亀じゃ!

オジ〜の生きざまを綴ります。

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他の命を理不尽に奪う行為は許されない。これは人が生きて行くうえでの常識であります。しかし、我々人類は度々、国益や宗教の違いを理由に対立する国と戦争を繰り返してきました。そして多くの尊い命を奪い、奪われてきました。そのような時代においては敵の多くの命を奪った者には勲章さえ授けられていたのです。こんな事に思い至ると世間でいう常識などというものはかなりその時代に都合の良い、いいかげんなものであると言わざるおえないものです。
一応平和な現代において、幸いなことに人を殺して褒められることはなくなりましたが、「殺生」という切り口で我が身の生活を振り返った時にはただならないことに気が付きます。それは食べるという事は人が生きていくためにはどうしても必要な欠くべからざる条件だかです。私達は食物を食べなければ命を維持することはできません。毎日、食卓に上る料理を見てください。米、肉、魚、野菜は命あるものたちではないのでしょうか。いや命そのものです。私の命と牛や豚やマグロの命と、命という切り口においてどちらが尊いと差をつけることができるのでしょうか。私達は小さい頃から命を粗末に扱ってはいけないと教えられて育ちました。頭では理解しているつもりですが、日常はそんなことは忘れ去られて、もっと美味しい物をもっとたくさんと求めます。その欲望は抑えきれません。気が付けばメタボリックシンドロームに陥り命の危機に直面している人は少なくありません。
こんな我が身の在り方を少し振り返ってみようではありませんか。私にとって一番大切なものは私自身です。その私にとってどう生きることが本当に私を大切にすることであるかを考えみましょう。食べる事には常に「殺生」ということが表裏にあります。私の命は食べなければ維持できません。それは事実です。しかし、その事実は他の命を「いただく」事でしか維持できないのです。私はこのことを矛盾的自己同一という難しい哲学用語を理解する一例にしようと試みることにしました。
「殺生」は切り口です。考えるヒントです。人が生きる為には他の命を殺します。殺したくないと思えば自分の存在もなくなります。このような矛盾を抱えて生きるのが人です。さてここからどう展開させたら自分は納得することが出来るのでしょうか。その答えはあなたにしか出せません。ある人はどんなに短命になっても美味しい物を食べつくして死んでやると思うかもしれません。またある人はスタイルが崩れると自尊心も崩れるので食べたい物も食べないでスタイル維持にまい進するかもしれません。
食べるという行為は人類が生きて行くために必要な本能が大きく影響しています。だからそのコントロールには大変なエネルギーを必要とするのです。もうお分かりでしょうが性欲も同じです。人間の本能に関わることは並大抵の努力ではコントロールできません。言葉を変えればコントロールしようとすること自体がどうなのかと仏教は問いかけてきます。
犯罪を犯し堀の中から出て来られない人達の中には自己の欲望に振り回されてコントロール不能になってしまった人が少なくありません。ですが、我々だって紙一重だということは皆が分かっている事ですね。人間は社会的な動物です。反社会的な行動をすれば罰せられます。欲望のコントロールは人類に課せられた永遠のテーマでもあるのです。「殺生」を切り口に人が生きるとはどういう事かと考えてきましたが、ここからの展開こそが人生そのものです。
人は一生この矛盾を抱えて生きて行くのです。我が身の在り方を振り返り、振り返り、振り返り尽くして、感謝して、感謝して、感謝して生きていける人になりたいと思いこの文章にしました。
 阿弥陀仏は4万8千の煩悩を持つこの私をそのまま救い取って下さる仏様です。それを信じて称名すれば極楽浄土に往生出来ると言われていますが、私はそこには底知れぬ深い自己洞察、自己内省がなければ、知識だけの信心ではたどり着けない心境があると体験的に理解しています。
それは自力のやり方で真宗ではないと言われるかも知れませんが、結果として深い心境に達することができるのであれば仏教という多きな括りとしては寛容されるべき事であると思います。老師や誰に師事しようが仏の事は、肝心要は仏自身に聴くより仕方のないことです。
誤解を恐れずに申せば、人はどう生きても良いのです。しかし、仏教で言う悪人とは世間で言う悪人とは同じではありません。そこが仏教に限らず宗教のパラドクス的表現す。
パラドクスとは自分で自分は頭の良い人間だ。と言う人が居た場合、他人があの人は頭の良い人だと言うのとは明らかに違います。自分の事を他人に自分は頭の良い人間だと言うような事が言える人が本当の意味で頭の良い人だとは言いません。自分が他人に付いてあの人は頭の良い人だと言うのは理解できますが、自分が自分について語る事は言葉と反対の事実がついている事が多く見られます。
 この事をパラドクスと表現します。宗教の文章にはこのようなパラドクスが多く使われているので誤解される事があるのでしょう。自分は毎日食べる事で「殺生」をし続けている悪人だと、自分を懺悔出来る人こそ善人であります。ここを読み違えると悪人正機説はとんでもない大悪人を作りだしてしまいます。
 今回は人間がその生命を維持する為には欠かせない食べる事を「殺生」という切り口で展開してみました。仏教は色々な切り口で考え理解する事が出来ます。より良く生きる為に生まれた仏教がもっと広まればと稚拙な文章を書きました。オジジの戯言とお許し下さい。

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ブログ巡り中にお邪魔します!
早速、幾つかのブログを参考にさせて頂いちゃいました♪
本当に素敵なブログだと思うので参考にさせて頂きます♪
是非、ブログの縁ですがこれからも仲良くさせて頂ければ嬉しいです☆

2015/5/16(土) 午前 3:56 [ 貧乏からセレブへ逆転人生♪ ]


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