−ル訪問済)

略歴の内容は「昭18年Ⅰ月6日」「3航軍単作命甲により編成完結」のみ。
3航軍とは第3航空軍を意味します。単作命甲とは担任する命令甲?洋部隊とは飛行第6師団所属を意味します。

留守名簿で定員は81名と知りました。殆どの方が国を出て故郷に帰れずに親兄弟と会えずに2年経過していたようです。何が楽しみだつたのでしょうか?


Ⅹ部隊の母隊はタイ国・ドムアン飛行場勤務の第19野戦航空修理廠所属の81名というメンバ−でした。X部隊の略歴簿にはドムアンと言う地名は記載されていませんで、身内の個人兵歴簿に記載されていました、が、ドムアン飛行場は当初はバンコク飛行場と感違いして居ました。(パプアは1度バンコク空港に立ち寄りました)。

平成完結時には記念写真はあつたはずですが、パプアは未だに入手できませんし、身内以外の80名の方々の氏名・階級等も知ることも出来ないでいます。
(生還者多数の部隊には羨ましいほどの情報が残されています)

当初、移動修理班はⅩ部隊の他、5個編成されました。其の後、6個班合計12班。
それぞれの過酷な運命が待ちうけていました。

Ⅹ部隊の主任務は重爆撃機の修理、第2、第3、第4、第5、第6もそれぞれの任務を付与されていました。

 1943年Ⅰ月6日時頃の東部ニュ−ギニア戦線の戦況は南海支隊のブナ地区守備隊が、ほぼ全滅していましたし、2人の南海支隊長が戦死されていましたし、第18軍指揮下の第51師団の一部がラエやサラモアに進出していました。第20師団や第41師団、其の他、第18軍直轄部隊がウエワクやハンサ等へ部隊移動を命じられていました。

陸軍航空隊も飛行第14戦隊、飛行場第25大隊等がウエワクやラバウルへ移動を命じられていました。

○陸軍航空隊の東部ニュ−ギニア派遣に関する秘話!
 大本営陸軍部作戦班長の辻中佐と航空班長の久門中佐が1時間以上の激論を交わしたと言うエピソード。久門中佐は陸軍航空を投入しても無駄だと言う正論でした。
其の後、陸軍航空隊は同地で悪戦苦闘の末、約1年間で敗退していました。

全ての理由は第17軍が、その任務遂行が不可能になり、ガタルカナル島からの撤退や東部ニュ−ギニア戦の南海支隊の戦況悪化、また、善戦敢闘したラバウル航空隊の戦力の弱化等による大本営陸・海軍部の戦況判断に基ずく命令によるものでした。
今、思いますと、この判断は大誤断でした。
ガ島戦=餓島戦の教訓を生かせずに、東部ニュ−ギニアを第2のガ島にしたからです。

秘話!大本営陸軍部作戦部長や課長等は更迭されていました!
服部作戦課長は更迭後、また、再度、同課長に復帰しています。

此の誤判断で東部ニュ−ギニアで12万7千6百名以上の命を失わせても敗戦後、戦犯にもならず、国会議員になつた辻 政信氏という参謀がおられました。
同参謀はノモンハン事変で左遷されても直ぐに大本営作戦部に栄転されていました。服部大佐と同中佐は名コンビ!当時の陸軍を牛耳つたエリ−ト日本人でした。
余談ですが、辻中佐を嫌らつたノモンハン事件時の大本営作戦課長の稲田正純少将が2代目の第6飛行師団長に任命されるとは、ナント因縁深いものを感じます。


細部を知りたい方はネツトに詳しく記載されていますよ!検索してください。

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 1942年=昭和17年12月31日と言う日は日本歴史上の分かれ道を意味していました。そうです!ガタルカナル島からの撤退を決定した日でもあり、太平洋戦争での敗北をも意味していました。

御前会議前の大本営陸軍部の東條首相人事
1 12月7日第1部長更迭(田中新一中将から綾部橘樹中将へ)
2 12月14日作戦課長更迭(服部卓四郎大佐から眞田穠一郎少将へ)
3 作戦班長・辻政信中佐の更迭は?

作戦部長や課長の更迭は何を意味したのか?
最早!制空権有利な米軍には勝てない!如何なる優秀な部長や課長でも米軍との戦力比が1対3以上なら不可能!


1942年12月31日の御前会議(概要)

1 昭和天皇のソロモン方面の戦況に関する陸海両総長への強い不信感から開催されました。
2 杉山陸軍参謀総長はガ島奪回作戦の中止・ソロモン群島の確保・米軍のガ島戦力の低下等を図る旨、上奏。

3 1400から2時間で終了、昭和天皇は最後に、陸海は協同して、この方針により最善を尽くすようにとガ島の撤退を決裁されて終了。

○元第8方面軍司令部作戦参謀・後、大本営陸軍部作戦課勤務の井本熊男中佐のガ島作戦に関する観察:結論、ガ島を餓島ならしめた責任は大本営陸海部にある!

平成最後の大晦日、76年前の大日本帝国の状況を振り返り、新年号の日本のあり方を考え新年を迎えたいと思います!

馬鹿な指揮官、敵より怖い!

パプアの戦いのブログに今年、御訪問されたブログ友の方々に感謝して新年を迎えます!皆様方、良いお年をお迎えしてください!

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